『WIRED』創刊編集長ケヴィン・ケリー氏による最新刊『テクニウム ――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房)。石器からコンピューターに至るまで、人類が生み出してきたテクノロジーの持つ普遍性についてを説く“テクノロジー版〈種の起源〉”とも呼べるこの本。ケヴィン氏の来日に合わせ、本屋B&Bでも彼を迎えたトークイベントが満を持して開催されました。前編は「テクニウム」の概念を理解するためのケヴィン氏によるレクチャー、後編は質疑応答の白熱した模様をくまなくお届けします。
※2014年10月9日に本屋B&B(東京・下北沢)で行われた『テクニウム』(みすず書房)刊行記念イベント「ケヴィン・ケリー×若林恵×服部桂×内沼晋太郎『テクノロジーはどこに向かうのか?』」のレポートです。聞き手を若林恵氏(日本版『WIRED』編集長)と内沼晋太郎(NUMABOOKS代表/DOTPLACE編集長)、通訳を『テクニウム』翻訳者の服部桂氏が務めています。
※スライド画像はケヴィン・ケリー氏の協力のもと掲載しています。
【以下からの続きです】
「テクノロジーはどこに向かうのか?」前半:レクチャー編
良いテクノロジーと悪いテクノロジー
——ケヴィンさん、ありがとうございました。では、早速お客様から質問をいただこうと思います。質問のある方は挙手をお願いします。
Q.良いテクノロジーと悪いテクノロジーがあったとして、それが良い、悪い、と判断するときの基準はありますか。
ケヴィン:私の場合、良し悪しの基準は人類の未来に対してどれだけ可能性を開いていくかです。たとえば悪いテクノロジーの典型的なものとして戦争兵器があります。これは未来に可能性がある人を失わせるという意味で悪いテクノロジーだと考えます。何年もの先の未来に対してオープンである、可能性開いていくかどうかが私の考える良いテクノロジーの基準です。
——原発に関してはどうですか。
ケヴィン:基本的に原発は良いテクノロジーだと思います。悪い部分もあるけれど、同じ原発でも様々なタイプがあり、結果的に我々の可能性を増やしてくれるものとして良いものであると考えます。
『テクニウム』ではアーミッシュのコミュニティについて書きました。彼らは新しいテクノロジーをなるべく使わないようにして、古いテクノロジーを使い続けています。彼らにとって良いテクノロジーの基準は、それによって家族の団結が深まること、自分たちのコミュニティの結びつきが強くなることなんです。同じテクノロジーでも使う人や目的によって、良いテクノロジーの基準が異なる場合もあるのです。
——日本では原発を続けた方がいいと思う人もいる一方で、市民の中では原発を止めたいと思う人も増えている。仮に日本が原発を止めるとしたら、テクニウム的に考えると悪い影響を与えているという判断になるんでしょうか。
ケヴィン:先ほども言ったように、私はどんなテクノロジーでも環境に優しくしていく方法はあると思っています。生命の進化と同様に、原子力も進化していく。ですから、より害がないような原子力発電の作り方、という解決方法もあると思います。
Q. これはなくなってほしい、という悪いテクノロジーはありませんか。DDTだけでなく、原発も時間が経てば良いテクノロジーになるかもしれないというお話でした。全てのテクノロジーは良くなる可能性があるのでしょうか。
ケヴィン:どんなテクノロジーでもグリーンにしていけるけれど、それを兵器にしていくこともできる。どんなテクノロジーでも悪い面と良い面を持っています。現時点での評価はもちろんあるでしょうが、本質的にテクノロジーには両方の側面があり、うまく運営されることで良いテクノロジーになっていくと思います。
Q. 良いか悪いか判断しづらいテクノロジーもあると思います。たとえば植物状態の人を生き返らせるかどうか、など。テクノロジーの良し悪しの判断の境界はありますか。
ケヴィン:個別に良し悪しを判断するというのではなく、テクノロジーが選択肢を増やしていくか、という基準で判断します。植物状態の人も、延命や回復以外にも、テクノロジーの進化によって他の方法で助けるという選択肢が増える可能性があります。そのような意味でテクノロジーは良い方向に進化すると考えています。選択肢を増やすということがテクノロジーの良い面です。
テクノロジーと人間の関係
