写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり
第16回 Tales on Moon Lane Children’s Bookshop
ロンドン南部、緑豊かな公園のあるハーン・ヒルは、若い家族が多く住む住宅街です。ここに、大人気の児童書專門書店、テイルズ・オン・ムーン・レーンがあります。
地元の小学校の教師だったオーナーのタマラ・マクファーレンさんは、2003年、「テル・テイルズ」(物語を語ろう)という名前でこの店を創業しました。その後、ハーフ・ムーン・レインという通りの名にちなんで、テイルズ・オン・ムーン・レーン(「お月様通りの物語」)に改名しました。「子どもの名付けと同じくらい悩みましたが、地元で通りの名前が親しまれていることもあり、最終的にこの名前に落ち着きました。月という言葉には、冒険、高い目標、別世界という意味を込めています。今では関連事業にもムーン・レーンという名をつけていて、いい名前だったと思います」
オーナーのタマラさん。
店名だけでなく、店のデザインも夢があふれ、まるでお菓子屋さんかおもちゃ屋さんのようです。「教師時代、子どもは視覚的に美しい環境がとても大切だということを実感したので、ファサードと内装にはこだわりました」とタマラさんは言います。
クリーム色を基調とした店内。シャンデリアがアクセントです。
子ども向けの書店を開こうと決意したのは、第一子である長女が2歳の時でした。「子連れで行った本屋さんで“子どもが触った本はお買い上げください”と言われてショックを受けたのと、周りにも本屋をやるべきだと言われたので。今考えれば、業界のことを何も知らなかったからこそ始められたのだと思います」
最初は、教師を続けながら、書店員を一人雇って開業しました。学校の勤務が終わった後に店に来て、本の注文などをし、保育園に預けていた娘を連れて家に帰り、そして学校の試験の採点などの仕事をこなすという毎日だったそうです。一年後、教師を辞めて、書店業に専念することになりました。
小さなランタンで飾り付けられ、選りすぐりの本が並ぶ書棚は、まるで幼稚園の絵本棚のよう。
店に置く本は、タマラさんが4人の店員たちと話し合いを重ね、手作業で一冊ずつ選んでいます。「本と読者の間に、化学反応が起きないとダメ。だから、店のセレクトの基準は、質が高く、なおかつ子どもたちの視点から見ておもしろくて夢中になれる本」だとか。同時に、たとえベストセラーでも、倫理的な理由から店で扱わない判断をすることもあるそうです。たとえば異文化への配慮が欠けていたり、知的障害者について間違った叙述をしていたりする本は排除しています。
オーナーも店員さんも、みんなフレンドリーでおしゃべり好きです。
タマラさんだけでなく、スタッフも児童書の目利きばかりです。そのほかにも、世界の児童文学が好きな人、ファンタジーや歴史に強い人、元出版社勤務でグラフィックノベルに詳しい人など、テイストや専門分野の違う様々な書店員さんたちがいます。店長のテレーズさんは、チェーンと独立系双方で書店員を10年以上勤めた後、児童書に関する専門知識が買われて就任しました。絵本からヤングアダルトまで、すべての作品に自ら目を通しているそうです。2016年には書店員のジェニファー・ベルさんが、ペンギンランダムハウスから小説を発表し、作家デビューを果たしました。
さらに、赤ちゃんからティーンエイジャーまで、お客さんとのコミュニケーションを重視しています。「私たちは子どもたちに、本の世界の案内人として信頼されています」とタマラさん。「一般書店の子どもの本コーナーだと、どうしてもおまけ扱いになりがち。児童書専門書店であることには大きな意味があると自負しています」。
店内の配置は、ベビーカーでも周りやすいよう、工夫されています。
タマラさんによれば、イギリスで児童書の世界に大きな改革をもたらしたきっかけは、「ハリー・ポッター」のヒットでした。大人も夢中になれる児童書が登場したことで、ここ20年で児童書全体への見方が変わり、中身も装丁も優れた本が数多く出版されるようになったのです。そんな流れにも乗って、タマラさんは「本を通して子どもたちの人生を変え、ひいては社会を変える」ことに情熱を傾けてきました。
2006年には、学校の学期半ばの休み、ハーフタームに文学フェスティバルを立ち上げ、以来、「生涯にわたる読書家を育てること」を目的に毎年開催。そのほかにもさまざまなイベントを行っています。
ギフト商品も、すべて本にまつわるものを厳選しています。絵本に、同じキャラクターが登場するパズルが付いたセットは特に人気。
