岡田利規×太田信吾:
チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーションと
そのドキュメンタリーをめぐって
聞き手・文:小林英治
チェルフィッチュの代表作『三月の5日間』を、オーディションによって全国から選ばれた若い7人の俳優たちと岡田利規が「再創造」した『三月の5日間』リクリエーションが現在上演中だ。この作品で描かれる2003年のイラク戦争開戦時とは社会状況や若者の意識も異なり、その間に岡田自身の作品も大きく変化した現在、どのようにアクチュアルな作品として作り変えることができるのか。チェルフィッチュの公演にたびたび参加する俳優であり、映画監督でもある太田信吾は、そのリクリエーションの模様を初期段階から現在進行系で密着し、ドキュメンタリー作品として完成させることを構想しているという。公演初日の幕が明けて数日後、リクリエーションの裏舞台と映画への期待を、岡田と太田に聞いた。
『三月の5日間』のリクリエーションに密着
―――太田さんは映画監督でもあり、2010年~2011年に再演した『三月の5日間』のツアーでは役者として参加されていますが、今回の『三月の5日間』のリクリエーションの様子を映像で記録したいと思われたきかっけは何だったのでしょうか。
太田信吾(以下、太田):1年前くらいにオーディションの情報を知って、しかも24歳以下の役者たちで作り直すと聞いて、その過程がすごく面白そうだなと直感的に思いました。イラク戦争のころの記憶をそんなに持ってない人たちが敢えてやるというのが、プロセスがドラマチックで、役者としても醍醐味なんじゃないかなと。そこを自分で見てみたいなというのは最初の大きな動機です。
岡田利規(以下、岡田):太田くんが去年、『部屋に流れる時間の旅』のベルリンでの公演(2016年11月)を観た後にメールをくれたよね。でも、あのとき太田くんの中で何が起こったのか僕はあまりよくわかってないんだけど。
太田:『部屋に流れる時間の旅』は福島の震災のことが描かれてたんですけど、「無関心は、死んでしまった」みたいな台詞があって、『三月の5日間』のときの若者の無関心さや戦争との距離の遠さっていうのから、だいぶ当事者の戯曲に変わっている感じがあったんです。それを観たときに、無関心さが全面に出ている『三月の5日間』の若者たちを、その後いろいろと震災もあったりした日本で、どうやってまた作り変えられるのかということに興味が出たんです。
岡田:そういやそういうことメールに書いてあったね。僕としては、クリエーションのプロセスを記録してくれるっていうのはすごい嬉しいって思いました。現場ってやっぱりそれなりにデリケートな場所だから、そこに土足に入ってくるのは誰でもオッケーってわけじゃない。太田くんならいいけど。
太田:映画とかドラマだと、メイキング担当みたいな人が必ずいて、プロセスを記録するっていうのは結構普通のことなんですけど、演劇はそんなことないんですか? DVDの特典になったりとか、番宣でニュースに流したりとかでメイキング使うんですけど。
岡田:そっか、メイキングね。でも、それも結構デリケートな現場なんじゃない?
太田:デリケートですね、やっぱり。俳優の皆さんにズカズカ行き過ぎないようにとか。そのへんは今回もあまり変わらないかもしれないです。
岡田:僕は太田くんのことは信頼できるからまかせてもいいって思えるんですけどね、ってなんかヌード写真撮られる人みたいな感じのコメントしてますけど(笑)。ただし今回は僕ひとりだけを追いかけるわけじゃないですから、それだけでも駄目で、でも彼はそのへん入ってくるのが上手い。出演者が決定したあと、7月に2週間くらい、クリエーションの第一段階として、豊橋で滞在制作したんです。出演者もそこで初めて全員顔を合わせたんだけど、そこにも太田くんはしたし、役者たちが共同で滞在していた一軒家にも入り浸って、気づいたらすごく仲良くなってた。
変化した自分が新たな役者とともに再創造するということ
―――オーディションで選ばれた役者たちに会って、太田さんはどんな印象を持ちましたか?
太田:実際に話をしてみると、たとえば被災地の出身の人がいたり、SEALDsのデモに京都から夜行バスで通ってたという人もいて、戯曲で描かれている、イラク戦争に無関心なキャラクターとは違う若者たちでした。そういう彼らの世界観も反映されて『三月の5日間』が作り変えられるということは、単なる演劇の創作というよりは、役者たちと岡田さんの共同作業みたいなところが色濃く出るプロセスになるんじゃないかなと思いました。
岡田:そのときに思ってた予想と、初日が明けての実際の感じと比べてどうだった?
