INTERVIEW

アピチャッポンが「ぼくは自分のためだけに映画をつくっていきたい」と語った理由

個展「アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち」、
特集上映「アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」開催中!
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督インタビュー

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督

2016年の日本は、まさにアピチャッポン・イヤーだった。1月には、未公開作『世紀の光』が公開、同時開催された監督の特集上映には、連日大勢の観客が通い盛況を博していた。3月には新作『光りの墓』も公開、秋には「さいたまトリエンナーレ」で新作が発表された。12月からは、東京都写真美術館での個展「アピチャッポン・ウィーラセタクン 亡霊たち」』、特集上映「アンコール! アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」が開催。そして今年を締めくくるのにふさわしく、このたび評論集『アピチャッポン・ウィーラセタクン 光と記憶のアーティスト』が刊行された。本書は、アピチャッポン監督の作品や活動について各分野の専門家たちが分析した、日本で初めての評論集。本書でもさまざまな視点から考察されているその魅惑的な仕事ぶりについて、個展開催にあわせて来日した監督にお話をうかがった。
 
聞き手・構成=月永理絵
通訳=福冨渉
写真=藤田能成

ぼくの映画の一番の観客は、自分自身だと思っています

——アピチャッポン監督といえば、映画作家であると同時に現代美術家としても活躍されているという、その経歴について注目されることが多いかと思います。今回刊行された評論集のなかでも、監督の映画作品(劇映画)とアート作品(ヴィデオ・インスタレーション)の境界線について論じられているものがいくつかありました。監督自身は、ふたつのジャンルにおける活動についてどのように意識されているのでしょうか。

アピチャッポン・ウィーラセタクン(以下AW):そもそも映画とアートというのは、その形において大きく異なります。映画には、ある種の強制のようなものがあるでしょう。たとえばチームでつくらないといけない、とか、だいたい2時間近くの構造でつくらないといけない、とか。それに比べて、アート作品はもっと自分に近いと思う。映画にあるような決められたルールもないですし。そもそもぼくは、作品をつくるうえで観客のことをあまり考えていないんですね。ぼくの映画の一番の観客は自分自身だと思っていますから。その姿勢については、アート作品でも映画作品でも変わらないですね。

——作品の形としてはあらかじめ違う立場で制作されるけれど、本質的な部分ではあまり変わらない、ということですか。

AW:もちろん鑑賞の場は大きく変わりますよね。アート作品の鑑賞者は、映画館にいるみたいに、作品の上映中ずっと座っている必要はない。そういった意味ではふたつはまったく別です。でも、もともとぼくの作品のインスピレーションというのは、非常にプライベートなものから湧いてくるんです。だから作り手として、それから自分が一番の観客だと考えれば、本質的な部分での違いはないと思います。

——映画をどこで見るか、という鑑賞の場所の違いはたしかに大きいですよね。アート作品は美術館やギャラリーで見ますし、映画は映画館で見る、あるいはテレビやパソコンの画面で見ることもあります。どういった場所で見るかということは、その作品にも何か影響を及ぼすと思いますか。

AW:まずアート作品は、展示する場もある程度作り手側でコントロールできますし、自由度が高いと思います。次に映画作品について言うと、監督としてはもちろん大きいスクリーンで見ることだけを前提につくっています。フレーミングや音の大きさもそれにあわせて設計しているので、できれば映画館で見てほしい。ときどきぼくの作品についてURLを送ってくれと言われますが、作り手としてはできれば送りたくない(笑)。
一方で、映画のテクノロジーの発展についても、ぼくは信じているところがあるんですよ。もともと人間の身体の要求として、暗闇のなかで光を見たいという欲求がある。それは、「夢を見たい」という欲求と言い換えてもいいかもしれない。以前本か何かに書いたような気がするんですが、昔、ベトナムの病院のなかで、患者の治療のために映画を上映していたという記録があるんです。たぶん人間というのは、常に夢を追い求める、ますます夢に近づいていきたくなる生物なんじゃないでしょうか。そういう意味では、今後テクノロジーの進展によってVR(ヴァーチャルリアリティ)が発展していけば、人間の見ているものはどんどん夢に近づいていけると思う。たとえばVRの機械をつけて、右を見る/左を見る、という動きをすると当然フレームの意味はなくなる。こうした技術がさらに発展していけば、いずれ映画館のなかの四角いフレームというのは必要なくなっていきますよね。
ぼくには、パソコンなどで映画を見るという習慣もほとんどないし、バンコクのような都会ではなくチェンマイという映画館もあまりないような場所に住んでいるので、最近はますます映画を見る機会がなくなっています。それはすごく残念なことですが、一方で今後の技術の発展について考えてみると、映画館で見るかどうか、ということはものすごく小さな問題なのかもしれない。きっと今の時代は、映画の原始的なスタイルが変わっていく過渡期的時代なんでしょうね。

