海外の本を自国で刊行する翻訳出版には、契約を成立させるための業務を担う「版権エージェント」という職種がある。このテキストは、一般社会ではあまり聞き慣れない職種「版権エージェント」の仕事、またそこから見聞きすることになった知られざる翻訳出版小史を伝える自伝的小説になっていく予定だったが、どうだろうか。連載タイトルの「SUB-RIGHTS」とは、著作権の二次的使用を意味する用語である。日本と海外の架け橋となったスコットランド人の版権エージェント、師であったウィリアム・ミラーへ追悼の念を込めて書き綴っていく。
※この物語は、概ね事実を元にしていますが「フィクション」です。登場する個人名・団体名の一部は架空名、もしくはプライバシー保護の観点から仮名にしています。
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北緯55度の10月なんて想像したこともなかった。ほろ酔いで列車から降りた僕達の頬を、黒い海を渡ってきたエジンバラの風が刺す。これより北の世界には、大都市などもう数えるほどしかないはずだ。
ちなみに、グレートブリテン島の北端に位置するスコットランド王国がグレートブリテン王国に取り込まれた1707年から300年目のカウントダウンをはじめたこの1998年の翌11月、前年の住民投票の結果を受け、この国は独自の立法府を持つに至る。それが6年後の2014年のあのスコットランド独立投票の、ひとつの大きな発端だ。
「さあ行こう。ここがスコットランド、世界一美しき我が祖国だ!」
普段からなにかと芝居がかった物言いを好むフィーロンさんだが、スコットランドの地を踏むのは、やはり特別なものがあるようだ。彼の内面になにが込み上げているのかなど僕には知る由もないが、フィーロンさんは低く垂れ込める灰色の分厚い雲を全身で受け止めるかのように両腕を広げ、うっとりとした笑顔を浮かべている。「おまえをスコットランドに連れて行ってやる」と言い出したときから、まるで特別な日を指折り数えて待っているという様子だった。毎年、少なくとも2度はロンドンまで出張する機会があるものの、そこから500キロ北にある祖国の地を踏むのはもう数年振りだと言う。僕からすればここはイギリスの延長といったところだが、彼に言わせればまったくの別世界なのだそうだ。無造作に足元に放り出したヴィトンのモノグラムのあの茶色い革製のボストンバッグは、目立つ位置にプリントされた「K.O」の金文字が薄れかけ、ややくたびれている。フィーロンさんが20年前に東京に移り住んだ際に知り合った、外国人好きでブランド好きな資産家の日本人から、いつだったか譲り受けた中古だそうだ。金文字のアルファベットは、“大種さん”だか“大竹さん”だか、とにかくその人のイニシャルだそうだが、フィーロンさんとパートナーの馬場さんは彼のことを陰で「オカネさん」と呼んで冷やかしているらしい。「とにかくなによりもお金が大好きな人だけど、決して悪人じゃなかった。……うん、私達にとっては、どちらかと言えばいい人だったのだろう。仕事が軌道に乗る前には、彼の縁に助けられたことも少なからずあったよ……」どこか含みのある言い方だが、きっと長い間にはいろんな事があったんだろう。日本にも信じられないくらいの大金持ちがそこかしこに潜んでいて、彼等は彼等の世界で実にしたたかに生きているのだと、フィーロンさんはその古いボストンバッグを持ち上げながら、なんだか言い訳がましく笑った。
とにかくこの機に訪ねておきたい出版社がエジンバラにあるのだと言う。
タクシーの運転手にホテルの名を告げる。ドライバーが話しているのもおなじ英語のはずだが、跳ね回るようなスコットランド訛りがきつく、僕には単語の音さえ聞き取ることができない。人々の話し声は陽気だが、東京からロンドンを経由し、更に北上して辿り着いたエジンバラの街を覆う空気は、信じられないほど静かに落ち着いている。坂道だらけの石の街を走り抜けたタクシーが、入江に面して建つ小さな古城を思わせる建物の前で停車する。円形模様を描く石畳の車寄せを挟み、向かいにはチェス盤の角に立つルークの駒のような石造りの低い塔が潮風を受けて立っている。
「さあ着いた。これがマルメゾン・ホテルだ」フィーロンさんの黒いチェスターコートの裾と、禿げた頭頂部をカモフラージュする髪の毛が、港を吹き抜ける風にはためいている。「スコットランドまでやって来て、先ずは一杯やらないわけにはいかんだろう!」
ホテルのバーでパイントのビールをひっかけ、気持ちを整えてから、さっそく目当てのキャノンゲート・ブックスのオフィスを目指す。
分厚く重い雲に圧迫されるような街なかの坂道で車を降りて、狭い脇道を進んだ先にある古めかしいレンガ造りのオフィスのドアを叩くと、くるくると散らかったダークブロンドのカーリーヘアーを長く伸ばした青年が現れ、太陽のような朗らかさで僕たちを迎え入れてくれた。フィーロンさんはどうやら彼とは初対面ではないらしい。腕まくりしたデニムのシャツに色の褪せたジーンズ、長い巻毛、……80年台終盤のロックスターのようなオーラを放っている。大きく分厚い木製のテーブルが中央に置かれた客間に通される。彼はフレンチプレス式のコーヒーメーカーの金属フィルターを慎重に押し込むと一呼吸置いて、3つ並べたカップをコーヒーで満たす。そうやって手を動かしているあいだも、ずっと忙しなく、ほとばしる勢いで言葉を発し続けている。フィーロンさんも普段の倍のスピードで、敢えてスコットランド訛りを強調しながら、その言葉遊びに嬉々とした顔で応じている。超高速のピンポンのラリーを目で追うような気分で、僕はそんな二人のやりとりを眺めている。青年はジェレミーという名で、彼がこのキャノンゲート・ブックスの若き社長であり、編集長でもあるということだ。僕よりちょっとだけ歳上だろうか。なにからなにまで楽しみながら味わい切っているというような充実した様子は、風格さえ感じさせる。その明るさと勢いに僕は軽く気圧されるが、だからと言って嫌な感じは微塵も受けない。明確で鋭く、躊躇がなく、存在感に一切の無駄がない。