太田:もちろん、まだクリエーションは続いてると思うんですけど、シーンによっては、まだまだ役者自身のパーソナリティが出せる余地があるのかなと思います。でも僕らがやった再演とか初演のDVDで見る作品とは違う作品になってるなとは感じますね。特に初演では、演劇というシステム自体を茶化すような技法的な面白さもあったと思うんですけど、今回は、より作品の内容やストーリーの中に没入する仕組みにもなってますし、デモを茶化してるようなところとか、前ならゲラゲラ笑えたところも、笑えなくなってるなと思いました。
岡田:初演をつくった時の自分からはすごく変化しているから、今の僕が作ったら絶対に違うものになるということは、やる前からわかってました。でも、そうやって作られたものがどのような価値をもつのか、今の自分がこの戯曲を手掛け直すこと自体に意味があるのか、ということは不安だったし、今もそうです。でもちゃんと作品を作って上演を行えば、それは観客にとっての何かになるということは信じてるし、煎じ詰めればそこしか拠り所はないんですけどね。
―――ご自身の変化について、今回の公演に合わせて出版された戯曲集『三月の5日間[リクリエイテッド版]』(白水社)のあとがきでは、「その頃の僕の関心はリアルを増幅させて独自の表現に届くことにあったと言える。今はリアルと対地されそれと拮抗しうる〈想像〉をつくることに僕の関心はある」と書かれています。
岡田:はい。リハーサルの仕方の違いみたいなことは、太田くんも観てていろいろ感じてると思うんだけど、どう?
太田:コミュニケーションを取るっていうこともあってなのか、稽古の前にみんなで話す時間が必ずありますよね。ウォーミングアップをしっかりして、徐々に稽古に入ってくみたいなのは、最近は僕らはあんまりやらなくなっていたことだと思います。役者の中には初めて舞台に出る子もいますし、ダンサーの子もいますし、演技経験という意味ではKAATのステージが一番大きいところでやる子がほとんどなので、そういう意味で徐々に緊張感を解きほぐしながら岡田さんもやってる感じは見受けられるかな。
岡田:今回、毎ステージ、終演後のフィードバックを退館時間ぎりぎりまでやってるんですけど、そういうのすごく久しぶりなんです。これまでに何度か一緒にやったことがあったり、キャリアがそれなりにあったりする役者とやるときと、自分が大きく違う。可塑性が高いから、ちょっとしたことで大きく変わって、それがすごく楽しい。そのぶんすごく疲れるんですけどね(笑)。
太田:共通言語を必死に岡田さんも伝えようとしてるし、むこうも必死ですよね。
岡田:彼ら彼女らとこうやってやったことで、僕もすごく新しいところに行けたと思ってます。結構変わったと思うんだよな。
―――それは作品自体が?
岡田:上演が持つ手触りみたいなことですね。アップグレードできたと思います。それは彼らのおかげです。僕はすごく手応えを感じてます。
―――それを太田さんのカメラは捉えていますか?
岡田:捉えてると思いますよ。だってそのプロセスを捉えてるわけだから。それに単純に、「え、こんなリハーサルしてるんだ?」みたいのは、知らない人が見たら面白いよね、たぶん。
太田:そうですね。役者が泣き出したりとかも何回かあって。コーチとその選手たちみたいな、スポーツドキュメンタリーを思い出すというか。みんな「やってやろう!」っていう、甲子園球児たちのドキュメントを思い出しますね。
岡田:え、そういう熱いものに仕立て上げようとしてるの?(笑)
太田:いや、仕立てようというか、そういうものを感じます。いつもはもっと岡田さんと同世代の役者さんとか、フランクな感じだったり、そんな涙流したりとか見てこなかったんで。今回20歳近い年の開きがあるし、でも単純に役者として使われるっていう主従関係みたいなものではなくて、役者側からも聞きに行ったりとかアイデアを持ってきたり、「やってやろう!」っていう熱さもそこにはあるというか。
[後編「演劇をやるということは『想像力のコントロールをめぐる戦争』に参戦すること。」に続きます]
写真:後藤知佳(NUMANBOOKS)
(2017年12月7日、KAAT神奈川芸術劇場にて)
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