COLUMN

高橋宗正 それからの日記

高橋宗正 それからの日記
『津波、写真、それから』(赤々舎)より全文掲載 (3/5: 2011.7-2012.3.25)

高橋宗正_それからの日記

宮城県山元町で津波に被災した写真を持ち主に戻す「思い出サルベージプロジェクト」と、ダメージが酷く処分される運命にあった写真を世界各国で展示し寄付金を集める「LOST&FOUNDプロジェクト」。東日本大震災の後、この2つのプロジェクトに関わった写真家・高橋宗正さんが、写真集『津波、写真、それから』(赤々舎)の中で綴った日記を、5回にわたり全文掲載していきます。
一度見失った「人が写真を撮る意味」を、一人の写真家が再び見出すまでの記録です。
協力:赤々舎

【以下からの続きです】
「それからの日記」1/5: 2011.3.11-2011.5.5
「それからの日記」2/5: 2011.5.5-2011.7.24

 

LOST & FOUND PROJECT

 
「もうダメBOX」の中にたまった写真をどうするのか、決断をしなくてはいけないときが迫っていた。どうにかするとは言ったものの、他の作業が忙しくて全く手をつけていなかった。現場からはあの写真どうするんだ、傷みも激しいしもう処分した方がいいんじゃないかとの意見も強くなっていた。これまで写真に関わってきて、また星さんをはじめプロジェクトの仲間と話し合ってきて、この写真の実物を現地まで来られない人に見てもらうことには意味があるだろうとは考えていた。山元町に通うようになるまで、ぼくが知っていた情報はテレビや新聞やインターネットによるものだった。そこでは人の死が丁寧に目につかないものにされていた。地震が起きてすぐの頃、太平洋側の多くの町が津波の被害にあったなかで、死者の数が被害の大きさを伝えるものさしとして使われていた。死は数字に変換されて扱われた。やがてそれは短時間の放送にうまくまとめられた悲劇や、希望の話になっていく。終わったこと、区切りのついたものとして扱われる。誰も死と向き合わせようとしない、誰も「お前もそのうち死ぬんだぞ」とは言わない。山元町が死の雰囲気に満ちていたわけではない、むしろ穏やかで静かな場所だった。でもぼくらは誰かの写真と向き合い続けた。そこには泥まみれになった誰かの人生が確かにあった、赤ん坊の写真を見ればみんなが、生きているといいなと思い、また同時に死んでいる可能性に悲しくもなった。そこには誰かの楽しかったときの記憶があった、今はぼろぼろになってここにある。この写真を前にすると、そんな誰かの存在を、その身に起きたことを想像しないわけにはいかない。センセーショナルなものとしてではなく、静かに誰かの死を思うことはとても大事なことのように思えた。
 
 

返すもの

 
たとえ写真を見せることにどんなに意味があったとしても、それだけではフェアじゃないと考えていた。写真を町の外に出すということは、見せ物にすることでもあり、どんなに他の場所で理解されたところで山元町に返すものが何もないんじゃ意味がないと思っていた。簡単に思いつくのは寄付金だった。しかし町を元に戻すには莫大なお金が必要で、ぼくらに集められるような額じゃ話にならないということは明白だった。山元町に観光客を呼べばいいんじゃないかとも考えたが、そのとき山元町には宿泊施設もなく観光資源と呼べそうなものもなかった。いろんなことを話し合ったけれど、名案は出てこなかった。このままでは写真は処分されてしまう、でもそれもしかたのないことかもしれないと思い始めていた。
 
 

仮設住宅

 
家を流されてしまった人たちが住む、仮設住宅というものがある。それはプレハブでできた集合住宅で、山元町にも8ヶ所ある。それぞれに自治会という町内会のようなものがあり、自治会長さんがいる。本来なら住人から自治会費を集め、回覧板のプリント代や作業したときに出すお茶やお菓子などこまごまとした出費に充てられるわけだが、同じ被災者から自治会費をとるのは心苦しいと言って自腹で負担している自治会長が多かった。小さな出費も長い期間になると、少しずつ負担になっているとのことだった。これならぼくらに集められる寄付金でも、役に立つかもしれないと思った。
 
 

決断

 
写真を見せる意味はあるだろう、集めたお金を持っていく場所もある。けれど写真を持ち出すことが本当にいいことなんだろうか、寄付金がちゃんと集まらなかったらどうしよう。そんなことをずっと悶々と考えていた。そんなとき星さんが言ってくれたことがある。「やってみなきゃうまくいくかなんてわからないじゃないか、ダメだったら一緒に謝りにいってやるよ」これでやっと小心者のぼくにも決心がついた。どのように進めるのか計画を立て、町役場に行った。自分たちがやろうとしていること、集めた寄付金の届け先、もしも問題が起きたときの責任は自分がとります、ということを話し合いLOST & FOUND PROJECTがスタートすることになった。ネットや印刷物を通してではなく直接写真を見てもらうために、展示という方法をメインに見せていくことにした。
 
