写真と映画の中間領域にある可能性
ホンマタカシ「ニュードキュメンタリー映画」特集上映
文:小林英治
ホンマタカシが2002年より写真活動として平行して制作してきた映像作品4作が、12月10日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムにて、「ニュードキュメンタリー映画」と題して期間限定で特集上映されている。彼が今回の上映作品全体に冠した「ニュードキュメンタリー」とは何を意味するのか。そして作品を通して我々に問いかけていることとは何だろうか。公開に先立ち11月23日(水)に開催されたプレイベントで美術評論家・椹木野衣と行われたトークでの発言や、他の映画作家の作品なども参照しながら探ってみたい。
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※1/2:「各作品に通底する、対象へのカメラの向け方」からの続きです。
『After 10 Years』の背後にある東日本大震災
2011年3月11日に起きた東日本大震災では、発生直後から報道の目的とは別に、多くの写真家や映像作家が被災地を訪れた。それぞれの立場やアプローチはさまざまで一括りにはできないが、そもそも現地に行くか行かないか、見たものを撮るか撮らないか、撮影したものを発表するかしないか、それは記録なのか表現としてなのか、何かの役に立つのか自己満足か……、様々なレベルでの自問が繰り返されたことだろう。ホンマもその一人であったが、彼はすぐには行動を起こさず、「僕は最終的には、ちょっと時間が経ってから、福島の山に行って放射能に汚染されたキノコの写真を撮るに留めた」。そして、東日本大震災に日本の写真家たちがどのように反応したかをテーマに開かれたボストン美術館でのグループ展『In the Wake Japanese Photographers Respond to 3/11』(2015年4月5日~7月12日。15人の写真家が選出されホンマのキノコの写真も出展された)に触れて、「その中で、僕は瓦礫を撮りに行った写真より、荒木(経惟)さんが世田谷の自宅で『2011.3.11』の日付で日常を撮った写真にすごく惹かれたんです」と語る。この発言には、東京で生活し、被災地と直接的な縁や関わりがない写真家が、それだからこそ、現地を訪れてシャッターを切ることとは違うやり方でできることがあるのではないかという姿勢がうかがえる。東北の震災のことが常に頭の隅にありながら、それでも容易には近づけない事象をどう扱うことができるのか。ホンマは、10年前に同じく津波で大きな被害に遭ったスリランカのホテルの現在の様子を撮ることで、東北の被災地へ遠くから近づく回路を探ろうとしたのだ。
淡々と映し出される掃除のシーンは、用具の使い方や身体の動き、掃除が生み出す一定のリズムなど、観察対象としても興味深く、かつて生態心理学の一つであるアフォーダンスを勉強したことのあるホンマは、「分類して分析したら研究論文に使えるんじゃないか」と思う一方で、「10年前に津波でぐちゃぐちゃになってから、延々とホテルを掃除をしているようにも僕には見えたんです」と語る。そして撮影をしながら改めて気づいたことに、水の存在があるという。「大きい津波となったら災害になるけど、そこそこの波だとサーファーにとっては絶好の波になるし、水をプールに溜めると遊び場になる。それこそ掃除の時にはきれいに洗い流すためにも使いますよね。その水のあり方というのが、撮影してる間にどんどん前面化してきました」。
ドキュメンタリーにおけるインタビュー映像
挿入されるホテルの従業員へのインタビューでは、同じ場所で津波に遭っているにもかかわらず、その記憶の濃度や事象への距離感というものが、話す人によって微妙に異なっているのがわかる。このことについてホンマは、「例えば、今すぐに東北で津波の被害に遭った人にインタビューしたら、悲しい顔で大変だったということをしゃべると思うし、メディアもそういう目線でしか扱わないと思うんです。でも、僕が最後にインタビューした人なんかは、笑い話みたいにしてしゃべるんですね。それは日本のメディアだったりインターネットでは『不謹慎だ』って言われると思うんです。でも人間の中には、大変だったこともちょっと面白く言っちゃう、しかも10年経っているしという気持ちって、絶対あると思うんです。大変なことは悲しく言わなきゃいけないということじゃない部分も、映像なら撮れるんじゃないかと思ったんです」と述べた。当初は雑誌の仕事で訪れたホテルの朝の光景に惹かれて撮影した「In a morning」が、スマトラ島沖地震での被災を知ることで見え方が変わり、現地を再訪して撮影をしながら頭の隅で東北のことに思いを馳せ、地球レベルの大きな時間軸の中で自然災害をとらえ直す。長編『After 10 Years』は、そこに至るまでのプロセスにこそニュードキュメンタリーたる所以があり、また、この作品を観た観客の反応もホンマにとってはニュードキュメンタリーの一部になる。
