COLUMN

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第30回 編集者ソニイ・メータ

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 某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。イアン・マキューアン、トニ・モリスン、ガルシア=マルケス、そしてハルキ・ムラカミ。「ソニイ・メータ」の名前を出すことが売り文句になるほどだったという編集者の功績を追います。

第30回 編集者ソニイ・メータ

 2019年末、アメリカの編集者ソニイ・メータ死去の報が入ってきました。
 享年77歳。肺炎の合併症だったそうです。

(クノップフの高名な編集者ソニイ・メータ、77歳で死去)

 彼は出版界では有名な存在で、「この本はソニイ・メータがエディターだ」というのが売り文句になるほどでした。
 なにしろ、サルマン・ラシュディにイアン・マキューアンといった英国作家、トニ・モリスンにコーマック・マッカーシーといった米国作家、ガルシア=マルケスにハルキ・ムラカミといった外国作家、ビル・クリントンにマーガレット・サッチャーといった政治家の自伝、さらにはマイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』(酒井昭伸訳)にスティーグ・ラーソン『ドラゴン・タトゥーの女』(ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳)にE L ジェイムズ『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(池田真紀子訳)といった大ベストセラーまでを手がけているといえば、その功績をおわかりいただけるのではないでしょうか。
 今回は、彼の足跡をたどってみましょう。

▼英国での成功

 インドの外交官の息子だった彼は、子供の頃から親に連れられて欧州や米国で暮らします。
 各国で教育を受け、ケンブリッジ大学を卒業。

 1965年に、出版界に入ります。
 初期の仕事としては、フェミニストの旗手であったジャーメイン・グリアや、ティモシー・リアリー、ハンター・S・トンプスン『ラスベガスをやっつけろ』などを英国へ紹介したことがあげられます。
 すでに時代を象徴するような著者名がならんでいますが、まだまだこれからですよ。

 1972年、ペイパーバック出版で名高いパン・ブックスへ移ります。
 ここでメータは、ジャッキー・コリンズ(もともと英国人ですが、映画界で活躍していた姉ジョーンとともに米国に住み、俳優から作家に転身していました)や、ダグラス・アダムズ(ラジオ番組をもとにした『銀河ヒッチハイク・ガイド』で大成功をおさめます)などを出版。彼らはのちのちまでパン・レーベルを支える大ベストセラー作家となります。
 その後、パンとおなじマクミラン社のインプリントであるピカドールに参加し、文芸作品の舵を取ります。
 ここで彼は、先にあげたイアン・マキューアンにサルマン・ラシュディ、ジュリアン・バーンズ、エドマンド・ホワイト、アンジェラ・カーター、ブレット・イーストン・エリスといった錚々たる作家たちを手がけます。
 さらには、ヴェトナム戦争のルポ『ディスパッチズ』で有名なマイケル・ハーなどを出版。
 こうして、1980年代の文芸界の最先端を切りひらく編集者として活躍します。

▼ニューヨークへ

 その様子を見ていた人物が、海の向こうにいました。
 米国の伝統ある文芸出版社アルフレッド・A・クノップフの編集長、ロバート・ゴットリーブです。
 1968年からその職にあったゴットリーブは、87年にみずからがニューヨーカー誌へ招かれたのを受けて、ソニイ・メータを後継者に指名したのでした。
 これには、周囲ばかりでなく、メータ自身も驚いたようで、「もっともありそうもない人選だった」と回想しています。
 前任者ゴットリーブは、ジョン・チーヴァー、トニ・モリスン、それに無名だったジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』(飛田茂雄訳)といったベストセラーを生みだしていました。
 そのあとを継ぐべく、スーツケースひとつだけ持って、いきなりニューヨークへやって来ることになったときのことを、彼は「嵐のなかへ踏みこもうとしていた」と表現します。長くはつづけられない、とだれもが考えたにちがいない、と。

(クノップフの編集長ソニイ・メータは、なぜいまも「世界で最高の仕事」をしているというのか)

 さて、こうして「嵐のなかへ」歩み入ったメータですが、着任した最初の1年に32冊を手がけたそうです。
 月に3作程度を1年間つづけたということですから、これはたいへんな仕事量です。
 小説もあれば伝記もあればブロードウェイやハワイや故郷であるインドに関する本もあったといいますから、ジャンルもさまざまで、従来よりも初版部数を積みあげ、それまでの倍も刷ったこともよくあったとのこと。

