若い書き手たちが中心となって企画された評論集『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)が、2月21日に発売された。『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』(河出書房新社)に、あの小林秀雄ではなく、吉田健一が収録されたことが一部で話題になるなど、吉田を再評価する動きも出てきている。なぜ、いま吉田健一なのか。吉田健一をさらに若い世代へと伝えていくことに、どんな意味があるのか。著者のなかから、1980年代生まれという共通点を持つ文芸評論家の川本直氏、批評家・映画史研究者の渡邉大輔氏、フリーライターの宮崎智之氏の3人に、吉田健一との出会いや、現代的な魅力について語ってもらった。
そろそろ中二病を克服したいあなたへ
宮崎智之(以下、宮崎):吉田健一は、あの大久保利通の曾孫にして、2.26事件で青年将校らに襲撃された牧野伸顕の孫、そして吉田茂の長男でもあります。そういう風な言い方をすると、もう没後40年以上経っていますし、古い文章家というイメージになってしまいますけど、例えば作家の高橋源一郎さんや元ピチカート・ファイブの小西康陽さんといった方々が影響を受けたと公言していて、この二人はなおも若者に強い影響力を持っている。あと、講談社文芸文庫や中公文庫などで、いまだ定期的に……。
川本直(以下、川本):新刊だけで33冊くらい出ていますね。「くらい」というのは続々復刊されているからです。
宮崎:そう。出版され続けています。そういったなか、まだまだこれからの私たちの世代の文章家たちが中心になって、さらに若い20代や学生の世代に吉田健一を伝えていこう、というコンセプトでこの本が出版されたというわけです。川本さんも本書のなかで書かれていますが、生前の吉田健一と交流があった世代を「第一世代」、リアルタイムで愛読していた世代を「第二世代」とするなら、僕らは吉田健一が亡くなった後に生まれた「第三世代」だといえます。
まず僕のほうから吉田健一との出会いを述べさせていただくと、僕は文学部で日本文学を専攻し、卒業論文は中原中也で書きました。吉田健一の名前を初めて見たのは中也関連の読み物の中で、小林秀雄や師匠の河上徹太郎、大岡昇平といった人脈の中からだったと思います。しかし、当時、吉田の文章を読んでもあんまりピンとこなかったんです。のちに社会人になってから読み返した時に、吉田の文章の味にハマるようになった。なんで吉田の文章にここまで惹かれるのかということも、今日の座談会で考えていければと思っています。
川本:私は主に海外文学を読んできたんです。まず小学生の頃にドイツ文学、中学生くらいからは家の書庫にあった20世紀のフランス文学、フランス現代思想だとロラン・バルトが揃っていました。親の世代には流行っていましたからね。当時の私は凄く頭でっかちで、中学生だから無理もないんですが、今でいう中二病でした(笑)。そういう自分に嫌気がさしていました。だから、中二病真っ盛りの私にとって20世紀のドイツ文学やフランス文学は別に真新しいものじゃなかった。むしろ既知のものだった。あまりに観念的すぎて、これに付き合っていたら自分が駄目になってしまうと思いました。
そこで今に至るまでの専門のひとつアメリカ文学に向かったわけです。しかし、アメリカ文学はヨーロッパと違って、そこまで知性を重視しませんから観念的とはちょっと違いますが、誤解を恐れずに言えば、幼稚な夢想家が多い。消去法でイギリス文学も読んでみるようになった。そこでイーヴリン・ウォーという作家に出会いました。その翻訳を主に手がけているのが吉田健一だったんですよ。
ウォーは洗練された名文とグロテスクな諷刺で知られる作家ですが、すごく吉田という訳者と合っていた。吉田自身の著作も読んでみようと思い、『私の食物誌』を手に取ったら、「それはバタも同様でパンはパンの匂いがし、バタ臭いという言い方を神戸のバタで思い出した」という同語反復だらけの文章に出くわして「一体なんだ、これは?」となりました。衝撃でしたし、興味をそそられましたね。特に随筆は抱腹絶倒だし、地に足が着いていて面白かった。
宮崎:観念的ではない。
川本:そう。決して頭でっかちには陥らない。知性と教養では日本の批評家のなかでは群を抜いているのに、落ち着いていてユーモアがある。私の中二病に対する解毒剤になってくれたのが吉田です。
宮崎:川本さんは非常に早熟ですよね。僕なんかボーッとした子どもだったので、中二病は大学生くらいでやってきた(笑)。だから、その時は吉田の文章がピンとこなかったのかも。
川本:いや、私は今も中二病を克服できてないですよ(笑)。ですから、常に吉田や内田百閒を必要としているんです。
小林秀雄にバカにされていた文士
渡邉大輔(以下、渡邉):さすがに川本さんほど早熟ではなかったですが、僕も、だいたい中学時代くらいから海外文学を読むようになりました。とはいえ、もちろん文学史的な素養もなかったので、ほとんど脈絡なく読んでいましたね。吉田健一の名前を最初に知ったのも、そうした海外文学の訳者としてだった。図書館の海外文学の棚を眺めていると、ヴァレリーやポーなどの訳書に「吉田健一訳」というのが目につきました。次の吉田との接点というと、宮崎さんと同じく、たぶん大学時代くらい。僕も20歳前後の頃は、自意識の強い、いかにも中二病的なメンタリティだったのですが。
宮崎:観念的な?
渡邉::そうですね。なにせ、セカイ系論で批評家デビューした人間なので(笑)。で、そういう文学青年の御多分に洩れず、僕はもともと三島由紀夫が好きで、よく読んでいました。
川本:私もそうです(笑)。
渡邉:やはり(笑)。で、三島のことを調べていくと、いわゆる「鉢の木会」という昭和20年代から30年代にかけて、中村光夫、福田恆存、大岡昇平といった戦後派文学者たちが定期的に集った会合のことを知るわけです。三島はその最年少メンバーだったわけですが、その鉢の木会の発起人的存在で、その後、三島と決裂した作家として吉田健一に突き当たる。おそらくそういう流れで吉田を知った人も一定数いるんじゃないかと思います。
さらに僕の場合はもう一つの文脈として、日本の批評を本格的に読むようになった大学時代、いわゆる近代批評の系譜から吉田の仕事に出会うということもありました。この頃から僕は、蓮實重彦とか柄谷行人とか、あるいは絓秀実とか渡部直己とか、いわゆる『批評空間』系の文芸批評家の著作を熱心に読むようになったのですが、彼らの著作の中に、たまに吉田のことが出てくるわけです。ただ、確か柄谷が編んだ『近代日本の批評』シリーズ(講談社文芸文庫)、いわゆる「昭和批評の諸問題」の座談会などでもそうだったと思うのですけど、彼ら80年代の現代思想系=「ポストモダン系」の文芸批評家たちの間では、吉田ってかなりバカにされていたと思います。さらに文芸批評史を遡っていくと、有名な話ですが、若い頃の吉田は、小林秀雄とかにバカにされていたことがわかる。20歳くらいの頃はわりとそういう話を真に受けて、正直、「吉田健一ってその程度の作家なんだな」と漠然と思っていたところがあったんです。
ところが、そういう印象が一挙に崩れ去ったのが、23、4歳の頃です。まあ、その頃になると、さすがに中二病的な自意識も薄れてきて、なんかこう、「人生」について考えるようになってくる(笑)。そして、『ユリイカ』の2006年10月号で吉田健一特集が出たんですよね。その表紙の写真が、バーでグラスを持ちながら、カメラに向かって満面の笑みで振り向く吉田の写真で。あれに完全にやられてしまった(笑)。
川本:ええ。
渡邉:「このひとヤバい!」みたいな感じです。そこから20代半ばにかけて、自分の中で吉田健一ブームがわーっと到来しましたね。『時間』や『ヨオロッパの世紀末』や『金沢』なんかの代表作もその頃に軒並み読みました。その証拠にというか、僕は、『群像』の2007年5月号に埴谷雄高論を寄稿しているのですが、当時、どうしても吉田のことが何か書きたくて、その埴谷論の中でほとんど無理やり吉田についてちょっとだけ言及しているんですよ(笑)。
川本:というか渡邉さんのような若い世代で、吉田を批評で書いた人はいなかったはずです。特に、ゼロ年代にはいなかった。
渡邉:ほぼまったくいないと思いますね。僕の人生の節目で、吉田がたまたま直撃したということです。
戦争に反対する唯一の手段は……
宮崎:先ほど触れた小西康陽さんが、『新聞一束』に収録されているエッセイから「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」という吉田の文章を引用し、有名になりました。こうした言葉は、観念的な思考に傾きすぎて、それを持て余している青年期を経てから、いろいろなことを経験する大人になる過程で自分の意識が生活に向いてくると、すらすらと入ってくようになる。少なくとも僕はそうでした。
川本:観念的になってしまえば、イデオロギーに取り憑かれるか、ニヒリズムに落ち込むかのどちらかになってしまうんですよね。市ヶ谷駐屯地で切腹した人のようになってしまうわけです。最後は死んでしまうわけですよ。極端に走ってしまう。その一歩手前で踏み止まらなくちゃいけない。だから、今こそ吉田が必要とされている。
渡邉:吉田の文学者としてのスタンスというのは、徹底してある種、近代的な哲学や批評のスタンダードに対するアンチテーゼになっているという気がしますね。例えば、デカルトからヘーゲルにいたる近代哲学というのは、抽象性とか観念性を基盤にして個人とか世界を捉えるという姿勢だと思う。でも、それはきわめて反・吉田的です。
というのも、観念というのは、ある意味で現状の否定や飛躍です。しかし、吉田は、いま・ここの自分の意思や欲望、「食べたい」とか、「住みたい」とか、「旅したい」とかっていう欲望を、心地よく、ひたすら肯定していく。そうした吉田の倫理を、「エートスの肯定」と言ってみたい気もします。「エートス」とは、もともとは「住処」、「自分が住んでいる住処や習慣」という意味の言葉です。そういう意味で言うと吉田は、例えば反戦ということを訴えるときにも、単に普遍的に抽象的な戦争反対のメッセージを発するんじゃなくて、自分の住処とか……。
