INTERVIEW

シェルワン・ハジ×高山明(PortB):アキ・カウリスマキ監督『希望のかなた』をめぐって

シェルワン・ハジ×高山明(PortB): アキ・カウリスマキ監督『希望のかなた』をめぐって
「難民としてというより、自分の仲間のように、つまり『人間』として扱うということ。」

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シェルワン・ハジ×高山明(PortB):
アキ・カウリスマキ監督『希望のかなた』をめぐって

聞き手・文:小林英治

アキ・カウリスマキ監督の最新作『希望のかなた』が12月2日より全国順次公開される。内戦が激化するシリアを逃れ、生き別れた妹を探してフィンランドにたどり着いた青年カーリドを主人公とする物語は、近年ヨーロッパで大きな議論を巻き起こしている難民問題を真正面から取り上げ、壁を作って彼らを排除しようとする社会やステレオタイプに対する偏見を、ユーモアを交えたヒューマニティで打ち砕く。先行上映された10月の国連UNHCR難民映画祭で来日した主演のシリア人俳優シェルワン・ハジと、中東からの難民の避難経路であるバルカンルート上の都市を縦断的に繋ぐプロジェクト『マクドナルド放送大学』(※)を展開する演出家の高山明による、刺激的な対話をお届けする。
 
※2017年2月にドイツで実施された『マクドナルド放送大学』では、15人の「教授」による、15の「授業」が、フランクフルト市内のマクドナルドで展開され、カウンターで「レクチャー」を注文すれば、誰でも『マクドナルド放送大学』の講義を聴講することができる。「教授」は、アフガニスタン、シリア、ガーナ、エリトリアなどからやってきた難民で、自らの経験・知恵・思考が濃縮された「授業」は、建築・哲学・都市リサーチ・料理・音楽・スポーツ・リスク管理などバラエティに富んでいる。8月~11月の毎週末には、「黄金町バザール2017」のプログラムとして、これらの授業を横浜の人たちで翻訳・朗読した音声を、観客が大岡川をクルーズする船上で聴く移動型演劇公演「遠くを近くに、近くを遠くに、感じるための幾つかのレッスン」が実施された。

難民問題が日常の一部であるヨーロッパの状況

© SPUTNIK OY, 2017

© SPUTNIK OY, 2017

―――まずはハジさんのバックグラウンドを簡単にお聞かせください。そもそもご出身のシリアでは、演劇の勉強をされていたということですね。

シェルワン・ハジ(以下、ハジ):ダマスカスの高等芸術学院(Higer Institute of Dramatic Arts)で学びました。原始的な人類の儀式などから始まり、ギリシャの演劇や中世、中東などのさまざまな時代や地域のパフォーマンスから、より近代の文学ベースの舞台で物語を伝えるというものまで。役者のためのトレーニングなども含めて、毎朝8時からスタジオで集中して勉強するというようなことを4年間やっていました。

『希望のかなた』主演、シェルワン・ハジさん

『希望のかなた』主演、シェルワン・ハジさん

―――その後あなたは移民としてフィンランドへやってきたわけですが、前作に続いてカウリスマキ監督が本作でもテーマにしているように、近年ヨーロッパで難民の問題が大きな議論になっています。

ハジ:難民の問題は自分にとっての日常の一部です。ただの数字や統計の問題ではありません。テレビやラジオでニュースを見聞きしても、どこか遠くの抽象的なことではなく、とてもリアルなものです。そこには友人も入ってるかもしれないし、会ったことがある人もいるかもしれません。一人ひとりに名前があり、それぞれの記憶があり、家族があり、楽しいことや悲しいこと、日常の問題があるわけです。

難民を素材としてではなく人間として扱うこと

© SPUTNIK OY, 2017

© SPUTNIK OY, 2017

高山明(以下、高山):僕はドイツで演劇を勉強したので、少しはヨーロッパの状況がイメージできるところがあります。例えば今ドイツでは、実際の難民の人が舞台に上がってる演劇というのがすごく多いんですね。でも僕はあまりそういう舞台が好きではありません。なぜなら、観客はみなドイツ人で、劇場に来る人ですからインテリであり、その人たちが難民について考えるといっても、彼ら(難民たち)は演出家の素材として舞台に上げられているにすぎないからです。それが僕はフェアじゃないような気がするんです。

