COLUMN

田内万里夫 SUB-RIGHTS

田内万里夫 SUB-RIGHTS
01: Every Night and All

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海外の本を自国で刊行する翻訳出版には、契約を成立させるための業務を担う「版権エージェント」という職種がある。このテキストは、一般社会ではあまり聞き慣れない職種「版権エージェント」の仕事、またそこから見聞きすることになった知られざる翻訳出版小史を伝える自伝的小説になっていく予定だ。日本と海外の架け橋となったスコットランド人の版権エージェント、師であったウィリアム・ミラーへ追悼の念を込めて書き綴っていく。
※この物語は、概ね事実を元にしていますが「フィクション」です。登場する個人名・団体名の一部は架空名、もしくはプライバシー保護の観点から仮名にしています。

 書店や、よその本棚に気になる翻訳書を見つけると、ついついコピーライト表記(©表記)を探してしまう癖がかなしい。
 いや、探すというほど大袈裟な話でもない。巻頭か巻末のどっちかにアタリをつけてページを開けば、英語の小さな文字で書かれた©表記が、墓碑銘のような佇いで必ずそこにあるからだ。むしろないとまずい。

YOUR NYAH NYAH FACE: The Rise and Fall of Waterslide Records
by Zak Irigino
Copyright © 2017 by Zak Irigino
Japanese translation rights arranged with Cheers Publishing Ltd.
through Fearon Agency Inc.

 一行目がこの本のオリジナルのタイトルと副題で、二行目にあるのが著者の名前だ。そして、このお尻の二行が気になるところ。日本語の翻訳権についてはCheers Publishing社とのあいだで、Fearon Agency(フィーロン・エージェンシー)を介して、翻訳出版契約が結ばれたと書いてある。
 Cheers Publishingというのはこの本のオリジナル版を本国アメリカで出している出版社ということで、ほぼ間違いないだろう。フィーロン・エージェンシーというのが、僕がかつて勤めていた、海外著作権の仲介をおこなう代理店の名だ。

 1998年、この仕事に就いたばかりの僕を毎朝待ち受けていたのは、フィーロンさんから手渡されるFaxの束だった。Eメールのやりとりもあるにはあったが、まだまだFaxが主流という牧歌的な時代だった。
 前夜のうちに海外の取引先から届いたFaxの余白には、青い水性ボールペンで書かれた癖のある字で、要点や注意点についてのメモが添えられている。フィーロンさんのシャツの胸ポケットの底に、地図に浮かぶ島みたいな形をしたインク染みが、また新しくできている。でも普段着のフィーロンさんは、そんなことを気にする様子もなく、今週の『Publishers Weekly』誌のページをめくっている。
 山と積まれた本に囲まれたデスクについて、すべてのFaxに目を通す。青いボールペンの解読しにくい筆跡に顔をしかめる僕を見て、フィーロンさんがウィンクを飛ばしてくる。読み終われば今度は返事だ。僕の英文は単語も文法も細かな間違いだらけで、書き終えたら必ずフィーロンさんが添削してくれることになっている。
 日本の出版社に対して海外の本を紹介するのがこの会社、フィーロン・エージェンシーの仕事だ。外国語で書かれた本の翻訳出版権を、日本の出版社に売っている。海の向こうの国々で日々出版される本の数は、それこそ何百何千におよぶ。ごく一部が日本でも翻訳されて出版される。そのプロセスを仲介するのが「版権エージェント」と、もしくはもっと簡単に「エージェント」と呼ばれる僕たちの存在だ。……ということを、入社してはじめて知った。
 本や原稿、企画書などの資料が毎日、次から次へと送られてくる。娯楽小説、純文学、歴史、政治、時事、科学、ビジネス、自己啓発、アート、音楽、評伝、エッセイ、回想録、ゴシップ、雑学、とんでも本……。それをどうやって日本での出版に結びつけようかと、版権エージェントは頭を捻る。子どものための絵本も、難解そうな学術書や研究書もあれば、旅行ガイドや料理本のような実用書もある。
 毎週、月、水、金の午前中に、届いたばかりの本を一冊ずつ取り上げて、紹介する先の出版社を決める会議が開かれる。社長のフィーロンさんと副社長の三輪さん、曜日によってそこに各分野の担当エージェントが加わる。入社したての見習いの僕は、すべての会議に出席する。絵本や学術書といった専門出版社の決まっている本は会議を通らず、分野担当のエージェントの手元に直接回される。
「よし、この新人作家はいいぞ。新潮社から出てもおかしくない小説だ」
「骨太で政治的な本だから、文藝春秋がいいかなあ」
「うーん、河出書房の千駄ヶ谷さんが、紀行文を探してなかった? ワインの産地を巡る話だし、千駄ヶ谷さんワイン大好きだからぴったりでしょ。こないだも飲みすぎて大変だったわ」
「こういうビジネス系のノンフィクションなら日経からアプローチしてみようよ。見本が二冊ある? なら東洋経済にも行ってみよう!」
「この作家、前作が日本でコケちゃったから、新作はちょっと難しいかも……」
「あ、これ翔泳社のシリーズだからね、すぐ送ろうね」
「しぶい本だなあ。青土社に紹介してみなさい。先代の社長の清水さん、彼は恩人だったんだ……。私が日本に来てまだ間もないころ、出版事情や業界のこと、本当にいろいろと教えてもらったものだよ。晩年は体調が悪そうだったけど、訪ねて行けばソファで相手してくれたっけなあ」
「はいこれ、日本実業、で、こっちは実業之日本」
「講談社の達川さんって知ってる? ものすごく偉い人で、おまえが行ってもまず相手になんてしてもらえないから、話を持ち掛けるなら同じ部署の北別府さんにしなさいよ」
「ネイティブ・アメリカンの英知か。うーん、めるくまーる、どう?」
 どう? とこっちを見られても! ……すみませんが「めるくまーる?」って、出版社の名前ですか? 
 名前の挙がった出版社名を片っ端から付箋に書いて、それを本の表紙に貼り付けてゆく。主婦の友社に婦人之友社に主婦と生活社、東洋経済に東洋書林、朝倉書店に浅川書房に明石書店……。その朝日出版社って、さっきの朝日新聞出版とは別の出版社……ですよね?
 いったい、出版社って何社あるんだ。これだけあるなら引き受けてくれる出版社など容易く見つかりそうな気もするが、なかなかそうもいかないらしい。事務所の一角はスチール製の高い本棚が長い列をなして立ち並んでいて、そこにはまだ、もしくは永遠に、買い手の決まらない本がぎっしり詰めこまれている。その一角に限らず、事務所の壁は全面ほぼ洋書の詰まった本棚だ。
「この作家なら前作を買ってくれた白水社だね。ちょうど日本版が出たばっかりで、先週の日曜版にとてもいい書評が出てたよね。え? 読んでない? 新聞は読みなさいよ。筑摩書房から出たうちの本も取り上げられてたよね。……で次は? この経営書ならダイヤモンド社か日経BPが出してくれるかもしれないよ。おもしろいエンタメなら角川だ、でも気をつけないと。編集長の掛布さんにいい加減なこと言うと後が怖いから、まずはちゃんと目を通してね。そうそう、NHK出版に新しく面白い編集者が入ったんだって。とにかく編集者とはどんどん知り合いなさい。SFは出してくれる出版社が減っちゃったんだよね。でも東京創元社っていう素敵なところがあるから、近いうちに挨拶がてら飯田橋に行ってきなさい」……エトセトラ、エトセトラ。
 定期的に翻訳書を出すところだけで大中小と数十社、普段はあんまりやらないけど、たまに翻訳書を手掛けるという出版社も山のようにあるらしい。良いと思う本を見つけたら、好きな出版社を選んで持っていけと言われても、口をぱくぱくすることしかできない。だいたい本の良し悪しが分からない。
「あ、これはハヤカワね。じゃあ私が自分で話をするから」
 早川書房に対してだけは、フィーロンさんは自分で本を持っていく。特に翻訳出版の世界では言わずと知れた大手。戦後の焼け野原から、翻訳書籍を柱にして立ち上がってきた出版社だという。
「私がこの会社を興したばかりの1980年代初頭には、まだハヤカワは木造の、オバケの出そうな建物でやってたものさ」そこが日本が誇る翻訳文学の出版社の本丸と知ったときの驚きを、フィーロンさんは懐かしそうに振り返る。副社長の三輪さんによれば、早川書房の社長は、フィーロンさんからの本の紹介しか受け付けないばかりか、我が社の他のエージェントは会ってももらえないのだという。
「フンフン。今は神田に立派なビルを構えているよね。マイケル以外の僕たちには編集の東尾さんが相手してくれるから、うん、いいけどね」と三輪さんが補足する。「とにかく、早川書房はうちにとって最大の上客だから。そこのところ、よろしく」
「個性的な人なのさ」とフィーロンさんは、またウィンクする。陽気なヒッチコックという装いのジェントルマンだ。

 フィーロンさんは、スコットランド出身だそうだ。片田舎の海沿いの寂しい町で生まれ育った。裕福とは程遠い家だった。名前はマイケル。マイケル少年が9歳のとき、第二次世界大戦が勃発した。その戦争で、軍の補給係だった父親を亡くした。そこは厳しく静かな、黒々とした海のある小さな町で、白く泡立つ波頭を見つめながらマイケル少年は戦争を恨んで思春期を過ごした。父のいないマイケルは、いわゆる神童として町の人々に育てられた。地元の漁業組合が、貧しい彼に学資を与えた。母は敬虔なクリスチャンで、日曜学校で先生のボランティアをしていた。年の近い姉が一人いて、彼女もまた彼の学業を支えた。
「私が高校を出る頃には、イギリスを、というか世界を取り巻く情勢がそれまでと大きく変わっていたのさ」と言ってフィーロンさんはまた、大きなグラスにワインを注ぎ足す。
「冷戦の時代になったんだ」

 夕方6時を過ぎると、フィーロンさんは近所の酒場へと、必ず僕を連れ出す。社内でのフィーロンさんは、社長であるにも関わらず、なんだか孤独な存在だった。日本語をほとんど話さないからかもしれない。でも一度飲みに出てしまえば本の話、音楽や美術や演劇など芸術の話、業界の内輪話、社内の話、思い出話、歴史……。話題は豊富で尽きることがない。飲めば飲むほど愛嬌とユーモアがあって話し上手なのだが、気がつけばいつの間にか、必ずと言っていいほど、最後には政治の話に吸収されていく。社員が距離を置く理由はこれかもしれない。
 夜が更けて、三本、四本と赤ワインのボトルを空にしながら、フィーロンさんの口は滑らかに加速してゆく。とにかく話し好きで、店の最後の客になることも珍しくない。
 フィーロンさんがスコットランドで高校を出たころ、それまで上流階級や金持ちの子息のためだけの場所だったイギリスの名門大学が、垣根を少し低くして、その門を広く開きはじめた。
「第二次世界大戦後、世界は情報戦の時代へと移り変わり、私はちょうどその端境期に居合わせたのさ」とフィーロンさんは言う。「おかげでスコットランドの田舎育ちの貧乏人の子だった私も、オックスフォードに入れることになった」フィーロンさんはひっきりなしに煙草を吹かしながら、グラスを煽る。
「ハウスワイン、モウ一本、オネガイシマース」
 燃料の赤ワインが、まるい体にどんどん吸い込まれていく。
「……幸運ではあったけど、難しい時代でもあった。資産家の子らがなかば特権的に通っていたはずの大学をちょろちょろと歩き回る、どこの馬の骨とも知れない私のような人間が、彼らにとっては目に余るほど増えたのだから。わかるだろ? 若者は無知で残酷で愚かなものさ。だからすぐに戦いたがる。彼らと私たちが親しく交わることができたかと言えば、残念ながらそうじゃなかった。金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人だ。その金持ちと貧乏人とが、学校に閉じ込められる。私のような生まれの学生は、上流階級の子息たちから蔑まれたり、疎まれたりしたものだ。結果として、私と同じようにして入学した貧しい学生の多くが資本家や上流階級に対する敵愾心を燃やすこととなった。それが自然の流れだったんだ。当時のオックスフォードは、今にも増して階級意識の強い学校だった。私たちもまた幼く、簡単に反発したのさ」
 すっかり酔いの回った僕にチーズやオリーブをつまませながら、遠い目をして記憶を手繰り寄せ、口が乾くとワインで潤す。ボトルの中身は、またみるみるうちに減っていく。吸い殻の山になった灰皿を、ウェイターが取り替えてゆく。
「当時、貧しいながらも入学を許された学生たちには資産階級に対する憤りが生まれた。貧しい人々にも世界を解放するのだと心に誓った。そのような学校は静かな闘争の場だったし、それから、なんと東側のスパイの青田買いの場でもあったんだ。これまた自然な流れだったのかもしれない」
 自分も何度かスパイの真似事のようなことをやったのさとフィーロンさんが、もう呂律の怪しくなった口で言う。
「ある日、突然、どこからともなく現れるんだよ。こんな世の中は間違っているだろうと囁きながら……」
 優秀な貧乏学生たちの階級社会への憤懣が、東側の勢力にとっては好都合だった。オックスフォードやケンブリッジという名門校の学生という立場も自負も利用しやすいものだった。様々な場所に入り込んでは、彼らは耳をそばだて、正義感と情熱の命じるままに情報を収集する。自分たちが本来持っているはずの尊厳を盗み返す。フィーロンさんの口調が激しさと熱を帯びてゆく。
「ケンブリッジ大学はオックスフォードと比べてリベラルな校風で、そこに“ケンブリッジ・ファイブ”という気鋭の、ソビエト連邦のスパイが5人いた。もちろん、後になって分かったことさ。諜報活動を展開しながら、大学を舞台に学生のリクルート活動もやっていた。ガイ・バージェス、キム・フィルビー、ドナルド・マクリーン……、アンソニー・ブラントは“サー”の称号を持っていて、王室の美術鑑定も任されていた。そして第五のスパイと言われていたのが、ジョン・ケアンクロスという名前だったかな」
「へえ! まるで小説みたいだね!」
「……本当だとも。ところで私は歴史学を専攻していた。歴史というのは、つまり政治だ。誰かがある明確な立場と視点に立ってそのうえで書いて遺した記録が、歴史ということになるのだから。私は歴史を正しく書き換えなければならないと感じていた。もしくはこの先の歴史を作らなければならないと」
 今夜の話も、もしかしたらフィーロンさんによって書き換えられたものかもしれないという思いが、ワインの回った頭をよぎる。
「歴史って書き換え可能なんですね!?」僕もつられてグラスを空ける。
「それが歴史というものだよ。要はものの見方だ」
 新たな歴史を作るため、フィーロン青年は左翼系の学生新聞の編集長になった。そしてチャーチルの核兵器開発計画の疑惑を、エージェントからの情報を基に記事にしたことで、政治裁判にかけられた。
「私の罪状は、言ってみれば“若者ゆえ過度のロマンチシズムにより国益を損ねた”というものだった!」フィーロンさんはやっと笑顔に戻る。「当時、名裁判官と謳われた判事の下した判決さ。有罪となり地中海のある島に送られたが、そこで待っていたのは過不足ない快適な生活だった。身を隠し、波が静まるまでの数ヶ月間を、誰も知らない海辺の町でのんびり過ごした」イギリスの裁判官はバッハのようなカツラを頭に乗せているんだと言いながら、手をひらひらさせるフィーロンさんの頭は禿げている。
「ロマンチシズムを体現しようとしたのは、なにも私たちの側だけではなかった」と、フィーロンさんはつぶやいて、またワインを啜る。
「例えば同じころのオックスフォードには、ジョン・ル・カレという男がいた……」
 ル・カレは良家の出だったが、彼もまたそんな時代の波に飲まれた。卒業後、表向きは外交官として勤務しながらも、MI6所属の諜報部員として秘密の任務を果たした。その後、スパイ小説の大家となった。
「ル・カレは読んだことあるか?」
 読んだことがあるかって? 名前を聞くのも初めてだ。
「初期の作品『パーフェクト・スパイ』のなかで、彼は主人公にこんなふうに語らせている」そう言って、フィーロンさんは煙草をもみ消す。
「“ありのままに語るのだぞ、と彼はもう一度自分にいいきかせた。一言一句すべて真実ばかり。ごまかし抜き、フィクション抜き、技巧抜き。あまりに約束しすぎた、ようやく解放された自分を語ればいいのだ”」
 ありのままに語るということが、当時の私たちにとって、どれほど重大な意味を持っていたのか、おまえには分からないだろうな。フィーロンさんはそう言うと手を上げ、大きな声でウェイターを呼ぶ。
「オカンジョウ、オネガイシマース!」
 勘定を支払い、椅子ごとひっくり返りそうになりながら、どうにかこうにか席を立つ。フィーロンさんは貧しかった少年時代にサイズの合わない靴を履き続けていたせいで、ひどい外反母趾に悩まされている。その少年時代に痛めた足の古傷のせいもあり、酒に酔うと足を引きずって歩く。
 流刑地から帰国し、大学を出たフィーロンさんは『フィナンシャル・タイムズ』紙で、ジャーナリストの職を得た。
「ジャーナリズムは魅力的だったが、居心地の悪さもあった。私にはまだブルジョワジーに対する激しいジレンマがあった」
 就職して間もなく、『Every Night and All』という小説の執筆に着手した。新たな極秘任務だ。第二次世界大戦直後の1950年代、スコットランド、工業都市グラスゴーに母親と兄妹と、貧しく雑魚寝で暮らす父親のない17歳の少年が、少しだけ年上だがやはりまだまだ幼い女とイギリスを目指して駆け落ちする。彼女は妊娠している。母親と兄妹を捨てる。イギリスに行けば貧しい暮らしから逃れることができると信じた。しかしそんなわけはない。たどり着いたマンチェスターも暗く貧しく厳しい。駆け落ちの汽車で出会ったロンドンの上流階級の年増の女性から手渡された連絡先を彼は握りしめ、幼馴染を捨ててロンドンを目指す。倦怠感に包まれた上流階級の女も、貧しさを憎む少年も、ともに日常からの脱出を夢見ながら相手を利用しているだけだ。心の通わなくなった関係の果てに、結局のところ金も階級も、人生の根本的な解決にはならないのだと彼は知る。富める者も貧しき者も、それぞれに飢えた心を持て余し、生まれ落ちた世界から逃れることなどできるわけもなく、永遠にさまよう。……出自の異なる二人の出会いと挑戦から、なにか希望めいたものが煌めく瞬間がないわけではない。でもなにもかも、所詮は無い物ねだりなのかもしれない。彼はまたすべてを置き去りにして、外へ外へと足を踏み出す。最後はロンドンだ。何が待ち受けているのかは知らないが、留まり続けるよりましなはずだ。

