INTERVIEW

紙には、そして世界には表裏がある ―装幀者・菊地信義インタビュー

紙には、そして世界には表裏がある ―装幀者・菊地信義インタビュー
2/2「どちらも選べないということを教えるために、文学はあると思います。」


紙には、そして世界には表裏がある——
装幀者・菊地信義インタビュー
〈後編〉

聞き手・構成:戸塚泰雄(nu

埴谷雄高『光速者 ―宇宙・人間・想像力』(作品社、1979年)

埴谷雄高『光速者 ―宇宙・人間・想像力』(作品社、1979年)│神奈川近代文学館「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」より

1970年代前半に独立して以来、日本におけるブックデザインを牽引してきた菊地信義氏。1万2000点以上にも及ぶ膨大な彼の仕事は、どのような眼差しによって作られてきたのでしょうか。2014年7月まで神奈川近代文学館で開催された展覧会「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」の会期中、文学と装幀を取り巻く状況に対しての今現在の思いを尋ねてきました。
※「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」の会期は終了しています。

【以下からの続きです】
装幀者・菊地信義インタビュー 1/2「自分が求められていないときに、どうしたら振り向いてもらえるか。」

一行目としての装幀

──展覧会の入口に展示されているモーリス・ブランショ『文学空間』は、菊地さんが大学生の頃に近所の書店で造本に惹かれて購入したものの内容を理解することができず、しかしそのことがその後の菊地さんを決定付けたそうですね。そこで「謎」と出会ったことで菊地さんは「文学空間」へと入り込み、その空間において装幀者という道を選ばれ、今もその空間の中にいらっしゃるのだろうと思います。菊地さんは文芸作品の装幀には「謎」が必要とも仰られています。装幀者・菊地信義を現在まで駆動しているのは、つねに「謎」なのではないかと想像します。

モーリス・ブランショ『文学空間』(粟津 則雄/出口 裕弘訳、現代思潮社、1962年初版)。「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」の冒頭に展示されていた

モーリス・ブランショ『文学空間』(粟津則雄・出口裕弘訳、現代思潮社、1962年初版)。装幀は駒井哲郎。│神奈川近代文学館「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」より

菊地:その通りだと思います。僕はブランショを翻訳した粟津則雄さんの「文学空間」という言葉の空間の中で生きています。『文学空間』一冊は読めなかったけれど、本のタイトル、つまり一行目だけは読むことができた、とは言えます。きっと僕はその一行を読み続けてきたんです。

──装幀の役割とは一行目ともいえる書名を、ビジュアルの力も借りながら、読者の目に触れるように働きかけることかもしれません。

菊地:『文学空間』はまさに装幀の力、そして装画を描いた駒井哲郎[★5]さんの力で、その一行を読ませてもらった。装幀の力に見事にはまった。とはいえ、そのとき自分が装幀の仕事に就くとは考えてもみなかった。

★5:駒井哲郎(こまい・てつろう)……1920〜76年。銅版画家。

──その後、同じく駒井さんの装画で粟津さんの訳による『来るべき書物』に出会ったそうですね。

菊地:『文学空間』が1962年の秋の出会いで、その6年後の68年に出たブランショの『来るべき書物』を手にとってみると、なんと1ページ目から読むことができました。その間にいろいろと読書体験も重ねて、それなりに勉強もしてきたので、読める何かが身についていたのでしょう。その1ページ目の数行をかいつまんで言うと、不完全な表現こそが、人を表現が生まれる真の源泉へと導く、と書かれていました。その言葉は僕の宝です。今も自分を支え続けてくれています。その数行を授けてくれたのが粟津則雄というひとりの男の精神がもたらした言葉でした。

──装幀者として独立される最初のきっかけも粟津さんでしたね。『文学空間』に入り込んだのちに待っていたのが『来るべき書物』というのも、まるでその後の菊地さんの装幀者人生を予見しているようです。

