INTERVIEW

詩と詩人と詩集のはなし

詩と詩人と詩集のはなし
菅原敏+萩野正昭 1/3

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YouTubeに毎晩粛々とアップされる「詩人天気予報」が一部でアツい話題を集める、詩人・菅原敏(すがわらびん)。「今、一番キザな詩人」を体現するその強烈な朗読スタイルで、日々ファンを増やしています。
彼の詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』のペーパーバック版を昨年出版し、詩と人との接点について長年模索し続ける株式会社ボイジャーの萩野正昭もまじえ、これからの詩人、詩集、そして詩の自由な在り方を、DOTPLACE編集長の内沼晋太郎が聞いてきました。
前編である今回は、菅原さんがいかにして「詩人」という職業に辿り着いたかを中心に迫ります。

詩人・菅原敏ができるまでの道のり


1月7日から現在に至るまで毎日更新されている動画コンテンツ「詩人天気予報」(上は2014年2月24日のもの)。

内沼晋太郎(以下、内沼):僕が最初に敏さんにお会いした時って、たしか敏さんが僕を訪ねて事務所に来てくださったんでしたよね。

菅原敏(以下、菅原):そうですね。あの時はビームスのイベントで対談をお願いしたかったのと、内沼さんは“ポエティックな活動”をされているなあと思っていて、お会いしてみたかったんです。

内沼:ビームスの「詩集 × 刺繍」っていうイベントでしたよね。

菅原:2週間くらいの企画展をやらせていただいて、その中で朗読ライブもやりました。

内沼:今でもYoutubeにその動画が上がっていますよね。ライブ映像としては今でもすごい再生されてると思います。

菅原:そうですね。もう2年前くらいのものになりますが。

内沼:今回改めて敏さんとお話したいなって思ったのは、先日アップされたcakesのインタビューを読ませていただいて、意外と知らないことが多いなと思って。僕、結構前から敏さんのことを知っているつもりだったのに……。もともとはYahoo!で働かれたんですね。

菅原:去年の5月まで、丸5年くらいいましたね。

内沼:実際、そこではどんなお仕事をされてたんですか?

菅原:トップページの編集をしていました。自分で書きつつも、みんなの原稿をチェックしたり、掲載可否の判断をしたり。トップページのクオリティを担保するといったポジションでした。あとは新卒の方や中途入社の方のための教育担当も。5年もいたので、いろいろなことをやらせていただきました。

内沼:全然知らなかった……。その頃に、バンド活動もやられてたんですよね。

菅原:バンド活動はYahoo!に入る前に、フリーでコピーライターをしながらやっていました。それがちょっと行き詰まって、バンドも仕事もパッとせずという時期があって……1年ぐらい何もしない日々を経て、それからYahoo!に。

内沼:何もしていなかった1年っていうのは、何をされてたんですか?

菅原:酒を飲みつつ、たまにライブをしてという感じでした。その当時のことは詩集にもよく書いてあるんですよ。魂的にもツラい時期だったなあ(笑)。

内沼:じゃあ、その頃にはもう詩を書き始めていたんですね。

菅原:バンドをやっていた時から詩の朗読はやっていたので、ストックの数はどんどん増えていっていて。その詩を一冊にまとめたらいいんじゃないかってアドバイスをくれたのが、一緒にバンドをやっていたクレイグ・モド(※編集部注:作家、パブリッシャー、デザイナー。サンフランシスコに拠点を置く出版シンクタンク「PRE/POST」の創業者)だったんです。

菅原敏さん

菅原敏さん


詩の世界への入り口は“ビートジェネレーション”のスタイル

内沼:cakesのインタビューでも、「音楽でライブをやってたんだけど、徐々に朗読のパートが増えていった」みたいなことが書かれてましたね。そもそも“詩”には子供の頃から関心があったんですか?

菅原:大学時代まではまったく興味がなくて。自分の祖父が自費出版で詩集を出したりしていたんですけど、それにも無関心でしたし、ちらっと読んでも面白くなかった(笑)。でも大学の時にジャズをやっていて、「ビートジェネレーション」なんかを知るようになって、彼らのスタイルに影響を受けたんです。それが詩に興味を持ち始めたきっかけですね。

内沼:今、好きな詩人を訊かれたら、なんて答えますか?

