海外の本を自国で刊行する翻訳出版には、契約を成立させるための業務を担う「版権エージェント」という職種がある。このテキストは、一般社会ではあまり聞き慣れない職種「版権エージェント」の仕事、またそこから見聞きすることになった知られざる翻訳出版小史を伝える自伝的小説になっていく予定だ。連載タイトルの「SUB-RIGHTS」とは、著作権の二次的使用を意味する用語である。日本と海外の架け橋となったスコットランド人の版権エージェント、師であったウィリアム・ミラーへ追悼の念を込めて書き綴っていく。
※この物語は、概ね事実を元にしていますが「フィクション」です。登場する個人名・団体名の一部は架空名、もしくはプライバシー保護の観点から仮名にしています。
Back Numbers
聞くところによれば、日本の出版社の数は4,000社を超えるそうだ。そのなかでいわゆる翻訳書を定期的に出しているのは50〜60社程ということだが、取り引き点数の少ない出版社も含めれば、版権エージェントが相手をするのは数百社と聞かされめまいを覚える。仕事をしながら少しずつ相手のことを覚えてゆけばいいとフィーロンさんは言うが、そんなに悠長に構えてもいられないのだと三輪さんが困った顔をする。
「マリオ君の前任者、そう、原君、アルバイトから始まって15年もやってきたベテランだったんやけど、マイクロソフトがデジタルのエンカルタを立ち上げて、それで引き抜かれて行ってしまったんよ。え? エンカルタってあれよ、百科事典のこと。昔はどこの家にもあったやんか、ドーンと、巨大な百科事典のセット。フンフン」
マイクロソフトは前年、1997年に電子百科事典の販売を開始した。ありとあらゆる物事をアップデートしながら網羅するデジタル版の百科事典を完成させるためには、内容として収めるべき写真などの図版や文献の著作権をひとつひとつクリアにしてゆかなければならず、版権処理だけを取ってみてもまさに巨大事業だ。収録すべき内容はそれこそ無尽蔵にあり、販売開始後も制作作業は急ピッチで続けられているとのこと。「著作権や版権の仕事の実務経験があってノウハウ持ってる人ってそうたくさんはいないから、うちみたいな版権エージェンシーの社員や、じゃなきゃ出版社の版権部門の経験者なんかに片っ端から声をかけたみたい。……いくら条件がいいと言っても仕事は気が遠くなるほど大変やと思うわ。面白いんかどうかも分からないしねえ。いやきっと大変よ。原くん、どうしてるやろねぇ。初めて出社したら、デスクがもう書類の山だったって言ってたけど……」と三輪さんが口髭をなでながら顔をしかめる。「そのうち本なんかも少しずつデジタルになってくんかなあ。どうするんやろ? よー分からんわ」
とにかく、そのベテランエージェントの抜けた穴を皆でどうにか埋めようと、フィーロン・エージェンシーは上を下への大騒ぎの最中だった。数え上げれば数百社もあるという翻訳書の出版社の相手をする版権エージェンシーは主だったところでわずか4社しかなく、そのなかで4番目の規模のフィーロン・エージェンシーに所属するエージェントは、早川書房しか相手にしない社長のフィーロンさんと、まだ右も左も分からない僕を入れてわずか6名。経理や契約書の担当者にアルバイトを加えて10人という所帯だ。同業最大手で老舗でもあるタトル・モリ・エイジェンシーは海外の書籍の日本語翻訳権を扱うだけでなく、日本のマンガの版権輸出やキャラクター物の権利などを専門に担当するエージェントを加えてその4倍以上の規模。同じく古参の日本ユニ・エージェンシーはフィーロン・エージェンシーのおおよそ2.5倍。イングリッシュ・エージェンシー・ジャパンという社が3番目の規模だが、社員数はうちより数人多い程度だという。海外でノーベル賞やフィールズ賞といった国際的な賞を受けた研究者や作家による著作の翻訳権を日本の出版社に紹介することに特化した更に小規模なエージェンシーもあるらしい。加えて2〜3、個人事務所としてのエージェンシーもあるそうだが、だいたい、それで業界の全体だそうだ。