コーヒーの香る応接室で一息つくと、すぐにオフィスを案内される。じゃらじゃらとした首飾りをぶら下げたエキセントリックなジプシー風の太った女性、おしゃれな古着屋の店員といった格好の女の子や、重そうなブーツを履いたアメリカのバイカー風のいかつい男性もいる。壁という壁の本棚や、デスクの上に積まれた本や原稿の山がなければ、ここが出版社であることを忘れてしまいそうだ。でもよくよく見回せば、出版社ならどこにでもいそうな物静かな装いの秀才風の若者もいて、なんだか少しほっとする。
応接室に戻ったジェレミーとフィーロンさんは、相変わらず絶え間ない会話の応酬を延々と繰り広げており、ときどき大きな笑い声があがる。気づけば1時間ほどが経っていて、どうやら話は無事に決着したようだ。
キャノンゲートとフィーロン・エージェンシーとのあいだで代理人契約が結ばれた。これまで日本では他のエージェンシーが主に扱ってきたという日本語翻訳権の大部分を、僕達が優先的に扱えることになった。わざわざエジンバラまで彼らのもとを訪ねて行った日本のエージェントなんて、過去にひとりいたきりだそうだ。
「マイクと一緒にフィクションを担当してるんだって?」ジェレミーは思い出したように僕を目に向ける。「俺たち絶対に重要な本しか出さないし、おまけにいくら金を積まれたって、よその出版社みたいに巨大資本に身売りする気なんてない。この先、良い関係ができることを期待してるよ。キャノンゲートのことをアナーキーだって言う人達もいるけど、そんな風に言われるのも悪くないよな。言ってみればアナーキズムとは画一的な支配に対抗する力さ。出版社にとっては褒め言葉みたいなもんだろ? でもビビらないでいい。キャノンゲートはスコットランドの、ただのインディペンデントなローカル出版社だよ。……今のところね」と、僕の肩をぽんぽんと叩く。「この後すぐにフランクフルトに行くんだろ? ダンスミュージックは好きだよな?」と手渡されたカードは、キャノンゲート主催のパーティーチケットだ。「出版界の重要人物も、業界のパーティーピープルも、とにかく世界中から集まるから、間違いなく来たほうがいいと思うよ。木曜の夜。朝方までやってるから!」
勢い任せに畳み掛けてくるような相手はたいてい苦手だが、ジェレミーの発する砕けた親密さには惹き込まれる。大きなことを言うが、はったりという感じでもない。で、僕は結局その先の数年間、ジェレミーの言葉どおりただのスコットランドのインディペンデントなローカル出版社ではなくなってゆくキャノンゲートの波に巻き込まれてゆくことになる。
表通りでつかまえたタクシーの車内で、フィーロンさんは実に上機嫌だ。
「まあ特殊な人間だが、本の趣味について言えばおまえとは意見が合うはずだ。後は任せたから、仲良くやればいい。よし、祝杯だ!」
競合する他のエージェントのテリトリーを実際に侵略する現場を目撃したのは、この時が初めてだ。代理店契約が交わされたといっても書類に署名がなされたわけでもなく、ただ口約束が取り交わされたにすぎない。
「私たちの仕事において重要なのは、その言葉さ。口約束だろうがなんだろうが、それを反故にするような人との仕事はしなくていいし、余程の事情が無い限り気にするな。言葉に信用のおけない人々を相手に本の仕事をするなんて、虚しいものだからね」
まあ、誰にだってその時々の状況というものがあるし、なかには言葉の軽い人間だっているから、とにかく真に受けすぎず、かと言って相手を甘く見たりもせずに、信頼できると思える相手との関係を大切にしていればそれでいい、と付け加えながら入った店で、フィーロンさんはグラスワインを2杯注文する。彼がジェレミーの言葉に信頼を置いていることは、その表情から伺える。「彼等の仕事にお前がどう応えるか、それ次第でこの口約束から生まれた関係が、鋼鉄の鎖のように頑丈になってゆくんだ。体験してみるといい。難しい顔をして契約書を交わしたところで、その合意に対する誠実さが失われてしまえば、そんな関係は呆気なく崩れてしまうもんだよ。約束ばんざい。とにかく乾杯だ!」
「それって、フィーロンさんの口約束の責任を僕が果たさなきゃならないってこと?」
「そういうことだ。でもそれをおまえに任せたのは、この私だ。だから責任は私にある。それがカンパニーってもんさ」
エジンバラではその翌日に3社ほど小さな地方出版社や大学出版社を訪ね、形ばかりのミーティングをして、仕事はそれでおしまいだった。
フィーロンさんの目的はどうやら本当にジェレミーのキャノンゲートだけで、あとはこのスコットランドの空気を吸うことができればそれで満足といった様子だ。バグパイプのしびれるような倍音が、細く長く風に乗って揺れながら響いている。灰色の寒空の下、タータンチェックの膝丈のスカート姿で街角に立つ髭面の男性が、あの奇妙な柔らかい楽器を抱いて息を吹き込んでいる。
