INTERVIEW

「本のある場所、本を読む場所」をめぐって 建築家・中村好文×小説家・松家仁之

「本のある場所、本を読む場所」をめぐって 建築家・中村好文×小説家・松家仁之
後編:モノとしてテキストとして読んでほしい本

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2018年8月に箱根にオープンしたブックホテル「箱根本箱」は、出版取次の日販が展開する新事業として話題を集めた。「里山十帖」を生みだした自遊人・岩佐十良をプロデューサーに迎え、本を読むことを軸においたコンセプトは人気を博し、多くの来訪者が現地を訪れている。
箱根本箱では朗読会やトークショーなどさまざまなイベントを行ってきているが、2019年2月からは宿泊型のイベントもはじめた。その第1弾を飾ったのが、建築家・中村好文と小説家・松家仁之によるトークセッションだ。
中村好文は建築家・吉村順三に師事し、1981年に自身の事務所「レミングハウス」を開設。住宅建築を中心に活動し家具製作も行うほか、museum as it isや伊丹十三記念館の設計なども手がけている。執筆家としても知られており、『住宅巡礼』『意中の建築』『中村好文 普通の住宅、普通の別荘』などさまざまな著作を出版している。松家仁之は新潮社の編集者として活動し、海外文学の翻訳シリーズ「新潮クレスト・ブックス」、総合季刊誌『考える人』を立ち上げ、『芸術新潮』の編集長も兼任した人物。2010年に新潮社を退社後は小説家としてデビューし、これまでに『火山のふもとで』『沈むフランシス』『優雅なのかどうか、わからない』『光の犬』の4つの長編小説を上梓している。また2014年には雑誌『つるとはな』の創刊にもかかわった。
そんなふたりはそれぞれ異なる専門領域をもちながらも、互いの仕事に敬意をはらってきた旧知の仲だ。気の置けない関係だからこそ話せるトークの内容は、時間が経つほどに深まっていった。
司会は、本サイトで連載をもつ箱根本箱の事業開発を担当した染谷拓郎(日販/YOURS BOOK STORE)が担当。「ぼくらがブックホテルをつくる理由はどこにある?」番外編としてこのトークセッションの模様をお届けする。トークセッションは食事を挟んで前半と後半とに分かれておこなわれた。
前半では中村好文が用意したスライドをもとに話題を展開、鴨長明の方丈とルネサンス絵画からはじまり、モダニズム建築の巨匠エリック・グンナール・アスプルンドが設計した図書館、アメリカ建築界の巨人フィリップ・ジョンソンのライブラリー、さらには自身が設計した自邸や、輪島の塗師・赤木明登の依頼で改修したゲストルーム、かつて師・吉村順三が設計し現在はミナ ペルホネンを主宰する皆川明の別荘につくったライブラリーなど、豊富な事例を紹介しながら「本のある場所、本を読む場所」をめぐる対話が重ねられた(前編:本のない建築はどこか物足りない)。
前半終了後、イベント参加者は食堂へ移動、ゲストである中村好文と松家仁之を囲んでの夕食会となった。夕食は箱根の食材をふんだんに生かしたコース料理で、料理に合わせてソムリエが選んだワインも提供される。シェフを務めるのはイタリア・ミラノの名店「アンティカ・オステリア・デル・ポンテ」や青森県弘前市の「オステリア エノテカ ダ・サスィーノ」で料理の腕を磨いた佐々木祐治。料理の内容はその日の食材の仕入れによって毎日変わる。いまここでしか味わうことのできない絶品料理と美酒に、会話も自然と弾んでくる。
夕食後、箱根本箱1階ロビーへと移動し、トークセッションの後半がはじまった。中村と松家は、今回のイベントにあたり参加者にプレゼントする一冊をそれぞれ選んでいるのだが、松家は自身と中村が編集にかかわった『伊丹十三選集』を、中村は松家の小説作品『沈むフランシス』を選んでいる。なぜその本を選んだのか、その理由を語るところからスタートしたトークは、編集と建築の共通性、編集によってあらたに生みだされる意味、小説家・松家仁之の表現の本質など、ふたりの本と読書をめぐる対話はますます熱を帯びていった。

●「ぼくらがブックホテルをつくる理由はどこにある?」はこちら

伊丹十三が結んだ縁

染谷拓郎(以下、染谷):それでは後半のトークセッションをはじめさせていただきます。
前半では中村さんのスライドで「本を読む場所、本のある場所」について、さまざまな空間から考えをめぐらせることができました。本を読むという行為が、たんなる情報としてのテキストを摂取することではなく、その本を読んだ場とセットになった「体験」ということにあらためて気づかされます。
さて、後半ではおふたりそれぞれに1冊ずつ本を選んでいただき、その本について語っていただきます。まずは松家さんからお願いします。松家さんが選ばれたのは『伊丹十三選集』です。

松家仁之(以下、松家):ぼくは新潮社で28年編集者として働いて、退社してから小説を書くようになりました。これまでに4つの長編小説を書きましたが、職業的な自信があるのは、小説家よりもやっぱり編集者のほうなんですね。小説は毎回、手探りです。だからおもしろいともいえる。小説を書きたくて会社を辞めたものの、編集の仕事はおもしろくてやめられなかった(笑)。
中村さんとは古いつきあいなのですが、出会って早々に意気投合するきっかけになったのが伊丹十三さんでした。亡くなってもう20年が過ぎてしまって、伊丹さんがどういう人であったのか、知らないという若い人も増えてきた。伊丹十三はじつに多才な人物です。映画監督であり俳優でありデザイナーでありイラストレーターであり、そしてエッセイストでもありました。そんな伊丹さんのエッセイ集をお互いに繰り返し読んでいるとわかって、ぐっと距離が近くなったんです。

中村好文(以下、中村):そうでしたね。

松家:数年前、岩波書店の30代の若手編集者から連絡をもらいました。「伊丹十三の選集をつくりたいので手伝ってもらえないか」とおっしゃる。お会いして、相談を重ねながら、中村さん、伊丹さんの次男である池内万平さん、そしてわたしの3人が編者となって『伊丹十三選集』の企画をスタートさせることになりました。『選集』は全3巻。今日は第1巻を持ってきています。中村さんと編集作業をしたのはもちろん初めてのことでした。