「僕たち版権エージェントは“ミドル・マン”、それから“テン・パーセンター”って呼ばれたりするの。うん。意味分かる?」
分からない。
「オーケー。では説明しよう。フフン」三輪さんが髭を撫でる。「ミドル・マンというのは、読んで字の如し。著者なんかのいわゆる権利者と、それから出版社の中間、ミドルやね、そこに位置してるってこと。ではテン・パーセンターとはなんでしょう?」
著者は自分の書いたものが売れたら「印税」を手にする。日本人作家による本が国内で出版される場合、本の販売価格の8%から10%が著者の手元に入る印税となるのが一般的だ。それが翻訳書の場合、海の向こうの書き手が得るのは通常6%から8%の印税だ。「著作権の二次利用」という概念がそこにあるという。翻訳出版というのは著作物の二次的な使用にあたるのだそうだ。例えばある小説が映画化やドラマ化される、そのような場合にもおなじく二次利用だ。オリジナル作品として既に出版され一度現金化されているものを、別の形で改めて活用するのが、いってみれば二次利用なのだと三輪さんが解説する。だから、と言っていいのかどうかは知らないが、例えば僕たちが手がける翻訳出版の版権取引の場合、一次的な利用の際の印税よりも低いパーセンテージが二次利用の印税率として設定されている。つまり、大方の翻訳出版の場合、販売価格の6%から8%が相場なのだそうだ。
「なるほど。じゃあ“テン・パーセンター”の10%はどこから?」
三輪さんがまたゴマ塩の口髭を撫でる。
「版権エージェントは、その6%、ないし8%の二次利用の印税の、そこからの10%を仲介手数料としてもらうの。フンフン。分かるかな? 例えば1,000円の翻訳書が売れたらその6%が著者にとっては“二次利用”の、つまり翻訳書からの印税となる。はい、いくら?」
「えーと、えーと、60円ですね」
「そう、じゃあその60円の10%は、いくら?」
「6円?」
「ご名答! 計算もできるやんか。フンフン。つまり1,000円の翻訳書が一冊売れたら、僕たちの得るのは6円ということ。7%なら7円。単純計算。8%としても1万部売れてやっと8万円。まあ、大抵の本は1,000円以上するから、と言っても1,500円くらいが平均ちゃう? 文庫なんかは一冊数百円だしね」
「なるほどお! じゃあ全然さっぱり儲からない仕事じゃないですか!」
本を売って――正確には本の権利を売って――わずかばかりの利鞘を得る。そしてそれを積み重ねる。その「儲からなさ」に僕の心が不思議と踊った。一冊の本を「商品」と呼ぶことにためらいを覚えるのと似た感覚で、それを儲けるための手段と認めてしまうことに少しばかりの違和感を僕は感じていたのだ。
「いや、儲からないわけじゃないのよ。まあ、ビッグ・ビジネスというわけにはいかないけど」と、三輪さんが見透かしたように言い添える。「言ってみれば、この仕事は損がないの。フンフン。そう、損が」
出版社は本の著作権に金を払わなければならない。翻訳出版なら「アドバンス」と呼ばれる印税の前払金(advance royalty payment)を支払って、一冊の本を日本語に訳し出版する権利を手に入れる。人気のタイトルを他社と競って取りにかかれば、落札するためには高騰したアドバンスを支払わなければならない場合もある。出版社はその投資額を回収しなければならない。翻訳物に限らず、日本人の著者の書き下ろしの場合にだって、多くの出版社が著者に対してなんらかの投資を行なっているらしい。印税とはまた別に経費と時間とを費やして、作家の執筆活動をサポートするようなことも珍しくないという。出版社は本を作って売るのが商売だ。どういうことか? 