「私は屋根の上の生活をすることの自由を楽しんでいました。」
映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』
マーク・レイ(主演)×菅付雅信(編集者)対談
取材・文:小林英治
ニューヨークで生活することの光と影の両面を描いたドキュメンタリー映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』が1月28日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開される。ニューヨークでモデル兼俳優、そしてファッション・フォトグラファーとして活動するマーク・レイ(52)は、昼間はデザイナースーツに身を包み、パーティーでは美女たちに囲まれ、華やかな世界で人生を謳歌しているように見える。しかし、彼が夜になって人目を避けて帰る場所は、ビルの屋上だった。世界中から訪れる人々を魅了するニューヨークという街でサバイバルするために、彼が選んだ究極のミニマリズム=ホームレス生活とはいかなるものなのか? 映画公開を記念して来日したマーク・レイが、消費意欲が低迷する現代社会における本質的な幸せのあり方を問うた『物欲なき世界』(平凡社)や、2000年代以降の国内外の写真シーンを俯瞰した『写真の新しい自由』(光玄社)を著した編集者の菅付雅信さんと、高騰するマンハッタンの賃貸事情や二極化が進む写真業界の格差、そしてマークの人生哲学について語り合いました。
※本対談は2016年11月14日にYellowKorner Japanで行われた特別試写会の上映後に行われたトークショーの内容を採録したものです。
ニューヨークは自分の居場所があると感じられるホームタウン
菅付雅信(以下、菅付):僕は(2016年)10月に、国内外の写真関係者150人くらいに取材をした『写真の新しい自由』という本を出したんですが、その中で、2015年の秋にニューヨークの写真家や大手写真エージェンシーをインタビューして回りました。そこでわかったのは、トップフォトグラファーと言われる数十人の一握りの人たちがある程度仕事を牛耳っていて、真ん中の中間層があまりなくて、その下がいっぱいいるという、すさまじい二極化が進んだニューヨークの写真業界の実情なんです。では、中間にもいけない下の層の人たちがどういう形で存在しているのかといった時、ある種の極端な例かもしれないけど、この映画で見られるファッション・フォトグラファーとしてのマーク・レイのあり方というのが、現実にあり得る話だなと思いました。そして、このような彼のライフストーリーがドキュメンタリー映画になるというのも、すごく今の時代を象徴している感じがしました。ただ、僕が面白いなと思ったのは、マークさんの場合、非常にポジティヴというか、ニューヨークという街をとことん愛してるんだろうなと感じたところです。まず始めに、マークさんにとってニューヨークはどんな街なのかということをお聞きしたいです。
マーク・レイ(以下、マーク):たぶん誰にも自分が一番心地よく感じられる場所というのがあると思いますが、ニューヨークは私にとってのそういう場所なんですね。もともと生まれ育ったのがニュージャージー州で、つまりニューヨーク州の隣なんですが、一番近い友だちが住んでるのが5キロ先というような環境だったので、普段一人で過ごすことが多かったからかもしれません。18歳で大学に進学するために都会に出て来た時から、沢山の人の中の中心にいたり、活き活きとした文化の中に身を置くということが大好きになりました。ニューヨークにいる時には、自分はここに居場所があるんだと感じられて、自分にとってのホームといえる場所ですね。また、実家を出てから、大学はサウスカロライナ州のチャールストンという大学に進んだんですが、その後ヨーロッパで何年も過ごしましたし、サンフランシスコにも5年仕事をしていたこともあり、30年以上家族と離れて暮らしていたんですね。そのことも、もしかして現在、家族の近くであるニューヨークに住んでいたいという理由の一つになっているのかもしれません。
誰もがホームレスになる可能性がある
菅付:この映画では、元モデルでファッション・フォトグラファーであり俳優でもあるマークさんが、実はニューヨークで何年も住居を持たず、友人が住むアパートのビルの屋上で寝泊まりをしている生活が描かれています。僕もニューヨークに知り合いや友人がいるんですが、その中でもある時期だけホームレスだった人たちというのをいっぱい知っています。例えば若いアーティストで家賃が払えなくなったとか、いきなり家賃が上がって追い出されたとか、もしくは部屋を借りる予定だったんだけど何かの理由で借りられなくなって、泊まるところがなくなったとか。マークさんの知り合いでも、瞬間的にホームレスになったという人はいたんじゃないかと思うんですけど、いかがですか?