映画のDNAが世代から世代へと伝わっていく

——本書のなかではいろんな書き手の人があなたの映画について論じていますが、監督のスタイルに通じるところのある映画作家として、クリス・マルケルやペドロ・コスタの名前が挙がっています。たとえばアートと映画というジャンルを越境して活動する点、それから同じ映像を別のメディアや作品でも扱っていく、といった点においてです(★1)。監督自身は、同時代や先行する世代の作家から影響を受けているという意識はありますか。

AW:当然いろいろな作家たちから影響は受けていますよ。ただクリス・マルケルもペドロ・コスタも、作品としてはそれぞれ1作品くらいしか見たことがありません。ペドロ・コスタをはじめ映画監督の友達はたくさんいますが、だからといってみんなの作品を見ているわけじゃないんです。映画というのは国際的な言語であって、DNAのように、世代から世代へと伝わっていくものだと思うんです。新しい声がどんどん生まれていくというより、言語が進化していくというか。そう考えると、自分もまたいろんな作品から自分も影響を受けていると言えます。そのなかでも自分が影響を受けた、つまり借金を背負っているとも言える監督は5人います。ひとりは、特定の作家ではなくてアメリカの実験映画全体です。それから、アッバス・キアロスタミ、蔡明亮、侯孝賢、そしてマノエル・ド・オリヴェイラです。そういえば侯孝賢は小津安二郎への尊敬の念をいつも言ってますね。ということは、侯孝賢を介して、ぼくにも小津の影響が受け継がれているでしょうね。

——ハリウッドの大作映画などはご覧になりますか。

AW:もちろん、有名な作品はいろいろ見ています。と言っても、タイの映画館で見られる映画というのはもともと限られた本数ですけどね。ただハリウッド映画のストーリーなんかにはあまり興味がないんです。自分のリズムとは合わないので。ぼくが非常に興味を持っているのは、ハリウッド映画における特殊効果(スペシャルエフェクト)です。こうした最新の特殊効果を目当てにハリウッド映画を見にいってるとも言えますね。ぼくはふだん映画はそれほど見ないんですが、映画について書かれたものはいろいろ読んできました。ミケランジェロ・アントニオーニやイングマル・ベルイマンのような人たちも、作品自体はそんなに見ていないけれど、彼らについての批評集などを読むうちに、その作品がどんなものかという想像がどんどん膨らんでいった。アントニオーニは、実際に撮影には至らなかった脚本集なども読みました。実際彼らの映画を見ると、思っていたのと全然違っていたりもするんですが、とにかく本を通して自分の想像力を膨らませていったわけです。
でも最近はこうした本も全然読まなくなりました。シカゴの大学にいた1990年代、そして2000年代初頭には、本も、映画も、音楽もたくさん読んだり聞いたりしていたけど、ここ6、7年は、音楽は全然聞かなくなったし、映画も映画祭の審査員として見るもの以外はほとんど見ない。本は、映画とは全然関係のないものばかり読んでいます。

——たとえば今読まれている本は、どういったものですか。

AW:夢についていろんな作家が書いている短編集と、少し古い作品だけどH・G・ウェルズの『盲人の国』を英語で読んでいます。普段から同時に何冊もの本を読んだりしていて、今はもう一冊、コロンビアの歴史についての本を読んでいます。

——本を読むときは、作品へのインスピレーションを与えるものとして読んでいるんでしょうか。

AW:そうですね。作品へのインスピレーションという意味では、本もそうだし、自分が見た夢についての記録も、起きた時に欠かさずメモしています。

——本書にはタイの批評家が書かれた『世紀の光』の検閲問題をめぐる文章(★2)や、この問題に対する監督自身の記録も収録されており、とても興味深かったです(★3)。ところで日本での検閲というと、ポルノに対する検閲のイメージが大きいのですが、レイティング・システムをめぐる監督の文章の中で「言うまでもないが、ポルノ映画はタイには存在しない」という一文がありましたね。これはもちろん比喩としての表現ですよね。