菅原:今だと何だろう……。アメリカだとリチャード・ブローディガンやチャールズ・ブコウスキー、フランスだとジャック・プレヴェールやボリス・ヴィアンとか。ちょっとのユーモアや皮肉もありつつ、強い言葉、美しい言葉もあって、彼らの詩はすごく好きですね。
 大学当時はビートジェネレーションにスタイルとして憧れただけで、読み物としての詩は読んでも胸に来るものはなかったというか。でもジャズがあって音楽があって、そこから派生して詩へ繋がった。大学でアメリカ文学を専攻していたので、音楽と文学がちょうど繋がったのがビートニクの存在でした。自分の活動にもすごくリンクしているなって思います。

内沼:菅原さんと初めてお会いして、話した時のことをだんだん思い出してきたんですけど……僕のブックコーディネイターとしての最初の仕事が「TOKYO HIPSTERS CLUB」っていう、原宿にあったビート周辺をテーマにしたお店の本棚を作るというものだったんです。僕ももともとビートは好きだったんですが、その時から「なんで日本にはこういう詩人が現役でいないんだろう」って思ってたんですよね。だけど、敏さんとお会いして「あ、いた!」みたいな(笑)。そういう“カッコイイ詩人”が実際にいたんだな、っていうのが最初の印象だったんですけど。

菅原:それはうれしいです(笑)。

内沼:ご自身としても、日本の現代詩みたいなものを通ってきたという感じではないんですね。

菅原:海外のものにかなり影響を受けつつ、後になって日本の詩人を読むようになりました。

内沼:日本の詩人だと、この人!みたいな人はいますか?

菅原:金子光晴とか、山之口貘も好きです。あと姉が好きだったこともあって、昔から穂村弘さんの短歌はすごく好きです。

内沼:やっぱりちょっとユーモアのあるのがお好きなんですね。

菅原:男の情けなさを共感できたり(笑)。形式は違いますけど、短歌の世界も面白いですね。

内沼:おじいさんの詩はその後読んだりしてないんですか。

菅原:いま手元にないけど、今なら何か感じるものがあるかもしれないですね(笑)。
 
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詩人として嘘をついている気がして、“二足のわらじ”を一足に

内沼:Yahoo!にいらっしゃる時にはすでに詩人として活動されていて、現在はもう詩人一本でやってらっしゃるんですよね。

菅原:そうですね。

内沼:今は、他のお仕事はされていないんですか?

菅原:基本は“詩人・菅原敏”としてできることだけをやっています。まあ、危うさ満載なので、この先どうなるかなあとは思いつつ(笑)。

内沼:いや、今メキメキと、いろんなメディアに敏さんが出ているのを見かけますよ。cakesのインタビューでは、会社員をしながら詩人として活動していることを「なんか嘘をついている気がした」と書かれていたんですけど、“仕事をしながら詩人”ということに居心地の悪さがあったんですか?

菅原:両立できたらそれはそれですごく素敵なことだし、そもそも世間一般の詩人はそうしていかざるを得ないと思うんです。でも詩集を出す前後に、いろんな方にお会いする機会があって。俺のことを「詩人の菅原敏さんです」って紹介してくれるんですけど、「詩人だけで食っていけてるのかな……」っていう言葉が相手の頭の上に浮かんでるのが見えて。実際に訊いてくる人も多かったです。「どうやって食べてるんですか?」って(笑)。

内沼:まあそうですよね。

菅原:そういう時に自分は会社に居づらかったんです。Yahoo!は本当にいい会社だったし恵まれた環境だったんですけど、詩人として紹介されていながら、昼間はITの最前線でやってますというのが、自分としては馴染めなかった。

内沼:「馴染めなかった」というのは、紹介された相手にYahoo!で働いていることを言えなかった、みたいなことですか?

菅原:そうですね、詩人の持つロマンティックさみたいなものが薄れるような気がしてしまって。そんなこと別に誰も気にしてなかっただろうけど(笑)。いまは何でもオープンに話ができるようになって、嘘がないのは気持ちいいものだなと感じています。

内沼:詩人と会社員。やっぱり、二足のわらじを履ききれなくなって絞ったんでしょうか?

菅原:ちょっとずつ詩人としての活動も増えてきた時期でもあったし、スターバックスでの連載が決まったことも大きなキッカケでした。また知人から「浮き世は夢よ、ただ狂え」みたいなメールをもらって(笑)。じゃあちょっと腹をくくって辞めてみようかと。その子の言葉が背中を後押ししてくれましたね。

 
 

クレイグ・モドとの出会い、アメリカでの詩集出版

内沼:詩集(『裸でベランダ/ウサギと女たち』2012年、PRE/POST)が出たのは、Yahoo!にいらっしゃった時ですよね?

菅原:そうです。

詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』。左が2012年にPRE/POSTから刊行されたハードカバー版、右が翌年にボイジャーから刊行されたペーパーバック版。

詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』。左が2012年にPRE/POSTから刊行されたハードカバー版、右が翌年にボイジャーから刊行されたペーパーバック版。


内沼:その本が出るきっかけになったクレイグって、電子出版界では有名人の一人だと思うんですけど、どうやって知り合ったんですか?

