INTERVIEW

地域アートとローカルメディア

小松理虔+藤田直哉+影山裕樹:地域アートとローカルメディア
「結局、地方にクリエイティブな発想やスキルがないと、食い物にされるだけなんです。」

地域アートとローカルメディア_BANNER

地域で開催される芸術祭、アートプロジェクトの情況を批判的に検証する、SF・文芸評論家の藤田直哉氏の編著『地域アート ――美学/制度/日本』(堀之内出版)は、その発売以降、多種多様な議論を呼びました。一方で、地域振興や移住支援などの情報発信が地方行政にとって重要なテーマとなりつつあることもまた、「地域アート」の盛り上がりとつながりがあるかもしれません。地方で発行・編集される「ローカルメディア」の作り手たちを取材して一冊にまとめた本『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)を2016年5月に上梓した影山裕樹氏もまた、十和田奥入瀬芸術祭をはじめ、各地の芸術祭やアートプロジェクトに編集者として関わってきた一人です。
これら2冊の著者のお二人に加え、福島県いわき市で「UDOK.」というオルタナティブスペースを運営するかたわら、地域に根ざした様々な情報発信に携わっている小松理虔氏をゲストに、「地域アート」と「ローカルメディア」の関係性と今後の展望を語り合ってもらいました。
 
●本記事は、2016年10月16日に本屋B&B(東京・下北沢)にて開催されたイベント「
地域アートとローカルメディアーー地域のクリエイティブの未来とその批評のありかたとは
」を採録したものです。
●『地域アート ――美学/制度/日本』を軸に行ったもう一つの対談企画はこちら。
林曉甫(NPO法人inVisibleマネージング・ディレクター)+寺井元一(株式会社まちづクリエイティブ代表)
「地域アートプロジェクトとアソシエーションデザイン」

[後編]
※前編「地域におけるクリエイティブとアートの合流地点はどこにあるのか。」はこちら

ネゴシエーションを行う人の重要性

藤田:素朴な疑問として、地方にそんなに課題があるなら、みんな都市に出れば良いじゃないか、という意見もありますよね。なぜ地方に文化や芸術を根付かせなきゃいけないんでしょうか。

影山:今の地域の芸術祭、大きな予算が下りるのはやっぱり大都市なんです。横浜とか札幌とか愛知とか。しかも何億というお金が出る。もちろん、フリンジ企画というか、別予算だったりもしますが周辺地域にアートプロジェクトが広がっていくという事情もありますが、そもそも、ほとんどのお客さんはその芸術祭を見に都市にやってくる。周辺の郊外が廃れるという問題は、この構造があるうちは決して解消されない気がします。
 それから今年、さいたまトリエンナーレに「途中でやめる」デザイナーの山下陽光、アーティストの下道基行と始めた「新しい骨董」というユニットで参加したんですけれど、路上でお酒を呑むという作品が開催1ヶ月前になってダメになった。こういう時、行政とアーティストの間に入って、うまくネゴシエーションするのがキュレーターなりディレクター、コーディネーターだと思うんです。小松さんの先ほどのかわし方はまさにそうじゃないですか。

藤田:一方で街に出なくても、美術館でさえそうした問題はありますよね。東京都現代美術館の「キセイノセイキ」展でも、アーティストは戦っていましたよね。

影山:僕は「キセイノセイキ」展に関しては、アーティストが直接戦う構図になってしまったのがよくなかったと思っています。むしろ間に入る人がうまく二枚舌を使って、検閲なり自主規制なりをかわすロジックを生み出す必要があると思う。