中村:ぼくは20代の頃から、伊丹十三の本はほんとうによく読みました。繰り返し繰り返し、それこそ欠かすことがなく読んでいたので伊丹の著作については知り尽くしていたつもりでした。松家さんと出会ったのは30代のときで、彼はぼくよりちょうど10歳若いのですが、ものすごく早熟な少年だったのでしょうね、ぼくが舌を巻くほど伊丹十三のことを知り抜いていて、話題が伊丹のことになると途切れることがないんです。
池内万平さんは伊丹十三のじつの息子ということもありますが、伊丹さんの真面目な性格を色濃く受け継いでいますよね。

松家:生真面目で、なにごとにも正確を期すところが、お父さん、伊丹十三にそっくりです。

中村:万平さんも伊丹さんの著作をじつによく読み込まれていました。伊丹十三の父親は伊丹万作という人で、この人も映画監督であり脚本家であり俳優であり挿絵画家でありエッセイストでもあるという、マルチな才能を持っていました。著作も多く残しています。伊丹さんは父・万作の本を読んでいたわけですが、同じように万平さんも父・十三の本を読んで育った。その3世代にわたるつながりを編集作業を通じて感じられたことは、すごく印象的でした。
おそらく万平さんを編者に推したのは松家さんだと思うのだけれど、万平さんが入ってくれたことで『選集』はものすごくいいものになりました。ぼくのような単純なファンと、松家さんのようにきちんと文脈をたどって伊丹の著作を読める編集者と、父の著作を深く愛し、理解している息子という、まったく異なるタイプの人間の協働によって3冊の『選集』を編めたことは、すごくよかったと思っています。

松家:三人とも、おたがいに似ていないタイプですからね。伊丹さんとは中学生のときから読者としてつきあいはじめました。新潮社時代には本をつくらせてもらい、辞めたあともまだずっと縁がつづいています。新潮社時代には季刊誌「考える人」でエッセイストとしての伊丹さんの特集を組んで、その特集をもとに『伊丹十三の本』という単行本を編集しました。伊丹さんの代表的なエッセイ集『ヨーロッパ退屈日記』や『女たちよ!』なども新潮文庫で復刊させてもらいました。
新潮社を辞めて、小さな出版社(つるとはな)を友人たちと始めたのですが、単行本の第1弾は『須賀敦子の手紙』。第2弾が伊丹十三『ぼくの伯父さん』でした。伊丹さんは編集者としての能力もきわめて高い人だったので、自分のエッセイ集の収録作品の取捨選択はもちろん、構成も、すべて自分で判断して決めていたんですね。装丁についても、ある時期までは自分でデザインしていましたから、担当の敏腕編集者に「編集者の出番がなかった」と言わしめるほどでした。ところが、伊丹さんが単行本には収録せずに落としていたエッセイを雑誌までさかのぼってあらためて読み直してみると、「どうしてこれを落としたのか?」というレベルのものばかりなんです。そのような単行本未収録のエッセイを集めて、『ぼくの伯父さん』を編集したというわけです。

設計する人としての編集者

松家:今日の前半のトークに引き寄せて考えると、編集者も設計する人だと思うんですね。どのような内容の原稿を集めるか、集めたらどのような順番で並べて構成するのか、想定されるページ数は、造本は、装丁は、と本の具体的なかたちまで含めて考えます。もちろん予算もあるし納期もあります。建築設計と本づくりは、似ているところがあるんです。
『ぼくの伯父さん』はソフトカバーの本で、表紙がやわらかい紙なので、片手で丸めて持つこともできなくはない。『ぼくの伯父さん』をなぜソフトカバーにしたのかというと、伊丹さんが生前に出されたエッセイ集のほとんどがソフトカバーだからです。伊丹さんはグラフィックデザイナーでもありましたから、あえてハードカバーではなくソフトカバーを選んでいたのだと思います。伊丹さんのオリジナル本への敬意をこめて、ソフトカバーを選びました。
本文の組についても、伊丹さんのデザイン意識が行き届いていたと思います。1段組のものもあれば2段組もあり、ときには3段組のものもあります。組を変えると、本を読むおもしろさの質が変わるんですね。たとえば3段組だと、雑誌とか新聞のコラムとかを読むような、にぎやかで気楽な感じになる。
そしてカバーですね。伊丹さんのデビュー作は『ヨーロッパ退屈日記』ですが、そのカバー・イラストレーションは伊丹さんが描いたもの。タイトル文字も伊丹さんの手描きです。『ぼくの伯父さん』の装丁は、そんな『ヨーロッパ退屈日記』のカバーへのオマージュにしようと、デザイナーの島田隆さんと相談してつくりました。
『伊丹十三選集』はハードカバーで、しかも箱入りです。1960年代70年代までは、箱入りの本はさほど珍しくありませんでした。とりわけ全集や選集は箱入りがスタンダード。最近は箱入りの本はほんとうに少なくなりました。『伊丹十三選集』のツヤツヤとした白い箱はかなりインパクトがあるのですが、ブックデザインを担当されたのはデザイナーの山口信博さんです。伊丹ファンなら気づいた方もいらっしゃるはずですが、この白い箱、タイトル文字のニュアンスは、伊丹十三が1960年代にデザイナーとして関わった『伊丹万作全集』全3巻(筑摩書房)のデザインへのオマージュになっているんですね。

中村:山口さんはぼくの本のデザインもされていて、ぼくとは同い年です。ぼくの同世代は伊丹十三にハマって読んでいる人が多い。そういう意味では共通の影響を受けているといえます。
伊丹十三記念館を設計するときに、伊丹さんはものすごく優れたグラフィックデザイナーだったからその仕事に匹敵するようなものにしたいということで、館内のサイン計画やグラフィックデザインをすべて山口さんにお願いすることにしました。だからあの記念館にはある種の統一感があるわけです。
伊丹十三記念館には1からはじまって13までの展示コーナーがあります。関係者で合宿をしてどのような記念館にしようと考えたときに、伊丹さんはいろいろなことをしていたよねという話になって、その職業を数えていくとあっという間に10くらいにはなった。そこで13まで数を増やしたのですが、展示コーナーを示すサインを、アラビア数字ではなく漢数字にしたんです。漢数字にしたことにはもちろん理由があります。13番目の展示内容は監督としての伊丹十三なのですが、「十三」はそのまま伊丹さんの名前の表記になります。そのグラフィックデザインをやってくれたのが山口さんというわけです。そうした経緯もあって、この本の装丁はぜひ山口さんにお願いしたいということになりました。

