COLUMN

千木良悠子 見えないアトリエを張り巡らせる

千木良悠子 見えないアトリエを張り巡らせる
第二十回調布ショートフィルム・コンペティションに寄せて(後編)

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20th CHOFU SHORT FILM COMPETITION グランプリ 河内彰 「光関係」より 

 

「見えないアトリエを張り巡らせる 第二十回調布ショートフィルム・コンペティションに寄せて」前編はこちら

 

「調布ショートフィルム・コンペティション」は調布市主催の短編自主映画のコンペである。沿革によると、毎年3月ごろに開催される「調布映画祭」の一部門として1997年に誕生。個人で孤独に映画を作っている人、独自のイメージ世界を表現しようとしている人たちに発表上映と交流の場を提供することを目的とした、「商業映画ではなく自主映画の、しかも長編に較べなかなか注目されない短編のためのコンペティション」である。夏に公募し、毎年約100本前後集まって来る作品を有志のチームによる予備審査にて絞りこむ。続いて三名の本審査員による会議にて、グランプリ一本、奨励賞三本を選定。発表上映会を行う、という形でもう二十年も開催されてきた。

 

 昔の知人のご縁で、審査員を務めさせていただくことになり、DVDを送ってもらった。応募作品を観るのが、予想に反して楽しいのに驚いた。自宅のテレビの前に何時間張り付いていても、全然、苦にならないのである。応募作すべての完成度が高いわけではない。送られてくるのは、アマチュア監督が限られた予算で撮った映画ばかりだ。だが、そのどれもが作家個人の意志で、予算と時間を捻出して制作された作品であり、そのためか容易に見過ごせないと思わせられる。退屈な作品も、なぜ自分は退屈したのか、改善すべき点はどこか考えているうちに、気がつけばリモコンを手に映像を巻き戻して何度か観るようになり、全作品を最後まで終わるのが惜しいぐらいだった。

 

 走り書きした講評を片手に、2016年年末に行われた審査会に赴き、瀬々敬久監督、真利子哲也監督、という豪華な本審査員の方々と一緒に選考に参加させてもらって思ったのは、このコンペは、単に送られてきた映画に点数をつけて誰に才能があるのか競わせようという場所などではなく、自主映画という商業映画とは別の表現ジャンルに可能性と価値を見出し、そこにこそ映画の原風景があり、まだ見ぬ未来があると考える人たちの手で創られてきた、形を持たない実験場だとか、アトリエのようなものなのだ、ということだ。

 

 以下は、本コンペの予備審査スタッフの談話なのだが、当初から審査基準として、表現力・独創性・短編映画らしさ・自主映画らしさを重視してきたと言う。とりわけ、フィルムメーカーが表現に向かう中で抱く「葛藤」が強く焼き付けられた作品を高く評価したくなるそうだ。自主映画人口の減少や少子化により、近年応募数は減り、作品クオリティも下がりがちとなっている。今やこの日本において、機材費や制作費をかけて、時間を割いて、自主映画を撮れる余裕のある若者はほんの一握り。また映画にまつわる状況には、おそらく希望が欠けている。たとえば、中国や台湾や韓国やシンガポールといった国々の映画祭に行くと、作品を上映すればレビューを書かれ、コレクターや批評家を交えたディスカッションがあって、作品を買い付けてもらえる機会があり、多少なりとも作家に上映料が還元できる、というシステムがまだしっかり機能している。日本の場合は近年、この循環サイクルがどこかで途切れていて、作家は資金が貯まれば映画を撮るが、上映してもしっ放しで終わり。観客は満足した、楽しませてもらった、とせいぜいSNSに感想を書いてそれで終わり。各々の活動は、孤立したまま完結するため、遠くない将来、作り手も受け手もいずれこのシステムに「飽きて」しまうのではないか、と、予備審査スタッフの方は語ってくれた。

 

 まさしくその通りだと思う。映画は、テレビやYouTubeのように匿名的であることを強いられた映像とは性質が違うはずで、今回審査の際に観たどの作品にも、いわゆる作家性の萌芽があった。だが、最近の映画を取り巻く状況の中で、作家の数だけ有り余っているはずの創作エネルギーは、普段、社会のどこに息を潜めているのだろう。応募作品はすべて、ビデオカメラで撮影されたデジタルデータでいくらでも複製可能なはずなのに、それぞれが、まるで一点もののハンドメイドの手芸品のように替えの効かない存在だった。自宅のテレビで鑑賞中、それら映画たちと近しい友人のように打ち明け話をしているような気分になる瞬間もあって、だからこそ完成度に関わらず、飽きずに見続けられたのだが、今回審査員をやらなければ、彼らの作家性だとか個性に触れ合う機会はなかったのだ。

