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清水玲奈 英国書店探訪

清水玲奈 英国書店探訪
第6回 John Sandoe (Books)

 INK@84

写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり

 

第6回 John Sandoe (Books)

 

 INK@84

 

 ロンドンの中心をやや南西に外れたところにあるチェルシー地区。その目抜き通りであるキングス・ロードは、マリー・クヮントが店を構えて1950年代末にミニスカートを世に送り出し、60年代にはスウィンギング・ロンドンの本場になります。70年代もヴィヴィアン・ウエストウッドがここで開業し、ロンドンの若者ファッションの震源地でした。近年はブランドのブティックや星付きレストランが集まり、その裏には高級住宅街が広がる瀟洒なエリアになりました。2008年には商業複合施設デューク・オブ・ヨーク・スクエアがオープンし、飲食やファッションの店のほか、現代アートで有名なサーチ・ギャラリーや、ビジュアル本で有名な出版社タッシェン(Taschen)の専門書店が入り、再び活気を帯びています。

 

レンガの壁に映えるクラシックな看板。

 

 そのスクエアからキングス・ロードを渡り、向かいの小道を入ると、熱狂的な顧客たちに支えられているジョン・サンドー書店の看板が見えてきます。古めかしいたたずまいは、1957年創業当時のモノクロ写真からほとんど変わりません。

 

並木の美しいスクエアの向かい側、にぎやかなキングス・ロードのわき道を入ったところに店があります。

 

 店がある建物は18世紀の歴史建築で、ブラックランズ・テラス10番地から12番地まで3軒が連なる長屋。第二次世界大戦中は、ローマ教皇御用達のアンティークショップと、プードル犬専門の美容室、それに秘書派遣エージェンシー、洋品店が入っていました。戦後まもなくは、チャーチル首相の飼い犬もかかりつけの獣医の診療所とともに、古書店が誕生。しかし、俳優と演劇エージェントだったという経営者夫妻は本業が忙しくなったことから廃業し、その跡に1957年、創業者のジョン・サンドーが書店を開きます。

 ジョン・サンドーは、兵役の後カナダに留学、出版業を志しますが、カナダでは出版が盛んではなかったことからやりたい仕事が見つからず、書店を開業する夢を携えて帰国。ロンドンのオクスフォード・ストリートにあった書店で修業したのち、この店を開きました。1989年に健康上の理由で退職するまで店長を務め、「初日から最終日まで、一日残らず幸せだった」と述懐しています。その後2007年に死去するまで、ドーセットとスコットランドで田舎暮らしを送り、店から本を頻繁に取り寄せて読書にいそしんでいたそうです。

 

 創業者が築き上げた書店の個性と顧客をそのまま引き継いだのが、店を買い取った共同オーナー3人(当時の店員2人と、顧客1人)でした。うち1人が、1986年からこの店で働き、1989年からは2代目店長を務めているジョニー・ド・ファルブ(Johnny de Falbe)さんです。

 

レジカウンターの後ろにいるのがジョニー・ド・ファルブ店長。

 

 店では全てのジャンルを扱いますが、中心は文学、歴史、伝記。そのほか、芸術、建築、写真、ファッション、音楽、映画、演劇、自然、園芸、旅行、料理の本、それに児童書も充実しています。店にはごく小規模の出版社の本、豪華な装丁の全集など、他の書店ではあまり扱われていない本や、10年以上前に出版された古典と呼ぶべき本も置かれています。

 

店長と本談義をするために店に来たのでは? と思わせるほど、おしゃべりにふけるお客さんも少なくありません。でも皆さん最後にはちゃんと本を買っていかれます。

 

 本のセレクトはジョニーさんが中心となって、「顧客が喜んでくれそうな本かどうか」を基準に行っています。出版社の営業担当者が店にやってきて、通常は半年に一度、ランダムハウス(Random House)系列の出版社の場合は2カ月に一度、これから出る本を紹介し、プルーフと呼ばれる見本を置いていきます。その中から厳選して注文。さらに、店には原則として1タイトル1冊しか本を置かないので、普段からストックは日に何度もチェックし、売れた本は再び入荷するか、そうせずに新しい本にスペースを譲るかを判断します。このプロセスを繰り返すことで、「私たちが理想とする書店にふさわしい品揃え」を維持していると、店長のジョニーさんは説明します。古典と呼ぶべき本に関しては、売れる頻度は低くてもストックを維持することがほとんどだとか。また、本を1部ずつしか置かないのは、スペースの無駄を避けるとともに、売れ残りの返品のコストをできる限り抑えるという節約策でもあるそうです(店ではたいていの本は入荷の翌月に支払い、4か月後に売れ残れば返品できるというスケジュールで出版社と契約しています)。

