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第18回 Word On The Water

 INK@84

写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり

 

第18回 Word On The Water

 

 INK@84
   
 ロンドンのリージェント運河に船を浮かべ、「ワード・オン・ザ・ウォーター(水上の言葉)」というポエティックな店名で営業している船上の本屋さん。2011年の開業以来場所を移しましたが、過去3年間停泊しているのはロンドン中心部のキングスクロスです。
 


本と植木鉢がぎっしり積み込まれた船。誰もが足を止めます。

 
 船から歩いて5分ほどのキングスクロス駅は、「9と3/4番線」ホームからホグワーツ魔法学校に向かう少年ハリー・ポッターが電車に乗ったことでも知られるターミナル駅。隣接するセントパンクラス駅からは、フランスやベルギーへの国際列車ユーロスターが発着しています。
 運河の周辺は小洒落たカフェやレストラン、マーケットが立ち並び、周辺のオフィス街に務める人たちや観光客で賑わう一帯です。カフェやバーとして営業する船もいくつか並んで停泊していますが、船の脇にせり出した板状の平台に本を並べたこの船は、とりわけ目立ちます。
 


毎日整然と並べられるペーパーバックが、一番人気のコーナー。

 
 店では毎日20分かけて本を陳列し、お昼の12時に営業開始。船室の全体の壁に設けられた大小の棚にも本が並んでいます。手作りの小さな桟橋から船内に入ると、本物の火を燃やす薪ストーブ、革の肘掛け椅子や木のベンチがあり、そこかしこに本をモチーフにしたクッションや置物が置かれています。まるで本好きの誰かが、愛読書を積み込んで、のんびりと航行している船のようです。
 


船室に一歩足を踏み込むと、ちょっとした旅気分。

 


冬は本物の火が燃えるストーブ。薪が燃える匂いをかぎながらの本選びも楽しめます。

 
 オーナーは、パディー・スリーチさんと、ジョン・プリヴェットさん。オックスフォード大学で文学を学んだパディーさんと、アメリカ文学を学んだ後に長年ロンドン各地のマーケットにストールを出して古書業を営んでいたジョンさんが意気投合し、船上本屋を始めることを決めました。
 


店主の一人、ジョンさん。仲間のパディーさんと交代で店番と買い付けをしています。

 
 1920年代にオランダで製造され、運河で石炭を運ぶために使われていた平底荷船を手に入れると、2011年5月、東ロンドンのテムズ河畔で、古書専門店として営業を始めましたが、初期は売り上げが伸び悩んだそうです。2013年11月、パディントン駅近くのリージェント運河沿いに場所を移すとやっと店は軌道に乗り出しますが、やがて船上カフェの開業のため、運河の管理組織から立ち退きを命じられます。臨時閉業を経て、現在の場所を見つけ、今度は古書と新刊書の双方を扱う店として2016年に再オープンを果たしました。
 


船の外側に並べられているのは、誰もが知っている古典小説が中心。メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』、ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』、チャールズ・ディケンズ『デヴィッド・コパフィールド』など、ここで見ると手に取りたくなります。

 
 売り上げは、その頃からコンスタントに上昇しています。「ちょうど、イギリスで本の世界にルネッサンスが起きた時期と重なった」と分析するのは、オーナーの一人のジョンさん。「電子書籍の売り上げが減少に転じ、出版社でも書店業界でも、優秀な人たちが情熱と知恵を発揮するようになったのです。本屋にとっても店に置きたい本が増えて、仕事がますます楽しくなりました」と語ります。
 