小松:そうですね。地方の芸術祭とかアートプロジェクトって、キュレーターとかディレクターが東京などからやってくる。だから、できるだけそこに地方の人を入れたほうがいいし、そういうネゴシエーションやディレクションができる人を地域に育てていくことが重要だと思います。それこそ地方のクリエイティブの意義なんじゃないでしょうか。結局、地方にクリエイティブな発想やスキルがないと、食い物にされるだけなんです。福島も震災があって以降、東京に卸されるかまぼこはほとんど新潟県産に変わっちゃった。要するに替えが利く商品で都市を下支えしていた。一次生産とか、製造業だけでは東京の下半身という位置から抜け出せない。もちろんそれはそれで誇るべきことなんだけれども、地域が生き残っていくためには、クリエイティブな要素が少しでも生まれていかないと、自分たちでそれらの価値を付けられないままになる。地元向けに商売していると地元の中にお客さんがいないと商売にならないわけですよね。つまり僕らは客を育てないといけない。かまぼこ屋に勤めていた時に、同時にクリエイティブな活動をしたり、地域アートをやることで顧客を開拓するということにもつながると実感しました。一人でも二人でもそういう人を増やさないと、そこの地域での暮らしがつまらなくなるし、絶望しかない。30年、40年かかるかもしれないけれど、それでもやったほうがマシ。

小松さんがかまぼこメーカー時代に関わった商品。パッケージはUDOK.メンバーでもある高木市之助さんによるデザイン

小松さんがかまぼこメーカー時代に関わった商品。パッケージはUDOK.メンバーでもある高木市之助さんによるデザイン

藤田:東京と地方の文化格差、搾取構造に対する反逆としてやられているところがある、と。

小松:そうですね。

藤田:40年後のビジョンはお持ちですか? 例えば、地域アートって数十年かかるものだと思うんです。芸術とか文化の種をまいた後、地元が変わっていくには40年、50年絶対かかるはずなんです。

小松:僕は物産に関わる人間だったので、地域の目印になる、アイコンになるような商品を作ることが重要でした。いわきって誇れる商品があまりなかったので、そういう商品が市内、あるいはデパートの地下にちゃんと並んでいるかどうか。僕らは商売人なのでそういう意識になっちゃう。でもこれがある種、クリエイティブの発想なんだと思います。

地域にアートは必要なのか?

(左から)小松氏、影山氏

影山:福岡とか名古屋とか仙台とか札幌とかに人が集まり始めていて、地方の中でも格差が広がっていくという状況に対して、どうすればいいか。一番大事なのは、アートとかクリエイティブとかいう以前に、地元が楽しいと思える若者が、仲間たちと集える環境、カルチャーを作ることじゃないでしょうか。

小松:本当、それに尽きますね。でもその時に、コミュニティデザインとかまちづくりという、クリエイティブな活動以上に、アートにしかできないこと、アートである必要性もきっとある気がします。僕はまだなかなかその辺が実感できてないんですけれど。

藤田:僕は、アートは日常を豊かにするとか、楽しく暮らすためのものではないと思うんです。ダダ、シュルレアリスムもそうだし、世界を否定し尽くして、新しく更新していく役割が現代美術にはあるんじゃないか。でもアートってよく分からないから、とてつもない発明をして、根本的に地域を変えてくれるという期待が、現状の芸術祭ブームに賭けられているところもある。

影山:でも最近のアーティストのなかでは、例えば「」のように、プライオリティとして、地域活性なんだと。美術史に残るクオリティのものを作って、さらに地域活性もする。それってすごく体力のいる仕事なんだけど、割り切って、その役割を引き受けようとしている。それはクリエイティブの仕事、クライアントワークに非常に近い発想です。地域アートに関係するようなアーティストの中でも、現代美術の歴史を迂回はするけれども、最終的に合流しようとする人もいる。

藤田:小松さんが先ほど楽屋で、上海の記者時代、ステレオタイプの記事を書くよりも、裏路地でパンツが干してあるところの記事の方が面白いっていうことをおっしゃっていました。ローカルメディアはそういうところを紹介したほうが面白いっていうのと同じで、アートもその地域の面白いものをゆびさす指標としてだけ機能してもいいと思うんです。というか、両者の相互作用があっていい。アートがあることで、地域の面白いところを発掘できる。現代美術として見ても、地域活性として見ても楽しめるのが地域アートの可能性かもしれません。