Q. テクノロジーと人間がうまく進化していければいいのですが、テクノロジーの発展で自然破壊が起きてしまうこともあります。そのような中でテクノロジーと人間がより良い環境を築くために、どのようなことが必要だと思いますか。
ケヴィン:たとえば私は、地球上の全種のカタログを作ろうと考えています。テクノロジーは滅びないが生物の種は滅びてしまうことがある。そこで全ての種を保存していくことを助ける、という考えでテクノロジーを運営する。そういう考え方で運営していくことで、テクノロジーが悪い方向に行くことを避けられると思います。
Q. テクノロジーが好きでどんどん先に進めようとする人と、テクノロジーを忌避する人、世の中には二種類の人がいると思うんです。この違いは何に起因すると思われますか。
ケヴィン:大抵の人はテクノロジーに対して好き/嫌いという二つの側面を両方持っていて、それは当然だと考えています。
我々人間は遺伝子で構成されていますが、人間がその遺伝子をテクノロジーで操作してさらに進化させる、という例があります。たとえば、20万年ほど前に人は火を使うようになって、料理ができるようになりました。それによって今まで食べられなかったものが食べられるようになった。それは自分の消化器官を「料理」という身体の外にある要素で作り、進化させるという方法であったと思います。そこで何が起きたかと言うと、まずは顎が小さくなりました。また、消化器も料理されたものに対応して進化しましたし、それによって脳も影響を受けました。このように脳の進化自体もテクノロジーによって影響を受けている。我々の身体自体がそういう意味でテクノロジーの影響を受けているのです。ですから、テクノロジーが我々自身を改良している、我々がテクノロジーの産物として進化しているという側面があります。そういう意味で我々はテクノロジーの発明者でもあり、テクノロジーによって発明されているのです。我々はテクノロジーの主人であり、奴隷でもある。両親でもあり、子どもでもある。そう考えれば、我々がテクノロジーを愛し、かつ憎んでいるということがよくわかると思います(笑)。この二つの心、主人でもあり奴隷でもある、親であり子であるという関係は、テクニウムの中で暮らしている限りそこから抜け出すことはできないでしょう。
Q. テクノロジーが目指しているもの中に「人間」も含まれているのでしょうか。人間の不安感や恐れ、感情の側面はテクニウムの観点でどのように捉えられますか。また、現在の人間の思考とテクニウムの思考が食い違うこともあるとも思います。その場合はどうしたら良いのでしょうか。
ケヴィン:我々人間はより多くの種を保存しようとします。それと同じように、テクニウムも人間に同様の多様性を求めると思います。私はテクニウムが持つ様々なサブシステムの一つとして「人間」があると考えています。我々と同じ原理をテクニウムが持っている以上、テクニウムも人間を欲していると考えます。
Q. 人間自体がテクノロジーの一部分であるならば、人間自体が望むものとテクニウムが望むものは同じ、相似形と考えて良いのでしょうか。
ケヴィン:人間が望むものとテクニウムが望むものはほとんど違わないと思います。様々な調査をしましたが、皆さんが望んでいるものもほとんど変わらないし、私が考えているテクニウムの方向性とも大きな違いはありませんでした。
たとえばインターネットの未来を予測する場合でも、インターネットそれぞれの個別のトレンドは視点が違うので意見が対立する場合もありますが、相対としてインターネット自体が進化していく、という考えは変わらない。言っていることが違うように感じられるけれども、全体としては同じ方向を見ていることがわかりました。インターネットだけでなく、クローニングや、もっと具体的には自動運転の車の開発など。そのようなものがいつか開発されることは避けられませんが、個別に見たときにどういう形で発展していくかはそれぞれ個人の選択によって違うものになる。しかし、全体として発展は避けられない形で、一つの方向に動いているわけです。
Q. テクノロジーがどんどん進化していく中で、大多数の人の生活は良くなると思うのですが、コミュニケーションの問題も生じているのではないでしょうか。たとえば目が見えない方は、テクノロジーの進化の中で自分が置いていかれてしまう、と感じると聞きました。また、テクノロジーによってコミュニケーションが失われるという意見もあります。そのようなマイノリティへのテクノロジーのあり方、コミュニケーションとテクノロジーの関係についてはどのように思われますか。