工芸としての本

松家:いま「読む」ことがどんどんデジタルな環境に移行していますよね。そのこと自体にはたくさんいいことがあると思うのですが、箱根本箱に来てあらためて思うのは、やはり本はデータではなく物質そのもの。モノだよなということです。本にはモノとしての魅力があるんです。読んでいないその本に手がのびるのは、内容よりもモノとしての魅力だったりもする。自分の記憶を探っていっても、小学校時代に図書の時間に図書室へ行って本を選び、ページを開いたときに立ちのぼるインキのにおいはいまでも思い出せます。紙の手触りも記憶に残っている。当時の本はすべて活版印刷です。金属製の活字を並べて印刷していますから、紙には印刷時の圧力の痕跡として微妙な凹凸が残ります。手でなでるとその凹凸を感じとることができた。そういうことも含めて、本を読む経験は五感を総動員する経験なのだと思うんですね。
『ぼくの伯父さん』はソフトカバーにすると決めていたのですが、ソフトカバーは開きの悪いものが多い。それはどうしても嫌なので、製本にもひと工夫加えて、PURという特殊な糊を使った製本を採用しています。むかしの本は糸かがりといって、折り丁を文字通り糸でかがって製本していました。そうすると本の強度が増しますし、なにより本の開きが格段によくなります。いまでも糸かがりの技術は生きているものの、製作コストが非常に高くなってしまうため、アジロといって折り丁の背に切り込みを入れてスリットをつくり、表紙と接着させるための糊をそのまま流し込んで全体を固める製本が主流です。アジロ製本はたしかに低コストなのですが、何度も本を開くうちにページがはがれてしまったり、本そのものが割れてしまったりと、耐久性に問題があります。PURはそれを解消してくれる製本技術で、糸かがりほどは高くないけれど、本の開きと強度がぐっとよくなる。
『伊丹十三選集』の箱もかなり凝っています。この箱は貼り箱といって、箱の素材であるボール紙を別紙でくるんでいます。こういう箱のつくりにはコストもかかりますし、なにより職人的な技術が必要になります。岩波書店は箱入りの全集の刊行をつづけている数少ない版元のひとつですから、たしかな技術を持った箱屋さんとのやりとりがあるため、実現できた装丁でした。
箱をつくるときに大切になるのは、緩すぎずきつすぎない大きさであることです。箱の出口を下にして持ったときに、本体がストーンと落ちてしまうのでは緩すぎます。かといってきつすぎると今度は取りだしにくくなってしまう。理想は本体の自重でゆっくりと箱から滑りだしてくること。これを実現するために、いくつも試作品をつくって調整して検証を重ねています。
ソフトカバーであれ箱入りの本であれ、やはり本の編集には設計的な側面があると思うんですね。

中村:側面というよりも、ブックデザインという行為はほとんど設計そのものですね。本には構造がありますからね。

松家:先ほど中村さんのご自宅の書架が映っていましたが、そのなかにあった『吉田秀和全集』も箱入りで、たしかクロス装でしたよね。ちがったかな。クロス装というのは、ボール紙を紙ではなく布でくるんだ装丁のことで、とくに全集などの装丁としてよく用いられてきたものです。けれども出版不況が叫ばれるようになった1995年以降は激減してしまいます。コストがかかるからです。どの出版社も厳しい経営状況がつづくなか、悲しいことですが、本の製作も経済性を優先させる傾向が強くなっていった。

中村:工芸としての本があまり評価されなくなったということはありますよね。本という存在はそもそもすごく工芸的なもので、たとえばさきほど松家さんが触れられた活版印刷なんて、15世紀のヨーロッパでヨハネス・グーテンベルクが実用化に成功して以来、変わらずに用いられつづけてきた技術です。ぼくが本に対してどこか畏敬の念のようなものをもっているのは、そういう歴史と本を介してつながっているような気がするからです。松家さんはぼくを「本好き」といってくれますが、ぼくとしてはそれは「読書が好き」であるのと同時に「モノとしての本が好き」という意味での「本好き」でもあるんです。
ぼくはやはりモノとしての、物質としての本が好きなんですね。先日、著作を電子書籍として販売しませんかというお誘いをいただきましたが断りました。ぼくは本の「かたち」じゃないと、たとえ書かれている内容や読書から得られる情報を同じであっても、ぼくにとってそれは本とは思えないし、所有していたいと思えないんです。

ほんとうの本好き

松家:この伊丹さんの二種類の本の編集を通じてあらためて感じたのは、伊丹さん自身が猛烈な読書家だったということです。
『ぼくの伯父さん』の冒頭に掲載したのは、伊丹十三記念館に収蔵されていた新発見の未発表原稿です。伊丹さんがどんな媒体に、なんのために書いた原稿なのかはわからないのですが、そのなかに「読書」というタイトルの短い文章があります。読んでみますね。

“書物が私にとっては父親のかわりだったように思う。人生なにか問題がある時、私は解決の手がかりを書物に求めた。本好きの人間が本屋の書棚の前に立つと、必要な本はむこうからとび出してくる。本が私を呼んでくれるのだ。こうして私は多くの貴重な書物に出会った。書物なくして私は、自分にも、妻にも、子供にも出会えなかったろう。”

もう一篇、「本屋」というエッセイの一部です。1970年代後半に書かれた原稿です。

“私が現在本屋に支払う金額は、毎月三万円から五万円くらいであろうか。一般の人から比べれば、相当に多額の金を使っていることにもなるし、それだけ私は本を買うことについては習熟してもいる筈なのだが、どうも私は、いまだに本屋に入ると迷いに迷ってしまう。”

そして、「読書」というエッセイ。

“私は──われわれの世代は誰でもそうだろうが──活字中毒である。なにしろ一刻も活字なしでは生活することができぬ。旅行に出る時など、結果的には二冊もあれば十分なところを、六冊も七冊も鞄に詰めねば不安でならない。風呂へはいる時ですら二冊ぐらい持ってはいらねば心配である──え? 風呂? ええ、風呂でだって本を読みます。風呂の中だろうが食事中だろうが、床屋で髪を刈られながらだろうが、町を歩きながらだろうが、ともかく常になんかかんか本を読んでいる。”