 

ポスター

 
どのように寄付金を集めるかも考えていった。日本のぼくらの世代は普段募金をする習慣もあまりないし、もししようと思ってもいくら入れればいいのかあまりよくわからない。そこで、ポスターを作って販売し、売上から印刷費などのコストを引いた70%が寄付になるように設定した。ポスターは3種類作成し、それぞれにこのプロジェクトのこと、山元町の紹介、思い出サルベージの説明の情報を記載した。
 
 

希望

 
思い出サルベージに関わった経験から、全てを想定し計算通りに物事を進めていくことは不可能だし意味がないと考えるようになっていった。ぼくの予想では全ての写真がデータ化できるなんてことはあり得ないはずだった。しかしそれは外れた。思いもよらないことはつねに起きる。良いことも悪いことも。展示は伝えたいことをしっかり形にする、そしてそれを見た人がどんな行動をするかは任せようと思った。ポスターを買う人もいる、募金をする人もいる、山元町に行く人だっているかもしれない、きっとみんな少しずつ何かをするんじゃないかと思った。それはぼくには見ることができなくても、どこかでいろんなものが繋がり、ぼくじゃない誰かが何かを形作るかもしれない。そうなればいいなぁと思っていた。
 
 

展示1 
2012年1.11-2.11
AKAAKA
東京、日本

 
最初の展示は、東京にある赤々舎という出版社に併設されたギャラリーを借りて開催した。赤々舎はぼくが2010年に写真集を出版した会社であり、展示の相談をするとすぐに無料で場所を提供してくれることになった。展示の方法は、壁一面に写真を貼り付けることにした。こうすることで多くの人生がかつてそこにあったことを伝えられるのではないかと考えた。そして壁に近づけば、一枚一枚誰かが残したいと思った記憶があることを見てとれる。見に来た人が写真と向かい合い、自分の頭と心でそれぞれに感じてもらえればいいなと考えていた。被害の大きさではなく、静かな悲しみの深さを感じられるものにしなくてはならないと思っていた。それと同時にどうすれば多くの人が来てくれるのか、できるかぎりのことをやらなければと考えていた。展示が始まってすぐはあまり人が来なくて、これは大丈夫かなぁと思っていたけど、インターネットや雑誌や新聞に展示のことを掲載してもらってからは、一気に多くの人が来てくれるようになった。会期中の出来事で記憶に残っていることがある。それは展示を通じて写真の本来の持ち主と出会えたことだ。ある日、新聞に掲載された写真を見て、これは自分の家にあった写真だと気づいた人が家族で会場に来てくれた。「すごい偶然ですね、ぜひ写真を持っていってください」と言うと、「写真はおじさんに焼き増ししてもらったから大丈夫、これはこのまま展示で使って」と言ってくれた。そして別の日にもうひとり写真を見つけた人がいた。その人はポスターに使わせてもらった写真に写っている人だった。その写真の実物は展示していなかったので、ぼくは毎日家に帰ると大量の写真を一枚ずつ確認していき、1万枚くらい見たところで発見して本人に手渡すことができた。やっぱりダメージが酷くても処分してしまう判断をしなくてよかったと思った。そして何よりも写真の持ち主の人たちにこのプロジェクトを応援してもらえてよかった。どんなに意味があると確信していても、写真の本来の持ち主が嫌がるような形でプロジェクトを続けることはできない。
 
 

外国に行ってみよう

 
東京での展示の準備と同時に、海外での展示も計画していった。海外でやってみようと思ったのは、まず第一にこれだけ誰もが写真を撮って残す現代において、このプロジェクトが伝えるメッセージには国境も言葉も関係ないと考えたことと、できるかぎり多くの人に関心をもってもらい少しずつ応援を集める方がお金だけを集めるよりもいいことだと思ったからだった。海外での展示を模索していた2011年の11月、パリに行く用事があると言うと、友達が何人かの人に会いに行くようにと紹介してくれた。そのうちのひとりが大学で哲学を教えるフランス人のセルーアさんだった。初めて行く言葉の通じないパリで、800枚の写真をリュックに入れてガイドブックを片手に動き回り、オペラ座の前で子供に10ユーロだまし取られたりしながら、一人ずつ会いに行ってアドバイスをもらった。セルーアさんにはパリでどこか展示をできる場所がないか探してもらうことになった。日本に帰ってから少し経ち、セルーアさんから「今度香港に行くんだけどムネマサも来ないか?」とメールが来た。これもいい機会かと思い、香港に行って展示に関する話をしたのだけれど、何度も「もっとクリアにしなさい。あなたは何がやりたいの?」と言われた。ぼくは「今ある情報は全部伝えているし、海外でできることとできないことの判断をするための経験がないんだから、何がやりたいか言いづらいよ」なんてことを答えたのだが「あなたはアーティストでしょ、もっと自分のやりたいことをハッキリと持ちなさい」ということだった。結果的にパリでの展示は実現しなかったものの、このときのやりとりはとても勉強になった。日本では物事を進める場合、できないことを並べた上で実現可能なことを探していくのだけど、どうやら海外ではできるできない以前に、まずは自分が強く実現したいことを打ち出す必要があるんだと学んだ。いくつかの国に行った感想としては、海外では「おれは好きにやる、おまえも好きにやれ」であるが、日本では「おれは我慢する、おまえも我慢しろ」だという気がする。どちらがいいとか悪いとかでなくそういうもんなんだなぁとは思っているのだが、今でも自分のことを強く主張するのは苦手だなと感じる。とにかく、セルーアさんのおかげで、海外でのコミュニケーションは手順が違うということを学ばせてもらった。香港のマーケットでぶらぶらと買い物しながら散歩しているときに、セルーアさんが「アーユーアングリー?」と言った。急に何を言い出すんだと混乱していたら、セルーアさんがお腹をさするジェスチャーをした。「おー、ハングリーね! イエスイエス、アイムハングリーだよ!」フランス人は英語でも「H」を発音しないことを知った。こんな感じで通訳をしてくれる人がいないときは、全然話せない英語と最大限のジェスチャーでコミュニケーションをした。一年間いろんな国に行き、英語はあまり上達しなかったけど、ボディランゲージ能力だけはだいぶ向上した。
 