マーク:この映画の監督のトム(トーマス・ヴィルテンゾーン)が、まさにこの映画の企画で一緒にやろうという話になった時、知り合いのカウチからカウチへと泊まり歩いている、つまり自分の家がない状況でした。そういうこともあって、僕とこの映画製作の旅に一緒に出ようという話になったんだと思いますし、自分としても友人だった彼だからこそ、カメラの前で自分が抱えている人生の問題を忌憚なく話せたのかなと思います。
菅付:ただ、あなたのように長期間ホームレスの状態で、しかもファッション業界で働いているというのは非常に珍しいケースだと思います。そういう生活を選ぶきっかけのようなものは何かあったんでしょうか?
マーク:きっかけになった人が2人います。一人目は28歳の若い男性で、もう本当に仕事ばかりしていて、ある時に寝るためだけに帰る部屋の家賃は払わないと決めて、ルーズベルト島の廃屋で違法な形で暮らしていたんですね。僕もそこに一回遊びに行ったんですけど、こんなところで人が生活できるのか?と、非常に驚いたのを覚えています。もう一人は、アメリカで生活することの不条理さを感じさせる例かもしれませんが、夏場は屋外で寝泊まりしている方がいらっしゃって、この方はどうしても疲れて外で寝付けない時は、胸の痛みを訴えて救急車で病院に行き、一晩そこで泊まって食事も食べて帰るということをしていました。通常であればホテルでは一泊50ドルくらい払わなければいけないところを、そういう形で泊まっていたということにもインスパイアされました。
高騰するマンハッタンの家賃事情
菅付:都市で生活していると家賃の問題というのは大問題ですよね。僕は、去年(2015年)の秋、低消費社会を迎えるこれからの社会がどうなるかということを考察した『物欲なき世界』という本を書いた時に、2年半くらいかけて国内外の家賃事情を調べたんですが、マンハッタンはここ数年、年間の家賃上昇率が平均12%くらいでした。年間12%家賃が上がるということは、3年で5割上がるんです。つまり、すごく単純に言ってしまうと、収入も毎年12%以上増やさないと生活できないということだと思うんですね。これはロンドンも同様で、居住区に関しては年間の家賃上昇率が10%でした。東京は世界の大都市の中で驚異的に上昇率が低いんですが、今の20代や30代のニューヨークやパリ、ロンドンのアーティストやクリエイターにとっては、どう家賃問題と闘っていくかは、生きる上での最大のテーマくらいになってるんです。マークさんから見て、このニューヨークの家賃の問題はどういうふうに感じていますか?
マーク:マンハッタンの家賃上昇に関しては、おそらく世界中の富裕層が、マンハッタンの土地やマンション、アパートを所有しようとしてるのが要因だと思うんですね。ニューヨークという都市がグローバルな経済の中心地であることで、そのプレッシャーを受けて家賃が上昇していき、実際に住民の方の住む場所が減っていると思います。パティ・スミスと最近話していて、「自分が今日のニューヨークに20代で出て来たならば、お金がとても足りなくて、かつてのような形で今の自分にはなれなかっただろう」と言っていました。彼女がニューヨークに住んでいた70年代というのは、サム・シェパードやロバート・メイプルソープ、レニー・ケイたちが同世代だったわけですけど、まだ地区によっては家賃もそこそこで、アートを追求しながら暮らしていける余地のある生活ができた時代だったんですね。それに比べると今はかなり状況が難しくなっていると私も思います。
菅付:そういう状況の中でビルの屋上に住むという選択が、家賃問題に対するマークさんの解決策だったわけですね。
マーク:私が若い頃に強い影響を受けたジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』やヘンリー・ミラーの『北回帰線』といった作品を読んでも、彼らも本当にギリギリの生活をしている中で美しい作品を生み出しています。もちろん彼らと自分を比べるつもりは全くありませんが、アーティストとしてこういう例もあるんだと言えると思うんですね。ある種の貧困であったり、9時~5時の生活を知らないというのが、アーティストの道のりだということも非常に多いわけですし、逆に自分はそれを受け入れましたし、今映画でご覧いただいたように、自分なりにどんどん上昇するニューヨークの家賃と闘わなくて良い方法を見つけたわけです。
屋根の上の生活をすることの自由
菅付:この映画を観ていて、人によって印象は違うのかもしれませんが、僕はそれほどネガティブな印象を抱かなかったんですけど、それはマーク・レイという人物がある種のホーボーといいますか、ボヘミアン的な生活をしていて、自分の好きなことしかやってないからなんですよね。この大都会の中でボヘミアンでいるのは大変なことだと思うし、決してハッピーな事だけじゃないと思うけども、自分の好きなことだけをやっていて、人に迷惑もかけてないと思いますし、その生き方を貫き通しているところが、ちょっと羨ましいなというのが正直な感想です。
マーク:じゃあ、菅付さんと住んでる場所を交換しましょうか?(笑) 私にもし屋根のあるスペースがあったとしたら、例えば屋内で小さいながらも撮影するスタジオがあれば、もっと写真家としてのクリエイティビティを育てることができたのかもしれないと思ったことがありますが、自分は屋外に行くしか方法がなかったので、スナップショットに目を向けました。ただひとつ申し上げておきたいのは、私は自分が選んだ道や置かれた状況を、誰かのせいにしたことはありません。私自身が、屋根の上の生活ではなく、例えばもっと堅い仕事につくとか他に選択はできたわけですよね。でもそれは自分はしなかった。逆に言うと、ちょっと奇妙に聞こえるかもしれませんけど、私は屋根の上の生活をすることの自由を楽しんでいました。例えば、屋外で一晩しっかりと睡眠を取れるということだけでも大きな挑戦であり、朝、目が覚めたらそれだけでも達成感が感じられたんです。
菅付:その話を聞くと、本当にマークは生まれつきのボヘミアンだと思うんですけど、自分ではどう思いますか?