夜にはスコットランド管弦楽団のコンサートを予約してあるという。メシアンというフランス人作曲家の「トゥーランガリア交響曲」が今夜のプログラムだそうで、僕たちは座り心地の良いコンサートホールの座席に身を沈める。レトロな近未来感の漂う、宇宙志向の壮大な現代音楽だ。実験音楽やアンビエントのイベントにときどき出かける西麻布のブレッツでも流れていそうな音楽で、作曲家に対する親近感が湧く。すらっとした長髪の黒髪の指揮者はケント・ナガノという日系アメリカ人で、見事な演奏の後、ひときわ大きな拍手の渦に包まれながらステージを後にした白髪の女性ピアニストは、作曲したメシアンの未亡人だそうだ。
スコットランドには発明家や作家を多く生み出す土壌があるんだと言うフィーロンさんの話に相槌をうちながら、また遅くまでしこたま酒を飲む。「ここはもう10月ともなれば寒くて、酒場に行く用事でもなければ外に出る気もしないだろう? 終わりなき本物の冬が訪れればこんなもんじゃない。人々はずっと、小さな火を前にじっと座って、身動きもせずあれこれ考えるのさ。それくらいしかできることはないからね。物を考えるには適した土地だな」
シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルも、冒険小説のスティーブンソンも、経済学の父アダム・スミスも、産業革命のワットも、電話を発明したベルも、FAXを作った人物も、それからテレビを生み出したジョン・ロジー・ベアードなる発明家も、みんなスコットランド人だとフィーロンさんは胸を張る。世界で初めての遠距離テレビ放送を成し遂げた彼は、その技術が備える危険な影響力を瞬時に悟り、後の人生においては極力テレビを遠ざけて生きたのだとフィーロンさんは酔いの回った口調で付け足す。「だがなんと言っても、スコットランドの生み出した最高のものは、あそこに並ぶスコッチ・ウィスキーだという人もいるな!」そう言って笑いながら、今夜を締めくくるに相応しい一杯を選んでいる。僕の胃袋と横隔膜は、そろそろ怪しい悲鳴をあげている。
オフの土曜には、連日の二日酔いで穴だらけになった頭をどうにかこうにか持ち上げて、街の中心部に位置する小高い丘のうえの要塞のようなエジンバラ城に出かけた。吹きつける、身を切るような風に飛ばされそうになりながら、旅行者然としたスナップ写真を何枚か撮った。冷気から逃れようと立ち寄った美術館で、モナ・ハトゥーンというイスラエル人の美術家の特別展が催されていた。左右のハンドグリップが鋭いナイフになったスチール製の車椅子があり、その先の部屋では床に敷き詰められた砂のうえを回転する機械装置が同心円の模様を延々と刻み続けている。まるで枯山水の庭のようにミニマルな情景に、微かなモーター音が不穏に響く。人間の破壊と暴力に対し、こうして声を発することなく抗っているのだとかなんとか、フィーロンさんが低い声でつぶやきながら、後ろ手に両手を組んでのそのそと歩いている。25の僕も64にもなれば、あんな風にゆっくり動くようになるのだろうか。
「私たちの日常では戦争はもう過去のもののように思えるが、その幸運の正体とは何だろう。平和について考えることを、決して忘れないようにするんだ。世界中のあちこちで、破壊は今なお絶え間なく続いているんだから。……私たちは本を通じて、それに抗うのさ」
日曜の午後にロンドンに帰り、そのままスーツケースを転がしてフランクフルトへと飛んだ。ルフトハンザ航空のエコノミークラスは、薄いグレーの柔らかな革張りのレカロのシートだ。居眠りする間もなく着陸したフランクフルト国際空港に何十台も並ぶタクシーは黄色いサインを頭に乗せたクリーム色のメルセデスで、後部トランクにはスーツケースふたつを楽々と収納し、制限速度のないアウトバーンを滑るように疾走する。15分も飛ばせば、あっという間に市街地の高層ビル群が見えてくる。この利便性がヨーロッパ経済の中心地としての役割に適っているのだという。スピードを落としたタクシーが、70年台のタウンハウスのような可愛らしいホテルの前で静かに停車する。もう百年も前からの定宿だとフィーロンさんがまた大袈裟なことを言いながら、あのボストンバッグを持ちあげて、エントランスの階段を一歩ずつ確かめるように上がってゆく。重いスーツケースは中東系の運転手が、こともなげに入口のガラス扉のなかまで運び入れてくれた。背中の丸い老婆が瓶底のような眼鏡越しに番号を確かめ、僕達に鍵を手渡す。
「ここでは枕元のチップを多めに置いておくといい。こうして毎年、私達のために部屋を空けておいてくれるんだ。この10年、ほとんど値上げも無しさ」
ベッドとデスクだけの小さな部屋で荷解きし、すでにロンドンからフランクフルトに入っていた三輪さん、そして日本から飛んできたばかりの同僚たちと合流を果たす。行きつけだという近所の家族経営の小さなローカル・レストランに、僕達6人分のテーブルが用意されている。ドイツ語を読むことのできる学術書担当の川上さんが、料理の解説を交えながらみんなの注文を決めてくれる。「こういうときにタカちゃんがいると助かるわぁ」と、普段は物静かな彼女のことを、先輩社員が持ち上げている。熱々のシュニッツェルやら多彩なソーセージやらが幸せそうな湯気を立てて運ばれてくる。肉料理と、大量のキャベツとジャガイモを食べながら、細長いグラスで出てくるピルスナーのビールやドイツの白ワインで明日からいよいよ幕を開けるブックフェアの景気づけをする。