 店で扱っている本は、古典文学、「カルト的」現代文学、哲学、思想、アート、音楽、写真集など。ジョンさんによれば、「自分たちが読んで気に入った本や勧めたい本」「お客さんに置いていないかと聞かれた本」を中心に、ブッカー賞やカーネギー賞などの文学賞受賞作品、それに新聞の書評欄に取り上げられた本などから厳選して置いています。
 全部で3,000冊から4,000冊の間と数は少ないものの、いずれも店主たちのこだわりが感じられるセレクト。たとえば言語学者・哲学者チョムスキーの著書、アーティストならバスキアの作品集や絵本など「エッジが効いていて、急進的な思考を表現した本」と、ドストエフスキーやディケンズなどの古典が肩を並べています。「自分たちの好みや考えを押し付けるわけではないけれど、多様な意見や物の見方を表明する棚づくりがコンセプト」と、ジョンさん。
 


船室の中は、所狭しと本が積まれています。詩のコーナーはバイロン卿からアメリカのシンガーソングライター、ジミー・ウェッブまで、こだわりが感じられる充実のセレクト。

 
 店はフェイスブックやインスタグラムで積極的に情報発信をして3万人のフォロワーを集めています。無線端末を使ってクレジットカードでの支払いも受け付けますが、本の注文や在庫管理にはあえてコンピュータを使わず、古き良き個人経営の本屋の流儀にこだわります。コンスタントに売れる本は売れたら1冊を補充し、棚にスペースができたら新しく置きたい本を追加しているとか。お客さんに尋ねられたら、記憶を総動員して店の中から本を引っ張り出してきます。
 


地元アーティストたちによる手作りのグリーティングカードも販売しています。

 
 古書専門店からスタートして、今では品揃えの半分が新しい本ですが、その理由を「お客さんのニーズに合う本を常に確保しておくためには古書だけでは難しくなったから」とジョンさんは説明します。双方を区別することなくジャンルごとに並べていて、表紙を開いた内側に鉛筆で値段が書いてあり、出版社の推奨価格と同額で売られている本なら古書ではないことが分かります。湿気のせいで、新しい本でも表紙がたわんでいる本もありますが、それも味わいと感じてしまうのは、船上という特別な空間だから。
 


自然光を燦々と浴びて、本の表紙は日々色褪せていきますが、それも味わい。

 
 そして、デッキ上に置かれた2つのスピーカーから常に大音量で鳴っている音楽も、つい本が買いたくなる雰囲気づくりに貢献しています。音楽は全て、オーナーの一人、パディーさんの選曲。クラシックの宗教音楽からジャズ、ワールドミュージック、ロックやポップスまで、幅広くエクレクティックな選曲には定評があり、アプリ「Spotify」で編集、公開されているプレイリストは300人余りがフォローしています。窓からは揺れる水面に映った自然光がきらめくように差し込み、適度に刺激的で心地よい音楽が流れる船内で、本を眺めるのは至福のひとときです。
 


止まった時計ともう使われていない船のかじ。まるで時が止まったかのようです。

 
 通りがかりにBGMの音楽を耳にして、川岸まで降りてきて店を見つける人も少なくないとか。デッキに設けられたステージは、花や緑の鉢植えに彩られ、夏場を中心に詩の朗読会やジャズのコンサートが頻繁に開かれています。そうしたイベント開催時にはとりわけ多くの人が足を止め、そして目についた本を手にします。
「運河沿いの独特の雰囲気のおかげで、ロンドン中から、そして世界中から人が集まってきます。そして、たまたまこの船を見つけた人たちが、忙しい日常の中で忘れていた“本は楽しいものだ”という感覚を再発見してくれたら最高ですね。本も船も、どこか別の場所に連れて行ってくれて、新たな世界を見せてくれるものですから、親和性が高いんです」と、ジョンさんは語ります。
 ジョンさんによれば、「都会の真ん中なのに、大きな空の下、水の上に浮かぶ船の上ではなんとも言えない穏やかな空気が味わえる。そして、何にも遮られない太陽光のおかげで植物がすくすくと育っていて、自然の美が味わえるのもこの店の魅力」。初めて訪れたお客さんの多くが船の写真を撮り、ソーシャルメディアに上げます。その宣伝効果は絶大です。
 