従業員へのインタビューシーンで思い出したのは、例えば、映画監督の濱口竜介と酒井耕が震災後に被災地で撮った「東北記録映画三部作(『なみのおと』『なみのこえ(新地町/気仙沼)』『うたうひと』)」だ。それまでフィクションを撮っていた2人は、「復興へ向けた記録を後世に残すため」のドキュメンタリー製作を母校である東京藝術大学から依頼され、地縁も知り合いもいない被災地を訪れる。自分たちに何が撮れるのだろうかと、彼らも当然ながら深く悩み、カメラを回すまで約半年かかったという。そして、最終的に三陸海岸沿いを北から南へ下りながら2人が記録したのは、瓦礫が広がる風景ではなく、夫婦や姉妹、仕事仲間や友人たちといった親しい者同士が、自らの震災体験について交わす対話そのものだった。本来ならフィクションでしかあり得ない真正面からの切り返しショットを採用していることで、観る者は対話の只中へ放り込まれるような錯覚を覚えるが、そこで「私」に語りかけてくる相手の表情は、悲しみだけでなく笑いもある、第三者による通常のインタビューでは捉えられないものである。『なみのおと』『なみのこえ(新地町/気仙沼)』を通じて語りに対峙する「聞くこと」の重要性に気づいた彼らの活動は、当初の依頼を超えて、現地で出会った民話採集のプロと語り部たちとの交歓を記録した『うたうひと』の製作にまで発展し、震災後に作られたドキュメンタリーの中でも類を見ない作品群を生み出すこととなった[★2]。このようなプロセスをたどった作品は、ホンマが掲げる態度と同じく「メッセージありきの作品」ではなく、未来の人々へ開かれている。『After 10 years』は、こういった震災後に日本で撮られた他の作品とあわせて観ることで、新たな回路を生み出す可能性にも満ちている。
★2:濱口竜介はこの経験をその後フィクションの製作に還元し、5時間17分の大作『ハッピーアワー』(2015年)を生み出す。尚、2016年12月10日よりポレポレ東中野ほか、大阪シネ・ヌーヴォ(12月17日~)、神戸元町映画館(12月24日~)、京都立誠シネマ(12月24日~)で「東北記録映画3部作」を含む過去作品と新作短編からなる特集上映「これまでとこれからの濱口竜介」が開催されている。
https://hamaguchi.fictive.jp
「映像の自生性」が持っている可能性
『最初にカケスがやってくる』は、先述した個展「ニュー・ドキュメンタリー」で発表された『trails』シリーズの発展形ともいえる作品で、8年をかけて知床のエゾジカ猟を取材・撮影した素材がもとになっている。2015年の「第7回恵比寿映像祭」ではヴィデオ・インスタレーションとして発表され、今回は劇場用として新たに2つのバージョンが上映される。68分バージョンは、エゾシカ猟から解体、流通、食卓までを編集し、現代の狩猟文化が抱える問題を浮き彫りにした作品だが、225分バージョンは、血抜きのため山に放置されたエゾジカの内臓が、どのように他の動物たちに捕食され消えていくのかを、定点観測のワンカットでとらえたものだ。カメラは電池が切れるまで野外に放置され、撮影の場所にもはや撮影者さえいない。ホンマはプレスリリースの中で、批評家のダイ・ヴォーンが映画創世記のリュミエール兄弟が写した映像について記したエッセイで書いた「映像の自生性」という概念に触れ、「例えば固定カメラが偶然写してしまったもの、作者の思い通りに行かず、自然現象に人間が不可抗力的に飲み込まれてしまうといった状況に惹かれるのです。(…)僕はその可能性を写真と映画の間の何処かに見出したいと思っています」と述べている。225分バージョンは、映像の自生性に賭けた究極の形だと言えるだろう。また、かつて写真家の故星野道夫は、人間にとって身近で感じられる「近くの自然」と同様に、都会の日常生活とは関係なく、一度も行くことはないかもしれないアラスカの原野で繰り広げられているオオカミやカリブーの営み、そのような「遠くの自然」を意識することの重要性を語っているが、ホンマの『最初にカケスがやってくる』の映像も、そのような「遠くの自然」を意識することに近い感慨を抱かせる。
そのような普段は意識していない別の時間や営みが、実は身の回りの日常にも存在していること、むしろその無為の時間の積み重ねこそが日常を支えていることに気づかせてくれるのが、もう一つのホンマの作品『あなたは、あたしといて幸せですか?』だ。飴屋法水が家族3人で演じた戯曲「教室」の上演中に撮影された映像は、会場外の歩道に据えられた固定カメラによって、芝居が演じられているギャラリースペース内部ではなく、歩道と平行の屋外の空間がとらえられたものだ。役者が出入りする姿が時々映し出されはするが、演劇は主にフレームの外から聞こえる音声として聞こえるのみで、そこに映るのは、演劇の非日常さえも丸ごと含んだ、近所の人や車が往来する日常の70分間である。映り込む人はほとんどカメラを意識していないように見えるが、そのことについてホンマは、「歩いてくる人にカメラは見えているでしょうけど、使っているのがビデオカメラじゃなく一眼レフのカメラなので、覗いてないと撮影してないって思うみたいなんです。これは後から発見したことなんですけど、覗いてなければ人はあまり気にしない。結果的に、一眼レフ型のカメラでムービーを撮れるようになってからこのニュードキュメンタリーの3本ができたんです」と述べた[★3]。