AW:ええ、当然かつてはタイにもいろんなポルノ映画が存在していました。1960年代、70年代はとても多かった。今はだいぶ数が減っているし、どんどんアングラなものに変化していると思います。現在のタイでは、性的なものに限らず、危うい論点は映画のなかで避けるようになってきていますね。政治のこともそうだし、宗教や、国王のこともそうです。

★1:港千尋《夜の森で——遊戯と情動のポリティクス》(『アピチャッポン・ウィーラセタクン 光と記憶のアーティスト』所収)
★2:チャヤーニン・ティアン・ピッタヤーコーン《「世紀のひかり」へ向かう奮闘》、《『世紀の光——タイランドエディション』この国で映画が映画でなくなる時》(同書所収)
★3:アピチャッポン・ウィーラセタクン《軍事政権下におけるタイ映画の愚かな現状とその未来》(同書所収)

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興味があるのは命の秘密についてであり、それは「森」のことなんです

——タイでの活動についてもお話をうかがいたいと思います。監督はずっとタイ、特に故郷であるイサーン地方を舞台に映画を撮っていて、それぞれの土地が持つ歴史や記憶というものが、映画のなかで重要なテーマになっていますね。最近は映画祭などでさまざまな国を訪ねているかと思いますが、今後タイ以外の国で、長編映画をつくりたいというお考えはありますか。

AW:ぼくはタイ、特にイサーン地方で主に映画をつくっていますが、別に学術的/政治的な目的があるわけではありません。あくまで個人的な学びとしてそうしているんです。個人的な記憶や、覚えておきたい過去の歴史などがあり、それをもとに作品をつくっています。自分が外国で作品をつくるときにも、おそらく、自分が子供の頃から抱いていた関心や興味の対象と必然的につながってくるでしょうね。ぼくがもっとも興味を持つのは、いわば命の秘密のようなものです。それはつまり「森」のことです。かつてタイの作家は、冒険小説シリーズのような形で、森についてたくさんの作品を書きました。ではそういった作家がどこからインスピレーションを受けているかというと、もともとは西洋諸国の作家たちの作品なんです。ヨーロッパが植民地を拡大している時代に、作家たちがアマゾンや植民地の奥深い森などへ行って書いていた冒険小説がたくさんありますよね(★4)。彼らは森を舞台に、そこで出会った不思議な動物たちや、自身が体験したアドベンチャーについて物語を書きました。そしてそれを読んだタイの作家たちが、こうした文学作品を模倣して、タイで新たに作品を書いたわけです。ですから、自分がもしタイの外で作品をつくる場合も、その題材はおそらく森をテーマにしたものになるでしょうね。

——たとえば、日本でもいいですし、どこかの国の森といったような特別に興味のある場所などはありますか。

AW:まだそこまで具体的なイメージは固まっていないんです。ただ、いまの興味は南米にフォーカスしています。特にコロンビアですね。日本でも、助成金がもらえたら撮りたいですけど(笑)。

——南米に興味を持っているのは、植民地としての記憶、という点についてでしょうか。

AW:そうですね。最近よく南米にいく機会があって、メキシコにギャラリーがあってそこにもよく行くし、アルゼンチンやブラジルにも行きました。ヨーロッパやアメリカに行っても特に興奮はしないけれど、南米にいくと興奮させられることが多いんです。考えてみると、シカゴの大学で勉強していたときは、まわりの社会についてほとんど興味を持つことがなかった。ずっと映画を見続けて、早くタイに帰って映画をつくりたいという思いで頭がいっぱいでした。でも南米についていろんな本を読みその歴史を知れば知るほど、その土地が抱える記憶や社会そのものにも興味が湧いてきました。まず思ったのは、南米の人たちにはものすごい忍耐力があり、彼らは自分の権利について戦う人たちだ、ということです。植民地化についてもそうだし、軍事独裁政権についても同じことが言えます。南米の歴史とタイの歴史にはたしかに共通する部分が多い。ただ両者を比べると、タイの人たちは非常に受け身な人が多い気がします。タイでは、必ず上のほうに国を統治する人がいて、一般の人々は彼らが下す命令に常に従わされている。それが普通の状況になっているんです。だからこそ、南米にはどうして自分の権利のために戦う人たちが多いんだろう、ということに興味をもつようになったんです。

