COLUMN

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第26回 オーディオブックをめぐって

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 某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。米国で市場規模がまだまだ成長中のオーディオブック。今回はその新技術を巡る出版社、著者を巻き込んだ騒動をレポートします。

第26回 オーディオブックをめぐって

▼米国のオーディオブック市場

 電子書籍の売れ行きが落ち着いたアメリカ出版界で、成長を続けているジャンルが、オーディオブックです。
 オーディオブックとは、いうまでもなく、本を朗読した音声ファイル商品のことで、さかのぼればレコードやカセットテープの時代からありましたが、その後CDに変わり、現在の米国では9割以上がダウンロードやストリーミングで提供されています。
 昨今では、スマート・スピーカーなどで新たな需要も生まれているようです。

 米国でのオーディオブックの2018年の売り上げは、なんと前年比24.5%増の9億4000万ドル。
 年間45000タイトル弱が提供されているとのことで、これはたいへんな数です(日本の1年間の全出版点数が75000点あまり)。人が朗読し、録音しなければならないので、手間も時間もかかりますからね。

(オーディオ出版社協会の調査によると、2018年の米国では10億ドル近いセールス)

 日本でオーディオブックといえば、オトバンクが運営する「audiobook.jp」が老舗。電車通勤の際などに聴くユーザーが多く、ビジネス書やセルフヘルプが売れ線とのこと(倍速で聴く強者も相当数いるのだとか)。
 いっぽう米国では、車で聴く人がまだまだ増加中で、ポピュラーなのは一般の小説や、ミステリーやSFといったジャンル・フィクションだそうです。ちなみに、よく聴くというユーザーの半数が18〜45歳の層だといいます。
 人気が高まっているためか、トム・ハンクスが自作『Uncommon Type』(『変わったタイプ』小川高義訳/新潮社)だけでなく、アン・パチェットの新作を朗読したりと、著名な俳優などが起用される例もあります。

▼オーディブルの新サーヴィス

 米国のオーディオブック市場で圧倒的なシェアを誇るのが、アマゾン傘下のオーディブルです。
 そのオーディブルが、今年2019年7月、新サーヴィスを発表しました。
 ひとつは〈イマージョン・リーディング〉、もうひとつは〈オーディブル・キャプションズ(Audible Captions)〉です。

〈イマージョン・リーディング〉(「没入する読書」とでもいっておきましょうか)は、オーディブルのオーディオブックと、キンドルの電子書籍を連動させるシステムです。
 オーディブルとキンドルで同じ本を購入していれば、電子書籍の画面をダブル・クリックするだけで、そのオーディオ版が自動的に流れるという仕組みです。
 なるほど、これは便利ですね。英語教育にも使えるうえ、失読症(ディスレクシア)の人にも役立つとのこと。

 もうひとつの〈オーディブル・キャプションズ〉は、さらに進んだテクノロジーの産物です。
 オーディオブックを再生しながら、この〈キャプションズ〉を起動すると、読んでいる部分の文章が文字として表示されるというのです。
 音声を判別して文字を生成するのだそうで、「キャプションズ」という名のとおり、映像の字幕のように、そのとき流れている部分しか表示されない機能です。
 それでも、耳にした文章の意味がわからない場合に、表示された単語を辞書で調べることができたりと、教育効果は高いといいます。

 オーディブルは、この2つを9月から導入するとアナウンスしたのでした。
 ところが、〈キャプションズ〉が騒動を引き起こします。

▼〈オーディブル・キャプションズ〉への反発

 出版社から、〈キャプションズ〉は著作権を侵害すると反発が出たのです。

(オーディブルの〈キャプションズ〉プログラム、出版社に懸念と不満を巻き起こす)

 出版社は、著作権者と契約を結び、出版物についてみずからが権利を行使できる立場を確保したうえで、さまざまな出版形態について、それぞれの販売店とライセンス契約を結んでいくのが一般的です。
 オーディブルとのあいだでは、出版社はオーディオブックの権利について契約しているわけですが、あくまで朗読された音声コンテンツの販売にかぎられ、文字テクストを提供する権利は含まれていません。
 そのため、オーディブルが文字テクストの表示をすることは、契約外の利用に当たり、著者や出版社の権利を侵害している、というのが出版社側の理屈です。
 また、これによって書籍の販売も毀損されると指摘します。