本にするための原稿を手に入れ、それを編集して整えなければならない。その原稿を紙に印刷し、表紙やカバーをつけて製本しなければならない。デザインも重要だ。製本されてやっと売り物としての本が出来上がる。出来上がった大量の本をどこかに保管し、管理し、それを流通させ、宣伝し、売らなければならない。売れなかった本は書店から返品されてくるから、やはり保管場所が必要になる。一冊の本を作り、売るのにどれほどの予算が費やされているのか。編集、印刷、管理、販売、営業、宣伝……、どの業務にも担当となる人手がいる。つまり紙代や印刷費や倉庫代の他に人件費もかかる。それに、一冊の本を仕上げて出版するまでには、気の遠くなるような時間と作業が費やされる。
「普通の本ひとつ作ろうと思ったら、安く見積もってもざっと300万くらいは必要なんとちゃう? うん。人件費まで入れたらもっともっとやろうねぇ。考えただけでも目が回るわ。そうそう、翻訳本ならもちろん翻訳しなくちゃならないし、編集してチェックして書き直して。大変よ。……ところがエージェントは物を作らない! そのための費用も時間もかからない!」と、三輪さんが声高らかに言い放つ。「出版社はそれこそたくさんあるわけやから、彼等がせっせと本を作っているあいだに僕たちは良いもの見つけて、その権利を次から次へ、どんどこ売っていけばいいの。すでにあるもの、もしくはまだ無いもの、ただその権利を売る。それが版権エージェント。本を作ることもしなければ、作った本を抱え込むこともなく、宣伝し、売る必要もない。必要なのは事務所の家賃に人件費、それから出張費用くらいかなあ。やっぱり海外はいかなあかんしね? あとまあ、こまごまとはいろいろあるけどね。出版社の人達との関係が大切だから、そういう交際にも多少のお金は必要よね。フンフンフン」
物を作らないと断言され、だから損の少ない良い仕事だと言われ、僕は少しばかり混乱を覚える。
「契約したらアドバンスが入るでしょ? そうして出来上がった本のなかに大きく売れる本が出てくれば、アドバンス以上の印税がまた入るでしょ? 印税の前払金を超えた分が超過印税になって、これが言ってみれば不労所得ということやね。フンフン。分かる? まあ、そこからの10%が我々の手元に残るお金、ということやけど」
分かる。……分かるけど、分からない。いや、計算上の話という意味でなら分かる。でも、三輪さんが何を言わんとしているのかが、やっぱり分かるようで分からない。
「ところで、マリオ君。急だけど来月のBEA、僕と君とで行くことになったから、フンフン、そのつもりで準備しないとね」
「え? なんですか?」
「来月、うん、アメリカ出張。今年はシカゴとニューヨーク。一緒に。いや?」
「いや……。いやっていうか、BEAって、なんですかそれ? ていうか、なにしに?」
「ブックフェアよ。ブック・エキスポ・アメリカ、BEA。今年はシカゴ。まだ馴れていないだろうし、どうかと思ったけど、フン、でもマイクが心配なかろうって言ってたわ。そう。それでブックフェアの前にニューヨークに入って、そこで出版社やエージェントを回るから。二週間くらい。フンフン。秋には大きなフランクフルトのブックフェアも控えてるから、その前にアメリカの人たちに顔と名前を覚えておいてもらった方がいいだろうって。フンフン、たしかに一理あるわ。英語はまあ問題ないでしょ? ではよろしく」