マーク:大学ではビジネスを学んでいますし、大学を卒業して最初に面接を受けたのが実はCIAだったので、簡単に生粋のボヘミアンであるとひと言では言えないかなと思います。ボヘミアンとしての頭角を現したのは、大学を卒業してから3か月ヨーロッパをバックパックで回った時に始まったかもしれません。本当にその体験が素晴らしくて、帰国してからも早くその生活に戻りたいと思ったことが、モデルという最初の仕事につながりました。モデルとして4年間ヨーロッパで仕事をしている間は、それでお金を稼ぎながらヨーロッパ各地を駆けまわっていました。そのスタイルはボヘミアンと言えるかもしれません。
菅付:最初のCIAの話はどうなったんですか?
マーク:CIAは、実は最初の面接で、「君はまだ若いし、もっと国際経験を積んで外国語をたくさん学んできたらどうか」と言われたんです。海外でモデルをすることは、それに対しての僕のひとつの答えでもあったんですね。それでヨーロッパでの4年間を経て帰国してから、CIAに連絡を取ってもう一度会いましょうとなったんですが、自分の中でよくCIAのことを考え始めたら、僕はおしゃべりなので、秘密を守って生活する暮らしはちょっと無理かなと思ったのと、日々「誰かに追いかけられているかもしれない」というパラノイアに取り憑かれるのではと思ったので、自分は無理だなと考え直して、CIAの話は立ち消えになったんです。でも、それから何年もあとになって、このように屋根の上で誰にも見つからないように隠れながら、まさに人目を気にする生活をしてたわけですから、皮肉なものですね。もしかしたら、この映画を観たCIAの人が、再び声をかけてくるかもしれません(笑)。
ファッション・フォトグラファーはある種のキャラクタービジネス
菅付:マークさんは、ヨーロッパでのモデル時代に、パウロ・ロヴェルシとかフィリップ=ロルカ・ディコルシアといった結構有名なカメラマンと仕事してるんですよね。写真の仕事に転じたのは、モデルをしながらそういった一流のトップフォトグラファーと仕事することで、モデルよりも写真の方がいいと思ったからでしょうか?
マーク:いや、当時はまだそう思うほどの知恵がなくて、当時気づいていればいろんなチャンスがあったと思うし、今振り返れば何でもっと早く写真家になろうと思いつかなかったのか不思議なくらいなんですけど。写真を始めたのは、ある時、たまたまカメラを手渡されて「写真を撮ってみたら」と言われて撮ってみたら、酷い出来で、それが逆に良い写真を撮る勉強をしたいと思う気持ちに向かわせました。その時のことはよく覚えています。それから、その後テストで撮った1枚に、窓から光が差し込んでいるフェルメール的な構図のものがあったんですね。それがすごく綺麗で誇らしく思えて、もっと写真をやりたいと思うようになったんです。
菅付:この映画でご覧になったように、マークさんはファッションのストリートスナップをしているわけですが、ファッションのストリートスナップの分野にも何人かレジェンダリーな写真家がいますよね。一番有名なのは、つい最近亡くなったビル・カニンガムがいます。
マーク:ニューヨークの多くの人が実際ビルには会ったことがあって、自分も会ったことがあります。『ビル・カニンガム&ニューヨーク』という彼についてのドキュメンタリー映画もありましたけども、あるショーのバックステージで直接彼に、自分自身の映画についてどう思うか聞いたところ、「その話はしないでくれ。あんなに自分のプライベートに入ってくるような映画は嫌らしい!」とおっしゃったんですね。彼の気持ちは私も自分の映画の撮影を通してよくわかりました(笑)。
菅付:僕は、ファッションのフォトグラファーっていうのは、ある種のキャラクタービジネスだと思ってるんですね。ビルも独特のキャラクターの持ち主でした。そういう意味ではマーク・レイというのは今回のこの映画で世界的な注目を集めたので、残念ながらビル・カニンガムも亡くなった現在、ストリートスナップの分野に大きな穴が開いているところだと思うので、あなたに第二のビル・カニンガムになるチャンスがあると思うんですけど、それに関してはどう思いますか?