ぼくはご生前の伊丹さんに何度かお目にかかったことがありますが、そこで伊丹さんが読んでいる最中の本を見る機会があったんですね。本にはいたるところに書き込みがあって、気になった部分があればそのページの端を折る、いわゆるドッグイヤーがたくさんついていて、本がブワッと厚みをもってふくらんでいた。丸谷才一さんの書庫について、さきほど触れましたけど、伊丹さんも愛書家ではなくて、本を読み倒す人でした。

中村:ご自身では「活字好き」ともおっしゃられていましたよね。いま松家さんが紹介した「読書」には、トイレのなかでも本を読むのだけれど、うっかり本をもち込むのを忘れて用を足してしまうと、トイレットペーパーの包装紙に書かれてある「グーンと使える65メートル巻き」なんていうキャッチコピーを読みはじめてしまう、ということも書かれています。

松家:伊丹さんがもしいまもご存命で、箱根本箱を訪れていたとしたら、あちこちで佇んで、本をひっぱりだして、黙々と読んでいただろうなと思います。

染谷:たしか『女たちよ!』の冒頭だったと思うのですが、「私自身は――ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」という伊丹さんの文章があります。ほんとうにたくさんの本を読み、知識を吸収して、自分のアウトプットにしていくというやり方をされていたのかな、と想像します。

本が持つ魅力にあらためて出会う場所

中村:ぼくは大学で学生に建築を教えていますから、最近の若い世代と触れあう機会が多いんです。彼ら/彼女らは、ぼくや松家さんが生きてきたときとは、まったくちがう環境のなかで育ってきていて、あたらしい技術をどんどん吸収しながら成長している。そのことはこれから先に、きっとすごく役に立ってくるのだと思う。でも、こういうことを言うと年寄りじみてしまって嫌なのだけれど、ひとつ大きな不満があって、それは彼ら/彼女らがほんとうに本を読まないこと。とにかく本を読まない。昔は電車に乗ると、乗客の半分くらいが本や新聞、雑誌を広げていました。いまは本を広げている人を見ることはほとんどありません。

松家:みんなスマートフォンを見ていますよね。その景色がふつうになりました。ぼくも見てますけど(笑)。

染谷:ほんとうにそうですね。文庫本を読んでいる方はたまに見かけますが、みんな手元のスマートフォンばかりを見つめています。

中村:仕事でアメリカやヨーロッパへ行くと、電車のなかではまだ本を読んでいる人が多いんですよ。リゾート地のホテルのプールサイドでも、すごく分厚いハードカバーの本を熱心に読んでいる若い女の子がいたりもする。電子機器の普及の程度からしてみれば、日本と欧米でそんなに差はないはずなのに、どうしてこうも状況が異なるのか、不思議で仕方がない。

染谷:それがいいことなのか悪いことなのか、少なくとも本の流通に携わる会社にいる私からしてみればいまの状況はけっしてよろこばしいものではありませんが、こういう時代だからこそ、箱根本箱のような空間の存在意義があると考えています。つまり本が日常的な存在からある種の嗜好品になっていったことで、相対的に本の価値が高まる可能性があるのではないか。本が持っている価値を伝える場として、箱根本箱という空間の役割があるのではないか、そんなふうに思うんです。

松家:本が持っているもともとの魅力のようなものが、ここを訪れた人たちに伝わるといいですよね。リゾートで過ごすときって、意外と時間があるものです。読まなければいけない本を読む、というより、たまたま目について出会った本にふれてみる。目的意識から離れた、無為の時間にもひとしいような、散歩的な読書体験ができるといいですね。

中村:まったく同感ですね。

松家:そういえば、東京・六本木の青山ブックセンターが「文喫」という書店に生まれ変わりましたよね。書店といっても少し特殊で、書棚のあるスペースに入るのに入場料を払わないとならない。ちょっと驚きましたが、でも入場料を支払うと、そのスペースにあるデスクで仕事ができたり、コーヒーや紅茶を無料で飲めたり、書棚の本を買わずに読むことができるんですよね。だから2時間でも3時間でも、好きなだけその場で読書をたのしむことができて、気に入った本があれば最終的に購入することもできる、そういうシステムのあたらしいかたちの書店。文喫も日販が運営している、というのを今日、ここに来る道すがら染谷さんにうかがってびっくりしました。

染谷:はい、最初のところで携わっていました。ただ箱根本箱の開業準備が本格化したこともあって、私は途中でプロジェクトチームから離れることになりましたが、日販として、これからの取次のあり方をさまざまなかたちで模索しているなかで誕生したものです。

中村:染谷さんはいろいろなことをされていますが、いまおいくつなのですか?

染谷:ちょうど32歳になりました。

中村:『伊丹十三選集』を担当した岩波書店の編集者も30代だし、いまの若い人たちはほんとうに優秀ですね。その岩波書店の編集者は毛筆で手紙をしたためるような人なんですよ。

松家:大学生のときには能のサークルに入っていたと言っていましたね。かと思えばピアノも弾けるし、関西の和菓子屋にもくわしい。

中村:なんでもよく知っているし。末恐ろしいというか、あの歳でここまで成熟しているのも珍しい。

松家:彼がいなければ、この『伊丹十三選集』が出版されることはなかったわけです。彼は何年か営業を経験してから編集部に配属されているので、編集者としてのキャリアは比較的浅い。でもほんとうに本が好きで、いろいろ吸収している人は、いきなりこういう本もつくることができる、とも言えるんですね。この道10年、だからと言って編集者として優秀かどうかは別問題なんです。
この選集の刊行が決まって、社内でも認知されはじめたころ、それまで話したこともなかった先輩編集者から「きみ、伊丹十三の本を出すんだってね」と、会社の廊下でつぎつぎ声をかけられたそうです。岩波書店のなかにも伊丹さんの愛読者がこんなにいたのかと驚いたと言っていました。岩波書店と伊丹十三という組み合わせを意外に思う読者もいるかもしれませんが、伊丹さんの書いたものは軽くて読みやすいのに、じつは噛みごたえのある、普遍性のあるテーマをふくんでいます。だから、わたしは岩波書店だからこそ、こういうかたちで出すことが可能になったんだ、と考えています。

