『Spectator(スペクテイター)』と『TO』。それぞれまったく異なる切り口ながらも、時代に流されない特異的な編集方針に熱い注目が注がれる二誌の編集長と、その制作に携わるメンバーが、昨年末に「これからの雑誌の作り方」というテーマでトークを繰り広げました。その模様を4回に渡ってお届けします。
★2013年12月23日、VACANT(東京・原宿)で行われたトークイベント(Spectator × TO「これからの雑誌の作り方」)のレポートです。
★『TO』編集長の川田洋平さんのロングインタビューはこちら。
【以下からの続きです】
TO × Spectator:これからの雑誌の作り方 1/4
TO × Spectator:これからの雑誌の作り方 2/4
『Spectator』の情報源は?
草なぎ:『Spectator』は、特集で扱うものが毎号全然違いますよね。
青野:意識のおもむくままに自分たちが知りたいことを取材して、伝えたいことを記事にしているだけなんですけどね(笑)。
(スライドを見ながら)この「Back-to-the-Land Japan」特集(vol.20、2009年)は、日本の地方――北海道のニセコとか、南伊豆とか中心ではないところ――に移住した人に取材したんですが、読み返してみると僕らも「編集部を地方に移したい」なんて書いていますね。
(※編集部注:その後、2011年に『Spectator』編集部は長野市に移転)
草なぎ:今年になって『BRUTUS』もこういう特集をやっていますけど、やっぱり『Spectator』は取り上げるのが早いですよね。普段「面白いな」とちょっと感じているものがこの雑誌には載っていて、それがだんだんカルチャーとして定着してくる、といった流れがあるような気がします。
こういう、“情報の早さ”と言ったら失礼かもしれないんですが、特集のテーマというのはどのように考えて持ってくるんでしょうか?
青野:千駄ヶ谷に事務所を構えていたときは、そこに出入りする人たちや、街で出会う人と話をした中で出てきたものをピックアップして編集部に持ち帰って特集の内容を決めていました。
草なぎ:赤田さんにとって『Spectator』という雑誌は、参加されるまでどんなイメージだったんですか?
赤田:レイヴとかヒッピーとか、そういうものばかり扱っているイメージでしたね。
青野:『Quick Japan』でもレイヴ特集を組んでいたことがありましたよね。
赤田:現場行って取材もしましたよ。長野の山奥でトランスパーティーとかして、焚き火に当たったりとか(笑)。
『Spectator』がホール・アース・カタログを特集する意味
草なぎ:スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式(2005年)のスピーチで「Stay hungry, Stay foolish」という一節を引用したことで有名になった『Whole Earth Catalog(ホール・アース・カタログ)』ですが、それについての特集を今回『Spectator』さんが組まれて、なおかつ僕も川ちゃんもホール・アース・カタログが大好きなので、その辺りのことを話していこうと思います。
赤田:ホール・アース・カタログは1988年頃、古本屋で見つけて買ったんですけど、当時3,000円くらいでした。大判の本で、面白い図版がたくさん載っていて、複眼的というか、誌面を眺めているとふしぎな刺激を与えられるんです。サブカルチャー界隈の人々から話を聞くと、「ホール・アース・カタログが自分の原点だ」と言う人がかなりいるんです。
更に調べてみると、いまだに日本では翻訳版が出ていなくて、雑誌の存在自体も「なんかすごかったんだ」みたいな噂レベルでしか語られていない。たくさんの人が話題にしているものの、それ以上のことがわからない。だから今回はそれを知りたくてこの特集を提案しました。
草なぎ:僕は『ラバーソウルの弾みかた ビートルズと60年代文化のゆくえ』(佐藤良明)に出てきて初めてホール・アース・カタログを知りました。「すごい雑誌があるんだな」とその時は思ったんですが、調べてもやっぱりどこにも詳しい情報が書いていなくて。その後、実物をたまたま見せてもらって読んだりしていたんですけど、2年くらい前の『アイデア No.347』(誠文堂新光社、2011年)にホール・アース・カタログについての解説を赤田祐一さんとばるぼらさんが書いているのを見つけて、それでようやく輪郭がつかめました。
赤田:2005年に、ジョブズのスピーチの動画がYoutubeで注目を集めたこともあって、今この特集をしたらいいんじゃないかと思ったんです。
草なぎ:僕は株式会社イデーというインテリアの会社で働いていた時期があったのですが、そこの代表取締役の黒崎(輝男)さんもホール・アース・カタログが好きで、そこで作っていた雑誌『SPUTNIK』にも、それをもじって「whole life catalogue」というサブタイトルをつけていました。
青野さんはもともとホール・アース・カタログのことはご存じでしたか?