ハジ:私もその意見に賛成します。とてもホットなトピックとして、物を使うように見せるのは悲しいですよね。

高山:だからこの映画を観て僕がとても感激したのは、そういった扱いではまったく無いかたちで、ハジさんが演技しているということです。難民というとても重要な役柄ですが、それがマテリアルとしてステージに上げられてるのではなく、他の役者たちと同じ地平でやられていた。カウリスマキ監督といつも一緒に仕事をしている常連たちのアンサンブルの中にハジさんが入って、しかも見事に機能していたということが本当に素晴らしいと思いました。

高山明さん(PortB)

高山明さん(PortB)

ハジ:私も、撮影が始まる前からこの作品について面白いと思った点は、登場人物の難民としての扱いです。難民としてというより、自分の仲間のように、つまり「人間」として扱うということ。それだけでなく、彼をフィンランド人の別のキャラクターと合わせていることも重要です。フィンランド人の彼も自分の過去の生活の外に出なくてはならないというプレッシャーを受けていて、難民であるカーリドと同じような物語をもっているわけですね。どちらも今までに生活があって、愛する人間がいて、誰かに愛され、悲しみを覚えたり、食事をし、生活をして、決して表面的なイメージで描かれてはいません。それが人間的なことだと思うんです。

高山:さらに興味深いのが、あなた自身は移民であり、本来的な難民ではないけれど、難民の役を演じたということです。演出の選択肢としては本当の難民の人を使うという方法もあったと思いますが、それをハジさんのような方が演じられたことがとても良かったと思いました。その上で、僕にとってあなたの演技が特別なものに感じられたのは、あなたが「難民を演じた」からではなくて、あなたの「演技自体が良かった」からです。そこに感動しました。

ハジ:ありがとうございます。どのような人間も、自分がフェアなかたちで認められるということはとても嬉しいことです。私はシリアの状況が悪化する前に国を出ていたので、生き抜くためにすべてを残したまま国を脱出するという経験をした友人たちとはまた違う状況です。その違いは自分にとっても非常に複雑な問題でした。でも、この映画を体験したことによって、自分の中でオルタナティブな経験を持つことができ、そのギャップを埋めることができました。難民になる経験をした友人たちを外から見ているだけでなく、彼らと同じような視点も持つことができるようになったからです。この物語によって両側の視点の間にブリッジができたんですね。

© SPUTNIK OY, 2017

© SPUTNIK OY, 2017

演技をしないことで、何十万、何百万の難民たちの声を代弁する

ハジ:この映画に参加する上では、たくさんのプレッシャー、特に2つの重いプレッシャーを感じていました。ひとつは役者であるということに関して、このような映画でこのようなスケールの登場人物を演じなければならないことです。胃がキリキリするような思いでした。そしてもうひとつの大きなプレッシャーは、代弁することの責任です。百や千ではなく、何十万、何百万人という、日常的に苦しんでる人たちの重圧を背負わなければいけないこと。でも、それは私の義務でもあると思い、その2つの苦しみを合わせてキャラクターを作っていきました。

高山:具体的にこのキャラクターを演じる上で臨んだことがありますか?

ハジ:どういうふうに演じるべきかはもちろん考えました。これまで訓練してきたさまざまなメソッドがあります。でも結局行き着いたのは、演技をしないことです。自分であるということですね。シェルワン・ハジとして、与えられた物語の状況にどう反応するか、この物語と一緒にインタラクトしようとしました。例えば、自分の名前さえ知らない者たちに襲われたらどういう反応をするのか。実際そういうことは現実に起こりうることですね。あるいは自分が妹を失ってしまったらどういうふうになるのか。その反応は演技というわけではないんです。現実の中では自分たちが感じたことを「演じ」はしません。ですから、朝起きてコーヒーを飲んで、朝食を食べ、交通機関に乗って現場に入り、アキに会って、どのシーンか把握して、何も決断せずにやるだけでした。

高山:逆に監督からの具体的な演出はなかったのでしょうか。

ハジ:アキが素晴らしいのは、作品の中に私の貢献する場所、余裕を与えてくれることです。その信頼というものが一番大事なことで、彼はこのプロジェクトに私が何かをもたらすことができるということを信頼してくれました。私以外は長年一緒に仕事をしてる人たちですから、違う文化から来た人間としては、周りに自分の説明を必死にしなければいけない状況ですよね。でもアキは自分にとってとても居心地の良い状況を作ってくれました。毎日セットに入って「おはよう」と言いながら、「このシーンがあって、ロケーションがここで、ここからここへ移動して。じゃあ、どうぞ」と。そうしたら驚くことに、ほとんどがワンテイクで済みました。