ケヴィン:まずマイノリティとテクノロジーの関係についてですが、テクノロジーにはデジタルデバイドがあり、確かに新しいテクノロジーに触れられる人と触れられない人が出てきてしまいます。ただ私は、「テクノロジーを持っている、持っていない」ではなく、「いま持っている人と、後ほど持てる人」という分類で考えています。先ほどテクノロジーの定義で「いまは全く働いていないものがテクノロジーである」というものをご紹介しましたが、大抵のテクノロジーは、最初は限られた人しか持っておらず、価格も高いものがほとんどです。初期のテクノロジーを持つ限られた人たちは、実用的ではないものに高いお金を払っています。しかしテクノロジーは、そのような人の投資によって改良され、大量生産されることで、多くの人が安価に便利なものを手にできるようになります。その人たちの投資が原資になる。それはテクノロジーの進化にもつながっていると思います。ですから、裕福な人は「働いていないテクノロジーの進化に投資をする」という義務を負っているんじゃないかと思います。
また、コミュニケーションとテクノロジーの関係についてですが、私は文化にコネクトしているかという視点で考えます。仮に全ての人がつながり合ったらどうなるのでしょうか。私はそちらの方が心配なんですね。全ての人が均一化してしまって、つながり合うことで同じ映画、楽曲を望む傾向が出てしまう。そういった環境の中では逆に、コネクトされていても自分の価値観を維持できるか、ということが本当の価値になります。地球全体の文化につながらず、それぞれ違う独自の文化を持っている。一見いつでもどこでもつながっているように見えても、「差異を作り出そう」という動きは必ず出てきます。この「差異を作り出す」という動きは新しい価値や文化を作り出す一つの力になります。それはとても大切なことです。もちろんそれは非常に難しいことですが、難しいからこそ価値を生み出すことができます。
たとえばバリの文化を見ていると、彼らは世界とつながらないで、自分たちの差異を維持しています。それは国や地域だけでなく個人でも同じで、つながりながら差異を生み出していく、ということが大切になるわけです。
テクノロジーと未来の可能性
Q. 相反するテクノロジーで良い部分が1%上回っているとしたら、どうしたらその良い部分をより大きくしていくことができるのでしょうか。
ケヴィン:良いテクノロジーの優越が1%か10%か、正確な数字は調べようがないですが、たとえばビジネスで考えても、ベンチャー企業の生存率は1%程度で極めて低いがゼロではない、ということは経験上わかっています。そういう比率は長い目で見ればほとんど変わらないものなのです。仮に良いテクノロジーの優越が1%だとして、その優越は動かないものだと思っています。ですから1%を大きくするということではなく、その1%の優越を何年も続けていくことで、それの効果がとても大きなものになると考えています。
Q. テクニウムは新しいテクノロジーで、宇宙が生まれた時から続く大きな力だというお話でした。仮にテクノロジーが過去も現在も未来もプログラミングされている、確定されているものだとしたときに、未来は予知できると考えられるんでしょうか。
ケヴィン:基本的にはテクニウムは予測できないという性質を持っているものです。ですから誰もそれは予測できない。ただ、複雑性や多様性という大きなトレンドでは予測できるとも言えます。
たとえば仮に地球外の星に違う文明があったとして、そこでもインターネットは不可避的に存在するでしょう。ただ実際どういう形で運営されているのか、どういう仕組みなのかは予想できない。全てのテクノロジーは不可避的に収束していく側面もありつつ、個々で見るとその実現の様相は予測できないということですね。
実際の進化の中で見ても、眼球は30回も全く違う場所で違う時代に発生しています。ですから眼球は不可避的に発生するものと言えますが、それがどんな場所でどのようにできるかは予測できないものであると思います。
Q. WebやITの分野では、特にシリコンバレーを中心に進化が起こっていると思います。テクノロジーの進化に適した場所はあるんでしょうか。