そう言うと、三輪さんは自分のデスクに引き返していった。よろしくと言われても困るが、ニューヨークか。ついこのあいだまで暮らしていたフィラデルフィアから何度となく出掛けていって遊んだ街だ。あの街で仕事をする自分のイメージがさっぱり沸かないが、遊び仲間の顔ならすぐに思い浮かんだ。もしかしたら、フィラデルフィアの仲間もニューヨークまで会いに来てくれるかもしれない。……そんなことを思いながら、今日もまたFAXやメールを打ち返し、届いた本や資料をひたすら読み込む。海外に住んでいたから英語は問題ない? そんなことはとてもじゃないが言えない。英語で本を読むくらいどうにかなるだろうと高を括っていたが、働きはじめてすぐにそれが過信であったことを思い知らされた。読むスピードがとにかく追いつかない。例えば日本でも出版点数の多い英語圏のビジネス書などのノンフィクション。日本語でだって読みつけないのだから、出てくる単語の意味がそもそも分からなければ、コンテクストも拾えない。言葉が多少分かるからといって本が読めるということにはならない。仮に意味を追えたとしても、それは理解することと同義ではない。どうにか最低限の、漠然とした理解に至ったとしたところで、その本の内容やテーマの何が特別なのか、いったいどこが他の本と異なるのか、それを比べるための知識も判断の基準もない。いったいどのような読者が想定されている本なのか、僕には具体的に思い描くことができない。
「……それで、この本に書かれていることのどこが新しいの? どうしてこの本が日本の読者に必要なの? どこにフックがあるの? この本ならではの切り口、なに?」
来る日も来る日も編集者と会って海外の本の紹介をする。その度に、どの編集者も異口同音にこの質問を投げかけてくる。過去の本を知らないのだから、この本のどこが新しいのか訊かれても答えられない。書店に行けば似たような本ばかり売られているじゃないか。そのすべてに何か新しいアイデアが盛り込まれているとでもいうのだろうか? ページを開いて目を通せば、どの本にもそれなりのことが書かれているような気がする。でもそれなりではダメなのだ、それなりというだけでは一冊の本としての強度が足りないのだと編集者たちは言う。
「とにかく、売れる本を見つけないとね。フンフンフン。内容や書きぶりは勿論だけど、売れないことには、本はどうしようもないやんか」と、三輪さんが本を抱えてやってきた。
「売れる本? ……って、面白い本が結果的に売れるんじゃないんですか?」
「フン。そうならいいけどね……」と三輪さんは本を並べながら口先だけで返事をする。「とにかくもう徳間書店の緑川さん、そろそろ来るよ? 時間ないわ。うん、紹介できる本、ちゃんと揃ってる? 世の中、小説ばかりじゃないからね。こっちのも目を通しておいてね」
僕は三輪さんが積んでいった本の山と向き合う。この仕事に就く前は、僕にとって本といえば、それは即ち小説だった。そうでなければ歴史や思想・哲学、伝記などの、いわゆる人文書。あとは気儘にページをめくるエッセイとか……。とにかくビジネス書というか、実用書が同じ本であると意識したことがなかった。でもよくよく思い直してみれば料理本は好きで何冊か買っていた。旅行ガイドなんていうものもあった。ところで今日紹介するのはアメリカの企業経営者やコンサルタントの書いたビジネス書、時事問題をテーマにしたノンフィクション、加えて健康に関する本などが中心だそうだ。経営についても健康についても特に考えたことなどない。コンサルタントという職業がこの世に存在することすら昨日まで知らなかった。時事問題にも疎く、世間知に乏しい。
目に飛び込んだ太いゴシック体の、〈ベストセラー作家の待望の新作!〉という売り文句に救いを求めて一通の企画書に手を伸ばす。著者は80年代に一世を風靡したというビジネス・コンサルタントだ。〈元マッキンゼー〉と、まるでそれが一般常識であるかのように書いてある。ところで、そのマッキンゼーがなんなのかを僕は知らない。ネットで調べる。企業に対してビジネスや経営に関するアドバイスを与えることを生業にするのがコンサルタントという仕事であり、マッキンゼーという会社はその先駆的存在であり、そして世界の最大手である。仕事のアドバイスをするだけで成立する仕事があるのかと新鮮な驚きが湧き、興味を煽られる。著者はそのコンサルタントのトム・ピーターズという人物だ。