 

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20th CHOFU SHORT FILM COMPETITION グランプリ 河内彰 「光関係」より 

 

 この世に新作映画は溢れているはずなのに、私たちは情報サイトに掲載された中から限られた数の映画を「選択して」観ることしかできず、良ければ友だちに薦めたり、せいぜいSNSに感想を書いたりするぐらいが精一杯で、大人しい「観客」としての立場から生涯降りることができない。創作と鑑賞と批評の循環のサイクルは、今や機能不全に陥っているのだ。違う業界の話だが、本や漫画の自主制作シーンは今も隆盛を極めていて、作品を売り買いするマーケットは長蛇の列になると聞く。なのに出版の世界では書き手不足だとか、読み手の活字離れだとか言われている。全国の学校演劇部や演劇サークルは日夜アマチュア公演を行っているというのに、そこから魅力ある俳優が出てくることは稀で、テレビで名の売れたタレントばかりが舞台でも重宝される状況が相も変わらず続いているのはなぜだろう。原因は、プロとアマチュアの壁の厚さなどではなく、創作と鑑賞と批評の活動がそれぞれ分断され、一方通行のまま循環を止めているためではないのか。

 

 そんな中で、調布ショートフィルム・コンペティションは、小規模であるが、それゆえに、分断されて枯れた水路を潤すための、ささやかな抜け穴になっていると思う。昨年「ディストラクション・ベイビーズ」が大きく話題となった真利子哲也監督は、今回本審査員として参加されているが、過去にこのコンペで複数回入賞している。1997年に行われた第一回コンペのグランプリは、2011年に急逝した音楽家のレイ・ハラカミ氏の映像作品だそうだ。審査員も「自主映画に関心がある」ことを唯一の基準に過去、多様な視点の持ち主が起用されてきた。

 

 作家たちに上映と批評の場を与えることは、彼らに自由な創作を続けられる作業場、アトリエを提供することと似ていると思う。もちろん部屋としての形はないが、見えないだけにそこには無限の広さがある。二十年も続いた小さなコンペがどんな成果を実らせてきたかは、傍目には非常に分かりづらいが、もしも芸術文化の育成だとか、そのための環境づくりに興味があれば、ぜひ調布コンペの表彰式と作品上映会に足を運んでみてほしいと思う。私も参加するのは初めてになるが、おそらくコンペと聞いて想像するものよりも、もう少し身近で親しみ深い印象の催しになるはずだ。芸術文化の愛好者が縦横無尽に鑑賞・批評・創作のサイクルに参加できる見えないアトリエを創り出すこと、そのアトリエを社会全体にこっそり張り巡らせていくこと。継続すれば、いつしか世界のあらゆる所が作業場となる日が来ないとも限らない。そんな到底実現し得ないことを、私は途方もなく無責任な態度で、楽しみにしているのだった。

 

[見えないアトリエを張り巡らせる 後編 了]

 

20th CHOFU SHORT FILM COMPETITION
表彰式及び入賞・入選作品上映会
 
全国から集まった30分以内の短編自主制作映画81点のうち、入賞・入選に輝いた16作品を一挙上映します。ドラマ、アニメーション、映像詩など、様々なジャンルのここでしか見られないショートフィルムの世界をお楽しみください。
 
◎本審査員:瀬々敬久(映画監督) 真利子哲也(映画監督) 千木良悠子(作家・演出家)
◎日時:2017年2月26日(日)
◎表彰式 13:00~13:30(開場12:30) 上映会 13:30~19:30
◎Aプログラム13:30~15:00/Bプログラム15:45:~17:15/Cプログラム18:00~19:30
◎会場:調布市せんがわ劇場(京王線仙川駅より徒歩4分)
◎定員:各120人 ※入場無料(当日先着順、事前申込み不要)
◎主催:公益財団法人調布市文化・コミュニティ振興財団/調布市
◎後援:J:COM/調布FM 83.8MHz/調布市観光協会/調布市教育委員会/調布パルコ


PROFILEプロフィール (50音順)

千木良悠子(ちぎら・ゆうこ)

03年に短編小説集『猫殺しマギー』で作家デビュー。 以降、小説やエッセイ、ルポルタージュ等の執筆を精力的に行っている。 '11年には自身の主宰する劇団SWANNY(スワニー)を旗揚げ。 劇作・演出、出演等を担当している。