INTERVIEW

池澤夏樹電子出版プロジェクト 特別対談

池澤夏樹電子出版プロジェクト 特別対談
池澤夏樹×萩野正昭 1/3「コンテンツがメディアを要請する瞬間。」

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去る7月、自身の作品の電子出版プロジェクトをスタートさせた作家・池澤夏樹氏。紙での出版から時を経て初めて電子化される数々の過去作品や、新たな書き下ろし作品を次々とリリースしていくこのプロジェクトは現在も着々と進行しています(2014年9月18日現在、14作品が刊行済み)。電子化のパートナーをつとめる株式会社ボイジャーのプロジェクト室室長・萩野正昭氏を迎え、池澤氏とボイジャーがともに挑戦してきた過去のさまざまな試みについて、そして池澤氏が近年編集に携わる「世界文学全集」「日本文学全集」(ともに河出書房新社)と「個人全集」としての性格を持つ今回のプロジェクトの共通項についても語って頂きました。

★この対談の直前に行われた、池澤夏樹電子出版プロジェクトの記者発表レポートはこちら

コンテンツがメディアを要請する
――『オキナワなんでも事典』をきっかけに

――まず、池澤さんとボイジャーの出会いからお聞きしたいです。池澤さんとボイジャーは1999年にCD-ROM『オキナワなんでも事典』(池澤夏樹編/ボイジャー発行、1999年)を一緒に制作されていますが、それはどういう経緯だったんでしょうか。

池澤夏樹(以下、池澤): 新潮社から紙の本として出していた『沖縄いろいろ事典』(ナイチャーズ編、垂見健吾撮影、1992年)という事典があったんですが、出してそれっきりになってしまっていたその本に、新たに項目を付け足したいと思ったんです。その当時、ちょうど世間では沖縄がブームで、沖縄とはどういう場所でどういう文化があるのかということをみんなが知りたがっていた。その影響もあり、『沖縄いろいろ事典』の増補改訂版として作ったのが『オキナワなんでも事典』でした。沖縄の人にもテキストを書いてもらったりして、最初の本からぐっとページ数も増やしたんです。だけどそれも紙で出したら再びそれっきりになってしまうでしょう。そこで、この本は電子出版がいいと考えた。これならいくらでも項目を書き足して、アップデートできる。それが自分の本の電子化を考えた最初のきっかけです。また、この一連のことから、事典というのは本来紙に向かないんだということにも気づきました。
 あとは“音”ですね。ぼくらの友達で、祭りの音なんかを駆けずり回って録音していた男がいて、その音を本にも使いたいと思いました。そうやってだんだんとこの本はいわば自分からマルチメディア化していったわけで、だからこの場合は明らかに、コンテンツがメディアを要請したということになる。同時に、そういったことに応じてくれる出版社が当時はボイジャーさんしかいなかった。
 ボイジャーに『オキナワなんでも事典』の出版をお願いした決め手はというと、当時電子本というのは、ゴシック体かつ横書きのものが普通だったんですね。でも、最初に出した『沖縄いろいろ事典』はそうそうたる方々がエッセイを書かれていて、その文章は明朝体、縦書きで読ませたいという気持ちがあった。それをどう実現させるかについていろいろ調べていたら、ボイジャーという会社がとても美しい明朝体の電子書籍を開発したという記事を見つけて、もうここしかない、と思ってすぐに相談に行ったんです。

(左から)池澤夏樹氏、萩野正昭氏

(左から)池澤夏樹氏、萩野正昭氏

萩野正昭(以下、萩野):そうとは知らなかったです(笑)。プロデューサーの広瀬さん(※編集部注:池澤夏樹氏の著作権管理会社である株式会社イクスタンの代表・広瀬智子氏)からご連絡をいただいた時、ぼくの方ではまったくそれが池澤さんの会社の方だとは存じ上げていませんでした。その後しばらくしてから、打ち合わせのためにボイジャーの担当者が沖縄に飛んだんですが、そこから「萩野さん、池澤夏樹さんだよ!」という連絡が来て、そこで初めて池澤さんからのご相談だとわかったんです。ええっ!と驚きました(笑)。
『オキナワなんでも事典』は最初CD-ROMとして出たんですけれども、その後Webでの『オキナワなんでも事典』が展開され、その間は情報がどんどん拡散されていきました。1999年から2003年あたりにかけてのことですよね。