編集が生みだすあらたな「読み」

中村:この選集は昨年の11月に第1巻が、1月に第2巻が、2月に第3巻が刊行されますが、このボリュームと、けっして安くはない値段(本体3,300円)にもかかわらず、第1巻はもう2度も重版されています。

松家:各巻の解説を編者がそれぞれ分担して執筆しています。ぼくが第1巻、中村さんが第2巻、そして万平さんが第3巻なんですが、万平さんの解説もほんとうにすばらしい。ぼくと中村さんが伊丹さんの書かれたことの意義、価値を讃える内容だとすれば、万平さんの解説は「父・伊丹十三」の実像を率直に描いたもので、それはけっして伊丹さんが遺された仕事の価値をおとしめるものではなくて、でも伊丹十三というひとりの人間がどういう人物だったのか、どういう父だったのかを、これまでにない語り口で示してくれています。

中村:いままでとはちがう光のあて方で、伊丹さんの知られざる側面を教えてくれていますよね。だからほんとうにはじめて知るようなお話ばかりで、伊丹さんをすごく身近に感じることができました。
今回、編者として選集の制作にかかわることが決まったときに、あらためて伊丹さんの著作を読み返したんです。ぼくが伊丹さんの本をはじめて読んだのは21歳のとき。1週間のうちに『女たちよ!』『ヨーロッパ退屈日記』『問いつめられたパパとママの本』を買っています。当時はAmazonなんてありませんから、読みたい本を買うには書店で手に入れるしかなくて、書店になければ取り寄せわけだけれど、それだと時間がかかってしまう。1冊目の『女たちよ!』は書店で手に入れたのだけれど、残りの2冊はどうしてもすぐに読みたくて、古書店を歩きまわって手に入れました。
その後も、新刊が出れば手に入れましたし、それ以前に刊行されていたものも見つければなんでも手に入れて読みあさっていました。雑誌の連載もすべてスクラップしてファイリングしていた。それくらい熱心な読者だったわけです。

松家:エッセイストとしてもっとも活躍していた時期、伊丹さんは14年間で7冊しか本を出していません。単純計算で2年で1冊というペース。ただ、先ほどもお話ししましたが、単行本にするに際して、とにかく原稿を厳選する人だったので、実際には1年で1冊くらいは出せるものを書いていたかもしれない。でもそうはしなかった。とにかく選びに選んだ原稿しか、単行本には収録しない人でした。
だからこの『選集』を編むにあたっては、なぜ21世紀にはいった今、伊丹十三をあらためて読み直すのか、という切り口が必要だと考えました。伊丹さんのエッセイはさきほども言いましたけど、とにかく読みやすくておもしろい。でも、確実にテーマはあるんです。それも長年こだわりつづけたテーマがある。そこで各巻ごとに伊丹さんが繰り返し立ち帰ったテーマ、モチーフをあぶりだして、そのテーマ、そのモチーフで、発表順ではなく、すべての著作をシャッフルして、配置し直しているんですね。

中村:ぼくが各巻を読み返しておもしろかったのは、これまで読んだことのあるエッセイであっても、この『選集』のなかで読むと同じ文章とは思えなかったり、読後感がちがったことです。たとえば『ヨーロッパ退屈日記』のなかにある一篇のエッセイは、『ヨーロッパ退屈日記』のなかで、その前後のエッセイとのつながりのなかで読み、記憶している。でもそれが別なエッセイと並べられ、いままでにない順序に配置されると、あらたな「読み」を生みだして、気づきが得られるようになるんです。つまりそれが編集されているということですね。

松家:伊丹さんはヨーロッパのブランドなどをいち早く紹介したこともあって、ヨーロッパ文化至上主義であるかのようなイメージをもたれがちなのですが、じつは日本や日本人、あるいは天皇や戦争などについても繰り返し書いているんですね。いままではそういったテーマの文章は、一冊の本のなかに脈絡を感じさせない佇まいで、いわば「知らん顔をして」収録されていたんですけれど、それらのものを横断的に選びだしてまとめてみたら、伊丹さんの考えていたこと、あるいは疑っていたことの輪郭が、もう少しはっきり見えてくるのではないか、と考えたわけです。『選集』第1巻のテーマを「日本人よ!」としたのは、そういう意図があってのことです。

中村:すごく新鮮でした。正直に告白すると、『伊丹十三選集』の編者のお話をいただいたとき、少し不安があったんです。それはこの仕事を引き受けることへの不安ではなくて、あらためて伊丹さんの文章を編みなおすとして、そこにどれほどの意味があるのか、ということです。すでに伊丹さんの本は数多く刊行されていますし、絶版のものもありますが、代表作はまだまだ版が生きています。にもかかわらず、いまこのタイミングで『選集』をつくることの積極的な価値はどこにあるのかが、その時点ではわからなかったのです。
ですが、こうしてひとつひとつのエッセイをこれまでのつながりから解放して、あらたな視点のもとで配置し直すと、見えていなかった文脈が見えるようになったり、隠されていた意味が浮上してきたりします。伊丹さんの思想や哲学が立ち上がってくる。それはすごくエキサイティングな体験でしたし、ほんとうにたのしい時間でした。

染谷:出版不況がつづき、贅沢な本づくりがなかなか難しいとされるいまの時代にあっても、素材の選択ひとつひとつを大切にし、丁寧で明確な意図をもった編集を施すことで、モノとしてもまたテキストとしてもすぐれた本を生みだし、そしてそれをきちんと読者に届けることは、けっして不可能ではない。いまお話をうかがって、本というものが本来備えている価値の本質のようなものが垣間見えたように思います。

物語に散りばめられた小さなエピソードたち

染谷:つづいて中村さんの選んだ1冊をご紹介いただくことにします。

中村:ぼくが選んだのは松家さんの小説『沈むフランシス』です。小説家としての松家さんのデビュー作は『火山のふもとで』ですが、それにつづく第2作目です。
『火山のふもとで』は、吉村順三先生をモデルとしたのではないかと思える先生と、主人公であるそのお弟子さんのお話です。建築事務所内の人間関係を描く群像劇でありながら、主人公の恋愛小説でもあるすばらしい本でしたね。