——コロンビアといえばガルシア=マルケスがまず思い浮かびますが、いわゆるマジック・リアリズムと呼ばれる南米文学は、どこかアピチャッポン監督の世界観にも重なりますね。

AW:もちろんマルケスを始め南米文学はたくさん読んでいます。ただそれ以上に日本文学も読んでいますよ。今の作品ではなく、少しクラシックな作品ですが。

★4:アフリカの未開の地を舞台にした有名な作品ではジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』がすぐに思いつく。その他にも、同時代に人気を博したイギリスの作家ヘンリー・ライダー・ハガードの秘境探検小説群なども、西洋の植民地政策を背景にした小説として挙げられる。

ぼくは自分のためだけに映画をつくっていきたい

−—前回の来日の際には、福岡や金沢など、展示をされた美術館やギャラリーで、一般参加型の映像制作ワークショップもいくつか行われていましたね。日本に限らずいろいろな国でワークショップもしているかと思いますが、こういった経験は、作品作りにも何か影響を与えていますか。

AW:ワークショップは、ぼくの映画作りにも大きな影響を与えてくれます。自分自身の自我みたいなものと、参加している人の自我を交流させるいい機会ですからね。こうした場で大変なのは、参加した方々に、自分自身のリズムを探してもらうことです。ぼく自身の持っているリズムと、参加者それぞれが持っているリズムというのは当然違うわけですから、ある意味、ぼくも心を広くしないといけない。逆に参加者たちに、たとえばハリウッド映画のリズムみたいなものを持たせないためにはどうしたらいいか、彼ら自身のリズムを持ってもらうにはどうしたらいいか、ということはよく考えます。ハリウッド映画というのは幻想(幻影)みたいなものですから。最近海外でいくつかワークショップをしていくなかで、タイでも同じようなことをしてみたいと思うようになりました。今新しいスタジオをチェンマイにつくっているので、来年以降はそこで何かしらワークショップのようなものをしていきたいと思っています。

——チェンマイにできるのはスタジオのみですか? 以前、シネマテークもつくりたいとどこかで話していましたね。

AW:シネマテークをつくりたいという思いは今でもありますよ。ただタイでは実質的に無理でしょうね。自治体や政府からの支援を受けないとつくれないのは確実ですから。今のタイは、いつ政府が変わってしまうかわからない状況にあるので、最初の期間は助成をもらえるかもしれないけど、いつそのシステムが変わってしまうかわからないでしょう。スタジオは、いろんな施設が集まる場所にしたい。オフィスやワークショップをして他の人たちとコミュニケーショを取れる場所や、何かしら映画を上映する場所もつくりたいと思っています。2017年の1月にオープンする予定です。まあ、もう3、4年くらい同じことを言っていますが(笑)。
それから、ドキュメンタリーのオフィスのようなものもつくりたい。以前参加した山形国際ドキュメンタリー映画祭が本当に素晴らしい映画祭で、それを機に、こうしたことを考えるようになりました。タイでは、まだ伝えられていない歴史的出来事がたくさんあるので、そういったことを伝えられるドキュメンタリーをつくってみたいと思っています。

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——自分より若い世代に、何かを伝えていきたいというような欲望はありますか。日本でも、キャリアを積んだ映画監督が、映画を教える学校で後進の育成に取り組むといった活動をすることは珍しくありませんが。

AW:教師という職については、あまり考えたことはないですね。ワークショップを何度かした経験からいうと、教師になるのはとても大変な仕事だと思います。生徒たちを非常に繊細に扱わないといけないし、まるで医者になったような気分です。たぶんぼくにとっては、ワークショップのように、ときどき、自分と参加者との意見の交換の場に参加するくらいがちょうどいいんでしょうね。

——今後タイの映画業界に対して、何か貢献したい、変えていきたいというような気持ちはありますか。たとえば後進の育成や、若手作家の海外進出に手を貸したい、だとか。もちろんあなたの映画が常にマイノリティをテーマにしてきたこと、そして自身を「辺境に位置する作家」だと認識していることも承知していますが、カンヌ国際映画祭での受賞を機に、タイを代表する映画監督としての振る舞いも、何かしら求められるようになったのではないでしょうか。

