ぼくはブックホテルをつくるプロジェクトを担当しています。もともとは「あしかり」という日販の社員保養所だった物件を、滞在型のブックスペースに生まれ変わらせるべく、2015年から日夜奔走してきました。ホテルの名前は「箱根本箱」。念願のオープンは昨年の8月1日から。現在、有難いことに、本が好きなたくさんの方たちにお越し頂いています。この連載コラムでは「箱根本箱」ができるまでのぼくたちの歩みと戸惑いを記しながら、ブックホテルをつくることの意義や、新業態を模索している取次の内幕を、当事者の一人であるぼく個人の主観を通してお伝えしていきたいと考えています。
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ガガガガ、ズドドド̶̶重機が壁を壊す音が聞こえる。床にはコンクリートの破片が散らばっている。いたるところで粉じんが舞い、みなヘルメットとマスクを装着しながら作業をしている。ケーブルがつる草のように床を這い、バケツや工具がそこかしこに置かれている。
2017年5月、あしかりの解体工事が始まった。岩佐さんの陣頭指揮であしかりは箱根本箱へと生まれ変わるのだが、あらかじめ完成された設計図があるわけではない。“壊しながら考えて作る”のが岩佐スタイルで、そのためには岩佐さんとチームを組み、臨機応変に対応できる建築家の存在が不可欠だった。今回、岩佐さんが指名した建築家は海法圭さんだった。
海法さんは1982年生まれ、新進気鋭の建築家だ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程を修了後、西沢大良建築設計事務所に入所し、2010年海法圭建築設計事務所を設立。東京大学や芝浦工業大学の非常勤講師も務めながら、国内外問わず意欲的なプロジェクトに参画している。ふたりのつながりは海法さんが里山十帖の一室を設計したことに始まる。箱根本箱では海法さんが施設全体の設計、施工監理、ランドスケープなどを手掛けた。海法さんは、ロジックとユーモアが同居する才人で、打ち合わせの場でも岩佐さんの要望に即座に応える。その場でアイデアが出ない場合でも、次の打ち合わせまでにはしっかりとした対案を用意してきてくれた。
とはいえ、建築家ひとりの力で建物が完成するわけではない。海法さんと共にこのプロジェクトを支えてくれたのが、海法圭建築設計事務所所員の吉野さんだ。吉野さんは20代後半で建築の世界ではまだ若手だけれど、設計実務や施工会社との折衝、現場管理で八面六臂の活躍を見せてくれた。彼の献身的ながんばりがなければ、箱根本箱がスケジュール通りにオープンできたかどうかわからない(と個人的には思っている)。プロジェクトを管理する立場にあたっていたぼくは、吉野さんと行動を共にする機会がとても多く、設計・工事フェイズに入ってからは毎日なにかしらの連絡を取り合っていた。
このプロジェクトの交通手段は主にレンタカーで、運転手はいつもぼくだった。吉野さんを助手席に乗せ、行政機関を訪ねてさまざまな申請をおこなったり、買出しのためホームセンターに行ったり。道中はいつも大音量で音楽を流しながら、吉野さんとはずいぶんといろいろな話をした。話題に上ったのは箱根本箱のことだけでない。建築家という仕事のこと、お互いのキャリアのこと、これからやってみたいこと。具体的なタスクは山のようにあるけれど、不思議と運転中は少し遠い未来の話をよくしていた。吉野さんの尊敬できるところは、ほとんど寝てない毎日の中でも、必ずやるべきことをやりきるところ。だんだん深くなる彼の目の下のクマに、ぼくは半分冗談、半分本気でいつも大丈夫ですか、と声をかけていた。細々としたタスクを乗り切るのに、彼がいなければ実現できなかったと思う。
