『Spectator(スペクテイター)』と『TO』。それぞれまったく異なる切り口ながらも、時代に流されない特異的な編集方針に熱い注目が注がれる二誌の編集長と、その制作に携わるメンバーが、昨年末に「これからの雑誌の作り方」というテーマでトークを繰り広げました。その模様を4回に渡ってお届けします。
★2013年12月23日、VACANT(東京・原宿)で行われたトークイベント(Spectator × TO「これからの雑誌の作り方」)のレポートです。
★『TO』編集長の川田洋平さんのロングインタビューはこちら。
【以下からの続きです】
TO × Spectator:これからの雑誌の作り方 1/4
プロの編集者としてではなく「雑誌マニア」として
草なぎ:青野さんはこれまで、どこかの出版社に在籍して雑誌や本を作っていた時期があったわけではないんですよね?
青野:そうですね、僕は経験は一切なかったです。
かつて、『カンバセ』という雑誌があったんですが、僕と『Bar-f-Out!』を一緒に立ち上げて、今現在もその編集長を務めている山崎(二郎)は、もともとそこの手伝いをしていたんですよね。
僕はその山崎とバイト先が一緒で、雑誌が好きだったので意気投合して一緒に『Bar-f-Out!』を作り始めたんです。それは基本的に山崎のやりたいことを詰め込んだ雑誌だったから数年後に別れたんですけどね。
草なぎ:本格的な経験がほとんどない中で、自分たちでPCとかも揃えて、雑誌を作り始めたということですよね。
青野:そうですね。渋谷の宇田川町にあるマンションの一室を間借りして、机を2つ置いて、フリーのデザイナーを呼んで誌面をデザインしてもらっていました。
草なぎ:ちなみに、『Spectator』の創刊号ってどんな特集なんですか?
青野:創刊号は、特集というよりも、とりあえずルポをやりたかったんです。とにかく量をたくさん載せたかったので、文章の書ける人に声を掛けて、8000字なり1万字なりを原稿用紙に書いてもらって、写真も添えて出した、という感じです。夏の話をエッセイ風に書いたものとかがある一方で、僕はフランスやイギリスでのフェスティバルの体験記を書いたりしていました。
草なぎ:なるほど。『Spectator』が今の形になったのは、大体いつ頃からなんですか?
青野:それは5、6年前ですね。プロの編集者としてではなくて、「雑誌マニア」として作っているので、毎号紙質も違うしロゴも違いました。お金を出せば、自分たちの好きなようにやりたい放題できるから、デザインチームと一緒にああでもないこうでもないと話し合いながら作っていました。
雑誌の「3号」問題
草なぎ:ちなみに今のところ、『Spectator』は29号まで出されていますよね。
普通、個人で「雑誌を作りたい」と言っても、だいたい3号ぐらいで潰れてしまうことが多いと思うんです。実は僕も、学生の頃初めて自分で作った雑誌が3号目で潰れていて(笑)。やっぱり作っているとだんだん疲れて、保たなくなっていきますよね。その上、普通は個人で雑誌1冊作るのに100万円近くかかると思うんです。
『Spectator』では、その資金は最初から回収できたんですか?
青野:最初の号は赤字でしたね、カラーページの分量が多かったり、色々お金を使いすぎてしまって……。『Spectator』の最初の3号くらいは『Bar-f-Out!』の会社から出していたんですが、当然最初は得体の知れない雑誌なので広告は入らないし、本も売れないしで、惨敗でした。
草なぎ:ご自分で書店を回ったりもしたんですか?
青野:当時はそんなに意識的に営業はしていませんでしたね。今はやっていますけど。
川田:雑誌作りには越えなきゃいけない壁が多いと思います。
「3号」問題は、今の僕にとっては非常にタイムリーな問題ですね。『TO』も次でその壁を越えないとマズイと思っていて。つい先日も、草なぎさんに年間計画をプレゼンしたりしたんですが、先々の予定も視野に入れていかないとビジネスとしては成立しない。
草なぎ:なぜ俺が『TO』に金を出さなきゃいけないのか、理解できないんですけどね(笑)。
マガジンハウスの編集者で、『Hanako』とかを担当されていた赤星豊さんという方が、岡山県の倉敷で発行していた『Krash Japan』っていうフリーペーパーがあるんですけど、僕はそれが大好きなんです。
赤星さんはご家庭の事情で実家の岡山に帰ることになってしまったんですが、雑誌編集の夢を捨てきれず、「とりあえず10冊、岡山で自分の雑誌を出すぞ」と決めて、布団の上げ下げのバイトとかをしながら死ぬ気で10冊作った雑誌が『Krash Japan』で。
それが倉敷のローカルフリーペーパーであるにも関わらず和英で作られているため、評判が良くて、ロンドンなど海外にも置いてあったのが驚いたんですけど、そこにめちゃくちゃアツいものを感じて、応援したいなと思ったのがきっかけで彼と文通したりして応援していました……。なんだか、それと同じようなアツいものを、川ちゃんと『TO』にも感じるんですよね。
青野さんから見て、『TO』はどのように映っていますか?