菅原:もともとは彼の幼なじみのクリスティンっていう美人の子が知り合いで(笑)。クリスティンにモデルとしてバンドのステージに出てもらった時に、幼なじみとして紹介されたのがクレイグだったんです。彼は音楽も好きだったし日本語も達者だったし、俺のやっていることも面白がってくれて。それで一緒にバンドをやるようになりました。

内沼:クレイグはドラムを叩いてたんですよね。

菅原:かなり上手かったですね。小さいころから長いことやってたみたいで、プロ並みというか。最近はすっかりスティックを持ってないみたいですけど。

内沼:そうなんですか(笑)。そのバンドはどうして終わっちゃったんですか?

菅原:だんだんと未来が見えなくなって、徐々に活動が下火になっていきました。ちょうど彼も執筆とかデザインのほうで名前が売れ始めていて。スティックを置いてペンとPCを持って、活動の拠点も東京からサンフランシスコへ。俺もバンドはもう一段落かなと思いました。

内沼:敏さんの詩集を出したのはその後ですか?

菅原:そうですね。

内沼:アメリカの出版社から日本語の詩集が出るってすごく珍しいと思うんですけど、どういう経緯で詩集を出そうということになったんですか?

菅原:それまではライブで詩を朗読するという、ステージ上での一瞬だけでした。でも家に帰れば書き貯めていた詩がたくさんあり、それをステージではないところで発表したかったんです。ただ、日本の出版社に詩集を出したいっていうアプローチをしても100%ダメだろうと思っていた。そんな時、アメリカの出版社(PRE/POST社)にいるクレイグから詩を一冊の本にしたほうがいいよと言ってもらっていたので、それなら彼を通して、他の誰もやっていないような面白いアプローチで詩集を出したいなと思ったんです。

内沼:日本語の詩をアメリカで出版しても、売れるかは正直わからないと思うんです。そんな中で、どんな想いのもとに出版が実現したんですか?

菅原:俺の活動をクレイグがずっと面白がって応援してくれたのもあるし、バンド時代の延長というか、一緒に何かプロジェクトをやる楽しさも大きかったのかなと思います。彼自身も日本の出版の技術というか、製本の部分などにもとても興味があったので、すごくこだわった本を作ったら面白いんじゃないかと。あと売れる本ではないから「(俺の)名刺になればいいよ」と最初から言ってくれてたんです。出来上がって「詩人です。はじめまして」って詩集を渡したりして、確かに素晴らしい名刺になりました。

2/3に続きます
(2月27日更新│次回からは萩野正昭も登場します)

聞き手:内沼晋太郎 / 構成:井上麻子
(2014年2月17日、株式会社ボイジャーにて)

 

●「詩人天気予報」、ラジオ番組化達成なるか?
菅原敏さんが現在「bayfm78 PROJECT ROOM」でクラウドファンディングに挑戦中です。達成金額の150万円をクリアすると、bayfm78にて1ヶ月間、詩人による冠番組が放送されるとのこと。期間は3月3日まで!
プロジェクトページ:https://greenfunding.jp/projectroom/projects/673


PROFILEプロフィール (50音順)

菅原敏

詩人。2011年に詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』をアメリカの出版社PRE/POSTよりリリースし、逆輸入デビュー。菅原敏の「詩集」と現代美術家・伊藤存の「刺繍」により実現したアートな一冊として各方面で話題を呼ぶ。 BEAMSやスターバックスコーヒー、NIKEなど異業種とのコラボレーションから、ラジオ・テレビでの朗読、雑誌や新聞への寄稿、講演、ナレーションまで。紙の上だけではない「詩」を表現する気鋭の詩人として、その活躍の場を広げている。 2013年8月には詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』のペーパーバック版をVOYAGERよりリリースした。 現在、Youtubeにて「詩人天気予報」を毎晩更新中。 【Twitter】http://twitter.com/sugawara_bin 【詩人天気予報】http://www.youtube.com/user/sugawarab/videos 【bayfm78 PROJECT ROOM】 ラジオ業界初!? 詩人の冠番組を1ヶ月オンエア!菅原敏の「詩人天気予報」 greenfunding.jp/projectroom/projects/673

萩野正昭[ボイジャー]

1946年東京都生まれ。株式会社ボイジャー取締役。「DOTPLACE」発行人。映画助監督をふりだしに、ビデオ制作、パイオニアLDCでのレーザーディスク制作等を経て1992年にボイジャー・ジャパンを設立。著書に『電子書籍奮戦記』(2010年、新潮社)、『木で軍艦をつくった男』(2012年、ボイジャー)。