……と言っても、いわゆるブックフェアは三日後の水曜日からのスタートだ。その前の月曜、火曜はヘッシッシャーホフ、そしてフランクフルターホフという大きく華やかな、いかにも歴史と趣のあるホテルのロビーやカフェバーなどを会場代わりにして、翻訳出版権の取り引きの為のミーティングが、フェアに先行して開始される。午前中に現場に着けばもう賑やかで、ステンレスのトレイを持ったスタッフが人々の隙間を縫うように忙しなく動き回っている。時間が経つにつれ人の数が増えてゆく。人混みの向こうにシカゴで仲良くなったシンディの顔を見つける。無邪気に再会を喜んでいるのは僕達ばかりではない。世界各地からこの場に集う数百もの出版人が、一年越しの出会いを懐かしむ七夕かなにかといった様子だ。優雅と言えば優雅なものだが緊張感も渦巻いてもおり、ここがビジネスの現場だったことを思い出す。……こんなことを何年も続けていくうちに、どこもかしこも見馴れた顔だらけということになってゆく。いずれ顔を合わせるのが気まずい相手などもできてきて、そんな彼等とは目の端々で互いの姿を牽制しあうようになる。でも、僕にとってはまだ初めてのフランクフルトだ。知った顔などないに等しい。場違いなところにさまよい込んでしまったような居心地の悪さを覚えるが、諦めて場の流れに身を任せ、また見よう見まねで役を演じ切るしかない。日が傾く前からアルコールのグラスを傾けている人々もいるが、彼等はある種の別格だ。スタッフにミーティングを任せながら、自分達は顔役のスタイルに徹している。僕には見分けなどつかないが、世界的に著名な編集者や出版経営者の姿もあるようだ。あの人がそう、という指の先に目を向ければ、たしかに際立った存在感を放つ誰かがいる。超巨大出版社から小規模で個性的なインディペンデントの出版社までもが一堂に会し、互いになんらかの共有可能な価値を探り合い、交換している。隙間なく場を埋める人々が一斉に繰り広げるコミュニケーションの声が渦になって混じり合い、高い天井に反響し、平衡感覚を失うほどの波となって押し返してくる。共用されているのは概ね英語だ。フランス人はフランス語訛りの、イタリア人はイタリア語訛りの英語を話す。僕のは語彙の乏しい日本語訛りだ。目が回る。
夕暮れ時が近づき、ワインやカクテルのグラスを手にした人々が、消耗と興奮の入り混じった顔で最後の活力を絞り出す頃になると、天井に反響する話し声にもなにやら異なった波長が混ざり込む。ある種のトランス状態が展開され、何もかもがどうでもよくなってくる。スパイスのよく効いたブラッディメアリーを口に含んで、カクテルに突き刺さった新鮮なセロリを一口齧れば、それが気付け薬だ。
フィーロンさんに促されて、ホテルの奥へと向かう。クロークの前にはもう人集りができており、そこを抜ければ巨大な広間だ。数えきれないほどの丸テーブルを囲み、人々がグラスを片手に交流している。まだ喋り足りないのかと呆れる。ワインボトルを手にしたホール係が体を捻るようにしながらその隙間を泳ぎ、空いたグラスが持ち上げられれば注ぎ足している。シャンデリアの照明が目を突き刺し、混ざり合う声の反響が更に密度を増す。このパーティーを主催しているのは、リトル・ブラウンという出版社だそうだ。
夜も8時を回る頃になると、人々はより親密な相手とのディナーの約束を思い出し、ぱらぱらと連れ立って姿を消してゆく。僕達も慌ててその場を後にする。こうして、世界最大の本の見本市であるフランクフルト・ブックフェアが今年もめでたく幕を開け、その第一幕が完了する。……ということのようだが、夜はそのまま第二幕、第三幕へと続いてゆく。
翌日の火曜日も、概ねおなじことの繰り返しだ。
「それで、今夜もまた遅くまでどこかに行くの? ほどほどにしといた方がいいんじゃない? 明日になったらもうお昼を食べる暇もろくにないから、覚悟してね。……朝はきっちりホテルで食べといた方がいいわよ。私はこれから例の日本の出版社の人達とディナーだけど、早めに切り上げたらもう帰って眠るつもり。まだ時差ボケも抜けないしね」
古株の窪田さんから、パーティー会場ですれ違いざまに警告される。大学を出て大手の家電メーカーに就職したらしいがそこを数年で辞め、出版関係の仕事を求めてフィーロン・エージェンシーに転職してきたのが15年前という、40歳がらみの女性だ。エージェンシーがまだ西麻布の雑居ビルの一室にあった頃からの叩き上げで、15年目と言えばもうベテランの域だ。主に児童書を担当している。「窪田さんが君の教育係だから」と入社後に三輪さんから言い渡されたが、その後、彼女から特に指導めいたものを受けたことはない。「マリオ君の相手はどうせフィーロンさんがするんでしょ」と、一度だけ酒を飲みに連れて行ってくれた際に言われ、なんだかそれきりだ。波長のうまく合わない相手と言ってしまえばそれまでだが、やりづらさを覚えているのは彼女のようで、「窪田さんの言ってた、一般常識のまったく無い新人って君のことか」と、どこだかの編集者にからかわれたことがある。