地方のゴールドラッシュで食い荒らされないために

影山:なぜローカルがこうも注目されているのか。出版業界もそうだし、美術業界もそうだし、文芸業界もそうかもしれないけども、いわゆる中央集権的な文化の、それぞれの業界がシュリンクし始めている中で、外側に活路を見出す時代なんじゃないかと思っています。場外が面白いというか。ネット小説のように、文芸誌で新人賞獲って、というルートではない活躍の仕方があったり。アート業界も、地域アートという概念を導入することで、いい意味で外野にあることの面白さを追求していけるのかなぁという気がしています。

小松:地方に住んでいる立場からすると、本当に面白いものは地方にある気がします。良い意味でも悪い意味でも地方ってコミュニティが強い。例えば今、東京の出版業界で1,000部とか2,000部スタートっていう本が、田舎なら手売りで1,000部って簡単にいけるんですよ。

(左から)藤田氏、影山氏、小松氏

藤田:混ぜ返しますけれど、東京の文化がシュリンクして食えなくなってきたから地方を食い荒らすみたいな、地方の面白いものをみんなで掘り返してゴールドラッシュみたいになって、最終的に掘り荒らされた炭鉱の虫食いの穴だけが残る可能性だってあるじゃないですか。

影山:それに対してどう抵抗するかですよね。ローカルメディアに関して言うと、地方の自治体のコンペとか入札案件を見ていると、だいたい大都市の大手代理店とか、鉄道会社などの大企業がかっさらっていくわけですよ。でも中には、地元の頑張っている印刷会社とか、最近だとクリエイティブなデザイン会社が獲っている例もあって、そっちがどんどん増えていくことで、かっさらっていく状況に抵抗していけるんじゃないかと思う。

小松:僕は震災を経験して、原発事故まで経験して、これだけ国や県の予算がじゃぶじゃぶ流れ込んできているのに、なぜ福島から尖ったクリエイティブなものが出てこないのか、と思っているんです。僕もコンペとか出すんですけど、だいたい東京の代理店に持っていかれる。自治体の人も市内のクリエイターに仕事を任せた経験がないから、どうしても安全パイを選びがちになるのは分かるんですが。

藤田:役所の中に面白い人がいれば、変わる気がしますね。

影山:まずは1年2年で部署が変わってしまう体制を見直すとか、各地で活躍しているスーパー公務員のような人を大事にするとか、役所内部の構造改革が先でしょうね。

タブーに触れる作品にどう向き合えばいいのか

藤田:ちょっと踏み込んで聞きたいんですが、原発を批判するアートに助成金が出る可能性はあるんですか?

いわき市平地区で開催されているアートフェス「玄玄天」の展示風景

いわき市平地区で開催されているアートフェス「玄玄天」の展示風景

小松:実際に「玄玄天」っていう平地区でやっているアートプロジェクトでは、放射能のマークが入っている作品もあったので、やることは大丈夫なんだろうけども、僕が心配しているのは、むしろ市役所よりも、社会の方が不謹慎なことはやめろよっていうムードになっていること。原発の問題って非常にセンシティブなので、仲間たちからも「理虔さんよく原発のことをSNSで言えますね、石投げたらどこで当たるのかわからないんだし」と言われることがよくあります。

藤田:例えば、福島のサンマは危ない、という作品があったとしたらすごく嫌ですよね。

小松:そういうアーティストがいたら、まず調査データを提供します。確かに露骨にそういう作品もあって、イギリスで、福島のベジタブルスープを食べさせるパフォーマンスをした日本人の作家がいました。

藤田:確か、観客に食べられるか食べられないかを問う作品ですね。緑色とか青色に着色されている。

小松:そういう意味で、初めて福島は作品化される立場になったわけですよ。作品を見るよりも前に、作品化されることへの嫌悪感というのはどうしてもある。だから僕らは、作品をちゃんと見ましょう、一旦落ち着きましょうっていう空気を作っていかないといけないと思います。ますます福島がタブー化していくだろうから、むしろ僕らは福島でもっとアートをやってほしいと思っています。

影山:ちゃんと説明できないといけないわけですよね。この作品はこういう意図で作られているんだよ、っておばあちゃんに説明して、分かってもらう話術。また自治体に対する交渉力もそうだし、そういう技術、体力を鍛えていくことが大事ですよね。

