写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり
第3回 Maison Assouline
ロンドンの中心部、ピカデリーサーカスから西へ延びる大通り、ピカデリーは、いつも観光客や地元の人でにぎわいます。ロイヤルアカデミー美術館やデパートのフォートナム&メイソンが有名ですが、この界隈が書店好きには外せない地区であることは、あまり知られていないかもしれません。ピカデリーにはヨーロッパ最大の書店であるウォーターストーンズ(Waterstones)旗艦店と、王室御用達でイギリス最古の新刊書店ハチャーズ(Hatchards)(1797年創立)があり、裏道には、1761年創立、現存する世界最古の古書店であるヘンリー・サザラン(Henry Sotheran) (1761年創立)が営業を続けています。
重厚なレンガ造りの壁に、建物の絵をあしらった看板が映えます。
メゾン・アスリーンは、この地区に2014年秋、堂々の参入を果たしました。ファッション、アート、ライフスタイルのビジュアル本を専門にした出版社アスリーンの本だけを置く高級ブランドのブティックのような店です。メゾン・アスリーンが加わったことにより、ピカデリーは、かつてさまざまな書店が集まっていたチャリング・クロスに代わる新たな本屋街の様相を示しています。
ロンドンの中心、ピカデリーの大通り。周辺にはロンドンを代表する書店が集まっています。
アスリーンは1994年、モロッコ出身の広告王プロスパー・アスリーンと、その妻で元モデル・弁護士のマルティーヌによって設立されました。年間10冊ほどのペースで新しい本を出していて、今日までに1500冊ほどの本を出版し、ビジュアル本の世界では広く知られた出版社です。とりわけ大判で豪華な装丁の本が多く、2013年には、ファッションなどのラグジュアリー・ブランドの多くを傘下に集めるLMVHグループの出資を受ける初の出版社になりました。本のテーマはファッション、アート、建築、デザイン、食文化、写真、旅行。ぜいたくな暮らしに欠かせないわき役としての豪華本づくりに特化しています。「コーヒーテーブルブック(coffee table book)」と呼ばれ、高級ホテルのラウンジや邸宅のリビングに似合うような本です。
コロンビアを代表する現代アーティスト、ボテロの作品集。限定100部の特別版は、最高品質のコットンペーパーを使っています。
ギャラリーでは大型写真集を展示。
過去にもパリやニューヨーク、ソウル、メキシコシティなどに、小規模のアスリーン専門書店が営業してきましたが、ロンドン・ピカデリー店は初の路面店で、「国際旗艦店(インターナショナル・フラッグシップショップ)」と位置付けられています。パリで設立され、現在はニューヨークに本社を持つアスリーンが、ロンドンを旗艦店のロケーションに選んだのは、ロンドンが世界で最もコスモポリタンな都市であるという認識からだそうです。
2014年の開店は出版社の創立20周年記念事業でもあり、開店前夜のオープニングパーティーは、ファッションデザイナー、ヴァレンティノ・ガラヴァーニの豪華本の出版イベントも兼ねて華やかに行われました。アスリーン夫妻やガラヴァーニ本人のほか、俳優や女優、それにヨーロッパの王族などのセレブリティが集まり、タブロイド紙の紙面をおおいににぎわせました。
メゾン・アスリーンの建物は、1922年にミッドランド銀行ロンドン支店として建てられた歴史建築です。設計は、当時のイギリス建築を代表する建築家サー・エドウィン・ラッチェンス。隣にあり中庭を共有している教会の建築との調和を重視し、外壁には装飾的な要素が施されています。窓が高い位置に取られているのは、強盗が入りにくくするための対策だったそうです。メゾン・アスリーンができる前は、アートギャラリーとして使われていました。
帆船の模型がアクセントの店内。元銀行の建物は、防犯のために窓が高い位置に設けられています。
窓の幾何学模様とモンドリアン風の書棚が美しい調和を見せます。
重いドアを開けて中に入ると、通りの喧騒が嘘のような静かな落ち着いた雰囲気。本は、モンドリアンの抽象絵画をイメージしてデザインされた書棚に、内容ではなく大きさやフォーマットを基準にディスプレーされています。さらに、「究極の(アルティメイト)コレクション」と名付けられた箱入りの超大型豪華本を展示するための専用ラックが、広々とした壁に設けられています。本は常連のお客さんに飽きられないよう、頻繁に並べ方を変えています。ロンドン市内で開催中の美術展や世界で注目されるイベントをテーマにしたコーナーを設けるなど、出版から年数を経ていても今の話題にそった本にフォーカスを当てるような工夫をしています。
本の他に、家具や小物も置かれています。ゆったりと読書ができる椅子や、読書室に置きたい骨董品を入れるガラスケースなどの家具。大型本を入れて旅行に行くためのレザーのバッグやブックトランク、読書室の演出にふさわしい電気スタンドや文房具、オブジェのようなブックエンドや、「紙」「木」「葉巻」といった香りの「ライブラリー・キャンドル」など、本のあるライフスタイルを彩る小物の数々。これらはアンティークの一点物や、アスリーンのオリジナルのデザインで、美しい本をさらに美しく演出します。そして、BGMにはフランク・シナトラや古い映画音楽が流れ、デザインオブジェクトとしての本の価値を最大限に高める工夫が満載です。
陶器を飾ったアールデコ調のガラスケースが、本のある空間を彩ります。
店の中にはゆったりとした配置のバーも設けられ、豪華本に囲まれてコーヒーや紅茶、あるいはシャンパンなどのお酒、軽食を取り、優雅な気分を楽しむことができます。常連のお客さんが多く、自宅やオフィスの延長のようにここを使っているそうで、近隣のサビル・ローで仕立てたと思われる上質のスーツを着てゆっくりと新聞を読む男性客の姿も。このバーがスワンズ・バー(Swans Bar)と名付けられているのは、アスリーンの書籍『スワンズ(Swans)』に由来しています。渡り鳥である白鳥のように世界中を飛び回る往時のジェットセットというこの本のテーマは、メゾン・アスリーン全体のコンセプトにも通ずるものがあります。世界中から旅行客が集まるロンドンの中心にあり、とりわけにぎやかなピカデリーの喧騒を逃れて静かな時間を過ごせるオアシスのような場所として、渡り鳥の休憩地に見立てることもできそうです。
磨き上げられたカウンターと豪華な本に囲まれたバー。
白いジャケットを着たバーテンダーが店の雰囲気にぴったり。
店の奥の木の階段を昇って行くと、1階の売り場が見渡せるギャラリーに出られます。ここでは写真の展覧会を行っています。さらに階上には、特別な顧客やイベントのための部屋が2つ。もとは銀行の店長室だった広い部屋は、木の羽目板がめぐらされた壁や天井のレリーフなどの要素がそのまま生かされた応接間になっていて、アンティークまたはアスリーンオリジナルの家具と調度品が美しく配置されています。ここは、プライベートのディナーパーティーやカクテルパーティーが行われるイベントスペース。その隣にある小部屋は「ポップアップ・ルーム」と呼ばれていて、特定の本をテーマに、壁にめぐらされた棚を本とそのテーマに沿った展示品で飾り、出版記念イベントの際に公開されます。また、アーティストに委託して何か特定のテーマでインスタレーションを作ってもらい、それに関連したアスリーンの本を置くこともあります。
ギャラリーでは、アスリーンが出版する写真集に収録された貴重な写真プリントを展示しています。
ギャラリーからの眺め。1階の売り場とバーが一望できます。
階上に設けられた特別な顧客のための応接間。銀行の店長室として設計されました。
「ここは店名が示す通り、メゾン、すなわち家。本を売るだけでなく、本にまつわる文化と雰囲気を紹介する空間。美しい本を通して、自分自身を高め、インスピレーションを得られる場所です」と説明するのは、店長のマルティーナ・ダーギュヴィッチ(Martyna Dargiewicz)さん。書店員は未経験でしたが、2016年の秋、店にとって一番のかき入れ時であるクリスマスシーズンを前に、店長に抜擢されました。
店長のマルティーナさん。いつも売り場にいて、お客さんや店員さんとのコミュニケーションを重視しています。