 いっぽうオーディブル側は、〈キャプションズ〉は音声にもとづいた部分的な文字表示にすぎず、紙版や電子版の書籍に取って替わるものではないと反論します。
 たしかに、表示されるのはオーディオが再生されている部分だけで、20語までと限定されているそうです。
 また、これは教育利用のために開発した技術であって、読書のためのツールではないので、出版社の権利は侵害しない、と主張します。

 出版社とオーディブルの対立は解消されず、8月下旬には、米国出版社協会をとおして、主要出版社7社がオーディブルに対して裁判を起こす事態に発展します。

(米国出版社協会のオーディブルへの対応:著作物への侵害行為が行なわれるとして法廷へ)

 著作者側も、出版社の動きに賛同します。

(オーサーズ・ギルドは、出版社協会によるオーディブル提訴を支持する)

 文字テクストとオーディオではマーケットも異なるのに、〈キャプションズ〉はそれを侵害し、電子書籍の売り上げを減少させ、ひいては印税収入の低下を招くことになる、というのが著作者側の見解です。
 オーディブルが権利処理の話しあいをしないことも問題にされています。多くの人に、より簡便に物語が届けられるのはよいことだが、きちんと表から扉をノックして話をはじめるべきであって、これは裏口のドアを蹴破る行為である。著者に対する敬意が感じられず、泥棒も同然だ……と非難の言葉がならびます。

▼オーディブルの対応

 これに対しオーディブルは、「驚きと失望」を表明。
〈キャプションズ〉は教育目的であり、権利侵害には当たらないと繰りかえし訴えます。

(〈キャプションズ〉に関する出版社協会の8月23日付主張への回答)

 その後、オーディブルが打開策を打ち出します。

(オーディブルが〈キャプションズ〉プログラムから出版社の作品を除外――現状では)

 出版社がオーディブルにライセンスしている作品については、〈キャプションズ〉からはずすというのです。
 こうしておけば、侵害行為が起こるのを防げるので、もしのちのち〈キャプションズ〉が問題ありとの結論が出たとしても、傷は少なくてすみます。
 それに、出版社が提供する作品を除外しても、オーディブル=アマゾンが権利を保持しているコンテンツやパブリック・ドメインについては問題ないので、〈キャプションズ〉は稼働できます。
 これはまあ、賢明な判断といえるでしょう。

 そして9月に入り、出版社側との裁判にむけて、オーディブルはみずからの立場を明らかにしました。

(オーディブル、〈キャプションズ〉はフェアユースだとして出版社に反撃)

「フェアユース」とは、ご存じのとおり、一定の条件を満たして公正な利用=フェアユースと判断されれば、著作権者の許諾を受けていなくても侵害には当たらないとする法的根拠です。
 フェアユースは、アメリカの著作権法下で独自に発達したところがあり、なかなかわかりにくい概念ではあるのですが、この展開は法的問題として個人的に興味深くなってきたなあと思います。
 ともかく、オーディブルが正面から出版社側の裁判を受けて立つ形になったわけで、裁判も長引きそうな様相です。

 今回のように、これまでにない新たなサーヴィスが生まれると、権利者とのあいだに摩擦が生じがちです。
 テクノロジー開発が、著者/出版社に対して権利処理をしたうえで進められれば問題はないわけですが、企業は秘密を守ったうえで開発に取りくまなければならない以上、いちいち許諾を取るわけにはいかないのも実情です。
 日本では、最近の著作権法改正により、この手順が整理され、開発側にとって自由度が高い法的枠組みが作られました。

 しかし、〈キャプションズ〉のように、著者や出版社の権利や利益を脅かしかねないテクノロジーが生みだされることもあるわけです。
 新しい技術だけに、法が想定していない利用形態であり、衝突が起きた場合は、どうしても裁判を起こして司法の判断をあおぐという形にならざるをえません。
 しかも判決が出るまでには時間がかかりますから、そのころには技術が陳腐化している、といったことも起きかねません。
〈キャプションズ〉については動きはじめたばかりですが、新たな技術による便利な世界の実現と、権利者の保護とのバランスは、これからも出版界を取り巻く問題でありつづけるでしょう。
 技術革新は世の中を変えてしまい、創作者の側は否応なくそれに飲みこまれてしまうことも多いわけで、そういう意味では、これは出版界にかぎった問題ではないともいえますが。

[斜めから見た海外出版トピックス:第26回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro