岡田利規×太田信吾:
チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーションと
そのドキュメンタリーをめぐって
聞き手・文:小林英治
チェルフィッチュの代表作『三月の5日間』を、オーディションによって全国から選ばれた若い7人の俳優たちと岡田利規が「再創造」した『三月の5日間』リクリエーションが現在上演中だ。この作品で描かれる2003年のイラク戦争開戦時とは社会状況や若者の意識も異なり、その間に岡田自身の作品も大きく変化した現在、どのようにアクチュアルな作品として作り変えることができるのか。チェルフィッチュの公演にたびたび参加する俳優であり、映画監督でもある太田信吾は、そのリクリエーションの模様を初期段階から現在進行系で密着し、ドキュメンタリー作品として完成させることを構想しているという。公演初日の幕が明けて数日後、リクリエーションの裏舞台と映画への期待を、岡田と太田に聞いた。
●前編「コーチとその選手たちみたいな、甲子園球児たちのドキュメントを思い出しますね。違いますけど」からの続きです。
想像力のコントロールをめぐる戦争への参戦
―――先ほど岡田さんが、クリエーションのプロセスを記録してくれることは嬉しいとおっしゃいましたけど、太田さんは何を一番撮りたいですか?
太田:考えとしては、『三月の5日間』のリクリエーションということもそうですけど、日本の演劇シーンに縛られてなかったりとか、チェルフィッチュの活動形態のユニークな部分を共有できればいいのかなというのはありますね。同時に、リハーサルも含め、演劇の制作現場というのは、ある意味閉ざされた場所でやってるんですけど、そこでは役者がどこまでも可能性を拡げさせられる場なので、俳優たちのその取り組みというのも撮っていきたいなと思っています。毎回いろんなリハーサルの中で、アプローチの仕方が変わってきたりとか、驚かされるところがありますし、観ていて興奮しますから。あと、個人的な関心としては、戯曲自体がすごく戦争に対してメッセージ性を持ってると思うので、役者の皆がお芝居を通じてどう社会とコミットしてるかの関係を見ていきたいです。
―――太田さんが参加された2010年当時から社会も大きく変わりました。
太田:『三月の5日間』は、作品が時代を先取りしたという評価もされてると思うんですけど、チェルフィッチュの活動形態もそういうところもあるなと思っていて、2015年の秋に『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』(太田も出演)でヨーロッパツアー中にパリでテロに遭遇したりとか。なかなかそんなに経験してる日本の劇団はないと思うんで、またそういう可能性のある場所に、年明けから今回のメンバーでツアーでも行きますし。戦争や暴力を一部として扱っている作品に出てる役者が、どう現地の空気や人たちとの出会いの中で変わっていくかっていうことはすごく興味はありますね。岡田さんの稽古場で、「想像をする」っていうことはすごく重んじられてて、役者たちもそれを求められてると思うんですけど、人間の想像の幅や質は、経験とともに更新されていくものだと思うので。
岡田::演劇って想像力のコントロールなんですよね。だからその意味で、例えばテロと演劇は拮抗してると思うんです。権力とも拮抗してる。だから、「想像力のコントロールをめぐる戦争」という言い方をするとすれば、演劇をやるということはそれに参戦するっていうことですよね。とても小さな戦力でしかないかもしれないけど。
太田:でも、観に来たお客さんに対してはそれが効果をもたらしたりする、可能性もあるっていうことですよね。
岡田:ただ、太田くんが撮ろうとしてるドキュメンタリー映画が、テロを題材に扱い得るというイメージが、僕には全然ない。でも太田くんにはあるんだよね?
太田:岡田さんの中では繋がってはないんですかね? チェルフィッチュがテロを経験したっていう経験と、メッセージを持ってそこに対してやってやろう、みたいなことは……。
岡田:こういう内容の作品をテロの時代である現代において上演することとは、みたいな意味での繋がりは特別意識してないです。でも、繰り返しになるけど、演劇をやることそれ自体が、想像力の使い道をめぐる攻防という意味でテロと拮抗するとは言えると思ってる。そういう意味では繋がってます。自分の想像力が動く経験をすること、それは自分の想像力が動かされていることを自覚する経験にもなり得ることだけど、それはとても重要なことのはずだと思ってます。そうした経験を与えられるような演劇を僕は作りたい。
クリエーションのプロセスと7人の成長の記録
―――太田さんは監督の立場から、稽古場以外でも役者たちに個別に話を聞いたりもしてるんですか?
太田:そうですね、要所要所でやっています。今回の特設サイトに寄稿した豊橋のレポートに俳優のみんなのことも書いたんですけど、たとえば国籍についてとか、米川幸リオンくんに関しては、ハーフだっていうこともありますし、母方と父方の曽祖父さん同士がイギリス軍とドイツ軍で戦っていて、もしかしたら戦争中にどっちかが殺されていたら自分は生まれてなかったんじゃないかとか、自分のルーツと向き合うみたいな作業を稽古期間中に……
岡田:えっ、してたの?!
太田:そこは僕が興味があって聞いてたので、僕が見たいものなのか、彼が想像力を得ようとしてやっていたかは判別できないんですけど。でもそれを聞いた時に、リオンくんに関しては、自分のルーツを振り返って調べてみて、お祖母さんがアメリカ軍に眼を撃たれて片目を失っていたことを今回初めて知ったと。僕もパリ公演のテロのときも現地にいたり、テレビドキュメンタリーの仕事で、パラオの第二次世界大戦下のペリリュー島の記憶、旧満州からの戦後引き上げや、日本統治時代の朝鮮列島、沖縄の在日米軍基地、カンボジアのポルポト政権など各地へ取材に行ったりするなかで、戦争で命を落とす人のこととか、暴力に対し自分が文化を通じて何ができるかを考えるようになったんですけど、その興味が、今回参加してる役者のクリエーションの中で、徐々に分かってきたこととかつながる部分もあったりして……。ドキュメンタリーなので、単純に稽古場の記録としてというよりも、個々の成長というか、ツアーを通じてみんながどう変化していくかみたいなことも捉えたい。だから結構長いスパンで進めていったほうがいいのかなと、今、ちょっと考え始めてますね。
岡田:なるほどね。僕は、クリエーションのプロセスっていうのが、記録されたらいいなっていうのがまずすごくあって。
太田:はい。もちろんそれは撮っています。
岡田:稽古のときに使っている言葉って、現場でだけ通用する共通言語だから、外部の人は僕が稽古場で言ってること聞いても、訳がわかんないんじゃないかと思うんですよ。でもそれを、役者がそれを「うん」って頷きながら聞いてるっていう(笑)。それはたぶん面白いと思う。
太田:岡田さんのお芝居の仕方、稽古での想像力の持ち方っていうのは、色んな場面で使えるかもしれないですよね。このあいだ車の教習所に行ったら、指導教官が講義してたんですけど、結構身振り手振り交えながら、赤信号はこう曲がるとかやってて。あの人たちも、毎回同じことをやってるはずで。
岡田:繰り返してるから演劇だよね。
太田:そう。だからリハーサルを、ああいう指導者たちとか、学校の先生とかにも観てほしいですけどね(笑)。
岡田:通訳の人に「よくわかる」って言われることは多いですね。要はこの人は何を言おうとしてるのか、という想像を頭の中で作り上げられないと通訳はできないって。
―――そういう岡田さんの稽古場での独特のクリエーションの様子を記録するという面もありつつ、さっき太田さんがおっしゃった役者の変化や社会とのコミットメントの部分も追っていきたいということですね。
太田:まだ最終的にどういう形でまとめるかは決めてないですけど、自分の中では、そうですね。もしかしたら、いろんなバージョンがあってもいいかもしれないし。稽古場にフィーチャーしたバージョンとか、大家族を追いかけるテレビみたいに、今回の7人がどうなっていくのかを追っていくバージョンとか。
岡田:成長を追いかける、的な(笑)。
太田:とにかく、今はいろいろな可能性を模索しながら撮ってるっていう感じです。
[チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーションとそのドキュメンタリーをめぐって 了]
写真:後藤知佳(NUMANBOOKS)
(2017年12月7日、KAAT神奈川芸術劇場にて)
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