 かなりアグレッシヴな印象ですが、社内では、彼のことを気分屋で打ち解けないと評す人もいれば、社交性があって魅力的と受け取る人もいたというのが、なかなか興味深いところ。
 黒いセーターに黒いジーンズ姿に黒いひげで、オフィスでしじゅうタバコをふかし、ウィスキーをやりながら、しかし酔いはまったく見せずに仕事していたのだとか。
 会社に近いアパートメントでよくパーティをひらいたりしていたそうで、やがてマンハッタンのあちこちで夜のイヴェントに顔を出すようになり、なかなかの有名人になっていったようです。

▼勢力の拡大

 1989年、クノップフの親会社であるランダムハウスのトップに、アルベルト・ヴィターレが着任します。
 いくつものインプリントをかかえる大手出版グループの統括者として、ヴィターレは各社を煽動し、競わせる戦略を取ります。
 これが、むしろメータにとっては好機でした。ふたりとも、きびしいペイパーバック界でのセールスで叩きあげてきたという、おなじバックグラウンドを共有していたため、ソリがあったようです。
 ヴィターレは、メータを「この国でもっともブリリアントな出版人」と高く評価します。

 メータは、宙に浮いた形となったレーベル、ヴィンテージ・ブックスを傘下におさめます。
 旧作に作品解説を付し、デザインも一新してペイパーバックで再刊してヒットを飛ばしていくのですが、そこには優秀な編集スタッフとマーケティング・チームが投入されていました。
 さらにメータは、質の向上にともなって、ヴィンテージ・レーベルの価格をあげていきます。
 こうして、セールスも利益も上向き、ヴィンテージは大きな成功をおさめるのです。

 さらには、より知的なパンセオンといったレーベルや古典シリーズなど、既存のラインナップの活性化にも積極的にかかわっていきます。

▼激変する出版界で

 1998年、クノップフの親会社であるランダムハウスが、ドイツのメディア・グループであるベルテルスマンに買収されます。
 これは、出版界が世界的規模で再編されていく象徴的な出来事だったといえるでしょう。

 そんななか、すでに1986年にベルテルスマン・グループに吸収されていた老舗出版社ダブルデイから、メータはモダンクラシックのアンカー・レーベルを引き継ぎます。
 アルベルト・ヴィターレはランダムハウスを去っていましたが、やがて組織改編もあり、最終的にメータはダブルデイそのものを手中にし、盤石の体制を作ります。

 いっぽうでメータは、技術の進歩も見すえていました。
 彼は、いち早く著者との出版契約にデジタルの権利を盛りこんでいきます。
 当初はなかなか経済的に引きあわなかった電子書籍ですが、アマゾンのキンドルの爆発的成功により、出版を支える大きな柱になっていったのはご存じのとおりです。

 2013年、ランダムハウスは英国の出版社ペンギンと合併します。
 米英の大出版社同士がひとつになったわけで、これも世界の出版界を驚かせました。
 ペンギン・ランダムハウスの誕生です。

 そんななか、2015年にクノップフは創業100周年を迎えます。
 文芸出版社の老舗の1世紀にわたる歴史の中で、わずか3人めの編集長職にあったメータは、クノップフ=ダブルデイ・グループで年間550タイトルを出版します。
 ペンギン・ランダムハウス全体の利益に大きく貢献し、業界誌パブリッシャーズ・ウィークリイは、メータをこの年のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選びます。

 2018年には、メータはマクスウェル・E・パーキンズ賞を受賞しました。
 これは、フィッツジェラルドやヘミングウェイなどを世に送り出した名編集者にちなみ、出版界で功績があった人物に贈られる賞です(そういえば、彼とトーマス・ウルフを描いた映画『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』がありました)。
 受賞に寄せられた祝辞を見ると、クリントン元大統領やアン・タイラーをはじめ、アイルランドのジョン・バンヴィル、英国のカズオ・イシグロやグレアム・スウィフト、オーストラリアのピーター・ケアリー、ノルウェイのジョー・ネスボ、それにご存じ日本のハルキ・ムラカミといった、世界各国の作家たちがそろっています。
 ここからも、メータの仕事ぶりがおわかりいただけるでしょう。