――当時デジタルでやりたいと池澤さんがもともと考えられていたことは、その時は達成できたんでしょうか。

池澤:ぼくはできたと思っています。

――それ以降、さらにメディアの状況も変わっていると思いますし、今だったらもっとできることが増えている時代でもあると思うのですが、『オキナワなんでも事典』の後に池澤さんは9.11の同時多発テロを受けて始められたメールマガジンをまとめた電子本『新世紀へようこそ』(2003年)もボイジャーと一緒に発行されているんですね。

池澤:とりあえずメールマガジンそのものは自分から発信して、紙の本としてもそれをまとめて出したけれども、電子版の方はボイジャーにお願いしました。

萩野:メールマガジン自体は(紙の本の編集作業をしている間にも)どんどん発信されているわけです。それを、縦書き・横書きが選べたり読み手の環境で読みやすいレイアウトを選ぶことができるドットブックという形式に変換して、Web経由で次々とパブリッシュしていく作業についてはボイジャーがお手伝いしました。

――その間ももちろん、池澤さんの他の作品は紙の本として出版されていたと思うんですが、紙版の発売に合わせてその電子版を刊行されるというのはこれまでほとんどされてこなかったと思います。ご自身の作品を電子化しようということは、その当時は考えられていたのでしょうか。

池澤:あの頃は目先の仕事が忙しくて、そこまで気が回りませんでした。それに「電子出版に熱心になるにはまだ早い」というのがぼくの認識でした。いずれそうなるかもしれないけれども、今のところは紙でいいや、と思っていました。

萩野:ボイジャーという会社としては、あの90年代の終わりから2004年くらいまでの間というのはやはり一番苦しんでいた時期でした。どんどんOSが進化していったし、CD-ROMというメディアからWebへの移行もあり……。もちろんそこには可能性もあるんだけれども、“デジタルの矛盾”というものからの影響ももろに受けたんです。せっかく開発したものがOSが変わったせいで読めなくなってしまっただとか、これはMacでしか使えない、ということが多々あった時代です。

――その“矛盾”というのは、20年の間にフォーマットやハードが変わって、それを追いかけることに終始してしまう、といったことですね。

萩野:そうです。基本的に電子出版というのは何かに依存しているわけですよね。もちろん紙の本だって何かに依存することはあると思うんですけれども、電子の場合は特に技術――つまりハードやOS――に依存して初めて成り立っている。これらの事情はどんどん経済優先で変わっていってしまうので、その煽りをもろに受けました。

萩野正昭氏

萩野正昭氏


 

電子出版のタイミングと必然性

池澤:今回の電子出版プロジェクトを始めるにあたって“今だ”と思ったのは、実際に世の中に電子書籍が増えていて、自分の場合についても考えないといけないところに来たからですね。実際、新刊を出す時に版元から「電子版もウチから出してくれ」と言われることが増えてきました。それに対する不満は記者会見でも申し上げたことですが(※編集部注:池澤夏樹電子出版プロジェクト 記者発表レポート参照)、いずれは自分も電子版を出すのだとしても、主体性がないまま中途半端に流されずにきちんと戦略を練って、積極的に“打って出る”という風にしたいなと思っていましたから

