INTERVIEW

ケヴィン・ケリー「テクノロジーはどこに向かうのか?」

ケヴィン・ケリー「テクノロジーはどこに向かうのか?」
前半:レクチャー編(『テクニウム』刊行記念イベントレポート)

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『WIRED』創刊編集長ケヴィン・ケリー氏による最新刊『テクニウム ――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房)。石器からコンピューターに至るまで、人類が生み出してきたテクノロジーの持つ普遍性についてを説く“テクノロジー版〈種の起源〉”とも呼べるこの本。ケヴィン氏の来日に合わせ、本屋B&Bでも彼を迎えたトークイベントが満を持して開催されました。前編は「テクニウム」の概念を理解するためのケヴィン氏によるレクチャー、後編は質疑応答の白熱した模様をくまなくお届けします。
※2014年10月9日に本屋B&B(東京・下北沢)で行われた『テクニウム』(みすず書房)刊行記念イベント「ケヴィン・ケリー×若林恵×服部桂×内沼晋太郎『テクノロジーはどこに向かうのか?』」のレポートです。聞き手を若林恵氏(日本版『WIRED』編集長)と内沼晋太郎(NUMABOOKS代表/DOTPLACE編集長)、通訳を『テクニウム』翻訳者の服部桂氏が務めています。
※スライド画像はケヴィン・ケリー氏の協力のもと掲載しています。

テクノロジーが形成するネットワーク

——本日は『テクニウム』(みすず書房)の出版記念として著者であるケヴィン・ケリーさん、また『テクニウム』の翻訳者である服部桂さんをお呼びしました。
 今日は最初にケヴィンさんに著書に関するプレゼンテーションをしていただきます。そのあとで、皆さんからの質問をケヴィンさんにお答えいただくという形で進行したいと思います。せっかくの機会ですので、皆さん是非質問してみてください。ではケヴィンさん、よろしくお願いします。

ケヴィン・ケリー:今日は皆さんお集まりいただきありがとうございます。『テクニウム』というこの分厚い本を読んでいただいた人、またこれから読もうとしてくれている人に、まずは感謝したいと思います。今回は最初にこの本の内容について少しお話しますが、一番楽しみにしているのはそのあとで皆さんと対話することです。どんどん質問してください。

 ではまずプレゼンテーションから始めます。

 ダーウィンの以前の生物学では、様々な生物を集めて、標本のように棚に飾る。そういうものが生物学でした。それをダーウィンが、様々な生物の種類がどのように関係し合っているか、体系づけて理論化したわけです。私が思うに今までのテクノロジーは、ダーウィン以前の生物学のようにセオリーがないまま様々なものがただ並べられている状態でした。生物標本のようにただテクノロジーを並べているだけ。それはダーウィン以前の生物学と同じような状態なんです。

 テクノロジーについて、誰もが共有している明確な定義はありませんが、既にいくつかの素晴らしい定義があります。例えば、

    Technology is anything invented after you were born. 
    -Alan Kay

つまり、「テクノロジーとはすべて新しいものである」ということ。

    Technology is anything that doesn’t work yet.
    -Danny Hillis

「まだきちんと働いていないものがテクノロジーである」という定義もあるでしょう。
 でも全てのテクノロジーが働いていないのではなく、ランプや椅子など、我々が生まれるずっと前からあるテクノロジーはきちんと働いていますよね。
 例えば削られた石斧として使われた石器とコンピュータのマウス。この二つのテクノロジーは大きさも形も似ていますが、石器は古く、マウスは比較的新しいものです。とは言っても、マウスはもうあまり働いていないかもしれませんね(笑)。