さらに、書店運営のかたわら、児童書を対象とした文学賞の審査員、イギリス内外の文学フェスティバルでの講師などの活動をしています。先ごろは、ブリティッシュカウンシルの依頼で中国の成都市に行ってきたばかりです。講演のテーマは、「多様性に富む社会での書店運営について」。ロンドンの学校には、さまざまな民族の子どもたちが通っていて、平均すると4割が有色人種です。しかし、出版業界や書店の運営は、ほぼ完全に白人に占領されている現状があり、タマラさんはこれを変えたいと願っているのです。店では学校に出向いて本を紹介する活動も積極的に行っていますが、そんな折には、ロンドンの実際の人口の内訳に比例するよう、4割は有色人種が登場する本を選びます。
店の看板商品のひとつ、「小さなフェミニスト」シリーズの絵本。
「さまざまな人種が入り混じっている社会を、当たり前に描いている本を読むことで、人間には違いもあり、共通点もあるということを子どもたちに認識してほしい。幅広いタイプの主人公が活躍する本を読むことは、共感する力を育て、世界について学び、そして自分の個性を形作っていく上でとても大切です」
タマラさんは、本に登場する主人公の男女の比率が半々であるべきだとも考えています。女性が男性と同等に活躍する物語を読んで育つ子どもたちは、そうした社会を実現できるという信念を持っているのです。タマラさんは、「女性参政権運動家だった曽祖母が運動の象徴としてつけていたリボンを、形見として大切に持っている」と誇らしげに語ります。
一方で、イギリスでもいまだに男女の差別は続いていると批判します。タマラさんの長女は今では高校生で、科学者の道を目指して良いものかどうかと相談してきたそうです。「“女性は人に優しくできる特性があるから、理系に進むなら、研究職ではなくて医師になるのに向いている”と学校でアドバイスされたのだそうです。こうしたバイアスは赤ちゃんの頃から始まっていて、たとえば親は、男の子は外向きに抱っこし、女の子は内向きに抱っこする傾向があるそうです。小学校入学からの制服も、男女でデザインが違いますね」
ノーベル平和賞受賞者で女子教育推進の運動家、マララ・ユスフザイさんの手記『わたしはマララ』。親にも中高生にも勧めたい本として店に置いてあります。
タマラさんの娘がまだ小さいころは、読ませたい本が少なく、「自分で書いてしまおう」と決意して、2011年に幼年文学の作家としてもデビューしました。元気いっぱいのサーカス団の女の子、エズメが活躍する「アメイジング・エズメ」(Amazing Esme)シリーズをこれまでに3冊発表しています。
タマラさん著「アメイジング・エズメ」シリーズ。
タマラさんは、自分の活動の成果もあり、男女差別に関して、近年の英米の出版業界には確実に変化の兆しが見られると評価しています。以前は、女の子が主人公の本は女の子向けとされる傾向がありましたが、そんな垣根がなくなってきたと感じています。科学や政治などの分野で活躍した女性たちの伝記を絵本形式で楽しく伝えるシリーズが近年の静かな流行で、そのコーナーが店の売りのひとつです。
『驚異の女性たち』『反抗的な女の子がおやすみ前に読みたい物語』。いずれも、偉業を遂げた歴史上の女性たちを取り上げた伝記アンソロジーです。
実際に、店は地元の家族を中心に熱心なファンが通い詰め、イベントは予約で満員になることがほとんどだそうです。店は盛況ですが、タマラさんはまだ満足していません。「うちに今通ってきてくれるお客さんは、もともと本好きな親子たち。これからは、そうでない人たちにも本を届けたいし、やがては恵まれない階層の子どもたちにも作家になってほしいというのが、私の夢です」
店の奥、ティーン向けコーナーへと続く階段入口に掲げられた看板には、「もっと冒険したい人はこちら」と書かれています。
ティーン向けのコーナー。図書館のようにぎっしりと著者別に小説やノンフィクションが並びます。
近年はコミュニティー貢献のための関連企業「ムーン・レーン・インク」、およびNPO「ムーン・レーン・エデュケーション」を運営しています。いずれも、児童書におけるインクルーシビティー(さまざまな違ったタイプの人たちを受け入れ、差別せずに公正に扱うこと)を推進すること、貧困層の子どもたちに本に親しんでもらうことを目指しています。貧困家庭の中には、本が一冊もないという家もあり、また最近は国家予算の削減で町の図書館も減っています。そこで重視されるのが、学校での読書指導です。
タマラさんによれば、恵まれない家庭の子どもたちへの読書指導には、社会を変える力があります。「子どもに絵本を読み聞かせることは、絵とお話の関係や矛盾に気がつく力を通して、メディアリテラシーを育てることにつながります。語彙の獲得はもちろん、物語の理解を通して言語能力や理解力全般を発達させることにも役立ちます。ひいては、子どもに自信を与えられるでしょう」。さらに、英語力の獲得を目的とした教科書や参考書ではなく、「本物のお話が書いてある本」を読むことが、多層的な現実を捉え、人間的な感性を育てるために重要なのだと強調します。