熱心に写真を撮る人達の姿が目立ちます。一度行けば、誰かに教えてあげたくなる本屋さんです。

 
 船室の奥は子どもの本に多くのスペースが割かれています。ふだんは本屋に足を運ぶ習慣のない家族連れの子どもがたまたま立ち寄り、「本は今まで図書館か学校でしか見たことがなかった」と驚くこともあるとか。そんな子達にとっても、本を新しい見方で捉えるきっかけになると自負しています。
 


船室は見張りをする店員さんもいなくて、好きなだけ本が読めます。

 
 ジョンさんは、船内のベンチで本に囲まれ寝泊まりして生活しています。船内に台所はないので、食事は地元のパブで済ませるとか。そして、ジョンさんとともに船で暮らすめす犬のスターは、その名にふさわしく、お客さんたちにも大人気の看板犬で、インスタグラムの常連です。
 世界中から人が集まってくるキングスクロスは、ジョンさんによれば「ロンドンのマンハッタン」です。「都市計画によって実現した住宅、オフィスのある高層建築と、運河の水辺を生かした公共スペースがあり、僕が子どもの頃想像していた西暦2000年の未来都市がそのまま実現したような場所。だから、船が航行しなくても、自分は世界の一部だと感じながら暮らしています」。
 


この長椅子が、夜はジョンさんが眠るベッドに変身します。

 
 ちなみに共同経営者のパディーさんも船上生活者で、別の場所に停泊させた自分のボートで暮らしています。そのパディーさんと、やはり船仲間として知り合ったのが、2015年から週2日店員を務めているジェームズ・ペントリーさん。その本業は、川や運河を航行しながら営業する船上バー兼コミュニティースペース「ザ・ビレッジ・バッティー(The Village Butty)」の経営者です。
 


ジェームズさんと、犬のスターが仲良く店番。

 

 帽子と独特の衣装が目立つジェームズさんは、ちょっと怖い見かけによらずとてもフレンドリー。「私には息子が2人いて、幼い頃から一緒に文学を楽しみました。長男は今、ケンブリッジ大学で英文学を学んでいます。次男は高校を卒業したら世界を放浪する予定です」とさらりと語ります。そして、日本では柳瀬尚紀の名訳で知られる19世紀英国のナンセンス詩人、エドワード・リアの詩を、5分間ほどに渡って見事に暗唱してくれました。船の前で足を止める人たちには「中にも入ってみてくださいね。船も本も、素晴らしいのは中身ですから」と語りかけます。
 現代の船乗りとも言えそうなエキセントリックな英国人男性3人が自由気ままに運営する船上の本屋さん。3人とも「こんなに幸せな仕事はない」と語り、訪れる人はその魔法にかかったように非日常のひと時を過ごします。ここで手に入れた本には、リージェント運河の湿気とともに、その独特な幸福感も染み込んでいるかのようです。
 


「Water」の文字が、まるで水面に映った影のように揺らいでいるのが素敵なお店のロゴ。本を買うと、頼めばこのロゴのスタンプを表紙の裏などに押してもらえます。

 
 

[英国書店探訪 第18回 Word On The Water 了]

 

Word on the Water- The London Book Barge
Granary Square, London N1C 4AA
Tel: +44 7976 886982
facebook.com/wordonthewater
毎日12:00〜19:00
開店:2011年
店舗面積:62㎡
本の冊数:3,000〜4,000冊


PROFILEプロフィール (50音順)

清水玲奈(しみず・れいな)

東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。1996年渡英。通算10数年のパリ暮らしを経て、現在はロンドンを拠点に取材執筆・翻訳・映像制作を行う。著書に『世界の夢の本屋さん2・3』『世界で最も美しい書店』『世界の美しい本屋さん』、訳書に『インドのけもの』『人生を変えた本と本屋さん』など。作家 辻仁成主宰のウェブ媒体 「Design Stories」でエッセイ連載中。