マッキンゼーで組織論などを研究した後に独立して出版した『エクセレント・カンパニー』がベストセラーになり、80年代のビジネス書ブームを牽引したビッグネームだそうだ。その本の共著者のロバート・ウォーターマンなる人物もまた、マッキンゼーの同僚コンサルタント。訳者は大前研一とある。その名や厳めしそうな顔はテレビや雑誌で見たことがある気がするが、彼もまたマッキンゼーの日本支社長、アジア・太平洋地区会長を務めていた人物とのことらしい。アドバイスをするだけなのに、なんとも壮大なことだ。まだバブル景気前夜の1982年、高度経済成長期を過ぎ安定成長期に差しかかった日本で出版最大手の講談社がこの本を出版すると、たちまち社会現象となった。
原題の『In Search of Excellence』とはつまり、いかにしてより素晴らしい企業を作り得るのかという問題提起で、僕にはなんだか理想主義的な問い掛けに思える。企業なんて隷属する人々を生み出す装置ではないのか? しかし出版から15年以上が経った、バブル崩壊後の今でも影響力のある“クラシック”らしい。IBMやP&G、GE、3Mといった70年代〜80年代当時のアメリカの超優良企業(エクセレント・カンパニー)の成功の秘密を、コンサルタントである著者たちが具体的事例を織り交ぜながら分析し、その鍵を組織作りと組織運営に見出した。大量生産、大量消費、効率化……。物質主義の絶頂期を経験したアメリカにあって、組織とは人である、ビジネスとは人であるという観点を改めて明らかにしたビジネス・バイブル、ということらしい。1982年に本国アメリカで出版されると、たちどころにミリオンセラーとなり、その翌年に出版された日本版も、やはり大ベストセラーとなった。本書を執筆するにあたってマッキンゼーを辞めたトム・ピーターズは、その印税収入の半分を古巣に収めることで在籍中に得たリソースを活用したことに対する筋を通したようだが、同社に残ることになったウォーターマンは印税収入を放棄したという話だ。本当だろうか? とにかく、そのトム・ピーターズの単著である『Reinventing Work』という三部作がアメリカで企画されているらしい(日本ではその後、当時のTBSブリタニカ、現CCCメディアハウス、がオークションの末に翻訳権を勝ち取り、『トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦』シリーズとして出版された)。
なるほど、そのような本の世界があるのかと驚く。僕にとって本と言えば「物語」でしかなく、そして僕はビジネス書の背後にある「物語」とは何かをまだ知らない。……とはいえその5年後の2003年、当時はまだ存在しなかった英治出版という新興の出版社が、既に絶版となっていた『エクセレント・カンパニー』を復刊するに至るその背景にあったドラマに僕は驚かされることになる……。
さておき昼休み、経理の渡嘉敷さんが、これまた口髭をなでながら近寄ってくる。
「マリオ君、ビジネス書は売れるんだから頑張ってよね。とにかくコレと思う本があったら、押して押して押しまくって! ベストセラーをやらないと!」
「は? ビジネス書? ベストセラー? なにいってんすか渡嘉敷さん。読まれるべき本は他にも山ほどありますよ? むしろ、そんな本こそ売れ残っているような気が……。推しまくりたい素敵な本は、むしろ他にたくさんあるじゃないですか」
「ちがうよ、マリオ君。それは食わず嫌いだ!」渡嘉敷さんが、かりんとうのような太い眉をしかめる。「面白くて素敵な本もそれは大切だ。だけど売れる本というのがあるんだよ。いくら面白くたって売れなきゃダメだよ、マリオ君!」
ごめんなさい、渡嘉敷さん、面白い本が売れるんじゃないの? 面白くなくてもいいけど売れる本……、僕はなにをもってそれを判断すればいいんですか?
