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第1回「東京から遠くはなれて」
ググレカス、ということばがきらいである。
ggrksなんて略された日には、健康度外視で身体に悪いものをひたすら食べたいような、謎の欲望に襲われる。深夜のすた丼に殺される。たまったもんじゃない。
俺は、ただ、聞きたかっただけ。
お前が好きだっていうそのアニメが、いったいいつに放送されていたのか。俺はきっとその時、まだアニメはオタクが観るものだと思い込んでいた高校生だったから。
わたしは聞きたかったの。
その表参道の裏通りにあるお店が、貸し切りできるのか、知っていたら教えてって。退職する同僚の送別会に、ぴったりな雰囲気に思えたから。
ぼくは、知りたかっただけ。
夕べ君がごちそうしてくれた、タイ料理屋さん。その隣に、郵便局? かなんかが目印だったはずが、忘れちゃったから。
ぼくたちが人にものをたずねる時、そこにはただ情報が欲しいという以外の「なにか」が託されている。感情の込められた、情報のやりとり。それをググレカスだなんてあんまりだ。知らないことだったなら、どうかせめて一緒にググってほしいって、そう思う。
こんにちわ、はじめまして。武田俊です。
これまでは「POP is HERE」を掲げるポップポータルメディア・KAI-YOU.netを運営するメディアプロダクション・KAI-YOUを立ち上げ、ファウンダーとしてそこで働いていました、が、晴れて卒業しました。会社をつくるのはとっても簡単なのですが、会社をでかくしていくというのは、どうもぼくにはそんなに向いていなかったようなのです。
しかしKAI-YOUは、渋谷のデカいオフィスに移るほどに順調なようで、ちょっとうらやましく思いながら応援しています。KAI-YOUで、ぼくはどんなことを考えていたのかは、このサイトのここ(http://dotplace.jp/archives/4752)で見ることができます。
さて、これらのパラグラフは、メタ次元に置かれていて、ちょっと未来のぼくが書いています。ようこそ、このインターネットへ。いったいこのけったいなタイトルの「インターネット曰く」という連載はどんなものになるのでしょう。おそらく、メディア系ベンチャー企業を立ち上げ突っ走りまくっていた人間に、突然現れた自由すぎる時間が与えた、メディアとコンテンツ、コミュニーケーションについての思考と、極私的なエッセイがまず続くでしょう。
しかしちょっとした仕掛け、というか縛りをこしらえてみました。タイトルどおり、インターネットに関係しているわけですが、ちょっとまわり道におつきあいいただきたいのです。
では、本文にもどりましょう。
書き手のぼくが今いるのは、2014年9月28日の愛知県名古屋市です。
夏の日差しに、秋の風が吹き込んできた、そんな日でした。
すべてはそこからはじまりました。
KAI-YOUというメディアプロダクションを立ち上げた2011年の東京から遠くはなれて、ぼくは今、一時的に実家のある名古屋に戻ってきている。結婚して今は市外で暮らす妹が使っていた部屋で、その前はぼくが使っていた、そんな部屋にいる。だからちょっとガーリーな感じのカッティングシートの貼られた本棚。に、まずいつも手元に置いておきたいから持ってきた本をしまい、こうしてキーボードを叩いている。カッティングシートは剥がさない。その下にはぼくが使い込んだ本棚の姿が当時のまま眠っていて、そいつを召喚すると、ここはまたぼくの部屋になってしまうから。東京にはそこまで時間をかけずに戻りたい。
ググレカス、ということばがぼくはきらいだ。
それは編集者として、色々な人に取材で出会ったり、会社の代表として様々な場所で、大勢に向かって話したりしてきたからだと思う。この人に聞いてみたい、この人なら詳しいんじゃないか、こんな風に思いを伝えたいな。たくさんそれこそググったり本を読んで事前に下調べした結果のいきつく先が、ほかでもない生身の「他者」であることに、ぼくはこの仕事のよろこびを感じていた。
そして、インターネットは、そのよき相棒だった。
色々あって18歳まで過ごした実家に戻ってきた8月、ぼくはインターネットを遠ざけるようにして暮らした。昼前にのそのそとベッドから這い出て、テレビをつける。昼放送ぶんの「花子とアン」だ。冷蔵庫を空けて、「トリプレッソ」を取り出し(スーパーで買うことのできるコーヒーの中で1番マシ)、牛乳でちょうど半分に割る。キッチンカウンターのバスケットの中に、気の利いた惣菜パンが置いてないか目視し、なかったら、ありあわせの材料でサンドイッチをつくる。みっちりとした粒がすてきなマスタードが、実家の冷蔵庫には入っている。
気が向いたら本を読み、また気が向いたら河川敷にロードワークにでかけるような、何年もしたことのなかったような気ままな暮らしは、そこそこにおもしろく、しかし9月、ものすごい渇望感に襲われた。
好きなものについての、情報や感情のやりとりだけが、ここにはないのである。
それどころか、「ググレカス」と呼びかけてくる他者すらいない。
そのことに気がついたぼくは、久々にPCの電源を入れた。それはまるで生身の知り合いに「最近なにかおもしろいモノ見つけた?」と訪ねるような気持ち。そんな感じで「インターネットさん」にすがるようにブラウザを開いて、Facebookを立ち上げると、こんなマンガが目に入った。
「情報に埋もれてしぬ」と題されたこの作品の作者はハシモトスズさん。イラストレーター/マンガ家として活動している彼の作品は、よくソーシャルメディアでシェアされているのを見かけていた。
シェアされやすい、ということは共感を呼びやすいコンテンツだということだ。なるほど、確かに何でもかんでも手軽に調べてしまって、想像するまもなくわかった気になってしまう。あるいはその知識をひけらかしてしまう。あるいはあるいは、瞬間的知的好奇心を満たしたそのカタルシスの果てに、せっかく得た知識をあっというまに忘れてしまう。これはインターネットに慣れ親しんだ、ぼくたちに共通の問題だ。
でも、ぼくはこのマンガを、たずねればすぐに何でも教えてくれる、ほかでもない「インターネットさん」に教えてもらったのだ。これはどういうことなのだろう。どうしたら、「情報に埋もれてし」なないで、生きていいけるのだろう。
その解答は未だにしっかりとまとめられていないが、その思考を続けるためにもぼくはインターネット活動を再開した。10年以上も前にこの部屋で、新しいものを探すためにそうしていたのと同じように。
ぼくたちがなにかを知りたくて検索窓にテキストを打ち込む時、そこにはただ情報が欲しいという欲望が込められている。情報に次ぐ情報のやりとり。でも、それではいずれ「情報に埋もれてしぬ」。
だからぼくは「インターネットさん」にたずねるように、生身のあなたに届けられるように、切実な気持ちでテキストを打ち込むことにする。インターネット上に存在する情報は、本当の本当は、他でもないあなたたちが、なにかに突き動かされて提供したものだということ。モニターに明滅する光点のむこうがわに、あなたがいるということ。そのことに無関係な人なんて、本当は誰もいないということ。
ようこそ、このインターネットへ。
ここでぼくがたずね、語りかけている相手は、「インターネットさん」。つまり、ひとりひとりのあなたです。こちらはだいたいこんな感じ。今、ようやく再起動の準備に入りました。これから気になったことを、あなたに色々たずねながら、ぼくの思っていることを書いていきたいなって思います。そう、だから記念すべき最初の質問をしてみます。くだらないことだけど、どうかバカにしないで聞いてほしい。明日はなじみの書店に出かけたいんです。できたら自転車で、秋の風を感じたいんです。
インターネット曰く
[インターネット曰く 第1回 了]
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