青野:僕は「特集する区に住んで作っている」という情報を、足立区の号を出された後ぐらいにどこかで聞いて、それで『TO』を買ったんだと思うんですけど、先ほど話題に出た「ニュージャーナリズム」のスタイルと近いのかな、と思って期待していたら、ちょうど今日お会いすることになったんです。
川田くんは『TO』を立ち上げる前はWeb媒体の制作会社にいたんでしたよね。雑誌を作るのは初めてだったんですか?
川田:そうですね。その会社には2年弱しかいなかったんですけど、そこでかなり自由にやらせてもらいました。作っていた媒体も、僕が入った時にはファッションの分野しか扱っていなかったんですが、音楽や映画といったカルチャー関連のこともをやりたいと申し出て、好き勝手にやらせてもらったり。
草なぎ:Webをやっていたところから紙に行くというのが、面白いよね。
川田:でも、紙至上主義というわけではないです。僕の世代は、物心ついた頃にはもうすでにWebがあった世代なので、特に紙にこだわりもなかったんですが、「23区」という箱を作ってパッケージングするなら、紙がやっぱり一番いいなと思っています。それに写真がすごく好きだったので、写真を見せるなら紙の方がいいかな、と。
草なぎ:川ちゃんは『Spectator』に影響を受けたと聞いているんですが、どういう部分で影響を受けているんですか?
川田:『TO』を作る上では、主観と客観のバランスを意識しているんですが、『Spectator』の主観でモノを作ることができる/表現できる、というところに憧れがあります。
草なぎ:『Spectator』って、“今”ならではのものを切り取っていて、僕も非常に好きなんです。普通は雑誌って、お金や利権といったものが絡んで、今作り手が言いたいことや考えていることがうまく伝わらないところがある。だけど『Spectator』を読んでいると、そういったことがうまく拾えるんです。
そういえば、先ほど楽屋でお聞きしたんですけど、『Spectator』の編集作業はSkypeやFacebookとかを使ってされているんですよね?
青野:そうですね。僕は今住んでいるのが長野なんですが、編集部の僕以外の人間は東京に住んでいるので、スタッフだけが見られるFacebookで情報を共有したりしています。あとは僕が月に2回ほど東京に来ているので、その時に会って話をして進めていくという感じですね。
普通の雑誌だったら、出版社の中に編集部があって、他にも広告営業部といったようなたくさんのスタッフがいるから連携が大変だと思うんですけど、僕らは出すのも年に2〜3冊くらいで、それぞれ個人が編集していくというスタンスなので、だからこそできる編集スタイルなのかな、と思います。
書店でいかにして売るのか
草なぎ:『Spectator』は、割と最近になって色々な書店で見かけるようになったような気がするんですけど、雑誌として採算が取れるようになったのはいつ頃からなんですか?
マガジンハウスさんや、色々な大手の出版社の雑誌が不況である中で、個人で出されている雑誌として、今一番健闘しているのが『Spectator』なんじゃないか、と個人的に思っているんです。そういったことを含め、時代的にだんだん面白くなってきたな、と思っていて。
青野:大きな会社だったら、もう少し大きな予算を投入して2、3年かけて回収していけばいいんですけど、今は僕が自分の資本金で作った会社(有限会社エディトリアル・デパートメント)だから、その元手の範囲でやるしかないんですよね。なので、独立後ははじめから採算を取れるように作っていました。4色刷りだと高いから単色刷りにして、その中でできる表現をするとか。判型も、『Spectator』はちょうどB5版のサイズなんですが、B5版は印刷のコストが一般的な雑誌のA4版よりちょっと安くなるんですよね。
草なぎ:最近は相当売れてるんじゃないですか?