松家:中村さんが『沈むフランシス』を選んでくれたことを今日知って、少し動揺しています(笑)。ただ、刊行直後にありがたい感想を中村さんが送ってくださったのはよく覚えています。
『火山のふもとで』は、モデルを云々されることが多々あるんですが、わたしとしてはフィクショナルな設計事務所を想定して、建築家群像のようなものを描いたつもりです。もともと建築が好きなんですが、きちんと学んだわけではないので、大きなまちがいをしていないかどうか、ゲラの段階で中村さんに読んでもらいました。

中村:たとえば建築用語の誤りがないかとか、そういうことですよね。それで読んだんですけれど、まちがいを探すつもりが物語に引き込まれてしまって。編集者としての松家さんのことは知っていましたが、小説家としての松家さんのことはそこではじめて知って、ぼくはすっかりファンになってしまいました。
『火山のふもとで』は読売文学賞をはじめさまざま賞を受賞しましたが、2作目はどうなるのだろうと思っていたところ、今度は北海道を舞台にした恋愛小説になった。前作を読んだときにも感じたことですが、松家さんの書く文章には非常に映画的な印象があります。あらゆるシーンがとても映像的で、とくに音の描写がすばらしい。五感的といってもいいかもしれない。それがぼくにはすごくよくて、今回この本を選ばせてもらいました。
いくつもの小さなエピソードが重なって物語をつくりだしていくのですが、そのディテールが精緻で正確で、ここにはこの言葉しかない、という感じで出来ている。それがいちいちぼくの心のなかに、ストンストンと落ちていくんです。
そのエピソードというのは、物語を構成する要素なんだけれど、それにまつわる知識や事柄を知らなければ見過ごしてしまうようなものなんです。知識のひけらかしとか、そういうことではなくて、その小さなエピソードが小説の世界全体をすごく豊かなものにしてくれる。もちろん、そうしたことに対する知識がなくても、作品をたのしむことは十分にできますが、知っているとさらにおもしろく読むことができる、そういう類いのエピソードですね。これはぼくなりの表現ですけれど、松家さんが読者に向かってウィンクしているような感じがする。それがすごくいいんです。

松家:そうでしたか。

中村:たとえば「マイ・フェイヴァリット・シングス」という曲のこと。ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中歌なんですけど、松家さんはあの曲がものすごく好きなんですよね。

松家:そうです。中学1年生のときにはじめてこの映画を見たのですが、当時はなんだか反発する気持ちのほうが強かった。ストーリーとしては第二次世界大戦前夜のオーストリア・ザルツブルクを舞台に、ある若い女性と、妻を亡くした退役軍人の男性とその子どもたちとが関係を築いていく筋立てで、最終的にドイツによるオーストリア併合から逃れるために、一家はスイスに亡命するというもの。中学生だったぼくは、その結末に納得がいかなかった。主人公たちはいわば特権的に無事亡命できたからいいけれど、じゃあオーストリアに残されたその他大勢の人たちはどうなってしまうんだと。いま思えば10代ならではの正義感のようなものだったのでしょうけれど、大人になってからまた観直す機会があったんですね。ほんとうに久しぶりに観てみたら、後半にはいってくると、もうあちこちでぼろぼろ泣いてしまって(笑)。それ以来、ぼくのなかのベストムービーのひとつになっています。歌もすばらしいですしね。

中村:「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、タイトルのとおり、自分の好きなものをひとつひとつあげていく歌です。ぼくもあの曲、とくに歌詞が大好きなのですが、そのひとつひとつがすごくいいんです。鼻の上に乗っている雪のひとひらとか。

松家:装丁のカバー写真のことをおっしゃってるんですね? これは北海道の小さな町の、ある意味でなんの変哲もない冬を丹念に、静かに撮っていった小畑雄嗣さんの写真集『二月』からお借りしたものです。この犬の写真をはじめて見たとき、なんとも言えない気持ちになりました。犬の鼻にのっている雪をよく見ると、雪の結晶のままなんです。北海道の冬はものすごく寒いから、降る雪も結晶のまま落ちてくる。犬の鼻にのっても、鼻も冷え切っているから、溶けない。犬は結晶をのせて、我関せずの顔。その瞬間を捉えたこの写真を見たとき、これこそ北海道の写真だなあと思いました。

中村:「マイ・フェイヴァリット・シングス」の歌詞では、“Snowflakes that stay on my nose and eyelashes”つまり「まつげと鼻の上に雪の一片が乗る、それが好き」と歌っている。つまりぼくが先ほどいったエピソードというのは、こういうことなんです。

松家:「マイ・フェイヴァリット・シングス」とこの装丁の写真の関連性について触れた人は、わたしの記憶ではないですね。

中村:そうですか? ぼくはこの装丁を見た瞬間に、「マイ・フェイヴァリット・シングス」の歌詞を思いだしましたけど。
それから、これは松家さんが意識したどうかはわからないけれど、作中で小包みが届くシーンがあります。その小包みが茶色い紙でくるまれて、たこ糸で縛られている。やはり「マイ・フェイヴァリット・シングス」のなかに“Brown paper packages tied up with strings”「茶色い紙に紐で縛られている包みが好き」というフレーズがあります。

松家:なんだか取り調べを受けているような気分です(笑)。

中村:こういうウィンクが随所に散りばめられている小説なんです。ほかにもたとえば主人公の女性が恋に落ちる男性も、すごくきちんとした暮らしをしている人なんですよね。38歳で、その暮らしぶりがすごく丁寧に描写されていく。冷蔵庫を空けると賞味期限を過ぎたものがひとつもない、とかね。ぼくはそれを読んだときに、映画『ジョンとメリー』を思いだしました。
『ジョンとメリー』はニューヨークを舞台にした、ある男女の一日の恋愛を描いたもの。ダフティン・ホフマンとミア・ファローの、ほぼふたりだけの芝居なんだけれど、しゃれた会話、ウィットに富んだユーモアが散りばめられている、すばらしい映画作品です。

松家:ダスティン・ホフマン演じるジョンは、バツイチの建築家なんですよね。だから、彼の家のなかのしつらえ、暮らしぶりがほんとうにいい。贅沢というわけでなく、暮らしぶりの好み、決まりごとがはっきりとある。いわば伊丹十三的なこだわりがあるんです。中村さんとはときどき映画の話もしますが、『ジョンとメリー』が話題になったときは、おたがいにやっぱりなあと。