(ソニイ・メータ、〈センター・フォー・フィクション〉からマクスウェル・E・パーキンズ賞を授与される)

▼メータが手がけた著者たち

 メータといえば、まずは文芸編集者として有名で、ガルシア=マルケス、ナディン・ゴーディマー、トニ・モリスン、ギュンター・グラス、V・S・ナイポール、ケルテース・イムレ、オルハン・パムク、ドリス・レッシング、アリス・マンロー、そしてカズオ・イシグロといったノーベル賞作家たちを手がけています。
 ほかにも、これまで名前のあがった作家たちのほかにも、キャサリン・ダン、ジョーン・ディディオン、ジョン・アップダイク、リチャード・フラナガン、ロバート・カーロ、キャサリン・ダン、それにチママンダ・ンゴズィ・アディーチェなどなどを編集していたといいます。
 世代も国も傾向もこえていますね。
 ピューリッツァー賞受賞者29人、全米図書賞受賞者9人というのですから、そんな編集者はほかにないのではないでしょうか。

 いっぽう、もともとペイパーバックの編集者だっただけあって、彼はエンターテインメントにも目が利きます。
 マイクル・クライトン、アン・ライス、ジェイムズ・エルロイ、カール・ハイアセン、テッド・チャン、それにP・D・ジェイムズ、ジョン・ル・カレ等の英国勢、さらにスティーグ・ラーソンやジョー・ネスボといった北欧ミステリー等々。
 さらには、アート・スピーゲルマン『マウス』やマルジャン・サトラピ『ペルセポリス』といった、世界的な反響を呼んだグラフィック・ノヴェルも出版しています。
 古典では、トルストイ、トーマス・マン、アルベール・カミュ等を新たな訳とデザインで復刊してもいるのです。

 出版人としての彼の業績は、小説にとどまりません。
 先にビル・クリントンやサッチャーの名をあげましたが、ほかにもジョージ・ブッシュ(父)、トニー・ブレアといった、世界を動かした政治家たちの回想録を成功させています。
 教皇ヨハネ・パウロ二世や、パティ・スミスの著書もあり、内容的にも高い評価を受けました。

 そんなメータですから、彼が力を入れて送りだす新人作家は注目を浴びます。たとえば、スティーヴン・L・カーター『オーシャン・パークの帝王』や、オマル・エル=アッカド『アメリカン・ウォー』(どちらも黒原敏行訳)があり、エンターテインメント文芸として、どちらも本国では大きな話題を呼び、ベストセラーとなりました。

 ときには相当な金額を積んでの出版にも挑戦した彼ですが、よい本と売れる本を両立させることを実現していたように見えます。
 激変する出版界のなかで、つねに注目を浴び、世の中を動かすような本を生みだしつづけた人物でした。

 そんなメータを、ニューヨーク・タイムズは「理想的な編集者にして出版経営者」と評しています。
「飽くなき読み手であり、偉大な本を見抜き、かつペイパーバック界での経験にもとづき、攻めのマーケティングをいとわない、天性の意志決定者」と。

 メータは、オフィスでひたすら新たな本の企画書や原稿に没頭していたそうですが、みずからをこう評します。

「わたしが人生をとおしてやってきたのは、読むことだ。本や原稿を読んでいれば、安らぎを得られた。読むことにもっとも時間を費やしてきたし、いまもそれがいちばん楽しいことだ。これまでの自分を表現するなら、編集者や出版人ではなく、ものを読む人間だといいたい」

 いい編集者のもとには、エージェントからいい原稿が集まるものです。
 すばらしい原稿を発見し、契約を獲得し、最善の形に作りあげ、的確なマーケティングで世に出すことによって、より多くの人たちがそれを読む。
 そうして成功した出版人のもとには、また良質な原稿が集まる……

 先にあげた、ヴァニティ・フェアのデイヴ・エガーズによるインタビュウで、メータはこういっています。

「いい日には、自分は世界で最高の仕事についている、といまも心から思う」

 たしかに「世界で最高の仕事」だと思えます。

[斜めから見た海外出版トピックス:第30回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro