写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり
第5回 Burley Fisher Books
ロンドン東部イーストエンドのハックニー地区は、花の露店が軒を連ねるコロンビア・マーケットや、安くて新鮮な野菜やアフリカ・インドの布地などを売るリドリー・ロード・マーケットといった庶民的な市場が点在し、古くから移民や労働者の多い下町でした。90年代以降は、比較的安い家賃と自由な雰囲気に惹かれてアーティストやクリエイター、作家が多く暮らすようになり、流行に敏感な人たちが集まるエリアになっています。やはり市場通りであるブロードウェイ通りには、今ではアート系を中心に3軒もの書店が営業しています。
一番奥にカフェがある奥に細長い店は、手作りでカジュアルな雰囲気。
そして、ハックニーを南北に貫く大通り、キングスランド・ロード沿いに、2016年2月にオープンした独立系書店がバーリー・フィッシャー・ブックスです。有名作家の小説など売れ筋の本と同時に小規模出版社の本を紹介することに努め、気の置けない雰囲気のカフェを併設。開店には地元選出の国会議員も出席するなど、地元の人たちの熱烈な歓迎を受けてのスタートでした。
店頭に出ていたシンプルな看板は「本とコーヒーとベーグル」。
オーナーは、ジェイソン・バーリーさんとサム・フィッシャーさんの2人。ジェイソンさんはロンドン北部のカムデン・ロック・マーケット内で古書籍商としてキャリアをスタートさせたのち、ロンドン市内で何度か移転し、今では地下鉄ノーザンラインのオールドストリート駅構内で、カムデン・ロック・ブックス(Camden Lock Books)という書店を経営しています。この書店の賃貸契約がロンドン地下鉄により打ち切られるかもしれないという話が持ち上がり、新たな移転先として見つけたのが、現在のバーリー・フィッシャー・ブックスの店舗。幸いカムデン・ロック・ブックスは元の場所に残れることになり、新たに姉妹店ができました。
ジェイソン・バーリーさん(左)とサム・フィッシャーさん。世代も経歴も違いますが、強力なタグを組むビジネスパートナーのふたりです。
一方のサムさんは、「ジェイソンさんの息子よりも若い」という新進気鋭のブックセラー。カムデン・ロック・ブックスで3年間店員を務めたのち、店主と意気投合してこの店を開きました。サムさんは、ロンドン郊外のエセックス州出身。子どものころから本が大好きで、ロンドン大学の名門キングス・カレッジで英文学を学びました。卒業後、政治・社会に関する伝記などを扱う独立系出版社、ギブソン・スクエア・ブックス(Gibson Square Books)で編集者を務めていましたが、カムデン・ロック・ブックスで書店員になる道を選びます。「本を作るのではなく売る仕事を選んだのは、たくさんの人と話すチャンスがあることに魅力を感じたから。他の人の興味を知ることで、それまで自分の視野になかった本も目に入ってきます」。出版社にいたときは「なんとなく一種の孤独感を感じていた」そうですが、本ができるまでのプロセスを知り、業界のトレンドを見極めるコツを学んだことで、その頃の経験が今の仕事に役立っています。
コーヒーを飲みつつ店主と立ち話をする常連さん。
2人の名前をつなげたシンプルな店名は、どのように決まりましたか? と聞くと、ちょっとハリー・ポッターを思わせる丸メガネのサムさんは、まじめな顔で「想像力の欠如の賜物です」と即答してから、いたずらっぽく笑います。そして、こう説明しました。「ジェイソンは40年もブックセラーとしての経験があります。一方、僕は出版業界にいました。だから、2人の異なる経歴と知識を両方とも生かした本屋にしたいと思っているんです」
地元アーティストによる個性的なグリーティングカードのスタンドが、店内に彩を添えます。
店では、文学作品とノンフィクションの双方に力を入れています。人気作家の新作やメインストリームで話題のノンフィクションに加え、アメリカで出版された本や、新人作家の処女作や詩集やジンを含め、通常のイギリスの書店ではあまり扱われない本も取り混ぜて紹介することで、幅広いお客さんを呼び込む努力をしています。たとえば非営利企業で翻訳書にも力を入れている出版社、アンド・アザー・ストーリーズ(And Other Stories)はとくに店主たちのお気に入り。無名の出版社の優れた本もここなら見つかります。業界での評判を聞きつけて出版社からの売り込みも多いそうですが、サムさんはできる限り実際に本を読んで、店に置く価値があるかどうかを決めます。さらに、サムさんは編集者時代の人脈から、文学賞「レパブリック・オブ・コンシャスネス(Republic of Consciousness、意識の共和国)」の審査員を務めています。これは、フルタイムの社員5人以下の小規模出版社の作品を対象とした賞で、審査員として毎回30冊もの候補作を読むそうです。もちろん、この活動も本の情報収集に役立っています。
書店員さんが最近読んだ本の中からお勧めを選りすぐったコーナー。詩集からノンフィクションまで幅広く取り揃えています。
常に一番好きな作家はグレアム・グリーンですが、「好きな本は毎週変わる」というサムさん。今のお気に入りは、まだ無名の女性作家クレア・ルイス・ベネットの処女作『Pond(池)』。アイルランドの西海岸に暮らすイギリス人女性の日常を描く20のエピソードからなる短編集で、散文の美しさが高く評価されています。「シリアスであると同時に滑稽」なのが魅力だとか。20年のキャリアを誇るアメリカ人ベストセラー短編作家、ジョージ・サンダースの初めての小説『Lincoln in the Bardo(バルドーのリンカーン)』。アメリカの南北戦争を背景に、エイブラハム・リンカーン大統領と、1862年に11歳で死んだ息子のウィリーをめぐるストーリー。歴史上の人物とフィクションの人物が混在して登場し、チベット仏教の輪廻転生の概念である「バルドー」に基いて死者も登場して展開します。「サンダースらしい皮肉に満ちていて、おかしくて、感動的で、でもセンチメンタルに陥らない」傑作だそうです。詩もよく読むそうで、ジョン・ミルトンの17世紀の叙事詩『失楽園』から、革命的な作品で知られる20世紀ウエールズの詩人ディラン・トマス、現代の北アイルランドの女性詩人メドボー・マクガッキアンまで、幅広い愛読書があります。
独立系出版社の本の中から、書店員のお気に入りを集めた棚。普通の大型書店では目に付かない本にスポットが当てられます。
「作家はみんな、ひとりひとり違う個性がある。だからこそ、どんな作家も読む価値があるのです」。その結果、読書量は膨大になります。文学好きですが、ノンフィクションの本も幅広く読むようにし、できるだけ実際に読んだ本の中からお客さんに勧めるように心がけています。
さらに、店では哲学やヨーロッパ文学などそれぞれ得意な分野を持つ他の店員さんも雇っているので、そうした人たちの知識も総動員。「私たちが読んだ本(What we’ve been reading)」コーナーは、そんな中からとりわけおすすめの本を厳選してコメント付きで置いていて、お客さんたちの間で好評です。そして、万一だれも読んでいなくて、情報だけに基づいて店に置いている本について尋ねられた時は「読んでいません」と正直に伝えるとか。
イギリスでは先ごろ電子書籍の伸びに停滞が見られる一方で、近年では初めて紙の本の売り上げが底を打って上昇に転じました。さらに、実店舗の書店での本の売り上げも伸びています。「かつてアマゾンが登場したころには、どう対応していいか分からず途方に暮れているうちに、本屋のシェアがどんどん減っていきました。うちに来るお客さんたちは、『本屋を使わないと、将来街から本屋が消えてしまうかもしれない。それは困る』という危機感から、店を愛顧してくれているのだと思います。また、うちの店ならではのおすすめの本の情報が得られることや、僕たちスタッフとの会話を楽しみに来てくれる方もいるでしょう」。実際、「プレゼントを探しているんですが」とか「こういう本がお気に入りなのですが、次に読む本を探しているのでアドバイスをもらえませんか」といった相談を受けることもよくあるというのは、生き残りに成功している従来の書店と共通している特徴です。