シンディが時計に目をやりながら、早く行こうと僕を急かす。彼女の仲間達との食事に飛び入り参加させてもらうことが、ついさっき決まったのだ。5月のシカゴで一緒に騒いだ面々が、このフランクフルトに勢揃いしているという。窪田さんほかエージェンシーのメンバーと日本の編集者達との会食に僕も出席することになっていたようだが、国外でしか会えない相手をなるべくなら優先したいと申し出たところ、フィーロンさんから「おう、それがいい、せっかくだからそうしなさい」と許しがあった。どうせ日本の出版社の偉い人達との席に、新卒の僕などが加わったところで、隅っこの席で「へえ」とか「はあ」とか、そんな相槌を打ち続けることになるだけで気詰まりだ。彼等だって、なにも知らない僕なんかに気を遣って話題を振るのも億劫だろう。フィーロンさんはフィーロンさんで、英語圏の出版関係者との会食に、こちらは予定通りに出掛けていった。
コートの襟元を締めてホテルの前のタクシー待ちの列に並ぶ。シンディがドライバーに住所を書いた紙を手渡す。5月のシカゴの夜とおんなじだ。インド料理屋に到着すると、既に10人ほどが集まっており、大きなグラスのピルスナーをあおっている。立場の上下などない同世代の仲間達との時間は気楽なものだ。おかげで、こうしてはるばる空を飛んでやってきた甲斐も感じられる。
夜も更けて閉店時間が迫ると僕達は、いったいそれが幾らなのかもよく分からないドイツのマルク札の割り勘で会計を済ませ、よろめく足で店を出る。連れられるままに彼等と一緒に歩いてゆくと、日中のミーティング会場だったホテルのひとつ、フランクフルターホフの巨大な石造りの建物がライトアップされて眼の前にそびえ立っている。昼間の混雑もなかなかだったが、夜中はそれ以上の賑わいだ。もう午前0時を回ろうというのに、前庭にあたるオープンテラスにまでグラスを持った人々が溢れ出ていて、歩くこともままならない。
「これが本当のフランクフルト・ブックフェアよ! ほら行くわよ!」と、シンディが特設のバーカウンターの列まで僕の腕を引っ張っていく。大宴会場と化したロビーは、どこからどこまで人で埋め尽くされている。どうやらここが終着駅ということのようだ。次から次へと人を介して誰かと出会う。マチューはフランスの編集者、イザベラはカナダのエージェント、グロリアはバルセロナから、ミゲルはイタリアの新しい出版社……。圧倒的に多いのはアメリカ、イギリスの出版人の姿だ。午後のヘッシッシャーホフで見かけたグローブ・アトランティック社の社長の姿もあるが、その横に座りくつろいだ様子でシャンパンを飲んでいるのは、つい数日前にエジンバラで会ったキャノンゲートのジェレミーだ。日本人らしき姿はどこにも見えず、つまり僕が仕事上の日本らしい気遣いをしなければならない相手など、ここには一人もいない。
「よう、ジェレミー!」と声を掛けると、立ち上がって両手を広げ、挨拶とばかりに頬を擦り付けてくるが、一日分伸びた無精髭がまるでざらざらとしたヤスリのようだ。
「この人、誰だか知ってるか? グローブの社長のモルガン・エンゲルス様だ。俺に出版のすべてを教えてくれる、出版界の父だぜ! モルガン、こっちはマリオ。俺達キャノンゲートの新しい日本のエージェントだ。そうだろ?」
モルガンと握手を交わし、5月にニューヨークでグローブ・アトランティック社を訪ねたことを伝える。独立系の文芸出版社の雄であるグローブの社長がジェレミーのメンターだったことを知り、この先のキャノンゲートとの仕事に新たな意欲が湧いてくる。
シンディやチャーリー、それからマークやエルザ、クレア、ジミー、レイチェル、ニック――20代の気儘なやつらと酌み交わし、人混みの向こうから現れる誰かがまたその輪に加わる。
気がつけばもう外は朝方の気配だ。
大慌てでタクシーを拾い、怪しいドイツ語の発音で、ホテルの住所を告げる。「ベートーベン・シュトラーセ、ビッテ。……プリーズ」
自分が正しい方角に向かっているのかどうかも分からない。
そのうち見慣れた景色の場所に出て、ホテルのガラス扉の鍵を開けて部屋まで上がり、目覚ましをセットしてベッドに倒れ込む。2時間後に目覚め、窪田さんの助言を思い出し、階下の食堂に直行する。ハムやらチーズやらを皿に盛り、バターを塗った黒パンに挟み、ゆで卵をふたつポケットに入れる。りんごジュースでグラスを満たし、カップにコーヒーを注いで、空いているテーブルを探す。三輪さんと川上さんが向かい合わせに座っており、空になった皿を前にナプキンで口元を拭いている。離れて座り、サンドイッチをりんごジュースで流し込む。コーヒーで目を覚ましていると、食堂を去る三輪さんに声をかけられる。
「フェア会場の入場券とか、忘れないようにね。あれないと大変よ。フンフン。ところで朝方のものすごい時間に、えらい音させて帰ってきた人おったみたいやけど、あれ、君じゃないよねえ?」
個人経営の小さなホテルは、室外の音が筒抜けのようだ。
「どうする? 僕達と一緒に行く? 準備オーケー? 歩いて10分程やけど。フンフンフン」
東京ドーム何個分……、という規模のコンベンションセンターがフランクフルトのいわゆる「メッセ」だ。その広大な敷地にイベントホールの大きな建物が9棟、10棟、ドカドカと建っていて、そのあいだをシャトルバスが行き来している。