中村:『沈むフランシス』とは物語のなかを流れている時間が異なりますが、ぼくは『沈むフランシス』を読んでいるあいだ、ずっと『ジョンとメリー』の物語が鳴り続けているところがありました。ふたつの物語が絡みあって、そこからちがう音楽が立ち上がるような感覚があったんです。
『ジョンとメリー』は30代半ばくらいの男女の物語ですから、『沈むフランシス』の主人公の年齢とも重なりますよね。

松家:ジョンはバツイチで、女性に対する気持ちはあるけれど同時に警戒心もつよい。メリーは別の中年男と不倫をして、その人と別れたばかり。さあこれからどうしようというタイミングではあるものの、それぞれに恋愛の行く末の苦味を知りつくしてもいる。だから最初はおたがに腹の探りあいをするわけです。映画なので、実際にしゃべっている言葉とは別に、心のなかの声をナレーションで入れている。そういう二重構造になっているところもおもしろい。映像もきれい。とても寂しくて、しかもあったかい感じなんです。

中村:それとは全然ちがいますけれど、ぼくにはふたつの物語が一緒になって、全然ちがうものが立ち上がってくるような感覚があって、ほんとうにおもしろく読みました。
あんまりいってしまうと、未読の人がこれから読むたのしみがなくなってしまうので控えますが、すっごく泣けるシーンがあるんですよ。盲目のおばあさんのところなんですけど。詳しくは読んでたしかめてみてほしいのですが、あそこは書きながら、読者を泣かせようと思っていたでしょう?

松家:いえいえ(笑)。そんなつもりはなくて、自分自身が間接的に経験したともいえるエピソードがもとになっています。もちろん、そのままではないんですけれど。

中村:ぼくは何度か読み返してるんですけど、あそこに来るとどうしても泣いてしまう。

松家:小説のディテールについて、そのように言ってくださるのはありがたいです。ディテールだけが集まってできたような小説ですから。

人生を豊かなものにしてくれる小説作品

染谷:書いているときにそういうことは意識されたのでしょうか。

松家:いや、意識して書く、というのとはちがうんです。いま中村さんのお話を聞いて、なぜあのとき自分はあの場面を書いたのかな、とあらためて考えることになりますね。でも、書いたときのことはまったく忘れています。小説はやっぱり読者に読まれることで完成するものですね。

中村:また伊丹さんの舞台あいさつみたいなこと言っちゃって(笑)。

松家:(笑)。いや、でもほんとうにそうなんですよ。だからこの作品が合わない人もいるでしょうし、100人の読者がいれば100通りの読み方があるわけですから。そこが本のいいところだと思います。

中村:もうひとつだけ訊いてもいいですか。最初に水死体が流れているシーンがありますよね。あれはなにかの伏線になっているんですか? あれがどういうことなのか、ぼくはいまだにわからないんですが……。

松家:物語の後半で、あの水死体がじつは自殺によるもので、自殺した人が川を流れて、たまたまたどりついたのが、あの小説の主な舞台となる水力発電所だった、とほのめかされる場面があるんですけど……ごめんなさい、ちょっと粗筋を思い出せない(笑)。ぼくは本が出たあとに自分の本を読み返さないんです。これまでのどの作品も、一度も読み返したことがない。原稿でもゲラの段階でも、何度も何度も読んで、校閲者や編集者がたぶん呆れるほど直します。毎回ゲラが真っ赤になって、校了直前までそれが続きます。でも本になったあとはパラパラとめくることはあっても、通読はしません。自分でもどうしてなのか理由はわからないんですけれど。新聞や雑誌の掲載されたエッセイは読み返すことがあるけれど、小説に関しては一切読み返したことがない。
使われなくなってしまった水力発電所は取材しているんです。水力発電は川から水路を引いて、地中にもぐった水路が緩い傾斜のなかを発電所までたどりつくと、傾斜で勢いのついた水がタービンを回して発電する仕組みになっています。水路には当然、魚が迷い込んでくることもある。そのピチピチとはねる魚を、発電所で暮らす人が捕まえて焼いて食べたりもする、と聞きました。
あの小説にはどこかずっと不穏な感じが漂っています。あのふたりの関係も、どこへ行くのか誰にもわからない。意志のないものが流れてきて、どこかにたどりついてしまう。そういうことの象徴として、流れる水死体を冒頭で描きたかったのかな。

中村:ああその感じが最初に提示してあったのか。

松家:書いた直後だったらもう少しちゃんと説明できたと思うんですけど、もうすっかり忘れてしまった(笑)。

中村:今回のセレクトにあたって、じつは『光の犬』にするか『沈むフランシス』にするか、すごく迷いました。今日の箱根本箱のこの会に来られる方に、小説を読んでほしいと思ったんです。小説がおもしろいことを知ってもらいたかった。さきほどの学生たちの話にもつながるのですが、小説の世界にピタッとはまり込むことをしないのは、ぼくにはすごく損をしているように思えます。でもほんとうにいい小説じゃないとなかなか読み進めていけません。もちろん明治期や大正期、あるいは昭和に書かれたすぐれた小説作品でもいいのだけれど、できればいまの時代に書かれたもののなかから、きちんと書かれた、ちゃんと読めるものを選びたかった。ぼくは松家さんとは友だちであり仕事仲間ですが、それとは関係ないしに、松家さんの小説がすごく好きなのでそこから選ぼうと思ったのだけれど、なにを選ぶかはすごく迷いました。それで『沈むフランシス』と『光の犬』とで最後まで悩んだのだけれど、『光の犬』はやはり重たい。なにが重たいかというと、作中で人が死ぬわけですが、その数が多い。あの小説は死がひとつのテーマだけれど、大きくはレクイエムについての物語。人がさまざまな亡くなり方をしていくけれど、そのひとりひとりがつよいんです。もちろんぜひお読みいただきたい作品ですし、読むべき1冊ではありますが、『沈むフランシス』のほうが、小説という作品形式に親しみやすいと考えました。

染谷:ぼくも『光の犬』を読ませていただきましたが、ほんとうにすばらしい作品です。北海道のある町の、親子3代にわたる物語で、長い時の流れのなかで、人と人とがどうかかわり、生き、そして死んでいくのかを描いたもので、胸に迫るものがありました。この小説も、冒頭にビートルズの「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」のシンセサイザーの音についての描写があって、中村さんのお話をうかがったいまだと、あれも松家さんのウィンクなのかなと、そんなふうに思います。