ケヴィン・ケリー氏

ケヴィン・ケリー氏

 この二つのテクノロジーのうち、石器は週末に少し工作すれば誰でも作ることができるでしょう。反対に、マウスをすぐに作ることができる人は東京という街の中でもなかなかいないでしょう。というのも、このテクノロジー一つをとっても、その下位に従属する何百ものテクノロジーがあって初めて成立するものだからです。また、そのサブにあたる何百ものテクノロジーの下位にもさらに何百ものテクノロジーがある、というネットワークが形成されています。例えばハンマーによってノコギリを作ることができ、ノコギリによってハンマーの持ち手が作られるように、テクノロジーはお互いに相互関係にあるわけです。そこでお互いに相互依存しあうテクノロジー全体を私は「テクニウム」と呼ぶことにしました

「What technology wants?」

「テクニウム」は一つのテクノロジーを指すのではなく、「テクノロジー同士がネットワークされ、お互いに結びつき合って一つのシステムとしてサポートし合う体系」のことを指しています。例えば、いま私が使っているマイクスタンドや椅子は生物ではなく、ある意味で「死んだテクノロジー」ですが、テクニウム全体で捉えると、お互いが助け合って生物のような動きをするわけです。
 そのテクノロジー同士がどうやって結びついているかは「wants」、つまりある欲望、欲求で結びついていると考えます。例えば「ウィロウ・ガレージ」いう会社が製作した自律ロボットは、充電が切れると自らの「wants」に基づいて自分でコンセントを指す、という行動をするんです。私はこのロボットとコンセントの間に立ちふさがったことがあるんですが、その時このロボットは明らかにコンセントを「望んでいる」と感じました。

「ウィロウ・ガレージ」社の自律ロボット

「ウィロウ・ガレージ」社の自律ロボット

 この「wants」を単純に「欲望」と言ってしまうと語弊があるかもしれません。それは「こうしたい」という一つの傾向を表していて、例えると「植物が光を欲する」ようなものなんです。

 私は、テクノロジーは一つの欲望、目標、ある傾向を示すシステムだと考えています。この全体の目標は一つのモラル、道徳のようなものです。全体の傾向が道徳的な様相を示すわけです。ある方向に「押されていく力」のことをテクニウムのもっている「wants」だと今の時点では考えています。

「What technology wants?」は日本語版『テクニウム』の原題なのですが、このようなタイトルにしたのは、雑然としたダーウィン以前の状態にあるテクノロジーが全体として生物学のようなフレームワークを持っているということを示したかったからなんです。このような思いにかられたのは私が生まれた50年代と、それと同時期に生まれた大発見に関係があります。大発見とはDNAの構造です。その頃に明らかにされたDNAの構造は、情報の構造ととても良く似ていたんです。生物を扱うDNAという情報の構造と、機械を動かす情報の構造が似ていることが分かったわけです。ですから私は、テクノロジーを生物学、つまりバイオロジーと同じような方法で理解できると考えているんです

「The 7th Kingdom」としてのテクノロジー

 そうすると次に、進化はどういう傾向、「wants」をもっているか、という問題が生じます。生物学をやっている人はご存知の通り、進化は非常に論議が盛んな概念です。私はそこで生物の進化を長期的に見てみました。すると生物の進化は徐々に複雑になってきている、ということがわかりました。生物の進化を見ていくと、バクテリアから脳のような複雑な部分まで、進化の過程を捉えることができます。これははしごを登るような一方向の変化ではなく、複雑な様相を示しています。複雑なものはさらに複雑になっていきますが、中には単純なものが単純なまま留まる場合もあります。いずれにせよ、地球上の全ての種は多かれ少なかれ全てがなんらかの形で進化しています。