菊地:できすぎです(笑)。じつは最近また、粟津さんのことが気になっています。『文学空間』を訳されていたのは1960年の安保の年で、粟津さんは31歳くらいの頃でした。当時、高校生でも先鋭的なやつはデモに参加していたけれど、あの激動の年に粟津さんは吉本隆明とは違って、デモや、当時流行っていたサルトルでなく、ブランショの『文学空間』を訳していた。そのときの粟津則雄の精神って何だろう、と今あらたに粟津さんへの興が再燃しています。
 
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紙には、そして世界には表裏がある

———電子書籍の登場は、紙の本を見つめ直す契機ともなったように思います。菊地さんにとって紙の本の魅力はどういうところにありますでしょうか。

菊地:紙の本はグーテンベルクの時代から600年をかけて僕らの遺伝子の深いところまで組み込まれた、あまりにも体に馴染んだ媒体でしょう。何だと思います?

———菊地さんのご著書『わがまま骨董』はまず右手の写真で始まり、ページをめくると両手をもがれた仏像が迎えます。続編の『ひんなり骨董』の最終ページは、切断された両手のみが空中に浮かんで手を合わせています。また、菊地さんはご著書で、読書は心を鎮めるもの、とも書かれています。
 手を合わせた姿は人が本を読むときの姿と似ています。普段の日常生活ではバラバラに分かれている右手と左手が合わされることで心が安らぐ。両手で本を手にもって読書をすると心が鎮まる。両手が本を媒介して繋がることに、本を読む行為がいつまでも残る理由のひとつがあるのではと思います。 

菊地:そうですね。その究極のかたちがページをめくるという人間の手の動きにあります。(本のページを摘んでめくる)この手なんです。

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———なるほど……指と指の間に紙が挟まるわけですね。

菊地:ここに紙が挟まることが大事なのです。本に書かれてあることを読み知るよりも、本を読んでいて、ふたつの指の、人差し指側が紙のオモテで親指側が紙のウラだと気づく瞬間があり、その一瞬は読んだ内容もふと飛んでしまうような体験です。そのことが大事なのです。そのとき、ある心の鎮まりが感じられる。紙には、そして世界には表裏がある、と気づく。その気づきは表裏のある紙の本によってしか得られません。紙の表裏が人間の指に伝わる。そのシグナルによって体験される瞬間こそ、真の読書だと僕は思っています

———紙という物質である必要があるわけですね。

菊地:裏のない紙はありません。紙にはすべて裏表があります。例えば「紙には裏表がある」と認識するのが哲学だとすると、「裏のない紙」という認識は詩であり、その両方を表現するのが小説と言えるでしょうか。本の紙の一枚に哲学と詩と小説のすべてが同居している、とも言える。本の知識によって人が救われるのではなく、物事には表裏があるという認識によって、抱えている様々な矛盾や悩みが解消され、裏表があるという前提で生き始めること。それまでいた世界からはみ出されたその瞬間に、その人にしかない人生、その人にしかない今を生きるスイッチが入り、その人の「時」が動き出す。

———それは指先を滑らせる操作によるタブレット端末では体験できませんね。

菊地:端末では絶対に気づくことはありません。すでに世界が情報として記号化されてしまっている端末は、一人ひとりが生きなくてもいいというのが前提です。

———一人ひとりが一人ひとりを生きることが歓迎されないというような。

菊地:人をひとつのある世界にのみ生かすためには、指先だけのほうが都合がよいでしょう。その世界から外に出てもらっては困るわけです。その中で、あるどこかの誰かのために生きるパーツであればよい。本を読むことは、一人ひとりの生をどう生きるかを発見するための契機となります。だから紙の本はとっても大事なのです。

———今後、本を超えるようなメディアは出てくると思われますか。

菊地:仮に出てきたとしてもあと200年くらいかかるんじゃないかな。でも間に合わないと思います。このままいくと人類はもう駄目だと思う。日本の状況も世界の状況もすごく悪くなってますよね。

———本よりも先に人類が滅びてしまうかもしれません……。

菊地:600年、本という道具で作り上げてきた近代という知が、終わりを告げようとしている。「私」を組み立ててくれた本というメディアが奪われて、指先一本で情報を消費するだけの生き物に変性される。どうも状況はよくありませんね。
 