ひとつひとつのディテールが全体を支えている

染谷:お話は尽きませんが、ここで会場の方たちにも参加していただこうと思います。せっかくなのでおふたりに聞いてみたいことがあれば、みなさんからぜひご質問してみてください。

観客A:松家さんにうかがいたいのですが、松家さんはご自身の職業を編集者と規定されていました。小説を書く際、小説家としての自分と編集者としての自分を行き来しながら、文章表現を練られているのでしょうか。

松家:編集者としては小説をはじめさまざまなジャンルの文章を扱ってきましたし、キャリアも重ねて、それなりの自負と自信をもって仕事をしていますが、小説家として自分が文章を書くときには、編集者としての職能はまったく機能していない気がします。手相読みは自分の手相を読めないという言い方がありますが、それと同じかな。小説家として文章を書くときには、編集者としての経験はほぼ、なんの役にも立ちませんでした。自分の書いた文章について編集者としての視線で見ることはどうもできないんです。だから担当してくれる編集者に委ねています。頭の働かせるところが違うんでしょうね。

観客B:中村さんにお尋ねします。小説を読んでほしいという思いがあると話されていましたが、建築家にとって小説とはどのような存在なのでしょうか。

中村:直接的に建築の設計と小説とは関係はないと思います。ですが、ぼくは住宅設計の仕事をしているので、つねに人のことを考えます。人とはなにか、そういうことを考えているわけです。人というものをどう見るのか、考えるのか、捉えるのか、そういうことについては、小説はすごく関係していると思います。
それから、先ほど松家さんに『沈むフランシス』の冒頭の描写について質問しましたが、やっぱり構成について考えていますね。全体の構成がどうなっていて、どこでどういうものが作用しているのかを気にしながら読んでいて、それは建築とすごく似ていると思います。本づくりが設計と似ているといいましたが、文章にも構造と骨格がある。構造は、建築でいえば柱がどこにあるのかということと同じですね。よくできた小説は、しみじみ読んでいくと物語性だけではなくて、最初にあるこのエピソードがあとで出てくる別のエピソードを支えているんだなということが、たくさんわかってくるんです。それは、すごく広く捉えるのなら、建築家としての自分の仕事にも関係しています。構造的にというか、論理的に物事を考えることとどこかでつながりがあるから、ぼくは小説作品というものをおもしろく読んでいるのかもしれません。もちろんすごく入り込むので、読みながらよろこんだり悲しんだりしますけれど、それでも構成や構造というものが気になっているんです。
全然話はちがいますが、イギリスの小説家フレデリック・フォーサイスの作品に『ジャッカルの日』というよくできたスパイ小説があります。ジャッカルというコードネームの暗殺者が、フランス大統領シャルル・ド・ゴールの暗殺を企て、それを阻止しようとするルベル警視との物語です。この本のなかに、ジャッカルがまさにド・ゴール暗殺を決行するその朝にどんな食事をしたかについての描写があって、ジャッカルは食べ残した卵焼きをディスポーザーで砕いて捨てたと書いてあるんです。「これで留守中に腐るものはひとつもない」。それくらい、すべてのことが完璧にできる人が、いまからド・ゴールを暗殺しにいく。エピソードとしてはとても小さなものだけれど、この描写のなかに、ジャッカルという暗殺者の人がらや几帳面な正確が完璧に表現されている。このディテールが、小説を縁の下で支えているわけです。ぼくはそれなりに小説を読んできているつもりですが、フォーサイスの作品と同じような精緻さ、ひとつひとつのディテール集積が全体を支えているんだということを感じさせる小説には、なかなか出会えません。そのなかにあって、松家さんの小説にはフォーサイスの小説のような、細部と細部が響きあって全体を構成している精緻さが読みとれます。そしてそういう小説を、ぼくは自分のすごく身近にあるものとして感じるんです。

松家:夏目漱石も若いころ、建築家になろうと思っていた時期があるようです。ぼくもじつは中学生くらいまでは建築家になりたいと思っていました。今日こうして中村さんのお話をうかがって、小説家と建築家にはやっぱりどこかでつながっているところがあるんじゃないかとあらためて思いました。

中村:松家さんが建築家じゃなくてほんとうによかった、といつも思います(笑)。こんな人が住宅の設計したらとてもぼくはかなわない、ぜひ小説に専念してほしいです(笑)。これからも松家さんの作品を読めることをたのしみにしています。

染谷:おふたりそれぞれの選書理由から、本という存在がもつ物質的な価値、本をつくることと建築をつくることの共通性、物語を支える細部が持つ意味など、とても深いお話をお聞きすることができました。箱根本箱はブックホテルを謳っています。本とともに過ごしながら特別な時を過ごしてほしい、この場所であらたに本と出会ってほしい、そういう思いを胸にオープン以来営業を続けていますが、今回のイベントでは、参加された方々はまさにそのような出会いがあったのではないでしょうか。私自身、おふたりの対話を通じて、あらためて本の持つ力や、本を読む空間のあり方について、非常に多くの気づきを得られたように思います。
箱根本箱では今後もこうしたイベントを重ねていきたいと考えています。その最初の回が、中村好文さんと松家仁之さんとのお話ではじめられたことを、とても幸運に感じております。本日はどうもありがとうございました。

[「本のある場所、本を読む場所」をめぐって 建築家・中村好文×小説家・松家仁之:後編 了]

構成:長田年伸


PROFILEプロフィール (50音順)

中村好文(なかむら・よしふみ)

建築家、そして家具デザイナーとしても活躍中。設計事務所「レミングハウス」を主宰し、「ジーンズのような流行に左右されない、普段着の定番みたいな住宅や家具が理想」といった居心地のいい住まいを提唱。1993年「一連の住宅作品」で第18回吉田五十八賞特別賞を受賞。また『普段着の住宅術』、『意中の建築(上・下巻)』(新潮社)など、数多くの著書もあり、幅広く活動。

松家仁之(まついえ・まさし)

1958年、東京生まれ。編集者を経て、2012年、長篇小説『火山のふもとで』を発表(第64回読売文学賞受賞)。『沈むフランシス』(2013)、『優雅なのかどうか、わからない』(2014)につづき、『光の犬』は四作目。編著・共著に『新しい須賀敦子』『須賀敦子の手紙』、新潮クレスト・ブックス・アンソロジー『美しい子ども』ほか。