翻訳出版関係者の集まるのは、英語圏の出版社やエージェンシーがブースを構えるホール8と9、そしてそのホール8から50メートルほどの通路を挟んで手前のホール6だ。それぞれのホールが、5月のシカゴのブックフェアのあったコンベンションセンターほどの大きさがある。ホール6の4階が「エージェント・センター」になっていて、階下の各フロアにはヨーロッパやアジアの国々の出版社が、地域ごとにスタンドやブースを構えている。とにかくそのいずれかの場所で30分刻みのミーティングが一日中おこなわれる。手元のスケジュール表を目で追いながら、移動時間などを考える。確かにのんびりランチを摂る暇なんてなさそうだ。
フィーロン・エージェンシーはホール6の2階、日本セクションの一角に小さなスタンドを構えていて、そこを日本人の編集者達に開放している。キャビネットには水やソフトドリンク類に加え、缶ビールやワイン、簡単なつまみ代わりのスナックなどが仕込んである。そこを休憩所や荷物置き場として利用する翻訳書編集者は少なくないようだ。彼等は大抵、エージェントと比べればかなり余裕のあるスケジュールで動いている。その代わり、大量に仕入れる情報のなかに「これは」と思うタイトルを見つければ、他社の編集者に遅れを取ることなど許されず、空き時間に目を皿のようにして資料を読み込んでいる。出張前に片付かなかった原稿やゲラをはるばるドイツまで抱えて来る編集者もいるそうだ。ミーティングの合間の移動中に、重くなったカタログや見本などを――紙の束が集まると、えげつない重さになる――スタンドに下ろそうと立ち寄ると、新潮社の若月さんや文藝春秋の畠山さんの顔がある。ダイヤモンド社の編集長の御堂筋さんも横の方に座って足を休めている。白水社の編集長の平山さんは既に幸せそうな赤い顔をしている。
朝9時過ぎから始まったミーティングも、午後5時頃を過ぎればアフターアワーといった空気が漂いはじめる。寝不足に加え重い二日酔いの僕は完全に電池切れだ。
「あんた、昨日の食事会も来なかったじゃん。ロンドンでもミーティングすっぽかすし。今日はもう終わりでしょ? ご馳走するからその辺で一杯飲もうよ」と、河出書房の田代さんが声をかけてくれる。
ホールとホールのあいだには屋台が連なっていて、ソーセージやサンドウィッチ、コーヒーやビール、ハーフボトルのワインなどを出している。ホール5の外の屋台群では、手綴りのニット、バティックやラグ、シルバーや革の工芸品、木工品などの土産物も売られている。アフリカの民族楽器なんかを売っている出店もある。
ベックスの小瓶を並べて、なんでこの仕事に就いたのかとか、どんな本が好きなのかとか、訊かれるままにあれこれ答える。田代さんはまだ30前後といったところだろうか。フランクフルトに来ている日本人編集者のなかでは若手のほうで、おまけに女性は少数派だ。フェアの一日を乗り切った後のビールは最高だよねと、疲れた素振りも見せずに舌鼓を打っている。そういえば二十歳手前で一人暮らしをはじめて間もないころ、『スタジオ・ボイス』のバックナンバーやら、ゴダールやホドロフスキーのダビングテープやなんかを持ってきては「これ、見ておいたほうがいいよ」とか言って、僕のアパートにあれこれ物を置いていくちょっと歳上の女の子がいた。岡崎京子や桜沢エリカのマンガ、サリンジャーやカミュの文庫本なんかに混じって、バロウズとかブコウスキーとか河出書房の本が何冊もあった。彼女の話についていくために、僕も書店に通うようになった。いろいろ教えてもらったなかで、特にブコウスキーには憧れめいた共感を覚えた。あの醜く汚らしいけど味のある、まるでこの世の終わりを体現しているような姿はひと目見れば忘れない。場末のアウトサイダーの日常を描いた自伝的小説を読み、未訳の詩集は洋書で探した。本人のポエトリー・リディングの録音CDなども見つけて手に入れた。何人もの訳者がブコウスキーの散文を日本語に訳していたが、最高なのは河出書房の中川五郎の訳だった。やっぱり詩人の言葉は詩人が訳すべきだよね、などと語り合った。あの本を出していた河出書房の人とドイツでビールを飲んでると伝えたら、彼女も面白がってくれるだろうか。
「ところで、三輪さんがぶつぶつ言ってたよぉ。ロンドンの仕事をほったらかして二人でエジンバラ旅行に出ちゃったって。でもあの出版社、ちょっと評判だよね、どうだった、どうだった?」
河出書房とキャノンゲートの相性はきっと良さそうだ、と思う。
……なんだかすごく自由で若々しい出版社でしたよ。ジェレミーっていう若い社長がいるんだけど、これがまたなんか勢いある男で、出版はアナーキーだとか叫んでましたね。その彼が4、5年前に経営を引き受けたんだって。とにかく、元々はスコットランドの本や作家に特化した出版社だったみたいで、あの『時計仕掛けのオレンジ』(ハヤカワ文庫、1977)のバージェスが、この小説こそスコットランドの生んだ最高傑作だって評した、アラスター・グレイっていう作家の『ラナーク』(2007、国書刊行会)っていうやばい小説を、過去には出していたりしてるらしいです。『トレインスポッティング』(青山出版社、1996)の初版も、実はキャノンゲートだったんだって。ダン・ファンテっていうアメリカ人作家の『 CHUMP CHANGE 』という小説がとにかくクールだから日本でも出版社を探して欲しいって。原稿のコピーを貰ってきたので、読んだら紹介させてもらいますね。あ、そうだ。木曜の夜に、そのキャノンゲートの主催する派手なパーティーがあるみたいだけど、一緒に行きますか? チケットもらったんですけど。え、木曜は予定あり?