© SPUTNIK OY, 2017

© SPUTNIK OY, 2017

高山:今までのお話で興味深いのは、この映画では一人のキャラクターを演じながら、背後にいる何十万、何百万という人たちの代表でもなければならなかったということ。そのために、最終的には演じないで、自分をその状況に持っていこうと決断なさったことです。そこで、ハジさんにとって演技ということを考えたとき、今回がこれまでのキャリアとはまったく違った点はありますか?

ハジ:脚本を読みながら、そして作業をしながら特に自分の意識の中であったのは、自分の中でたくさんの議論を闘わせることでした。シンブルなことというのは一番複雑なことですが、もちろんそれを成し遂げるのは簡単なことではありません。一番苦しんだのは、その登場人物をステレオタイプにせずに、どう多くの難民たちの声を代弁するかということです。もちろんクリシェに逃げることは簡単です。より広い期待に応えるということはより簡単なことだと思います。なのでそこを避けなければならなりませんでした。あるシーンではビールを飲みました。宗教心の強い人は驚くかもしれません。でも実際はお酒を飲む人も多いんです。男女の関係性についても、中東の男性は奥さんを虐待したり、4人と結婚したり、女性を低く見ていたりと、ステレオタイプに考える人もいるかもしれません。でもそれは本当のことではありません。クリシェと闘うことは難しいことなんです。複雑でありながら、宗教的にも批評もし、社会さえも批判しながらやらなければいけない。難民としての登場人物と自分との共通項を見つけ出さなければいけない。しかもそれを演技をせずに体現しなければならない。

映画によって観客との間にブリッジをかける

© SPUTNIK OY, 2017

© SPUTNIK OY, 2017

高山:僕はここ2年くらい、ドイツで難民の人と何十人と会ってきて、また今年は作品を準備しているレバノンのベイルートに2回行って、そこでもシリアの人にたくさん会ってきました。この映画を観ていたらとても面白いことに、ハジさんのおかげで僕はこのカーリドというキャラクターと対話できるんだけども、それと同時に、僕がこれまでドイツやベイルートで会ってきたいろんな人たちのことも思い出すことができました。つまり、一人の人物に対して没入する感じではなくて、僕の中で想像したり思い出したりする、スペースが持てたんです。素晴らしいと思いました。

ハジ:今のお話が聞けてとても嬉しいです。特にこの映画は愛をもって作ったものなので。ある意味、自分の中のモラル、自分に課した仕事で、キャリアアップのためにやったのではありませんし、アキ自身もキャリアのためにやっているのではないと分かりました。例えばフィンランドの社会と対話をすること、ヨーロッパの社会と対話すること、また全体的な世界と対話すること。彼ら難民というものは、私やあなた、皆と同じ人間であるということ。このメッセージが伝わることを望んでいますし、映画を観た後に、難民であることがどういうことか考えてくれるだけでも自分にとっては大きな報酬だと思います。と同時に、映画を携えてこういったかたちで世界を周りながら、いろんな異なる場所、異なる文化の人たちが、核となる部分は同じだということが確かめられたのは、それ以上の報酬でした。

© SPUTNIK OY, 2017

© SPUTNIK OY, 2017

高山:映画を拝見していて、インテグレーション(統合・融合)の問題ということをやはり考えました。この映画では、何かを食べるとか、煙草を吸うとか、お酒を飲むというシーンがすごく多いですよね。それは例えば寿司だったり、インド料理だったり、ミートボウルだったり、サーディーンだったり。インターナショナルな料理がたくさん出てきますが、でも人はそれが美味しいから食べちゃうわけでしょう。煙草や酒をシェアするのも、出会ってすぐに一発ずつ殴り合ったのもそうかもしれない。そういったかたちで身体が同調したり、交流したりすることの大切さを、映画の中でとても強く感じました。