 生物の進化の特徴を捉えていくとそれは、複雑性を増し、多様性を増し、個別化しているし、相互に結びつきあい、一般化し、遍在化し、感受性を持って進化しています。また進化性自体も進化しているし、エクソトロピー、つまりエントロピーの逆の概念として、秩序がどんどん増していっているという性質があることがわかりました。
 テクノロジーでもこのような傾向を見て取ることができます。例えば蒸気エンジンの火花よけ(Spark Catchers)を集めてみると、生物学での蝶のように、ありとあらゆるバラエティがありますね。個別化、専門化されています。他にもハンマー。この道具一つを見ても、個別の使用目的に合った形状がそれぞれ存在します。またカメラの進化を見ても、普通のカメラから水中カメラができ、赤外線カメラができ、水中の赤外線カメラができる、というように、どんどんテクノロジーは多様化しているし、これからもそうなっていくでしょう。中世から進化してきた甲冑の兜の進化をまとめると、それはまるで生物の進化のように、系統的に分類することができます。

蒸気エンジンの火花よけ(Spark Catchers)

蒸気エンジンの火花よけ(Spark Catchers)

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 そこで私は生物を分類する時の大分類である六つの「界」(植物、動物、菌…)といった体系の中にテクノロジーを位置づけようと考えました。私はテクノロジーを七つ目の界と位置づけました。テクノロジーは生物と同じような進化の拡張系として、七つ目の界を形成していると考えたんです。

良いテクノロジーとは

 では、第七界は何を「wants」、つまり求めているのか。

WTW.BriefBest-25
 テクノロジーもこのように見ていくと、生物の持っている長い進化の歴史と同じ要素を持っていることがわかります。それは複雑性、多様性、個別化、相互性、一般化、遍在化、感受性……、同じ要素を持って同じ傾向を長期的に示していくことがわかったんです。ただここで一つ困ったのは、テクノロジーによって新しい解決を行うとそれによって新しい問題も生じてしまうということです。これまでの実例をよく見てみると、その問題は全て過去に発生したテクノロジーが原因で起きていました。
 テクノロジーは問題も生じるけれどもメリットもある。ですから、その両方を勘案すれば中立的なものではないかとも考えられます。しかし、私が見るに、テクノロジーの良い部分はほんのちょっとだけ、1%程度悪い部分より勝っていると思います。ほんのちょっとだけですが。
 そのテクノロジーの良い点とは何かと言えば、新しいテクノロジーができることによって我々の選択肢が増える、ということです。それが良い点なんですね。選択肢がさらに広がるということがほんの少しの良い部分であり、これが長年積み重なっていくことで、より大きなメリットになっていくのです。

 例えば、私が今ここで「ものすごく馬鹿げたアイデア」を言ったとします。そうした場合、私に「馬鹿なことを言うな」と注意して、止めさせることが正しいのでしょうか。私はそうは思いません。それよりも「こういう風にしたほうが良い」と、ベターな、より良いアイデアを返す方が正しいのではないでしょうか。また、私が馬鹿なことを言ったように、非常に悪いテクノロジーがあったとしたらどうすればいいでしょうか。その悪いテクノロジーを止める、使わないようにした方がいいんでしょうか。それよりも、もっと良いテクノロジーで対応した方がいいんじゃないでしょうか。もともとテクノロジーはアイデアを実現していくためのものですから。その過程で我々は、より良いテクノロジーを実現するために、もっとグリーンにしていく、環境になじんでいくということを心がけてきたわけです。そういう意味で、テクノロジーは生命と相互的で互換性があると言えます。お互いに関連性のあるものだということです。
 最初はおかしくて、馬鹿げたアイデアかもしれないけれども、テクノロジーをより良くしていくことで、地球環境を良くしていくとか、もっと仕事を増やすとか、良い変化をもたらすわけですね。我々がテクノロジーと相対する際には、子どもを扱う親のように、ダメなアイデアでもそれを正しい行いに導くという姿勢が大切なのではないでしょうか。

 例えばDDTの例を見てみましょう。DDTは何百万エーカーという範囲にわたって、殺虫剤として散布されました。これは後に環境破壊を巻き起こすものとして、非常に「悪いテクノロジー」として非難されました。ただこれをきちんと制限して家の中に散布すれば、蚊を媒介にするマラリアが阻止できる。それによって年間何十万人という人の命を救うことができるテクノロジーでもあるわけです。同じテクノロジーでも使い方次第で結果に違いが生じます。