マルティーナさんはポーランド人。高校生のころから、夏休みになると飛行機でエジンバラ演劇フェスティバルに通っていたほどの演劇好き。17歳でアメリカに留学、18歳の時からイギリスに暮らしています。エジンバラとロンドン・カレッジ・オブ・ファッションでファッションデザインを学びました。その後、世界的に有名なエジンバラ演劇フェスティバルのオーガナイザー、衣装デザイナーとして活動したのち、高級靴店や下着ブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」に勤務していました。「いろんな経験がすべて今の仕事に生かされている」と語ります。ロンドンに住んで11年。「私が暮らしているのはロンドンの東部ですが、地区によってさまざまな個性がありますね。ヨーロッパ各国の文化や料理が楽しめ、それに有名人もたくさん住んでいる。何かをしたいと思って、ロンドンでできないことはありません。本当に魅力的な街です」とマルティーナさん。「アスリーンの国際旗艦店にこれ以上ふさわしい都市はないでしょう」
店長としてさしあたっての目標は、店の知名度を上げること。函入り限定版の数千ポンドもする豪華本が注目されがちですが、16ポンドの中型の本もあり、「どんなお客さんでもきっと好きな本が見つかるはず」と言います。「本好きの人、それに素敵なインテリアが好きな人が、もっと気軽に訪れる場所になってほしいし、より幅広い人に、日々の暮らしにカルチャーを取り入れる楽しみを知ってもらいたい。店は通りから中が見えなくて敷居が高く思われがちなので、店に入りやすくする工夫もしなくてはと思っています」。最近になって、入り口の前に、「BOOKS, GIFTS, & CAFÉ」と大きく書いた看板を置くようになりました。
重厚な木のドアの前に置かれた案内板。
また、店のスペースは、企業や個人のイベント会場としても貸し出していますが、これが、ふだんのお客さんとは違った人たちに店を知ってもらう良いチャンスになっています。「先日は、動物保護団体によるチャリティーディナーが開かれて、動物をテーマにした仮装をしたゲストたちが集まりました。その様子をブロガーさんが取り上げてくださって、かなりの影響力がありました」
アスリーンの店員に制服はありませんが、黒子のように、黒一色で装うことが規則になっています。店長のマルティーナさんもいつも黒づくめ。個性的なアイメイクや、ビンテージ風の味わいのあるドレスの着こなしに元衣装デザイナーらしいセンスを発揮しています。ロンドンを代表する劇場街、ウエストエンドにもほど近い店の空間は、マルティーナさんにとって、さまざまな小道具と大道具があしらわれ、本が俳優となって物語を展開させる劇場のような場所です。
店員さんたちは、黒一色で装うのが規則です。
「本にはいろいろな魅力がありますが、視覚に与えるインパクトがそのひとつ。インテリアを彩るためのデコレーションの小道具としても有効だということが、この店を見ていただければ良く分かると思います。お客様の中にも、モノトーンでオフィスをまとめた会社経営者が、背表紙がモノクロの本ばかりを選んでいかれた例もあります。住宅も、賃貸で部屋のインテリアを変えられない場合でも、お気に入りの本の表紙を見せて置けば、簡単にパーソナルな空間ができあがります」
とはいえ、もちろん中身も重要。店長に就任して以来、店に置いている本はできる限りきちんと読むように努めています。「そうするといろんな発見があります。たとえば、フレッド(Fred)というジュエリーブランドの本があります。一般には知られていないブランドですが、その中には映画『プリティ・ウーマン』で、リチャード・ギアがジュリア・ロバーツにプレゼントしたネックレスが登場しているんです。そんな逸話を知ると、一気に興味がわきますね」