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神奈川近代文学館「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」より

神奈川近代文学館「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」より


 

運を味方にできる才能

菊地:今、エンタテインメントの本が増える一方で、残念ながらポスターのような装幀の本がまた書店の平台を占拠しています。これは装幀者が悪いのではなくて、出版を巡る状況の劣化なのでしょう。物としての本作りはやりにくくなっています。

———ポスター化の原因はどこにあるのでしょう。 

菊地:雑誌掲載時の挿絵を単行本のカバーにも採用する。それがエンタテインメントのひとつのスタイルになっています。挿絵にも流行り廃りがあって、最近はイラストレーターよりマンガ家が増えてますね。話題作の目的買いも以前より多くなり、話題作りのための賞も増えました。それらの本は装幀とは関係なく、レッテルで買われます

———本を自分の判断で見つけるのではなく、事前に買うものを決めてもらって、それに従うというような買い方ですね。

菊地:内沼さん(内沼晋太郎。ブック・コーディネイター、「DOTPLACE」編集長)を否定するわけではないけども、既存の世界観で綾なした本棚作りに需要があるのも、同じ構造だろうと思います。

———今後、装幀のあり方はどう変わっていくと思われますか。

菊地:いろいろと考えられると思います。今の時代小説の装幀シーンは新しい切れ味の才能が出てきたら一気にひっくり返りますよ。

———近年では、水戸部功[★6]さんが、マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』の大ヒットもあり、ビジネス書の棚を更新したように思います。コート紙にグロスPP加工のモノクロ1色刷りであれば、コストの面で出版社から歓迎されます。読者としても、必要な情報のみで構わない、もっといえば図像などの装飾はなるべく少ないほうが歓迎される傾向も感じられます。それは震災の影響もあるように思います。

★6:水戸部功(みとべ・いさお)……1979年生まれ。2011年、『ハヤカワ・ポケット・ミステリ』シリーズの装幀で第42回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞。他に手がけた主な装幀に、ケン・シーガル『Think Simple』(NHK出版)、山崎ナオコーラ『長い終わりが始まる』(講談社)など。

菊地:震災もあるでしょうけど、モノクロの気分というのは、出版あるいは装幀への弔いでもあると思います。お棺に入れるために白い衣裳を着せる。つまり僕らの世代が作ってきた装幀という、ひとつのある過剰さ──過剰になってしまったわけだが──最初に申し上げた「デザインとしての装幀」に対する死に装束なんです。 

———「レイアウト」という言葉はラテン語で墓掘り人夫を意味すると、菊地さんの著書で知りました。まさに本そのものが、過去に書かれたテキストや図像をひとつの器に収めた、すでに墓のようなものとしてあるわけですね。電子書籍の登場も気分を後押ししているかもしれません。

菊地:紙の本を辞めてすべてをデジタルにしたいと願う人たちがいて、またそれに抵抗する出版人も含めて「喪」の気分がある。紙の本は大丈夫ですが、そういう気分的なものがある。それをどう返す刀で切り返すのか。

———水戸部さんがゴシック体を多用されるのは、これまでに書体にまとわりついてしまったものをリセットする意味合いもあるように思います。菊地さんが80年代に写植による変形文字を積極的に導入されたのも、それまでの装幀の歴史をいちど遮断しリセットしようとする意図も込められていたのでしょうか。

菊地:いつも同じ書体を使用するデザイナーへの不満はありました。好きだから用いるというのはその人の美学でありデザインではないと思います。デザインは知恵と技術の問題であって、そこに好き嫌いがあってはおかしい。そういう美学的なものを取っ払って括弧付きにしたいとは思いました。

———装幀には「私」を排除して透明にする作業が必要だと思いますが、そのバランスを40年間保たれてる菊地さんは、ご自身の「私」を表現したいという欲求が起きたりはしないでしょうか。または仕事とは別のかたちでアウトプットされているのでしょうか。