平日の午前中も、散歩のついでに店に立ち寄り、絵本をじっくりと選ぶ親子連れが次々と訪れます。
教師には本についてリサーチする時間がないことから、書店のサポートが不可欠だとタマラさんは考えています。クラス内の子どもたちには読書力の差が見られるので、反応を見ながら、「オーダーメイドのサービス」を心がけます。読書指導は、エデュケーション・マネージャーの肩書を持つ店員のレアさんと共同で行っています。長年幼稚園の先生をしていたレアさんは、タマラさんの長女のもと先生でもあります。そして、現在は2人の孫娘との情報交換に励んでいるそうです。
レアさんもタマラさんも、先生たちには、読書を強制しないことと同時に、本を自分で読みたがらない子には粘り強く読み聞かせを続けるようアドバイスします。読書の習慣を教えるのではなく、自然と吸収してもらえるようにすることが、長い目で見て効果を上げる秘訣だとか。
タマラさんがそう信じているのは、第二子である息子についての体験に基づいています。タマラさんの再婚相手であるお父さんも本屋という血筋で、店が2年目を迎えた2005年に生まれると、お母さんと一緒に「出勤」して「ブックショップベイビー」として店員やお客さんに可愛がられていました。ところが、小さい頃はあまり本に興味を持たなかったとか。それでもタマラさんが諦めずに小学校入学後も読み聞かせを続けたところ、やがて気に入った本を暗記し始め、それがきっかけで7歳の頃、本を読む楽しさに開眼したそうです。
店ではさらに、通常の読書指導に加えて、子どもたちと一緒に本のセレクトを行なって学校内に期間限定の書店を開き、子どもに書店員とお客の双方の役割を実際にしてもらうという活動をしています。また、子どもたちの自信を高めることを狙いに、自分に似た肌の色のヒーローを主人公にグラフィックノベルを作画するワークショップなども開いています。
店内の壁には、これまでイベントに訪れた著者やイラストレーターたちの寄せ書きがありました。
そして、「ムーン・レーン・インク」が主宰する書評サイトが「ティーンズ・オン・ムーン」。ヤングアダルト文学のブロガー、ジム・ディーンさんが編集長を務め、人気作家たちが寄稿しています。このサイトで扱われているのは、歴史上活躍した黒人たちの伝記的事実を集めた『若くて、才能があって、黒人(Young, Gifted and Black)』といったノンフィクション作品や、ずばり『反因習的(Unconventional)という題名の小説、ジンバブエ出身の作家による黒人ヒロインが活躍するグラフィックノベルなど。いずれも尖ったセレクトです。
2016年には、多様な価値観を含んだ児童書を書くセルフパブリッシングの作家たちのデビューを応援するサイト(www.cantputitdown.co.uk)を立ち上げました。幅広いバックグラウンドの作家が誕生してほしいという願いを、確実に叶えつつあります。
ショッピングバッグも素敵。よく見ると、羊の引く馬車は、女の子が御者を務めています。荷台にはもちろんたくさんの本。
やはり書店主のタマラさんの夫は、「書店業は、2割が本を売ることで、8割は人々の心のケア」というのが信念だそうです。タマラさんは「親しい人との別れとか、死とか、人生には辛いことがたくさんあります。本は、問題を解決はしてくれませんが、違う視点を与えてくれるものです」と言います。
タマラさんの現在の情熱的な様子からは想像もつきませんが、子どものころは、とても内気だったとか。6歳から16歳くらいまでは地元オックスフォードの書店に入り浸り、お父さんに大量に本を買ってもらっては読んでいたそうです。「周りの世界は矛盾に満ちていて、本の世界の方が魅力的だし、お話の登場人物の方がリアルだと感じていました。私の本屋も、子どもたちがほっとできる場所であってほしいと思います」
シャンデリアや海賊船と選りすぐりの本で彩られた店は、癒しを感じさせる夢のある空間です。そこで子どもたちはタマラさんたちの思いが込められた本と出会い、自由に希望を実現できる大人になっていくことでしょう。
[英国書店探訪 第16回 Tales on Moon Lane Children’s Bookshop 了]
Tales on Moon Lane Children’s Bookshop
25 Half Moon Lane
Herne Hill
London SE24 9JU
Tel: 020 7274 5759
https://www.talesonmoonlane.co.uk
月〜土 9:00〜17:30、日・祝 10:30〜16:30
創業:2003年4月
店舗面積:65㎡
本の冊数:5000タイトル
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