 それでも例外はありました。『イラクの小さな橋を渡って』(光文社、2003年)という本は、日本語版を紙で出した後にフランス語版・英語版・ドイツ語版のPDFを無料で世界に配布しました。イラク戦争は2003年の3月からでしたが、その開戦前夜ともいえる前年の11月にぼくはイラクに行っていたんです。あの時ぼくは反戦平和に燃えて、ずいぶん駆けずり回って講演会などの活動をしました。その合間に大急ぎで書いて、翌年の1月に日本語で出版したその本は、日本だけで売っていても仕方がないので、英語やドイツ語、フランス語に訳してもらってPDFにしてぼくのサイトで無料で配ったんです。そしたら延べ70万回くらいダウンロードされたのかな……。そんな電子出版のケースが一つありました。
 もう一つ、いわゆる福島の原発事故を予感させるような内容のテキストを、3.11の20年ほど前にぼくが書いていたことがあって、一昨年、「それをとにかく急いで出版しなければ」という緊急の要請があり電子出版したこともあります。そのタイミングで「すぐに出せる」という会社に出会ったんですが、それは(通常の電子書籍のフォーマットではなく)アプリとしての出版でした(※編集部注:iPhone/iPad用アプリ「楽しい終末」。2012年にG2010が開発・発売)。当時は「どこまで上手くいくかわからないけれども、とりあえず電子出版してみよう」ということだったので、そんなに不満はなかったんですが、それはそれで、やはり限界がありました。

――最初は元の出版社に再版をお願いしたけれど、それを断られたのでアプリとして出版したという経緯ですか。“コンテンツがメディアを要請する”タイミングだけでこれまで電子のことをやってこられた――つまり、写真に音声を付けたいからCD-ROMを選ばれたり、月刊誌の締め切りを待っていたら間に合わないからメールマガジンを発行されたり、すぐに出版しなくてはならないから電子出版を選ばれたりと、池澤さんはそのようにして今までやってこられたということだったんですね。

2/3に続きます

聞き手:内沼晋太郎 / 構成:後藤知佳 / 編集協力:隅田由貴子 / 撮影:祝田久(ボイジャー)
(2014年7月1日、国際文化会館にて)

 
 
 

【池澤夏樹電子出版プロジェクト最新刊】
『イラクの小さな橋を渡って』
9月18日発売

 
2002年秋、米軍の攻撃が開始される直前、池澤夏樹はイラクにいた。豊かな文化を物語る遺跡を巡り、陽気な人びとと出会い、滋味深い食べ物に舌鼓を打った。
どうして私たちと同じ普通の人びとの頭上に爆弾が降ってしまうのか……?
著者が見た、ありのままのイラクを写真と文章で綴るエッセイ。◎ボイジャーの公式ストア「BinB Store」ほか、各種電子書籍ストアにて販売中。
◎池澤夏樹の電子本「impala e-books」特集ページはこちらからどうぞ
(全14タイトル配信中、今後も続々刊行予定)


PROFILEプロフィール (50音順)

池澤夏樹

作家。1945年北海道帯広市に生まれる。小学校から後は東京育ち。以後、多くの旅を重ね、3年をギリシャで、10年を沖縄で、5年をフランスで過ごして、今は札幌在住。 1987年に『スティル・ライフ』で芥川賞を受賞。その後の作品に『マシアス・ギリの失脚』、『花を運ぶ妹』、『静かな大地』、『キップをなくして』、『カデナ』など。東北大震災に関わる著作に長篇エッセー『春を恨んだりはしない』と小説『双頭の船』がある。最新作は小説『アトミック・ボックス』。2011年に完結した『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』に続いて、この年末から『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』を刊行の予定。 http://www.impala.jp/

萩野正昭[ボイジャー]

1946年東京都生まれ。株式会社ボイジャー取締役。「DOTPLACE」発行人。映画助監督をふりだしに、ビデオ制作、パイオニアLDCでのレーザーディスク制作等を経て1992年にボイジャー・ジャパンを設立。著書に『電子書籍奮戦記』(2010年、新潮社)、『木で軍艦をつくった男』(2012年、ボイジャー)。