クリエイティブディレクターの岩佐さんと、海法さんと吉野さんふたりの建築家によって、“壊しながら考えて作る”スタイルで進む箱根本箱への道のり。2017年後半から、ぼくも月に一度は現地に入りながら進捗を見ていたが、2018年になると状況は少しずつ厳しいものに変わっていった。工事が進むにつれ「もっとこうしたらいいんじゃないか」といった工夫だけではなく、「壁を壊してみたら中が想定と違っていて、追加工事が必要」といった予期せぬ変更が次々発生してきたのだ。
新築と異なり、リノベーションでは既存施設を残しながら工事をおこなわなければならない。建物の構造には手をつけられないから、損傷している箇所についてはその部分だけを修繕・交換する必要があるのだが、あしかりはとくに設備系統の老朽化が激しく、その施工は混乱を極めた。そのあまりの困難さに、さすがの吉野さんも「どうしてこんなに複雑な配管設計になっているんだ!」と、現場で叫ぶシーンを目にすることも一度ならずあった。工事が佳境を迎えると、吉野さんは現場近くのアパートを借りて、住み込みながら設計と施工監理を進めるようになった。その頃になるとぼくも毎週現地に赴き、進捗を確認し、施工会社との定例会に臨んだ。クリアしなければならない課題が次から次へと噴出するなか、施主としてその一つひとつをどう判断するかが、富樫・石原・ぼくの3名の肩に重くのしかかってくる。優先すべきことはなにか。スケジュールを守ること、予算を抑えること、クオリティを最大限にすること、この3つのバランスを取ることが、ぼくたちに課せられた使命だった。
でもそれだけが仕事じゃない。というか、むしろほんとうの仕事は別の場所にある。そう、ぼくたちが取り組まなければならないのは、本のことだ。どんな本を、どこに、どのように置くのか。YOURSBOOKSTOREの本懐は、ブックディレクションにこそある。選書で大活躍したのがチームメンバーの平木だった。平木は日販関西支社営業部門の出身で、書店と本への愛情が人一倍つよい。本を導入するための実務部分を自身の経験を生かしスムースに進めてくれた。ぼくも石原も、今までのキャリアでは書籍仕入れや営業部門との連携などの業務を経験したことがなかったため、彼の存在はとても頼もしかった。
選書のコンセプトを決める打ち合わせも三人で行った。何度もブレストを重ねた結果、「衣・食・住・遊・休・知」というキーワードにたどり着いた。この6つのキーワードに基づき本をセレクトしていく。「選書する本はすべて読んでいるんですか?」と聞かれることがある。答えは「読んでいません」。本はそれなりに読んできたつもりだけれど、それでもひとりの人間が読める本の量なんてたかが知れている。もしも選書を「読んだことのある本だけ」でやらなければならないのだとしたら、この仕事はすぐにできなくなってしまうし、自分の興味関心の外にある魅力的な本と出会う機会を選書によって提供することもできないだろう。ただし、読んでいないからといって適当に選ぶわけじゃない。作者や出版社について調べるのは当たり前で、装丁などの造本仕様を手がかりにしてみたり、通読はせずとも目次に目を通して気になる章を拾い読みしてみたり。さまざまな情報を集めて、その空間その書棚にふさわしいかどうかを判断してセレクトする。……と書くと、ぼくもがっつり選書に参加したかのようだが、実際のところ、平木と石原、そしてチームメンバーの中澤が選書のほとんどをおこなった。当初、候補となる本を各自1000冊ずつリストアップする予定だったのだが、2週間の締め切りでぼくが用意できたのはたったの14冊。