さらに、本屋人気の背景として、出版社が「所有したくなるような美しい装丁の本」を積極的に作るようになったことも大きいと、サムさんは分析します。本に出会って「一目ぼれ」して家に連れて帰るという実店舗の本屋ならではの体験が見直されていることを、本屋さんとして実感しているのです。
また、子どもの本のコーナーは広くありませんが、やはりユニークかつ厳選された品ぞろえ。地元ハックニーにある出版社で、大人が見ても美しいビジュアルが人気の出版社フライング・アイ(Flying Eye)の絵本などを重点的に置いています。またロンドンの学校図書館向けには本を1割引で販売し、注文を受けた翌日には配達するサービスや、未就学児から高校生まで、年齢層グループ別のおすすめの本のリストも提供しています。さらに、カムデン・ロック・ブックス時代から、長年にわたって作家や出版社と築いてきた関係を最大限に生かすようにしていて、たとえば子どもの読書推進のために毎年3月に行われている「ワールド・ブック・デー(World Book Day)」に合わせて、作家の学校訪問などのイベントもアレンジしています。
本に関するお客さんの質問に答えることや、新刊書の出版情報のチェックと並んで、カフェのお客さんの注文を受けてエスプレッソやカプチーノを入れることも重要な任務。若くして本屋の店主になるにあたり、まずサムさんが実行したのが、バリスタの養成レッスンを受けることでした。「コーヒーを入れた経験といえば、インスタントコーヒーをマグカップに入れてお湯を注ぐだけだった」というサムさんですが、今ではコーヒーを入れるのも、ラテアートもプロの腕前。コーヒー豆の仕入れ先はロンドン・イーストエンドにあるメーカー「ミッション・カフェ・ワークス」で、地球環境と人権に配慮して生産・輸入された原料を少量ずつ焙煎した豆は薫り高さが格別。さらに、手作りのベーグルサンドイッチが軽い昼食やおやつに人気です。本棚に囲まれていくらでも長居ができるカフェは、店にやって来る人の半数くらいが利用するという印象。「カフェを併設するのは、伝統的に文房具を売る書店が多いのと同じで、本を売るよりも利幅が大きいので、資金を得るための方法です。でも、それだけではなく、そもそも本とコーヒーは相性がいいと思いませんか」とサムさん。
手際よくコーヒーを淹れる店主。店内には香ばしい薫りが漂います。
本のレジとキッチンカウンターは兼用で、サムさんは注文を受けると、本の会計の合間に楽し気にコーヒーを作り、ベーグルのサンドイッチにさっとクリームチーズなどの具をはさみ、本を入れるのと兼用の茶袋に入れてくれて差し出します。
朗読会や出版記念のトークなどの著者イベント、それに雑誌やパフォーマンスなど幅広いイベントにも、開店時から力を入れ、週一度のペースで開催してきました。好評を受けて店が手狭になり、地下のスペースの改築資金を集めるクラウドファンディングのキャンペーンをスタート。「東ロンドンの会社を含む独立系出版社の本を応援し、そうした本を置く独立系書店をサポートしよう」と呼びかけると、目標の7500ポンドを上回る9000ポンドが集まり、2017年春には念願のイベントスペースが地下にオープンしました。小さなステージと照明、音響設備を完備し、映画の上映会にも使えます。以前は閉店後の夜間にのみ行っていたイベントが営業中にも行えるようになったうえ、地元のアーティストによる絵画や陶芸のワークショップなどの会場としても貸し出せるようになりました。
お客さんの多くが近所に住んでいる人たちで、常連でもある地元の作家やアーティストが自らのイベントを開くこともあります。ロンドンを舞台にした作品で知られる作家・映画監督のイエイン・シンクレアもその一人で、2016年秋に出た新作『My Favorite London Devils(私のお気に入りのロンドンの悪魔たち)』は、ロンドンの作家たちのインタビューや短い評伝を通して、都市ロンドンを描く彼らしいプロジェクト。ロンドン、そしてハックニー地区に特別な愛着を持っているシンクレアは、この出版記念トークをバーリー・フィッシャー・ブックスで行い、とりわけ多くのお客さんを集めました。
地元在住で、常連客でもある作家イエイン・シンクレアのコーナー。