宮崎:生活。
渡邉:ええ。そういう生活とか習慣というものをひたすら肯定していって、その肯定から、例えば反戦ということでいうならば、この言葉が適切かどうかわからないですけども、ある種の「公共性」や「社会性」などという個人と社会の関係を考えていくというところまで、吉田的な批評のモチベーションがあるような感じがするんです。ともあれ、そういった要素が、おそらく吉田を日本の戦後の文学や批評の中で、非常にユニークなポジションに置いている原因じゃないか、と。
宮崎:大学生の時は、生活とか身近なものが、チャチなのというか、俗っぽいものというふうに思っていた節がありました。でも実はそこに足をつけて見回した方が色んなものに対して視野が広がり、自分の手の届くレンジも長くなる。むしろ創造的になれる。
僕が「戦争に反対する〜」という言葉の意味を強く感じたのが、『この世界の片隅に』という作品に触れた時なんです。映画も原作の漫画もそうなんですけど、あの作品はひたすら戦争中の生活を描いているわけですよね。で、やっぱりショックなのが、その生活が原子爆弾によって一瞬にして吹き飛ぶ、と。あの作品を観てしまうと、どんな思想やイデオロギーで説得されるよりも、それはもう強く反戦を意識することになる。
話を戻しますと、批評に限らず、僕らの世代って足場のない感覚がいつもあったというか。
川本:ゼロ年代はとても貧しくて、大学を出ても就職もできないような時代でしたから。経済も貧しければ文化も貧しかった。私もあらゆる意味でどん底でした。そういう時に、人は観念に陥りやすいわけです。つまり「希望は、戦争」と言ってみたりするわけですよ。
しかし、そんなことを言ったからといって自分の生活が良くなるわけでもなんでもない。じゃあ「自分が幸福になるには」「自分の生活を豊かにするには」と考えた時に、私は吉田を読んだ。文学も人生もベタに楽しみたいと思った。
吉田の「楽しむ」というのは別にそんな高踏なものではなく、吉田茂首相の息子であり、上流階級もいいところなのに、出前のチャーシューメンに喜びを見出すエッセイを書いたりする。しかし、物事というのはそういった些細なことからすべてが始まっている。批評を書くにあたってもそこを無視して観念的になれば、吉田が言ったように「読んでもはっきり意味の取れないことが今日までに多数の批評家によって書かれて来て、そうした人間が今日でも、批評家と称するものの大多数を占めている」ということになるわけです。これは今の状況と、まったく無縁な言葉だとは思えません。ややもすれば、ジャーゴンを張り合わせ、メタなマウンティングの取り合いに陥ってしまう危険性が批評の世界にはある。
渡邉:後半は、川本さんが指摘するような、80年代からゼロ年代にかけての批評のある種の隘路のように捉えられる側面も踏まえつつ、なぜいま吉田健一が読まれるべきなのかという問いについて、さらに深く話し合っていきたいですね。
[後編に続きます]
・川本直(かわもと・なお): 1980年生まれ。文芸評論家。『新潮』『文學界』『文藝』などに寄稿。著書に『「男の娘」たち』(河出書房新社、2014)がある。現在、フィルムアート社のWebマガジン「かみのたね」で『日記百景』連載中。
・渡邉大輔(わたなべ・だいすけ):1982年生まれ。批評家・映画史研究者。跡見学園女子大学文学部専任講師。日本大学藝術学部非常勤講師。専攻は日本映画史・映像文化論・メディア論。2005年に文芸評論家デビュー。以後、映画を中心に純文学、本格ミステリ、アニメ、情報社会論などを論じる。著書に『イメージの進行形』(人文書院、2012)。共著の近刊に『川島雄三は二度生まれる』(水声社)、『スクリーン・スタディーズ: デジタル時代の映像/メディア経験』(東京大学出版会)、『アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門』(フィルムアート社)がある。
・宮崎智之(みやざき・ともゆき):1982年生まれ。東京都出身。フリーライター。地域記者、編集プロダクションなどを経て、フリーライターに。カルチャーや男女問題についてのコラムのほか、日常生活の違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。TBSラジオ「文化系トークラジオLife」にレギュラー出演中。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫、2018)など。
(文・構成:興梠旦)
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