 そこでテクノロジ―は何を望むのか。それは差異を作り出すこと、多様性、別のやり方や選択肢、チャンスや可能性、自由を生み出していくことではないでしょうか。

テクノロジーが望んでいるもの

 最後に一つたとえ話をしましょう。例えばモーツァルトがピアノが発明される前に生まれていたらどうなっていたでしょうか? それは彼自身にとってばかりでなく、我々の人生、音楽というものについて大変な損失だったわけです。それから、ゴッホがもし油絵やキャンバスの発明前に生まれていたら。我々の世界、文明にとって大変な損失ですよね。また、ヒッチコックが映画の技術を発明される前に生まれていたら。これからの未来に生まれる、将来のモーツァルトやゴッホやヒッチコックである未来の天才たちに、その才能を活かすための技術がないと考えたら、どういうことが起こるでしょうか。そういう意味で我々には未来を作るためのテクノロジーを発明する義務があると思います。

 テクノロジーは商業的な製品を作ることに使われます。しかしテクノロジーとはそれ以上に意味のある、宇宙的な力なのではないでしょうか。テクノロジーの複雑化し、多様化し、特殊化する力は宇宙が誕生した時から始まっている。つまり生命の誕生以前から、このような力があったと私は考えています。自己組織化は、エネルギーがあったところから、物質が組織化し、原子や分子ができ、ICに結実する。これは我々が生まれる前から一貫して働いている力なんです。宇宙規模で見ても、最初にエネルギーが星になり、銀河になり惑星になり、それが生物を生み、生物が建物やジェットエンジンのようなテクノロジーを生む。一貫して進化を続けているわけです。ですからテクノロジーを扱ったり、関わるということは、宇宙が始まった頃から存在する大きな動きに参加することであり、さらに先につながる流れの一環だということなんです。
 それは単純にはしごを上るような一方向の変化ではなく、外の方向にひたすら向かっていく力です。言い換えると、それはより可能性を増やしていくという方向に広がっていく力なんです。テクノロジーが望んでいるものは、我々の可能性を増やしていくことなのです。

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 発表はここまでです。ご清聴ありがとうございます。
 これで本を読まなくても内容がわかったかもしれないですね(笑)。

後半(Q&A編)に続きます(2014/10/24更新)


聞き手:若林恵(日本版『WIRED』編集長)、内沼晋太郎(DOTPLACE編集長)
通訳:服部桂(『テクニウム』翻訳者)
構成:松井祐輔
(2014年10月9日、本屋B&Bにて)


PROFILEプロフィール (50音順)

ケヴィン・ケリー(Kevin Kelly)

著述家、編集者。1984-90年、雑誌『Whole Earth Review』の発行編集を行う。1993年には雑誌『Wired』を共同で設立。以後、1999年まで編集長を務める。 現在は、毎月50万人のユニークビジターを持つウェブサイト「Cool Tools」を運営している。ハッカーズ・カンファレンスの共同創設者であり、先駆的なオンラインサービス「WELL」の設立にも携わる。著書『ニューエコノミー勝者の条件』(1999、ダイヤモンド社)『「複雑系」を超えて』(1999、アスキー)他。 http://kk.org/

[通訳]服部桂(はっとり・かつら)

1951年生まれ。1978年、朝日新聞社入社。1987-89年、MITメディアラボ客員研究員。科学部記者や雑誌編集者を経て、現在はジャーナリスト学校シニア研究員。著書『メディアの予言者』(2001、廣済堂出版)『人工現実感の世界』(1991、工業調査会)『人工生命の世界』(1994、オーム社)。訳書 コープランド『チューリング』(2013、NTT出版)ケリー『テクニウム』(2014、みすず書房)他。


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テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?

ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂 (翻訳)
単行本: 456ページ
出版社: みすず書房
発売日: 2014/6/20