 

1階の入り口近くのコーナー。新旧の顧客たちの写真があちこちに飾られ、とにかく本がぎっしり並んでいます。

 

 また、詩のコーナーが充実していて、今ではかなりの売れ行きですが、かつて「詩は売れない本」というのが業界の常識だった頃も、初代店長のジョン・サンドーは「うちの店は優れた詩集コーナーを常設すべきだ」という考え方だったそうです。そのほか、考古学の本や、マイナーな小説家の本など、いまだにあまり売れ行きは良くなくても「店には必要」と思われる本は頑固に置いています。「教養ある人の理想の書棚がコンセプト。それは図書館の蔵書の揃え方に近いかもしれません」と現在の店長のジョニーさん。イギリスの書店めぐりをしたあるアメリカ人のジャーナリストが、「ジョン・サンドーの棚にある本は1冊残らずほしくなる」と述べていて、それこそがまさに目指すところだとうれしくなったそうです。

 

1階の入り口を入って右側の部屋。ペーパーバックの棚のほか、ノンフィクションの新刊書や文学全集がゆるやかな種類ごとに並べられています。

 

 

 そして、「今読むべき本をすべて揃える書店」であることとともに、「顧客の希望する本があれば、本が世界中のどの場所にあっても、顧客が世界中のどこにいても、できる限り届ける店」というコンセプトも、創業当時から変わりません。注文を受けた本に関しては、絶版になっている本でも、またイギリス国外にしかない本でも、取り寄せる努力をするそうです。そして、完璧な状態で本を届けるため、例えばギリシャの小島に住むお得意さんの注文は、ヘリコプターから地上に落とすという形で届けられることから、とりわけ厳重にビニール袋で梱包して送るなど、きめ細やかな対応をしています。

 

店内には、遠方のお客さん宛ての本の小包がたくさん。かつての店の絵をあしらった便箋に住所を手書きします。

 

 さらに、顧客の希望に合わせた本で書棚を構成する選書サービスや、新刊書を店が選んで届けるおまかせ定期便サービスを行い、イギリス内外に暮らす個人のほか、会員制クラブやオークションハウスなどが利用しています。親しい友人の子どもへの誕生日プレゼント用に年一度の定期便を利用するお客さんもいるそうです。また、結婚式を前に新居に置きたい本のリストを作成して店に用意し、ゲストがその中から選んだ本を新婚夫婦にプレゼントできるという本のウエディングリスト・サービスも行っています。

 現在の顧客の中心は、地元キングス・ロード界隈に暮らしていて「チェルシー・ジェネレーション」と呼ばれる高齢の富裕者層と、その家族たち。たとえば、本格的な文学書や学術書を好む元銀行員や、毎週新しい小説を求めて店に立ち寄る女性客がいます。それに加えて、中東在住で出張が多く、月に一度ロンドンに来るたびに、フライト中に読む本を頻繁に買う歴史書ファンのお客さん、非英語圏に暮らしていて英語の本をもっぱら通信販売で買う英米人や非英語圏出身のお客さんなど、海外在住の人も多数います。アカウントを持っていて頻繁につけで本を買うお客さんが計500人ほど、中でも大量買いするお客さんが100人ほどいます。こうしたお客さんの注文する本は、店にとっても貴重な情報源で、注文を受けた本を入荷して店に置くようにすることもあるそうです。

 

店頭に置かれている手作りの新刊カタログ。無料ながら充実の内容です。

 