菊地:いい年をして恥ずかしいのですが、自分には「私」がないんです。自分というのがたまらない。中心が空っぽなんです。

———そう感じられたのはいつ頃からですか。

菊地:どうも生まれつきみたいです。それが最近はみっともないと思います。本来、人っていろんな経験を重ねると自分が形成されてくるわけでしょう。僕はいつも空っぽなんです。さきほどの指で摘まれたページ、あれがまさに僕なんです

———ページがですか。

菊地:世界というのは表もあれば裏もある。
 
 

一人ひとりの現実を生きていく

菊地:僕は人間って、凍死したい人と爆死したい人の2種類しかいないと思っています。雪山で本でも読みながらだんだん冷えていって凍死したい人と、自動車か何かで、わーっと突進して元気よく爆死したい人。結局、その二通りだと思うんです。それぞれの価値観があるしどちらも間違いではありませんが、主導権を握ったほうが住みやすい世界を作っていきます。爆死したい人からすると「凍死したい人はネクラでじゃまだな」とかね。それはどうしようもないですよ。でも理想は五分五分がいいと思うわけです。どちらも選べない社会がいちばんいいという考えです

———中立の立場ですね。

菊地:どちらも選べないということを教えるために、文学はあると思います。結局、世の中は右とも言えないし左とも言えない。ということを言うために文学はあると思う。言葉では絶対に言えないことがある、と言い続けるのが詩、という誰かの有名な言葉があるけど、そういうことですよ。

———さきほどのページの表裏の話とも通じますね。

菊地:そのことに気づいたのちに、一人ひとりの現実を生きていく。自分の問題を解決するには、いろんな本を読んで勉強をする必要もあるけれど、それを使って生きるのは自分です。自分がいま抱えてる問題を解決するのは自分でしかない。自分が現実をどれだけ正確に見て、心を鎮めて対応できるか。そのときに初めて、伝達ではないコミュニケーションが始まります。それを教えてくれて、深いところへ人間の心を持っていってくれるのが文学の力なのだと思います。だからまだ当分、文芸の世界のお先棒担ぎはやめられそうにありません。

———展覧会の記念講演会で、粟津則雄さんの講演のあとに菊地さんは、粟津さんの心と、版画家加納光於[★7]さんの目が、菊地さんを形成したと仰られました。また、菊地さんは10代の頃に、加納さんより「版画を教えることなどできない」と言われたそうですが、その言葉は本日伺ったお話に通底しているようにも思います。伝達することはできず、表でもなく裏でもなく、自分で気づくことでしか何事も始まらないという……。

★7:加納光於(かのう・みつお)……1933年生まれ。版画家。大岡信、瀧口修造、吉増剛造らの著作の装画も手がける。

菊地:それが「生きる」ということです。一人ひとりの生には教えなんてありません。一人ひとりの真の生を生きるための土俵に、その人を上げてくれるもの。ブランショ的に言えば、輝かしい人間の生のある状態まで人を差し上げてくれるもの。それが文学の力だし、そのための装幀だと思っています。
 
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[紙には、そして世界には表裏がある ―装幀者・菊地信義インタビュー 了]

(2014年6月21日、神奈川近代文学館にて)
取材協力:神奈川近代文学館

●聞き手・構成:
戸塚泰雄(とつか・やすお)

1976年生まれ。nu(エヌユー)代表。書籍を中心としたグラフィック・デザイン。
10年分のメモを書き込めるノート「10年メモ」や雑誌「nu」「なnD」を発行。
nu http://nununununu.net/


PROFILEプロフィール (50音順)

菊地信義

1943年東京生まれ。1965年多摩美術大学デザイン科中退。広告代理店などを経て、1977年装幀者として独立。以来、中上健次や古井由吉、俵万智、金原ひとみなど1万2000冊以上もの書籍の装幀を担当する。1984年、第22回藤村記念歴程賞受賞。1988年、第19回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。2014年5月31日から7月27日まで、神奈川近代文学館にて「装幀=菊地信義とある『著者50人の本』展」を開催


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単行本: 175ページ
出版社: 平凡社 (2014/4/11)