青野:僕も十数年前にアメリカを旅行したときに特別号のような号を買って持ってはいたんですが、それが何なのかはよくわかっていなくて……というのも、これは始めから最後まで通読するようなタイプの本ではなくて、「自分たちの暮らしを手作りするための道具を紹介するカタログ」なんですよね。それを日本で読んでも、載っていたものが買えるわけじゃないし、商品の説明でしかないから、当時は「何だかよくわからない本」だったんです。
その後、宝島社から1975年に出た『全都市カタログ』(別冊宝島)という、いわば「日本版ホール・アース・カタログ」のような本を古本屋で買って読んでいるうちに、ようやくカタログの機能や目的がわかってきた。それで段々と興味が沸いてきたんです。
草なぎ:ホール・アース・カタログを創刊したスチュアート・ブランドという人物について説明しておきます。宇宙飛行士のガガーリンは1961年に「地球は青かった」という言葉を残しましたが、それまで、宇宙から地球の姿を見たことがある人はいなかったんですね。なので、当時ヒッピーのような若者だったスチュアート・ブランドは「宇宙から見た地球の写真を撮ろうキャンペーン」みたいな話をNASAに持ちかけたんです。
赤田:追加すると、NASAは宇宙から撮った地球の写真をもう持っているはずだから、それを隠さずに見せろ、というキャンペーンをやって、結果としてNASAが地球の写真を公開するに至ったんです。
草なぎ:そして、その地球の写真を表紙にしたホール・アース・カタログという雑誌を作って、地球あるものをすべてここで紹介しようということになったんですね。
川田:ちなみに、『Quick Japan』の創刊準備号の表紙も丸い物体が中心にあるイラストですけど、これって何か関係があったんですか?
赤田:これは意識してとかではなく、表紙がギリギリまで決まらなくて、最終的にその辺にあった図版を使ったんですよね。
草なぎ:“ホール・アース・カタログっぽい雑誌”って他にもいくつもあって、その雰囲気っていうのは気付く人には気付くもので……ホール・アース・カタログに影響されて雑誌を作っている人は、すごくたくさんいると思うんです。
赤田:ホール・アース・カタログが日本に入ってきたのは1960年代末から70年代で、その頃は『宝島』とか『だぶだぼ』といった雑誌を読んでいた人が、ホール・アースの世界観にかぶれて雑誌を作っていた時期だったんです。
“道具”としての雑誌
川田:今回の「これからの雑誌の作り方」というテーマに関して言うと、ホール・アース・カタログは市井の人たちが情報源となって編集していくというコンセプトですが、日本にかつてあった『ポンプ』(※編集部注:橘川幸夫氏が 1970年代末に創刊。現代新社発行)という雑誌も、基本的に読者がネタ元になって、彼らから送られてきた投稿を誌面に載せるという方法を取っていますよね。
『TO』を作っていて気付くのは、実際にその区で生まれ育った人たちの方が、よっぽどその街のミクロな文化や情報に精通しているという現実です。僕らがどんなにリサーチしても、手の届かないところは絶対にある。そこで、『TO』をより区民の人々の声を吸い上げるような雑誌にしていきたいと考え始めた時期に、ちょうど『Spectator』でホール・アース・カタログの特集をするという話を耳にしたんです。その時に、青野さんからこの『ポンプ』という雑誌のことを伺ったりしたんですよね。僕にとってはすごくタイムリーな話題で。
青野:『ポンプ』という雑誌は、僕が小学校6年生の時に愛読していた、読者からの投稿で全てが成り立っていた画期的な雑誌です。「後にも先にも、もうこんな雑誌はないんじゃないか」と思うくらい斬新な編集方針でした。ホチキス留めの薄い冊子で、真ん中のページに色紙で原稿用紙が挟まっていて、それを糊付けすると封筒の形になって、切手を貼って送ると原稿になるんです。
今と違って当時は投稿と一緒に投稿者の住所が番地まで詳しく載せていたんですね。人と人が、この誌面を通じて知り合うという、ホール・アースと同様に“道具”のようなメディアでもあったんです。
投稿の内容も、例えば女の子が自分の初体験のことを書いていたり、ヤンキーが「学校つまんないぜ~」みたいなことを書いていたり、生々しい声が載っていて非常に面白かった。投稿者の年齢が「13歳」とか書いてあると、親近感が湧くじゃないですか。『ポンプ』は雑誌なんだけど、自分にとって独特のメディアとしての存在感がありましたね。
草なぎ:今で言う、ネットの掲示板ですよね。ネットがなかった時代の交流サイトが『ポンプ』だったんですね。
青野:そうですね。ホール・アース・カタログにも、誌面で紹介されていたモノを実際に使ってみた人のレビューが載っていたりして。つまり、一般の人の意見に一般の読者がアクセスするための“道具”として機能していたんです。
赤田:人と人がつながるためのツールですよね。
青野:ホール・アース・カタログは定期刊行物だから、つい「雑誌」と呼んじゃいがちだけど、これは雑誌じゃなくて、やっぱり「カタログ」なんですよね。けれども、メーカーが発行している普通のカタログが「自社の商品を売る」ための媒体なのに対してホール・アース・カタログは「読者にモノを紹介して、それを揃えた先にあるライフスタイルと出会わせる」ことを目的としていた。だから、はじめから最後まで通して読んでくれと読者に求めるような雑誌ではないんです。「自分の生活を作ってくれ」というメッセージがあるだけ、というか。
草なぎ:ここに載っているモノは、当時全部買えたんですよね? Amazonみたいに。
赤田:そうですね。それに、本自体のサイズも大きかったから、創刊して間もない頃は書店に嫌われちゃってなかなか店頭にも置いてもらえなかったみたいなんですが、途中からは自前で「ホール・アース・トラック・ストア」というお店を作って、そこで売っていたみたいです。
草なぎ:サンフランシスコに作ったそのお店も、全然人が来なくて、という(笑)。
赤田:ホール・アース・カタログの人気に火が付いたきっかけは、全国紙に書評が載ったことだと言われますね。そこから広がって、結果、全米150万部のミリオンセラーになっちゃったんです。
ちょうどこの時期って欧米でヒッピーカルチャーが始動しはじめる頃なんですよね、1967年から68年ぐらい。
草なぎ:そうですね。ホール・アース・カタログの創刊は1968年ですが、まさにヒッピーカルチャーの流れの中ですよね。
青野:「国や企業が信用できません」「権威に従いたくありません」「だから地方へ移住してコミューン暮らしをはじめます」と決めたヒッピーたちが「そういえば、病院の世話にならずに出産するにはどうしたらいいんだっけ?」という疑問を抱いた時に読むべき本なんかが紹介されているんです。人里を離れたところで暮らす人たちにとって役に立ちそうな情報や本が多く紹介されている。
[4/4に続きます]
編集協力:隅田由貴子 [2013年12月23日 VACANT(東京・原宿)にて]
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