ハジ:インテグレーションについていえば、みんな自分たちでインテグレーションしたいと思っています。もし機会さえあれば。私自身も履歴書が全く意味を成さなくなったことを体験しています。言葉の問題もありますし、まずは必死に言葉を覚えて、彼らがどういう人たちかを理解しなければいけません。それは簡単なことではないんですね。でもインテグレーションの問題で重要なのは、一方からもう一方に働きかけるのではなくて、両方から働きかけなければならないということです。自分がそうしても向こうが拒めば、2~3回くらいは良いかもしれないけど、何度試みても駄目ならば後ろを向いてしまうかもしれません。アキはこの映画でそこをハイライトしようとしたわけです。二人の男がゴミ箱の前で出会って殴りあった次のシーンでは、一緒にご飯を食べている。これはインテグレーションの最初の一歩だと思います。我々は皆、同等に踏み出すことができるはずです。そうすれば何かを生み出すことができるのではないでしょうか。

高山:インテグレーションというのは、同化とは違うんですよね。

ハジ:その通りです。お互いが同じようにならなければならないのではなくて、違ったりユニークであったりできる。ブリッジがお互いにあれば、私はあなたのところに行くことができて、お互いを理解し、相手から何を学び、何を取り込むことができる。逆もまたしかりですね。これがインテグレーションだと思うんです。

高山:ハジさんが自らの経験と難民たちの経験にブリッジをかけたように、この映画は観客との間にもブリッジをかける素晴らしい作品だと思います。

ハジ:インテグレーションは強制的にすることではありません。だから映画が素晴らしいツールであるというのは、そういう変革を無理なくもたらすことができるからです。武器を向けるのではなく、これを信じろと強いるのでもなく、同感すれば理解することができる。黒澤明を観て感動するように、タランティーノを観ても感動することがある。この映画でも、そういった人間としての基本的な要素を感じてもらえると嬉しいです。

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対話のあとの一服でハジさんに勧められ、数年ぶりにタバコを吸う高山さん

対話のあとの一服でハジさんに勧められ、数年ぶりにタバコを吸う高山さん

[アキ・カウリスマキ監督『希望のかなた』をめぐって 了]

インタビュー写真:後藤知佳(NUMANBOOKS)
(2017年9月29日、都内某所にて)

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『希望のかなた』
(原題:TOIVON TUOLLA PUOLEN/英語題:THE OTHER SIDE OF HOPE)
http://kibou-film.com/

2017年12月2日(土) 渋谷・ユーロスペース、新宿ピカデリー他にて全国順次公開

監督・脚本:アキ・カウリスマキ
出演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン
2017年/フィンランド/98分/フィンランド語・英語・アラビア語/DCP・35㎜/カラー
配給:ユーロスペース 
公式サイト:http://kibou-film.com/


PROFILEプロフィール (50音順)

シェルワン・ハジ(Sherwan Haji)

1985年生まれ。2008年にダマスカスのHiger Institute of Dramatic Artsを卒業。いくつかのTVシリーズに出演したあと、2010年にシリアからフィンランドに渡る。2015年にイギリスのアングリア・ラスキン大学芸術学部に進学し、翌年に博士号を取得。2012年からは自身のプロダクションLion's Lineでショートフィルムの脚本や監督、インスタレーションの制作も行っている。長編初主演となった『希望のかなた』でダブリン国際映画祭最優秀男優賞を受賞。劇中では伝統楽器サズの演奏も披露している。

小林英治(こばやし・えいじ)

1974年生まれ。フリーランスの編集者・ライター。ライターとして雑誌や各種Web媒体で映画、文学、アート、演劇、音楽など様々な分野でインタビュー取材を行なう他、下北沢の書店B&Bのトークイベント企画なども手がける。編集者とデザイナーの友人とリトルマガジン『なnD』を不定期で発行。 [画像:©Erika Kobayashi]

高山明(たかやま・あきら)

1969年生まれ。演出家。2002年、プロジェクトごとに形を変えて作られる創作ユニットPort B(ポルト・ビー)を結成し、実際の都市を使ったインスタレーション、ツアー・パフォーマンス、社会実験的プロジェクト、言論イベント、観光ツアーなど、多岐にわたる活動を展開している。いずれの活動においても「演劇とは何か」という問いが根底にあり、演劇の可能性を拡張し、社会に接続する方法を追求している。2017年のプロジェクトに『マクドナルド放送大学』『ワーグナー・プロジェクト』などがある。portb.net/ja/