さすがにふたりには呆れられてしまった。それほどまでにプロジェクト管理業務が多忙を極めていたということなのだけれど、やはり言い訳にすぎない。そんな体たらくの自分だったが、「これだけは絶対自分でやりたい」ということがあった。「ブックアート」の導入だ。ぼくは、箱根本箱をただ本がたくさん置いてあるだけの施設にはしたくなかった。そのためにも、本の「モノ」としての魅力を端的に表現できる作品を館内で展示したいと考えたのである。ギャラリーやキュレーターにお願いせず、ぼく自身の力でアーティストを探すといっても、アートについてはまったくの門外漢の自分にできるのは、ネットの検索エンジンに「bookart」と入力することくらい。試しに検索してみたところ、とんでもない数の検索結果がヒットした。ひるんでいても仕方がない。知識もなにもないのだから、とにかく量を見て、自分の感性にフックするものを探すしかない。砂漠に眠るたったひとつの原石を探すように、来る日も来る日もブラウザにかじりつきながらブックアーティストを探した。
どれくらいの量の作品を見たのだろう。ある作品の画像に心奪われた。壁一面を埋め尽くすように古書が広げられ、その上に直接ペイントがなされている。モチーフは動物もあれば人間もあり、それがどこか不穏なトーンが描かれている。見る人の思考を促すような作風だ。イタリア在住のロシア人アーティスト、エカテリーナ・パニカノーヴァさんの作品。これしかない、この作品しかない、そう直感したぼくが拙い英語でメールを送ると、彼女からすぐに返信が来た。曰く、日本にはまだ彼女の作品はなく、導入ができれば日本ではじめての展示になるという。興奮したぼくは早速工事現場の壁の写真を撮り、「この壁に、これくらいの大きさで作品を置きたいんです」と伝える。そうしたメールでのコミュニケーションを何度か重ねたところ、なんと彼女に箱根本箱へ来てもらい、現地で最終の作業をしてもらうことになった。
2018年7月、エカテリーナさんはご家族とともに日本の地を踏んだ。成田空港でご一行を迎え、現地まで車で案内する。約1週間の滞在期間で彼女は作品を仕上げてくれた。壁に作品がかかったときの感動を、ぼくはたぶん、忘れることはないだろう。エカテリーナさんの作品は、箱根本箱のレストランにかけられている。ここに足を運んだ際には、ぜひ見てほしい。数え切れないほどの変更、何度も発生した危機的状況、それらすべてを乗り越えて、7月中旬、ついに箱根本箱は竣工した。外観こそあしかり時代の面影をしのばせるが、館内はまったくの別物だ。エントランスに設けた大きな吹き抜け、その両脇には天井まで届く本棚が設定されている。
ここからは1月後に迫った開業目指して猛スピードで環境を整えていかなければならない。スタッフの採用に現場のオペレーション設計、各種アメニティや施設備品など、膨大かつこまごまとした発注作業は、箱根本箱・支配人を任された窪田さんの担当だ。窪田さんは自遊人に入社後、小売店の店長や里山十帖でのプレゼンターを経験し、本が好きということから箱根本箱の支配人に抜擢された。年齢もぼくとほぼ同年代で、一緒に数々の修羅場をくぐり抜けてきた戦友だ(とぼくは思っている)。開業までの1ヶ月は、毎朝窪田さんと段取りを確認し、今日はベッドの搬入、明日は雑誌の撮影と、パズルのピースを埋めるように日々を過ごしていった。
本の搬入にはリノベーショングループの仲間たちが駆けつけてくれて、10人体制で作業を進めて行った。平木がリーダーになり、本をつぎつぎ搬入していく。バケツリレーで運び込まれるダンボール。その光景を眺めたときとき、ぼくは心底安心した。実際にはスケジュールはギリギリで、開業に間に合わないかもしれないくらいの綱渡り状態だったから、安心なんてしようがないのだけれど、それぞれに仕事を抱え多忙を極める仲間たちが来てくれたことが、ただただうれしかったし、その姿に安心できたのだ。
がらんどうだった書棚に本が並ぶと、空間の雰囲気がガラっと変わった。魅力が増していく。本が並ぶことで、ここまで空間が変わるのかと驚く。本たちはまず書棚に収められたのち、並びがよりよくなるように調整をしていく。本の並びに正解はない。今日完成したと思った棚が、明日見てみるとまた違ったふうに見えるから不思議だ。答えのない問いを解き続ける作業だけれど、やればやるだけ棚がよりつよい輝きを放っていく。時間の許す限り、最後の最後まで、本の並びには手を加えた。