青野:そうですね、おかげさまでボチボチと(笑)。3人体制でやるようになって、色々な本屋さんを営業して回ったりもするんですけれど、お願いして陳列場所を選ばせてもらったり、ポスターを貼ってもらったりして……意外とそういう地味な営業活動が効いていると思います。
川田:それは僕も『TO』の2号目(目黒区特集号)を出した時にすごく感じました。2号からは発行元が変わって、発行部数も増えたので、全国の書店に流してもらえばそれで正直なんとかなるだろうなと思っていた。だけど実際は返本があるし、「書店でいかにして売るのか」という部分を考えるのが結局一番大事なんだと思いました。
青野:書店さんって、お店のどこに置くと人が手に取るか、売れるかということをすごくよくわかっているから、いい場所に置いてもらえるとそれだけで大幅に売れたりするんですよね。
Webからの売り上げも特にここ数年で激増しているので、「ネットで本を買う時代なんだなあ」という実感もあります。でも、やっぱり僕としては、本屋は本屋で「本の売れる場所」としてあってほしいなと思います。
“空っぽな自分”でも雑誌は作れる
草なぎ:この会場の中で、「雑誌を作ってみたい」と思っている人はどれぐらいいますか? ……作りたい人!
(4、5人手が上がる)
……このWebの時代に素晴らしいですね。
川田:いや、(いざ作るとなると大変だから)やめといたほうがいいと思いますけどね(笑)。
草なぎ:でも僕は、『Spectator』みたいな雑誌があることがすごく希望に思えます。大手出版社ができないようなことを個人がやれる時代になっているので。
青野:オンデマンド印刷なんかも今はすごく安く手軽なものになっているし、僕らの時代より格段に個人での制作がやりやすくなっていると思うので、どんどんやってみたらいいんじゃないかな、と思います。
ちなみに、草なぎさんの好きな雑誌はどういう雑誌なんですか?
草なぎ:僕は37歳で、ちょうど紙とWebの時代の“あいのこ”なんです。自分で雑誌を作り始めたのは20歳ぐらいの頃だったんですが、「自分は空っぽで何も持ってない、これはマズいな」と当時考えていて。だけど、雑誌は自分に能力がなくても、色々な人たちを連れてきて足りない部分を補えば作れるんです。いいデザインが欲しかったらいいデザイナーを探してくればいいし、上手い原稿が欲しいなら上手い文章が書けるヤツを探してきたらいい。そうやって、「“空っぽな自分”でもできる」というのが大きかったんですよね。
青野:川田くんは?
川田:僕の場合は、憧れの雑誌というのは特になくて……。中高の時はもうすでにWebの時代が来ていたんですが、当時はとにかくサッカーが好きだったので、自分で買っていた雑誌は『Number』ぐらいでした。
僕も草なぎさんと同じで、大学生の時に「自分は空っぽだな」と思った時期があったんです。でも世の中には面白いことがたくさんあるはずなのに、どうして自分は知らないんだろうと不思議で、その頃になって初めて雑誌をちゃんと見るようになりました。
その後、編集プロダクションでバイトをしたりしたんですが、大学を卒業するとなった時に「編集者だったら分野を問わず何にでも触れられるし、自分の中には何もなくても、面白い人を集めてモノを作れる」と思って、自分も編集をやろうと思いました。
草なぎ:まさか“空っぽ”が僕たちの共通項としてあるとは……! 今、初めて知りました(笑)。
川田:「何が面白いのか」というのは漠然とわかるんですけど、だからと言ってそれをどうすることもできない、というコンプレックスのようなものを僕は持っていて……。音楽が好きだけど音楽を作れるわけではないし、映画も好きだけど映画監督になれるわけではないし、具体的に何かを作っている人たちには絶対に勝てない、ということをわかっているんです。
草なぎ:赤田さんはどうして編集者に?
赤田:もともと雑誌好きで、『宝島』とかを読んでいて、雑誌の編集をやりたかったんです。就職のシーズンになって、3、4社受けたんですけど、結局ダメで……。
そんな時に、たまたまテレビでやっていた国会中継で『Popteen』という雑誌が問題になっていじめられていたんです。今は女子高生向けの雑誌ですけど、当時はヤンキーが読むような雑誌だったんですよ。
それで気になって実際に読んでみたら、内容もメチャクチャで、面白くって。「こういうのを作ってみたら面白いんじゃないのかな」と思って、その版元の飛鳥新社の求人広告を新聞で見て応募して、入社したんです。そこで5年くらい修行しました。その時に『Popteen』の編集もやっていました。
草なぎ:赤田さんが『Popteen』を作られていたとは(笑)!
それでその後、太田出版に移られたんですね。『Quick Japan』の創刊は、出した企画が通ったという感じなんですか?
赤田:企画というよりも、あれは最初の方は自前で制作費を出していましたね。
草なぎ:やっぱりみんな、最初は借金するんですね(笑)。
[3/4に続きます]
編集協力:隅田由貴子 [2013年12月23日 VACANT(東京・原宿)にて]
COMMENTSこの記事に対するコメント