AW:いいえ、そうしたことはまったく考えません。ぼくの映画はとても個人的なもので、自分が、タイという国や、どこかしらの代表になれるとはまったく思わない。もちろん映画をつくっているときにインターンの学生が見学にきたりもしますし、そういう意味ではぼくが彼らに何かを教えていると言えるかもしれない。でも、後進のために尽くすだとか、若い世代を育てるというような大きなミッションを自分が背負っているとはとうてい思えないし、そうした思考はぼくの血液の中には流れていない。やはりぼくは、自分のためだけに、自分自身の映画だけをつくっていきたいと思います。
それに、そうしたミッションのようなものを背負ってしまうと、特にタイにおいてはどうしても自分の存在が権威化してしまいます。それは避けたいんです。昔、タイの王女からの依頼で「映画のことを教えてくれ」と言われたことがありましたが断りました。おそらく、タイで初めて王女の依頼を断った人間だと思います。タイでは、そうした公的機関のようなものに一度でも参加してしまうと、社会のルールに縛られざるを得ない。タイの道徳観念においては「善い人」であることを強く求められます。タイでは、道徳的観念を十分に備えた「善い人」たちが正しい道を示し、人々を治めるという考えが根強くあるんです。でもぼくは決して「善い人」ではないし、そうした場所にいたいとは思いません。

−—最後に、今後の予定を教えてください。

AW:まだスタートの段階なので何も決まっていないんですが、コロンビアを舞台にした映画を撮りたいと思っています。まずは来年、コロンビアにリサーチをしに行くつもりです。コロンビアといってもたくさん興味深いテーマがありますが、そのなかでも、この地に古くから伝わるある種の伝統薬についての話に興味があります。それを使うと脳の中にイメージが浮かぶような薬があり、おそらく今までもいろんな人が題材にしてきたと思います。ぼく自身は脳の働きというものに関心があります。今まで自分が扱ってきたものは、外にある映像と映画に映る映像、そして夢のなかの映像という3つの映像があった。でもその薬を使って得られる映像というのは、この3つとはまた違うもののような気がします。だから次回作では、コロンビアを舞台に、こうしたテーマについて描いてみたいと思っています。

(2016年12月8日(木)、東京都写真美術館にて)


PROFILEプロフィール (50音順)

アピチャッポン・ウィーラセタクン

1970年タイ・バンコクに生まれ、タイ東北部イサーン地方、コーンケンで育つ。コーンケン大学で建築を学んだ後、シカゴ美術館付属シカゴ美術学校に留学、映画の修士課程を終了。 1993年に短編映画、ショート・ヴィデオの制作を開始し、2000年に初の長編映画『真昼の不思議な物体』を制作。1999年に映画制作会社「Kick the Machine Films」を設立。長編映画『ブンミおじさんの森』で2010年カンヌ国際映画祭最高賞(パルムドール)受賞。2015年には『光りの墓』がカンヌ国際映画祭ある視点部門で上映され、大きな賞賛を得た。また映画監督としての活動だけでなく、1998年以降、現代美術作家としても世界的に活躍しており、映像インスタレーションを中心に旺盛な活動を行っている。

月永理絵(つきなが・りえ)

個人冊子『映画酒場』の発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』(株式会社Sunborn)の編集人。普段の仕事は、書籍や映画パンフレットの編集や、映画宣伝の手伝いなど。『メトロポリターナ』でコラム「映画でぶらぶら」連載中。2017年1月号より『現代詩手帖』で隔月連載「映画試写室より」がスタート。


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夏目深雪、金子遊=編著
執筆者:相澤虎之助、アピチャッポン・ウィーラセタクン、飴屋法水、綾部真雄、伊藤俊治、岩城京子、カレン・ニューマン、北小路隆志、キュンチョメ、佐々木敦、高野秀行、トニー・レインズ、中村紀彦、福島真人、福冨渉、福間健二、港千尋、四方田犬彦、渡邉大輔
発売日:2016年12月21日
A5判・並製|352頁|定価:3,200円+税|ISBN 978-4-8459-1617-7