 昔ながらのパーソナルな接客が人気で、店に来て店長と話し込む人たちの姿も目立ちます。エキセントリックなお客さんも少なくないので、とりわけ注意深く接する必要があるとのこと。店で社訓のように語り継がれているのが、「書店員はGP(イギリスのかかりつけ医)のようなもの」という創業者ジョン・サンドーの言葉。お客さんとは一対一で対話し、お客さんをよく理解し、本当に必要な本を「処方」しなくてはならない、という趣旨だそう。さらには、お客さんはまた本屋に戻ってきて、処方された本についての感想を述べ、書店員はたとえお客さんの正体は何も知らなくても本の好みについてはさらに知識を深めていくというのも、患者の健康状態のことだけは熟知しているかかりつけ医と同じだとか。しかも、患者のプライバシーを厳守する医者と同様、書店員も、「あのお客さんがあの本を買っていった」という情報は絶対に他の人には言わないという不文律があります。

 

話題の小説は3冊ほど置かれていますが、本のほとんどは在庫が1冊ずつ。テーブルの本もできるだけ背表紙を見せて並べられています。

 

 古くからの顧客にはイギリスでは有名な作家も何人かいて、アイルランド人作家エドナ・オブライエンは、「ジョン・サンドーは私のロンドン生活に欠かせない存在。誰もが望める限り最高の本屋さん」と賛辞を惜しみません。映画「恋におちたシェイクスピア」などで知られる劇作家トム・ストッパードによれば、「面積に限りがあるので厳選した本だけを置いているが、最近出た本をチェックするなら、この店のテーブルに置かれた本を見るのがロンドンで一番」。有名人のファンは作家ばかりではなく、靴デザイナーのマノロ・ブラニークは「特定の本を手に入れたい時は、ここの書店員さんに相談すれば必ず見つけてくれる。今も変わらず世界一の本屋さんで、他のどの店にもない本が見つかる」と述べ、コンラン・ショップの経営で知られるデザイナーのテレンス・コンラン卿は「本の虫の夢…完璧な本屋さん」と言い切ります。

 そして、この本屋を一巡して本好きなら誰もが感じる高揚感を一番よく言い当てているのが、カナダ出身でロンドンに暮らしたジャーナリスト、キャスリーン・タイナン(1937年~1995年)が残した言葉かもしれません。「サンタクロースにおねだりできるなら、ジョン・サンドー書店で一生買い物できる個人アカウントの支払いをお願いしたい」。本が店内のそこここにぎっしりと、そして各タイトル1冊ずつ置かれているこの書店は、本好きな人が蔵書で埋め尽くした家のよう。一見平積みのように見えるテーブルの上も、一冊本を持ち上げると同じ著者の違う本が登場し、宝探しの楽しみもあります。

 

一人で店に来て、本選びに没頭するお客さんたち。

 

 

 1989年から2代目店長を務めるジョニーさんは1963年生まれ。この店で働き始めたのは1986年、大学卒業後間もなくのことでした。文学通で、自ら過去に3本の小説を発表しています。

 店には「とても忙しい友達に本をプレゼントしたいのだけれど」とアドバイスを求めてくるお客さんも少なくないそうです。ジョニーさんはそんな時にはまず、「本を贈ることこそが、いいメッセージになる」と答えるそうです。オペラ愛好家のドイツのアンゲラ・メルケル首相を例に出して、「どんなに忙しい人でも、好きならば、オペラに行く時間だってとれるもの。本を読みたいと思うなら、時間は見つかるものです。うちのお客さんにも政治家など、責任ある仕事に就き多忙な日々を送る方が少なくありませんが、大変な読書家です」と語ります。

 ジョニーさんが就職したころから、店では新刊書の中から店が勧める本について紹介するオリジナルのカタログを四季ごとに発行、イギリス内外の顧客たちに送付しています。A5版8ページ、モノクロの同人誌のようなスタイルで、「伝記」「歴史と現代情勢」「小説」「詩と思想と文化」「ガーデニングと旅行」「芸術と建築とデザイン」「児童書」「書店員が読んで特に気に入った本」のカテゴリーごとに計100冊ほどの本を取り上げます。題名・著者・出版社のほかは1~2行で説明を載せただけのシンプルなカタログですが、30年前から続けられていて、顧客たちは本選びの参考資料として絶大な信頼を寄せています。最新号は店に常備。電子版はウェブサイトに掲示されていて、バックナンバーも過去の3シーズンまでさかのぼってウェブサイト上で見られるようになっています。

 