……田代さんとメッセの前で別れ、ひとまずホテルを目指す。荷物も重いし、とにかく眠い。仮眠をとって、夜中になったらまたあのフランクフルターホフに行ってみよう。きっと誰かいるだろう。
木曜の夜はジェレミーからもらったパーティーチケットを片手に、郊外の大きなクラブに向かった。どうやら人気のパーティーのようだ。シンディ達も当然のことのように一緒に僕のチケットで入った。懐かしのファンクミュージックやヒップホップやロックやパンクなどがごちゃ混ぜに、大音量で流れている。ジェレミーの言っていたとおり、年齢層も立場も国籍もばらばらな客層で、おもしろいほど自由気儘なスタイルで踊っている。ジェレミーは髪を振り乱してDJブースで雄叫びを上げている。
あいつ学生時代にロンドンでクラブを経営していたらしいと、シンディの友人のニックが言う。ニックはニューヨークのホートン・ミフリンという出版社の編集アシスタントで、早口の事情通だ。ニックによれば、ジェレミーはもともと貴族の血筋だとかで、両親が離婚したあと、その母親の再婚した相手がイギリスのメディア界の超大物経営者ということらしい。20代でクラブを経営したり、出版社を買いとったりというのはそういうことかと腑に落ちる。「……俺の養父は金持ちだけど、実の父親は物静かな庭師さ。ほとんど誰とも口をきかず、年がら年中ひとりきりで植木の手入ればかりしているような人だったよ」とジェレミーは言っていたけど、もしかしたら大きなイギリス庭園を静かに散歩しながら植物に囲まれて物思いに耽って過ごすような人だったのだろう。
とにかくフランクフルトにいるあいだ、日中はメッセ会場でひたすら隙間なく駆け回ってミーティング。日が落ちかけるとホテルに戻って1時間とか2時間の仮眠をとって、夜中はまた溜まり場で、朝方まで人と乱れる。
フランクフルトの一週間がやっと終わり、日曜日。成田までの12時間のフライトは機内食にも手を付けず、死んだように眠った。
いや途中で目が覚めて、煙草を吸おうと席を立った。当時の国際線はまだ後部座席の数列分が喫煙コーナーになっていた。照明の落ちた機内は薄暗く、後部への通路はキャビン・アテンダント用のギャレーを挟んで遮光カーテンで仕切られている。奥へ進もうとカーテンをよけた途端、二人の男が通路を塞いでいた。押し殺した声で、組み合わんばかりに激しく口論している。顔には見覚えがあった。こちらを向いて立っているのは、たしか日本ユニ・エージェンシーのあの有名なエージェント、フィーロンさんが「蛇」と呼んでいる上野さんだ。もう一人の大柄の、白髪の男性が殺気立った顔でこちらを振り向く。エージェント・センターで編集者から「あれがユニの社長の鍋島さんだよ。角川春樹の親友の」と教えられた、あの人に違いない。
「……すみませーん。喫煙席って、この先でしたっけ?」
一服した後、遠回りして反対側の通路で座席に戻った。
あの二人がいかなる理由で言い争っているのかなど知らないが、ブックフェアは確かにフラストレーションの溜まる、くたびれ果てる一週間でもあった。僕が夜な夜な激しく飲み歩いていた理由も、その憂さ晴らしが半分と言ったところだ。エージェント、つまり代理人という立場は、ひたすら誰かの都合のために動く役割を宿命付けられる。これを売ってくれ、あれを売れ、出版社を見つけろ、なぜまだ見つからないのかと海外の権利者から詰め寄られる。日本の編集者に対し、これと思う本の企画を提案したところで、それじゃないこれでもないと、十中八九は手に取ることもなく却下される。おまけにそのエージェント同士で限られた権利者を奪い合う。そんなことの繰り返しだ。激しく消耗した精神が、ときに昂ぶってしまうのも仕方のないことかもしれない。
今回僕達がキャノンゲートを手に入れたということは、それを失ったエージェントが日本にいるということで、そんなことがあちこちで繰り返されている。
……成田まで迎えに来てくれたガールフレンドに三週間分の出来事をかいつまんで話しながら、豪徳寺の安アパートに帰宅し、帰り着くなり眠りに落ちた。それから12時間ほどずっとうんうんうなされていたと彼女に笑われた。
会社には、フランクフルトから航空便で送り出した資料やら見本やらが詰まった重く巨大な段ボール箱がすぐに届いた。日頃は日本人駐在員のための引越しなども請け負う日系の運送業者があのホール6の一角にブースを出して、荷物の国際配送をおこなっているのだ。山のような資料を分類しながら、どの編集者がどのタイトルに興味を持っていたのか、重要で優先度の高いタイトルはどれだったのか、雑然としたノートのメモを確認しながら、記憶がまだ少しでも鮮明なうちにエクセルのチャートに打ち込む。