★3:実は写真においても、ホンマは10年以上前から同様の姿勢で臨んでいる。2000年から毎年撮影しているハワイの波をとらえた「NEW WAVE」シリーズは、“決定的瞬間”とは対極のものとして、自分ではコントロールのできない波が打ち寄せる様子を、三脚に据えた大判カメラで撮影したものだ(既に「NEW」と題していることに注目)。今回のプレトークでも、ポートレイトを撮影する場合も、被写体に撮影を意識させないためにカメラの位置を決めてからファインダーを覗かずにシャッターを切っていると述べ、例として東京都近代美術館で開催された「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展に寄せた吉増剛造の写真(2009年)を挙げた。
増殖する「ニュードキュメンタリー」
「映像の自生性」とカメラの進化に関連してこの作品と参照できるものとしては、映画監督の三宅唱が、移動中や待ち時間、タバコの休憩時間など、仕事以外の日常生活の中でiPhoneで撮影したフッテージを時系列につなげた「無言日記」が思い浮かぶ。三宅本人の発案ではなく、有料制のウェブマガジン「boidマガジン」の企画として2014年4月にスタートしたこの映像日記は、周囲の目を意識せずにiPhoneのカメラが「自生的に」とらえてしまった映像の集積であり、ホンマが模索する「写真と映画の間の」可能性を示唆する一つの例と言えるだろう。連載の1年分を66分に再編集した『《無言日記/ 201466》――どこの誰のものでもない映画』は、偶然にも、ホンマが『最初にカケスがやってくる』をヴィデオ・インスタレーションとして発表した第7回恵比寿映像祭で初上映されている。
同じ映像でも、時間が経つにつれて、記録としての重要性が増してくるのもドキュメンタリーの面白さであり、映像がもつ豊かさだ。今回、ホンマが過去の作品『きわめてよいふうけい』を上映作品に加えたのも、「当時上映した時と比べて、今見るとたぶん全然違ったものに見える」と考えたからだという。撮影素材も16ミリのフィルムカメラであり、被写体であった中平卓馬もすでに亡くなっている現在、この作品を観ることは、当時カメラが写してしまった様々なものを新たに発見する機会となるだろう。そして、この作品も、「いずれ各シーンをバラバラにして、ヴィデオ・インスタレーションとして美術館で見せようと思っている」とホンマは語る。
このように見てくると、今回の特集上映は、単に写真家が映画を撮ったというようにとらえるのではなく、写真、映画、インスタレーションと作品形態や発表の場を変化させながら探求を続ける「ニュードキュメンタリー」の一端とみなすべきものだということが改めてわかるだろう[★4]。そして、このニュードキュメンタリーは、作品を観るという体験を通して、また自ら積極的にリアクションを起こすことで、誰もが実験の場に参加することができる。
★4:その意味で、フィクションとドキュメンタリーの境界を積極的に溶解させながら様々な領域で活躍する、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクンやポルトガルのペドロ・コスタの活動などと比較して考えることもできる。「ニュードキュメンタリー映画特集上映」と時期を同じくして、12月13日よりアピチャッポン・ウィーラセタクンの映像インスタレーション展「亡霊たち」が東京都写真美術館で、同じく映画作品の特集上映「アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」が12月17日よりシアター・イメージフォーラムで開催される。
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2572.html
http://moviola.jp/api2016/woods2/
[写真と映画の中間領域にある可能性 了]
ホンマタカシ
「ニュードキュメンタリー映画」特集上映
渋谷 シアター・イメージフォーラムにて上映中(全国順次公開)
[上映作品・スケジュール詳細はこちら]
宣伝・配給協力:mejiro films
(C)Takashi Homma New Documentary
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