ケヴィン:シリコンバレーは特別な条件をいくつも持っていますね。もともと金が発見されたことで、地位や権利がなくても自由に活動できるエリアが生まれ、それを求めてたくさんの人が訪れて来たわけです。歴史的に人が自由に集まり、活動できる場所として、カリフォルニアのシリコンバレーがある。そのような開拓者精神を引き継いでいるという特徴があると思います。スタンフォード大学という非常に優秀な大学もあり、優れた人が集まる環境も整っています。そういう歴史的な背景がありますから、そのような特殊な条件は他の場所では整えられないかもしれないですね。中国の深センのように、シリコンバレーとは違うけれどもクラスタとしてそのような人が集まっている場所はあります。まだシリコンバレーのようにはなっていないですが、そういう萌芽もありますね。
Q. コンピュータのシンギュラリティポイントについてどう思いますか。
服部桂(『テクニウム』翻訳者):少し補足をさせていただくと、「シンギュラリティ」とは、ヴァーナー・ヴィンジが普及させた概念で、最近はレイ・カーツワイルが宣伝していますが、コンピュータがこのまま進化していくといつか特異点が訪れて、コンピュータの能力が人間の能力を凌駕してしまうという考え方のことです。それについてケヴィンさんはどう思うか、という質問ですね。
ケヴィン:強い意味でのシンギュラリティ、たとえば完璧なAIができて人間を超えてさらにいいものを生み出していくこと。私はそれはちょっとおかしいと思っていますね。考えなくても解けてしまうということがおかしいと思うんです。たとえばスーパーコンピュータに全ての癌の症例を記録させ、それについてコンピュータが思考するだけで癌の治療法が生まれてしまうような世界。実際は患者ごとに症例や実例があり、それは個別のものでいくら検索しても出てくることはない。そういう中で、完璧なコンピュータなら解決できる、と考えるのは馬鹿げているのではと思います。考えるだけで構築されるもの以上に、現実には様々な実例があるので、そういった経験や思考以上のものがシンギュラリティによって実現するのはおかしいと考えます。
ただ、強い意味ではなく弱い意味でのシンギュラリティはあり得ると思います。インターネットのようなもので全てのコンピュータや人の心がきちんと接続される。それによって、それぞれの個々の人間の力ではできないことが達成される。そのようなソフトなシンギュラリティはあり得るのではないかと思います。
Q. テクノロジーの発展には、未来の可能性を予測しながら生み出す場合と、ある人が「こうしたい」という強い思いで生み出す場合があると思います。テクニウム的な観点で見ると、テクノロジーの発展にはどちらの方法が良いと思いますか。
ケヴィン:テクノロジーの行き着く先、ゴールや、運命のようなものはないと思うんです。私が思うに、未来は一つの点に収束していくのではなく、外側に向かっていく。みんなが向かっていくその数だけ未来があると思います。ある特別の方向性があるとは思いません。それが私の未来に対する考えですね。
せっかくですから、少し皆さんに質問をしてみたいと思います。
皆さんの中でインターネットを使うことによって、より自分がスマートになったと思う人は手を上げてください。あるいはバカになったと思う人は?(大多数が「スマートになった」方に挙手)
この中で来年が今年よりもより良くなると信じている人。あるいは悪くなると思う人は?(大多数が「良くなる」方に挙手)
仮に一方向にしか行けないタイムマシンがあったとしたら未来に行きたい人。あるいは過去に行きたい人は?(解答は半々)
——その質問に対するケヴィンさんの答えは?
ケヴィン:絶対に未来に行きたいですね。インターネットのおかげで私はもっとスマートになっていると思います。私は皆さんが驚くほどの楽観主義者、オプティミストなんです。なぜかというと「未来は楽観主義が作るんだ」と信じているからです。
本日はお集まりいただき、ありがとうございました。
[テクノロジーはどこに向かうのか? 了]
聞き手:若林恵(日本版『WIRED』編集長)、内沼晋太郎(DOTPLACE編集長)
通訳:服部桂(『テクニウム』翻訳者)
構成:松井祐輔
(2014年10月9日、本屋B&Bにて)
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