「部数を見れば一目瞭然だよ! マリオ君!」と、渡嘉敷さんが呆れたように笑う。部数というのは、つまりその本がどれだけ読まれたか、つまりどれだけ売れたかという数字だ。「それで成り立ってるんだよ、この仕事は!」渡嘉敷さんの声はとにかく大きい。「別にビジネス書じゃなくたっていいんだよ。物語だって爆発的に売れることがある。とにかく売れないと! 売れる本が面白い本なんだよ、マリオ君! 人がそれを読みたがるんだから! 俺たち、それで喰ってるんだから!」
「は、はあ」
「出張に、アメリカに行くんだって? いいなあ。すごい本を見つけて、ばっちり権利をゲットしてこないとね!」
渡嘉敷さんの黒々とした口髭は入社してから三輪さんを真似て生やした髭なんだと、学術書担当の孝子さんが言っていた。いかにも学術系といった感じのおかっぱ頭に丸メガネ、少年のようにほっそりとした小柄な体型で、ときによく聞き取れないくらい声が細い。
「むさ苦しくて、暑苦しいよね? 声大きいし……」と、その孝子さんがこちらを見ている。
そんな孝子さんとは正反対に口を開けば声が響き渡る渡嘉敷さんは骨太で、見るからに頑丈そうな、厚味ある体格だ。鹿児島で生まれ育った薩摩隼人だが、20代の頃に世界放浪の旅に出て、その旅行記を西日本新聞という九州の新聞に連載していたことがあるのだという。帰国後に経理の勉強をして、紆余曲折の末にフィーロン・エージェンシー経理担当になった。スペインでは婚約した女性を裏切りナイフを持って追いかけられたり、タイの海辺で意気投合した北欧美人と下着姿で海に飛び込んで波に飲まれたり、ランチタイムに聞く渡嘉敷さんの旅の話はどれも破天荒なものばかりだ。どこを切っても旅と俺、女性と俺。そして本と俺。尺度は常に俺。話が佳境に入るとものすごい速さでまばたきを繰り返す。
「これ、『メディナ』って俺の本。その新聞連載を一冊にまとめて、当時、自費出版で出したんだ。よかったら読んでみて! そう、そのラクダに乗ってるのが若かりし日の俺! どう? いい男じゃない?」と、渡嘉敷さんからその本を手渡される。「若かったなあ! あちこち行商みたいに売り歩いてさ。当時、スポーツ平和党を作って政治に乗り出したばかりのアントニオ猪木が、たまたま路上で本を売ってる俺の真横で選挙演説を始めてさ……。演説が終わるのを待って、俺、猪木に挨拶したんだよ。ここでなにしてるんだって訊くから、本を書いたんだって言ったら秘書を手招きして買ってくれてさ。俺、サインしますって言ったんだよ。そしたら猪木が“おう、サインか!”って言うなり俺のペンをあのでかい手で奪って、俺の本を開いて自分でサインをして、それを秘書に手渡したんだ。猪木にとってサインって言ったら、それは自分のサインなんだろうな。だから猪木は猪木自身のサインの入った俺の本を持ってるんだよ!」
フィーロン・エージェンシーで働くことになってよかったなと思えるのは社長のフィーロンさんと渡嘉敷さんの存在だ。あと、バイトのマユちゃん。気さくで、なんだか楽しい女の子だ。小柄だけど健康的で、週末の夜にはクラブで激しく踊るらしい。
「……フィーロンさんは俺みたいなのは苦手なんだと思う。マリオ君はなんか好かれたみたいでよかったじゃない。でもいい気にならないで、ちゃんとやってよね。俺だって経理が天職だと思ってやってるわけじゃない。俺は本を作りたいんだ。ベストセラーを! なんならまた自分で書いたっていい!」嵐のような渡嘉敷さんに誘われて、そのまま遅い昼食に出る。
「で、渡嘉敷さんの旅行記の売れ行きはどうだったんですか?」
「刷った1,000部きっちり売ったよ。だけどそんなじゃ全然足りない! 何万部も、何十万部も売れる本を作らなきゃ! 百万部、ミリオンセラー、やってみたいと思わん?」
自分の読んできた本がどれくらい売れているのかなんて、そういえば気にしたことがなかった。本は一度出版されれば、読み手が求めるだけ読まれ、その読み手の数に足りるだけ存在するもので、それでじゅうぶんだと思っていた。だが渡嘉敷さんは、それでは不十分だと言う。「売れない本なんて、すぐ絶版だよ、マリオ君!」
とにかく来月は三輪さんとふたりだけで、3週間のアメリカ出張だそうだ。本は売れなければダメなのだそうだ。
COMMENTSこの記事に対するコメント