このように、「どんな本にも、必ず何かしら個人的な興味を感じられるポイントが見つかるもの」と言うマルティーナさんは、かなりの読書家。個人的には第二次世界大戦中を描いたノンフィクション(「私はポーランド人なので」と説明)、それからイアン・ランキン著のエジンバラを舞台にした推理小説が好き(「学生時代を過ごした思い出の街が懐かしい」)で、いつも5、6冊の本を並行して読んでいるそうです。書店員としても、店にある本を実際に読むことが重要だと考えています。「その本がなぜおもしろいといえるのかを理解し、本当の意味で情熱を感じられるようになるためです。良い店員というのは自分が売るものについて情熱を持っている店員のことで、本の場合はその原則がとりわけ当てはまります。なぜお客様がその本を手に入れる必要があるのか、その本を所有することがどんな意味を持つのか、さらには、その本を開いたときに沸き立つ感情や気分を、説明するためです。お客様に、本やそのほかの商品について説明する時には、私ならではの物語を語るようなつもりでお話します」
店内では展示されている本をきっかけにおしゃべりを始めるお客さんの姿も見られます。
書店員は「語れる人」でなくてはならない、というのが持論のマルティーナさん。さらに、「コーヒーテーブルブックがますます注目されるようになっていることには、最近イギリスで新しい本屋が次々と誕生して人気を集めているのと同じような理由がある」と分析します。「そもそも、コーヒーテーブルブックは大判のビジュアルが魅力ですから、キンドルでは楽しめません。それに、テクノロジーが生活に浸透していくにつれ、優れたクラフトマンシップやビスポークのプロダクト、たとえば美しい装丁の本の魅力が見直されているのです。アスリーンの本も、ウェブサイトでも買えるのですが、あえて、古き良き時代のように本屋の店頭で買いたいというお客様が多くいらっしゃいます」
インテリアとしても使える本用のトランクと本の展示。往時の船旅を彷彿とさせます。
書店の店長として心がけているのが、「ピープル・パーソン(people person)」、つまり人と積極的にかかわり、周りの人を大切にする人でいること。バーのスペースも含めてスタッフは15人で、元の仕事は出版社やアートギャラリー勤務、アート・アドバイザー、グラフィック・デザイナー、タイポグラフィストなど、さまざまですが、いずれもアスリーンで扱う本のテーマに関連した経験の持ち主で、お互いの専門分野を生かして助け合います。また、大勢のゲストが集まるイベントの時は、強力なチームワークが物を言います。「スタッフも運営に参加してもらい、店づくりをシェアすることが大切。うちの店はメゾン(家)、仲間は大きな家族みたいなもので、アットホームな雰囲気を出したいと思っています。それが、お客さんにとっても居心地のいい店につながるはず」
完璧に整理された本と重厚な家具。本好きの貴族の邸宅のようなお店です。
そして、アスリーンの本は他の書店や、アマゾン、それに公式サイトの通信販売でも買えるけれども、この店で買う体験そのものを楽しんでほしいと言います。「本というのは記憶に深くリンクするもの。ここは新しいけれどノスタルジックな雰囲気のある本屋ですから、お客様に、本を通して、またこの店を訪れる体験を通して、良い思い出を作っていただきたい。そのお手伝いをするのが私たちの仕事です」
そのためにも、店内を美しくディスプレーすることにはかなり神経を使っているというマルティーナさん。「私はいろいろと細かく気にして綿密にオーガナイズするタイプ」と笑いながら語ります。「でも、あまりにラグジュアリーでよそよそしい感じになると、メゾン(家)らしさが失われてしまう。人間どうしのつながりを重視した接客で、温かみのある場所、また何度でも来たいと思える家のような店にしたいのです」
店内の壁に金の文字で書かれた案内。細部にまで美意識が行き届いています。
[英国書店探訪 第3回 Maison Assouline 了]
Maison Assouline
196A Piccadilly, London W1J 9EY, UK
+44 (0)20 33 27 9370
http://www.assouline.com/london-piccadilly
月~土 10:00~20:00 日11:30~18:00
開店:2014年10月
店舗面積:100㎡
本の点数:1500点
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