小松:素晴らしいキュレーターがいていいんだけれど、本当はそこに地元の翻訳者がいて、「ばあちゃん、これはこういうことなんだっけ」みたいな風に言って、それでばあちゃんも「ああ、そうかい」って納得できる言語でちゃんと伝えられるか。地方でやるときにはそこまで配慮しないといけない。

藤田:原発事故を契機に括弧つきの「フクシマ」として扱われるようになって、勝手に語られるようになったことへの反発っていうか、そのイメージを塗り替えることって大事ですか、やっぱり。

小松:今、例えば福島県と聞いて思い浮かぶものってありますか? ベテラン世代だと、戊辰戦争のドラマとかそのぐらい。そういう意味では、初めて国際的な文脈で語られるようになってしまった。みんなそのことは理解しているんだけれど、それに対する嫌悪感、まずカタカナでフクシマって書かれることへの抵抗感がある。

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藤田:そうですね。僕も『地域アート』を書くそもそものきっかけとして、震災直後に若いアーティストがすぐ被災地に行ったり、福島に行っていた様子を見て、いろいろ思うところがありました。

小松:一番分かりやすいのは、震災直後に福島に来て、防潮堤に花の絵を描こう、みたいなことですよね。そんなところに花を描いても悲しいだけなんですよ。むしろ、悲しさを引き立ててしまっているんじゃないか。その姿はやっぱり、東京に搾取される地方の構造そのものです。そういうことに抗っていくために、翻訳して、メディアを通じて伝えていかなくちゃいけない。藤田さんが感じた消費される地方の、それに抗う術としてクリエイティブがあると思う。

影山:震災以降、東京都の文化予算が東北に流れたんですよ。結局お金が東京のものだと、東京から見た東北にしかならない。だから自分たちでお金を作って、小松さんみたいに下から育てあげていくようなものじゃないと難しいかもしれません。

小松:でもやっぱりアーティストには東北にどんどん入ってきてもらって、よそ者の視点から福島の新しい良さを発見してもらいたいという思いはあります。地域アートの定義がこれから定まってくる時に、東北がそこに上手く乗っかって、日本の地域アートの聖地みたいになっていったら僕らはすごくワクワクしますね。

[小松理虔+藤田直哉+影山裕樹:地域アートとローカルメディア 了]

協力:小林えみ(堀之内出版)、長瀬千雅
(2016年10月16日、本屋B&Bにて)

【関連対談バックナンバー(まちづクリエイティブによる連載「アソシエーションデザイン」より)】
 
▶まちづくりとアート│01
池田剛介(アーティスト)+寺井元一(株式会社まちづクリエイティブ代表):
アートと地域の共生をめぐるトーク
 
▶まちづくりとアート│02
大山エンリコイサム(美術家)+寺井元一(株式会社まちづクリエイティブ代表):
ストリート・アートと公共性 ――表現の自由論からコレクションによる歴史形成まで
 
▶まちづくりとアート│03
林曉甫(NPO法人inVisible マネージング・ディレクター)+寺井元一(株式会社まちづクリエイティブ代表):
地域アートプロジェクトとアソシエーションデザイン


PROFILEプロフィール (50音順)

小松理虔(こまつ・りけん)

1979年福島県いわき市生まれ。報道記者、雑誌編集者、かまぼこメーカー勤務などを経て現在はフリー。同市内でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰し様々な活動を行っている。共著に『常磐線中心主義』(河出書房新社)。思想家の東浩紀が編集長を務める電子書籍『ゲンロンβ』でも連載を続けている。

影山裕樹(かげやま・ゆうき)

1982年、東京生まれ。雑誌編集部、出版社勤務後フリーに。アート、カルチャー書の企画・編集のほか、各地の芸術祭や地域プロジェクトに編集者やディレクターとして関わる。著書に、全国の大人版秘密基地を取材した『大人が作る秘密基地』(DU BOOKS)、全国のローカルメディアを取材した『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)がある。

藤田直哉(ふじた・なおや)

1983年、札幌生まれ。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』(作品社)、編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)など。近刊『東日本大震災後文学論』の編著も。


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出版社: 堀之内出版
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