イベントのテーマはローカルなものとは限りません。デヴィッド・ボウイが2016年1月に亡くなったのを受けて、イギリスでは2017年初頭にかけて写真集から伝記まで、関連の本が次々と出版されましたが、その中から3冊の著者を集めたトークも開催する予定です。また、最初にアメリカで出版された本のイギリス版のローンチを行うこともあります。
テーマにかかわらず、イベントの際にはロンドン中から人が集まるとか。「イベントを実施することには、より幅広い客層を開拓できるのはもちろん、同じ本や作家に興味を持つ人達、ひいてはうちの店に来てくださるお客さんの間にコミュニティーの意識を作り出せるという良さがあります」とサムさん。
作家のアルファベット順に文学書が並ぶ棚。気まぐれのように張られた書店員によるメモが目を引きます
今後の目標を伺うと、「まず短期的な目標は」と熱く語り始めました。「コミュニティーの中で確固とした位置づけの書店に成長させること。結局、街の本屋の存在意義は、いかに地域の人たちの文化的生活に貢献できるかだと思います。地域の人が本当に求めている本に出会えるようにしたいし、新しい興味の対象に出会えるような店でありたい。それに、日々の接客やイベントを通して、本に関して活発な意見交換ができるような空気を提供していきたい」とサムさん。地域のニーズに密着した店づくりによって市民の読書生活を応援するということにかけて、「実は本屋は図書館よりも責任が大きい」と感じています。「東ロンドンは、ロンドンの中でもマイノリティーが多く暮らす地域。特にハックニーのあたりは伝統的なトルコ人コミュニティーがありますから、たとえばトルコの現代情勢の本も扱わなくてはなりません。政治やアイデンティティーといったテーマを扱う本は、あまり売れ筋とはいえなくても、店として近所の人たちにぜひ読んでほしいと考え、目立つところにディスプレーしています」。本の仕入れは買取が基本。今は利益が出れば、それをすべて、本の在庫を充実させることに投資しているそうです。
カジュアルなカフェでは仕事や読書で長居をするお客さんの姿が目立ちます。
一方の長期的な目標は、「世の中にもっと本屋が増えてほしいので、それに貢献すること」だとか。イギリスの書店業界は変革の時代を迎え、書店の栄枯盛衰は激しく、業界の状況は毎年変化しています。「コミュニティーの中で本屋をやっていくうえで、他の店と長期的に共存していくことはとても重要。たとえば、東ロンドンはアーティストも多いですし、うちの店も本当はもっとビジュアルアート系の本を置きたいとも思いますが、近くにアートやデザインを専門とする優れた新刊書店と古書店があるので、そちらに譲ることにしました。うちの店は、良質の文学作品やノンフィクションに集中するべきだと考えています」
夜も読書に加えてイベントの準備で忙しく、プライベートでは、アートギャラリー勤務のガールフレンドとなかなか一緒に過ごす時間が取れないのが悩みとか。「でも今は、自分の店を持てたばかりなので、仕事を優先させたいんです」。お客さんたちの熱い支持に支えられて、店に対するサムさんの愛情はますます深まるばかりのよう。
『静かなロンドン・カルチャー編』あまり知られていない博物館や図書館も数多く紹介されていて楽しい本です。
「ロンドンの本」を集めたコーナーでは、ロンドンの静かな場所をモノクロ写真で紹介したユニークなガイドブックを見つけました。取材の最後にこれを買って立ち去ろうとすると、「きっとブックトートは数え切れないほどお持ちでしょうけれど」と言いながら、ちょっと恥ずかしそうに、店のロゴ入りのブックトートをプレゼントしてくれました。
大型本も余裕で入るブックトート。まだロンドンでも見かけることの少ないレアものです。
[英国書店探訪 第5回 Burley Fisher Books 了]
400 Kingsland Road, London E8 4AA
Tel 020 7249 2263
月~金 8:30~19:00 土9:00~18:00 日12:00~18:00
開店:2016年2月
店舗面積:約74㎡
本の点数:3500点
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