「ロンドンの社交界の名士だったアンソニー・ブロンドというユダヤ系の人物が経営していた出版社が、それを本にして出してくれてね。小説家として生きていけるかもしれないと希望を抱いた私は、新聞社を辞めて二作目に取り掛かった。ある兄弟の物語を通じ、この社会の二元性を描きたかった。言ってみればカインとアベルの物語だ。でも、うまくいかなかった。作家としての才能は、私には残念ながら無かったのさ……。ということで、小説家はやめにしたんだ」
 しかし彼はそうして出版の世界と巡り合い、そこに活路を見出した。Four Squareというペーパーバック版の出版社で編集者として働きはじめた。階級格差の激しいイギリス社会にあって、廉価なペーパーバック版は、経済的余裕を持たない人々への知の解放のための新たなムーブメントだったのだとフィーロンさんは教えてくれた。「ロック・ミュージックだって、その頃に花開いたのさ。ポール・マッカートニーと居合わせたこともあった。世界は人々に解放されつつあった」
 タクシーを捕まえ、西麻布交差点付近のフィーロンさんのマンションの前まで送る。不摂生を続けてきた六十代のフィーロンさんの、車を降りる足元が怪しい。ときには7階の5号室まで、重い肩を支えてよろよろと連れてあがる。
 部屋まで送り届ければ、結局そこでもう一杯となる。居間の、壁一面の本棚には隙間なく本が並べられている。赤ワインのボトルを片手に、足を引きずりながら現れる彼は、辛うじてよれよれの笑顔を浮かべている。
「結局のところ、ありのままに語ろうとする人々がものを書く努力をしているのだから……」と、フィーロンさんは苦しそうに息を切らしながら口を開く。「そのような本を世に送り出す手伝いをする人間が必要なんだよ。まあ急がずに、がんばりなさい」
 一杯だけ付き合うと、僕は荷物を背負って部屋を後にし、交差点でタクシーを拾いシートに沈み込む。都心の夜が遠ざかる。
「良い本をポピュラーに、そしてポピュラーな本を良い本にするんだ」
 これがフィーロンさんの口癖だった。

[To be continued…]


PROFILEプロフィール (50音順)

田内万里夫(たうち・まりお)

1973年生まれ。埼玉県出身。版権エージェント(現在はアルバイト)。マリオ曼陀羅の名義で画家としても活動、国内外で作品発表をおこなう。主な展示として『LOVE POP! キース・ヘリング展 アートはみんなのもの』壁画プロジェクト【キースの願った平和の実現を願って】(伊丹市立美術館・2012年)などがある。著作に『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(猿江商會)。本書はイギリス、台湾でも刊行(イタリアでも刊行予定)。訳書に『なぜ働くのか』(朝日出版社)。


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「本書は、AI時代における僕たち人間のサバイバルそのものを根源的に問う一冊でもある」
松島倫明〔編集者・NHK出版編集長〕(解説冊子より)