マーク:イエス&ノーと言ったらいいでしょうか。ストリートスナップの追求に興味はありますが、ビルがすごいと思うのは、毎週締切りがあって、そういうスケジュールの中で献身的に作品を作り続けたところなんですよね。自分の場合は、もうちょっとゆるい人間なので向いてるかどうか分かりません。あと、人に声かけて足を止めるのがちょっと苦手なんですね。実は昨日の夜、渋谷でカメラを腰のあたりに構えて、フラッシュも使わずに行き来する人の姿を撮ったんですけど、声をかけてこちらに注目させないように撮ってますから、すごく自然体の写真がたくさん撮れました。そういった写真はすごく好きなので、今もやっていますが、ただ自分にとってそれがキャリアとして最適なのかどうかはまだ迷っています。
菅付:その一番の迷いっていうのは何ですか?
マーク:まあ、性格的に何かにコミットするのが苦手っていう問題があるのかもしれません。そして、今の自分の気持ちとしては、生計を立てるのは写真よりも役者としてのほうが良いんじゃないかと思ってるところがあるからです。冒頭で菅付さんがおっしゃったように、今の時代は誰もが写真をやっていて、プロになりたいっていう人がたくさんいるように感じるんですね。同時にギャラもどんどん安くなっていますし、そういうことを考えると自分としては写真は趣味にとどめておいたほうが良いのではないかと思っています。それと、すごく体の細い10代のモデルを追いかけるのがちょっと疲れてきたというのがあります(笑)。
映画公開による予想もしていなかった変化
菅付:この映画はかなり世界の大都市で公開されて、パブリシティもたくさん出て、そういう意味では、この映画はあなたのメジャーデビュー作でありますよね。今はマークさんも屋根のある部屋に住んでいるということですけど、この映画はあなたの人生をどのように変えましたか?
マーク:映画が公開されたことによって、例えば家賃が稼げるようになったとか、経済的な状況が激変したわけではありません。何もないよりは良いという感じなんですね。それよりも一番大きな変化というのは、劇中の中で私自身が語っている通り、自分の人生というのはたくさんのチャレンジはあったけども達成は少ないと感じていたんですが、今度作り上げたこの作品は出来にもとても満足していますし、間違いなく何かを成し遂げたものと呼べることだと思います。実は、この映画を観た方から本当に驚くほど自分に好意と敬意を寄せてくださる手紙が届くんですね。これは本当に予想もしていなかったことでした。映画を観た人に、「非常に奇妙な男がニューヨークでクレイジーな生活をしているな」というふうに軽く流されてしまうのではないかと思ってたんですけど、「勇気をもらった」「生きるモチベーションをもらった」「インスピレーションを感じた」というコメントを世界中の方からいただきました。そういうリアクションを受けることが一番の変化だったと思います。自分は未だに独り身で子どももいないんですけど、今はこの作品が自分のレガシーになっていると感じています。
[映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』マーク・レイ(主演)×菅付雅信(編集者) 了]
撮影(イベント風景):後藤知佳(numabooks)
(2016年11月14日、YellowKorner Japanにて)
『ホームレス ニューヨークと寝た男』
http://homme-less.jp
監督:トーマス・ヴィルテンゾーン
出演:マーク・レイ
音楽:カイル・イーストウッド/マット・マクガイア
配給・宣伝:ミモザフィルムズ
宣伝協力:プレイタイム/サニー映画宣伝事務所
後援:オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム
協力:BLUE NOTE TOKYO
https://motion-gallery.net/projects/hommeless
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