本を買うともらえるオリジナルのしおり。

 

 1995年には、ジョニーさんが中心となって店の出版物を手掛ける出版社「クックー・プレス」(Cockoo Press)を設立しました。それ以来毎年クリスマスシーズンの始まりに、短編小説集や詩集、あるいは小説の最初の章などを収録した小さな本を50部~1000部作り、お得意さんにプレゼントとして贈呈し、一般にも販売しています。店長含む10人の書店員さんたちが企画編集を手掛け、顧客でもある作家たちに執筆を依頼することが多いそうです。これまでに、ミュリエル・スパーク、ハビエル・マリアス、エドナ・オブライエンらの著作を出版していて、2015年にはイギリスでも大人気のイタリア人女性作家、エレナ・フェランテ(Elena Ferrante)の小説の翻訳「My Brilliant Friend」を出版しました。

 創業当時は10番地の1階部分のみでのスタートでしたが、創業者の代に、次第に階上へ、そして11番地へと店を広げました。そして2014年には、12番地で診療を続けていた獣医さんがようやくリタリアし、ジョン・サンドー書店が賃借権を獲得。店舗面積を広げました。かつての店は現在の4分の3のスペースに25,000冊の本(現在は30,000冊)を置き、床の上まで本の山で埋め尽くされていましたが、古き良き書店の雰囲気はそのまま残しつつ、店内をすっきりと見やすく全面改装。2階にはスライドする書棚を導入し、本の著者を招いて30人ほどが出席するイベントも開催できるようになりました。「イベントはもうけにはつながりません。でも、ここが博物館ではなくて、生きている本屋ですよ、というメッセージを発信するためにも重要。それに、何より私たちも楽しいですから」とジョニーさん。

 

2階の店内。オークの書棚に文学作品や伝記がぎっしりと並び、ここに住みたいと思わせる空間です。

 

 

 ジョン・サンドー書店は、イギリスで独立系・チェーンの双方の書店が次々と閉店した激動の時代を乗り越え、創業から60年を経て今なお好調です。ジョニーさんは過去30年、書店業界の変化を目の当たりにしてきました。「90年代は、大手チェーンがライバルでした。本の定価販売を義務付ける協定NBA(Net Book Agreement)が違法判決を受けて廃止され、チェーンが値下げ販売を始めたことで、小規模の独立系書店は次々と店を閉じていきました。でもうちは、ロケーションの良さと、品揃えの奥深さによって生き残れた。実は私はNBA廃止の議論にも業界の代表者としてかかわっていたのですが、その結果作成された裁判所の判決文ではアマゾンは言及さえされていませんでした」と振り返ります。

 「その後は24時間いつでも安価に本が買えるアマゾンがシェアを急速に伸ばしていき、大手チェーン書店も戦いに敗れます」。ジョン・サンドー書店も、その影響を免れているわけではありません。先述したウェブサイト上のカタログは、クリックすると店から取り寄せもできるようになっているのですが、「カタログを何度も開くだけで注文しない人が非常に多い」とか。つまり、情報を得るだけで、あとはより安いアマゾンで買っているのだろうとジョニーさんは分析します。「それでもカタログの公開を続けるのは、まさに、信頼できる本選びの情報源が貴重になっているからこそ。これが、うちの店をユニークな存在にしている大きな要素だからです」

 選書の知識とセンスに定評のあるこの店らしいエピソードとして、ある日「私は秘書なのですが、社長が今空港の本屋にいて、フライト中に読む本を買おうとしているので、お勧めを教えてください」という電話を受けたこともあるとか。ジョニーさんは『無骨な大君のためのマナーブック』という架空の本を勧めたい気分になった、とユーモアたっぷりに言います。

 

本に囲まれて仕事をするのは店長の奥様、アラベラさん。

 

 「この店について自負していることはふたつあります。ひとつは、本とは全く無関係に、誰もが気ままにさまよい、心地よい時間を過ごせるような空間を提供できているということ。年を取って、そうした時間がいかに重要かを実感するようになりました。そしてもうひとつが、店に置いている本の品ぞろえの奥行きの深さと幅広さ。面積と冊数の比率で言うと、うちの店は他とは比較にならない密度の本を揃えているうえ、店にどの本が置いてあって、それはどういう理由か、ということをきちんと説明できるのです。理由がなければその本を置く価値はありませんから」