フランクフルト・ブックフェアに参加した出版社も、参加しなかった出版社も、年に一度の巨大なフェアの成果を求めて会社を訪ねてやってくる。もしくは僕達を呼び出す。帰国後の数週間は、彼等とのミーティングに明け暮れ、とにかく翻訳権を売りまくる。
ジェレミーから預かった『CHUMP CHANGE』だが、アメリカのサン・ドッグ・プレスから出版されたばかりのこの小説のイギリスでの出版権、そしてワールドライツを取得したのが彼の出版社だった。要は、日本語を含めた世界中各言語の訳出版権をキャノンゲートが握っている。この本に、それだけの価値を彼らが認めたということだ。ドン・ファンテという著者名になにか聞き覚えがあると思ったら、あのブコウスキーが「神様」と呼んでいた作家、ジョン・ファンテの息子だった。神様の名はブコウスキーの詩や散文にも、たしか度々言及されていた。
父子がそれぞれジョナサン・ダンテ、そしてブルーノ・ダンテという名前で登場するが、息子のブルーノは廃人すれすれの、自殺願望と自傷癖に苛まれるアル中で破滅型の中年男で、何度めかの治療院から出てきたばかりのその日暮らし。父親のジョナサンは病院のベッドで、今日明日の死を待つばかりの老作家だ。折り合いのよかったとは言えそうもない父親に最期の別れを告げるため、ブルーノはニューヨークからロサンゼルスへと飛ぶ。酒が切れれば切れたで、酒を飲んだら飲んだで、どのみち衝動に逆らえず、手当たり次第に場当たり的な破壊の限りを尽くすブルーノが、自ら巻き起こすトラブルに苦しみ続ける様が惨めで哀しい。父親の愛犬である老ブルテリアは、主人を失えば殉死でもあるまいに保健所送りのあの世行きの運命だ。そのロッコを、ブルーノは放っておけずに連れ歩く。醜く年老いた闘犬は、果たして旅の道連れなのか、お荷物なのか。気付いてみれば何ひとつ思い通りにならないのが人生だとしても、人は――そして犬もまた――死が訪れるまでは生き続けなければならない。この世から消え去ることすら困難なのに、いざ思いを伝えようとすれば、相手はこちらのことなどお構いなしに、呆気なく死んでゆく。
タイトルの『CHUMP CHANGE』とは、「はした金」とか「取るに足らない小銭」とか、そんな意味の英語だ。死ぬことが予め分かっているこの一瞬の人生のなかで、人はいったいなにを垣間見るのことになるのか……。ブルーノの歪んで卑屈な愛情表現と、無軌道な暴力を伴う精一杯の抵抗が虚しい。
無理の連続を、人々は見苦しくもがきながら生き抜いてゆくんだろう。あの人にも、この人にも、苦悩と問題が人知れず山積みなのに違いない。麻痺してゆく人間と、麻痺することができずに暴れるダン・ファンテや、ブコウスキーのような作家がいる。
この小説を何社かに紹介したが、こんな救いのない話は売れないとかなんとか言われ、方々で断られ続けた。その度に僕は、これこそがリアリズムじゃねえかとボヤきながら、リアルな酒で憂さを晴らした。
それから実に6年後の2004年に、『天使はポケットに何も持っていない』というタイトルで、この本の日本語訳を出してくれたのは田代さんの河出書房だ。僕はその間に、結果的にフィーロンさんを裏切るような形で、あの上野さんと仕事をはじめることになるが、それはまだ数年先の話だ。河出が『CHUMP CHANGE』の翻訳権をやっと取ってくれたのは、僕がフィーロンさんの元を去って間もなくのことだった。
フィーロンさんの会社を辞めた後も、ダン・ファンテのこの小説など、僕が担当者としてキャノンゲートから預かっていたタイトルの大部分は、そのまま僕の手元に残ることになった。フィーロンさんの言っていた「鋼鉄の鎖」とまではいかなかったが、あれから数年のうちに仕事上の信頼関係が、キャノンゲートと僕とのあいだで結ばれていたのだ。かなり時間が経ってしまったが、河出書房でこの本を目にとめてくれる編集者がやっと現れ、そして翻訳出版を決めてくれた。
送られてきた『天使はポケットに何も持っていない』の刷り上がったばかりの一冊を手に取ると、ブコウスキーの訳者はこの人しかいないと学生時代の僕達がはしゃいだ中川五郎の名が訳者としてクレジットされていた。1998年のフィーロンさんとキャノンゲート、河出書房、それからその何年も前のあの日のブコウスキーと中川五郎がダン・ファンテで繋がって実を結んだ。インクの匂いのまだフレッシュな見本のページをめくりながら飲む酒で酔っ払うなと言うのは無理な話だ。
……物語はこんな風にはじまる。
「考えてみな、死ぬってのはえらいことだぜ
死ぬのって簡単じゃない
いちばんきついのは
どんどん死に近づいていくのがわかっていながら
生きていることだね」確かTJがこんなことを言っていた。
(訳:中川五郎、河出書房新社、2004)
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