 

ラッコさん

 
海外での展示を企画するにあたって一番の問題は、ぼくが全く英語を話せず海外の知り合いも皆無であることだった。そこで「思い出サルベージ」に参加していて、かつてロサンゼルスに住んでいて英語も話せる清水桜子さんをプロジェクトを始めるときにスカウトした。あだ名はラッコさんで、笑顔のキュートなヤングガールだ。ロサンゼルスに着いてから知ったのだけど、東京やニューヨークぐらいの町を想像していたら遥かに大きな場所だった。言葉も話せず車の運転もできないぼくは、通訳してもらい、運転してもらい、友達を紹介してもらって泊めてもらい、ニューヨークではラッコさんの実家にもお世話になった。まさに保護者だった。いつか恩返しをせねばと思っている。そしてぼくはアメリカについて最初の夜に行ったレストランに、財布もパスポートも入れたままのバッグを忘れた。そんなわけで初めて教えてもらった英語は「I left my bag」だった。
 
 

展示2 
2012.3.8-25
ヒロシワタナベスタジオ
ロサンゼルス、アメリカ合衆国

 
海外での展示場所を探し始めたときに、ラッコさんが知り合いのつながりでロサンゼルス在住の写真家の渡邊博史さんを紹介してくれた。写真展のために来日していた渡邊さんに会いに行くと、広いスタジオがあるから運営を自分たちでやるなら好きに使っていいですよと言ってくれた。これで1ヶ月のロサンゼルス滞在が決まった。会期中に震災での経験を伝えるトークイベントを企画し、山元町の星さんにもアメリカに来てもらった。展示をしたスタジオは夜になると赤外線の無人センサーを入れていたのだけど、この頃毎晩のようにセンサーが反応して警備会社の人がやってくるということがあった。夜のスタジオには誰もいなかったけれど、アラームは鳴り続けた。星さんと、もしかしたら夜になるとお化けが歩き回ってるのかもねー、なんてことを話していた。山元町では夜になると海辺に多くの人影が歩き回っているという噂が広まっているらしかった。こうやってみんなで海外旅行に来れたんだから怒りはしないでしょ、まぁでも急に海外につれてこられてビックリしてるだろうなあ、というような話をした。この会期中にラッコさんの知り合いで、ニューヨーク在住のジャーナリストのジェイクさんの主催した大震災の追悼イベントに参加することになった。また、ジェイクさんのつながりで、NEWYORKERのwebサイトでプロジェクトのことを紹介してもらってから、海外での展示の認知度が上がったように思う。
 
4/5に続きます(毎週月曜日更新予定)
 
 
 


このコンテンツは、写真集『津波、写真、それから』(赤々舎)の中で綴られている高橋宗正さんの日記を、
赤々舎の協力を得て、全5回に分け全文掲載しているものです。


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高橋宗正『津波、写真、それから –LOST&FOUND PROJECT
2,600円+税 | 344×247mm | 152頁 | 並製 | 全編日英併記
アートディレクション:寄藤文平
2014年2月発売 赤々舎
Amazon / 赤々舎

PROFILEプロフィール (50音順)

高橋宗正(たかはし・むねまさ)

1980年生まれ。2002年「キヤノン写真新世紀」優秀賞を写真ユニットSABAにて受賞。2008年、「littlemoreBCCKS第1回写真集公募展」リトルモア賞受賞。2010年、写真集『スカイフィッシュ』(赤々舎)を出版。同年、AKAAKAにて個展「スカイフィッシュ」を開催。2014年2月、LOST & FOUND PROJECTをまとめた写真集『津波、写真、それから』(赤々舎)を出版。http://www.munemas.com/