 ジョニーさんが理想とする本屋とは、とたずねると、「教養のある人に、素敵な驚きをもたらせる本屋が目標」と答えます。店内が書店というより本好きの人の家のように見える理由の一つが、書棚にジャンルの表示をしていないことですが、このことにもさまざまな狙いがあるそうです。第一に、棚の内容を自在に変化させられること。第二に、お客さんが「こんな本はどこにありますか」と気軽に聞けるようにして、書店員の会話を促すこと。さらには、本によっては従来のジャンル分けにこだわらない棚に置くことで手に取りたくなることもあるため、「セレンディピティ」(偶然による幸運なめぐりあわせ)による本との出会いを助けるという効果もあるとか。

 

レジわきには、顧客からの電話注文を受けた本が次々と積まれていきます。

 

 

 ジョニーさんのほかも、5年前から店に入ったというジョニーさんの妻のアラベラさんをはじめ、店員さんは数年以上勤めている人が多いですが、いずれも最初は未経験の人ばかりだったそうです。「それは、他の書店の影響を受けないための対策でもあります。採用の基準は、人柄の良さと、本について興味深いセンスを持っているかどうか、ということだけです」

 店員さんの中で一番の新入りのオリバー・スキップウィズ(Oliver Skipwith)さんも、例外ではありません。テムズ川に浮かべたボートに暮らし、画家として活動しながら、書店員を務めています。子どものころからお父さんがたくさん本を買ってくれた影響で、すっかり本好きになりました。学校の勉強にはなじめなかったこともあって物語の世界に逃避するうち、絵と文学に没頭するようになったとか。ロンドンで生まれ、1歳からオクスフォード育ちですが、ロンドンに職場のあったお父さんに連れられて、最初にジョン・サンドーに来たのは14歳の時。「当時の店はもっとごちゃごちゃしていて、階段の上にも本の山がありました。そして一番良くおぼえているのが、店に充満していた本のにおいにいっぺんに魅了されたこと。においは記憶と一番強く結びついている感覚ですから」。その後も何度も通って、すっかりなじみになっていたので、半年ほど前に店に求職に訪れたのも自然な流れだったそうです。

 「読むべきなのに、そのことを自分では知らないでいる本と、お客さんが出会えるようにお手伝いをすることが、僕たちの仕事。誰かにインスピレーションを与えられる、少しでも幸せになってもらえるというのはすばらしいことですし、ここで働いている僕自身も、本から、そして客さんから自分も常にインスピレーションを受けます」。電子書籍やオンライン書店とは違い、「地面に根っこを張っている本屋」であることに誇りを感じているそうです。店の拡張と改築により、「息ができるスペースができたけれど、魅力はそのまま失われていない」とオリバーさんは感じています。「書店として生き残るために大事なのが、お客さんとの会話、そして素敵で居心地のいい環境を作り出し、くつろいでもらうこと。キングス・ロードから一歩わき道に入ってこの本屋に足を踏み入れれば、まるでカフェで休憩するみたいな気分を味わえるのではないでしょうか」。

 

2階の窓際にある人気作家のコーナー。一人の作家に1冊分か2冊分のスペースが振り分けられていて、複数のタイトルが重ねて積まれています。

 

 そんな話をしていると、細身の体にさっそうとシャネル・ジャケットを着こなした中年女性のお客さんが、話に入ってきました。「その通り。たとえ3ポンドよそより本が高くても、この店で買う価値は絶対にあります」。アカウントを持っているというお得意さんで、いつも3匹の犬を連れて2階までくまなく店内を見て回るそうです。

 

静かな店内は、犬にも心地よいよう。素敵なご主人の本選びにおとなしく付き合った後は、店員のオリバーさんとふれあいを楽しみます。

 

 オリバーさんは「ありがとうございます」と控えめにお礼を述べたのち、話を続けます。「紙の本の良さが見直されていますが、これも、ありとあらゆるものが使い捨てになりつつある世界にあって、実際に触れることができて、所有できて、だれかに譲ることもできるという紙の本の良さ、リアルであることの価値が永遠だということに、多くの人が気付き始めているからだと思います」