7月後半から、ぼくと石原は箱根に泊まり込み作業を続けていた。開業まで秒読み段階だが、片づけなければならないこと、やらなければならないことはまだまだ残されている。そのタスクをひとつずつ解消していく。もしなにかの手違いで大きなトラブルが発生したら開業を延期しなければならないかもしれない。体力的にも精神的にも極限状態だったが、環境が整っていく現場を見ていると、いよいよなのだと胸が高鳴る。そんな毎日を過ごすことはたのしかった。開業直前になると日販本社から30名近い応援も来てくれた。館内の清掃や草むしり、大浴場の玉砂利運びなどといった体力仕事を、みな文句ひとつも口にせず、献身的にサポートしてくれた。
ぼくはそれまで、上司であれ同期であれ部下であれ、日販でともに働く同僚たちに対して、どこか距離を置いて接して来たように思う。それには入社直後に関連会社への出向を命じられ、本社業務との関連が薄い仕事をしてきたこと、一時は退社しようと思っていたことが関係している。リノベーショングループに来てからも、他のメンバーに相談できないような領域の仕事をすることが多く、話しても理解してもらえないと思い込んでいた。結局、ぼくはずっと自分の価値観でしか、人を、会社を、仕事を見ていなかったのだと思う。
でもこの瞬間、箱根本箱開業のために30名以上の日販の同僚たちが脇目も振らずに、手を、体を動かしてくれている姿を目のあたりにしたとき、自分が抱いていた「距離感」が氷解していくことを感じた。いま目の前で黙々と作業をしてくれている同僚たちは、リノベーショングループのメンバーではない者も多く、このプロジェクトの全容を知っているわけでもない。けれど、開業を間近に控え現場スタッフがギリギリいっぱいの進行のなか懸命に働いていることを知り、なんとか力になろうとしてくれている。なかにはぼくが直接話をしたことのない社員もいた。「箱根本箱をつくるときには、日販社員がよろこぶものにしないといけないよ。そのほうが絶対に広がりがあるはずだから」。ぼくは施設管理を引き継いでくれた佐々木の言葉を思い出していた。
7月31日。開業の前日も、富樫と石原とぼくは最後までシアタールームの配線に苦労したり、こまごまとした雑務に追われていた。長かった準備期間も今日が最後。いろいろな思いが胸に溢れてたが、溜まりにたまった疲れのせいか、その日はすとんと眠ってしまった。
8月1日。ついに箱根本箱が開業した。スタッフは緊張の面持ちではじめてのお客様を迎える打ち合わせをしている。ぼくたちはバックヤードに身を潜めながら、昨日までの喧噪が噓みたいに、静寂と美しさに満ちたロビーを見つめていた。午後3時少し前、最初のお客様が来館された。エントランスに足を踏み入れると「わあ、素敵ねえ!」と声をあげてくださる。2015年から足かけ3年半、このプロジェクトに心血を注いできたスタッフの努力が報われた瞬間だった。
最初のお客様がチェックインを無事済ませたことを見届けてから、石原さんと2人で東京へ戻る。でも、どうしてもすぐに帰る気分になれず、少し遠回りをして芦ノ湖までドライブした。アイスクリームを買い、芦ノ湖の畔に腰を下ろす。そのまま横になって空を見つめる。ずっと背負い続けてきた大きな荷物を、つかの間外したような気分になる。疲労感と達成感に包まれながら、ただただぼんやりと水面を見つめていた。
次回は館内のご案内と開業後に取り組んでいることを紹介したいと思います。次が最終の更新になりますが、その前に箱根本箱でぼくが企画したイベントの模様をご覧頂く予定です。
[ぼくらがブックホテルをつくる理由はどこにある?: Vol.5 了]
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