 書店員として、「できる限りたくさんの本を読むことが大切」と考えていて、家にはテレビを持たず、寸暇を惜しんで読書に励みます。「本を読みたいけれど時間がないという人もいますが、1時間早起きをする、テレビを消す、20分の通勤時間でも本を取り出すといったことでいくらでも時間はできます。それに、忘れられがちなのが、読む速さは重要ではないということ。ゆっくり時間をかけて本を堪能するという読み方もあります」。小説のほか、芸術家の伝記や歴史書を読むのが好きだとか。

 特に好きなのが、翻訳物の小説。世界の違う場所で物事がどのようにとらえられているかを知ると、想像力を掻き立てられます」。ジョン・サンドー書店はロンドンの他の書店に比べても翻訳文学が充実していて、小規模出版社やアメリカの出版社から出されている翻訳物の小説や詩集も数多く扱っていますが、オリバーさんは日本文学がとりわけ好きで、村上春樹やよしもとばなな、それに源氏物語も大好き。書店員はそれぞれ興味だけでなく本の趣味も違うので、結果的に幅広いお客さんの好みに対応できるといいます。熟練した店員さんの中には、特定のお客さんと意気投合してすっかり仲良くなり、常に指名されて担当をつとめるだけでなく、一緒に演劇を見に行ったり、休みの時期を合わせて一緒にフランスでホリデーを過ごしたりする人もいるそうです。

  

 

イギリスではまだ知られていない外国人作家の文芸作品も充実。近年翻訳が出た井上靖の芥川受賞作『闘牛』は、多くのお客さんに勧めて好評を得ているとか。

 

 このようにお得意さんを大切にする一方で、誰でも歓迎する開かれた書店であることも、店が活気を保っている理由だと店長のジョニーさんは語ります。「うちの店を愛顧してくれるお客さんは、イギリス人以外にも多数いますし、海外在住の人も多くいます。国籍や出身、職業などは関係なく、英語で本を読むということだけが共通項。世界中の人たちが、英語の本を通してつながれるとしたら、これは素晴らしいこと」。そして、最近はソーシャルメディアの威力を実感しているそうです。「キングス・ロードに買い物に来たついでに、あるいは偶然通りかかってうちに立ち寄って、スマホで店内の写真を撮る若者の姿が目立つようになりました。それをインスタグラムにアップし、こんな場所がまだ実際にあるなんて信じられない、といったメッセージを流してくれるんです。これは店にとっては非常に大きな宣伝になります」

 

地下は明るくシンプルな雰囲気。演劇や映画の本と、児童書・絵本、その他の本が置かれています。

 

テーブルに積まれているのは詩集や詩の同人誌。結婚をテーマにした詩のアンソロジーから、ジャマイカ生まれの女性作家クローディア・ランキン(Claudia Rankine)の2004年の詩集まで。

 

 本の品揃えを何よりも重視し、独自の路線を貫きつつ、時代の流れに柔軟に対応し、お得意さんも旅行者も同じように歓迎する本屋さん。創立以来60年の歴史の中で、今年初めて他の書店での経験者を書店員さんとして雇うことが決まったそうです。また、10月には新設されるクリーヴデン文学フェスティバル(Cliveden Literary Festival)の公式書店に指定され、フェスティバルに参加する作家たちの著書の紹介と販売を担当します。古き良き書店は、その評判に安住することなく、新鮮な試みを続けています。

 

 

[英国書店探訪 第6回 John Sandoe (Books) 了]

 

John Sandoe (Books)
10-12 Blacklands Terrace, Chelsea, London SW3 2SR
Tel 020 7589 9473 />
http://www.johnsandoe.com/
月~土 9:30~18:30
日 11:00~17:00
開店:1957年11月
店舗面積:約100㎡(地下1階、地上2階合わせて)
本の点数:30,000点


PROFILEプロフィール (50音順)

清水玲奈(しみず・れいな)

東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。1996年渡英。10数年のパリ暮らしを経て、ロンドンを拠点に取材執筆・翻訳・映像制作を行う。著書に『世界で最も美しい書店』『世界の美しい本屋さん』など。『人生を変えた本と本屋さん』『タテルさんゆめのいえをたてる』など訳書多数。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。http://reinashimizu.blog.jp