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清水玲奈 英国書店探訪

清水玲奈 英国書店探訪
第14回 The Cambridge University Press Bookshop

 INK@84

写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり

 

第14回 The Cambridge University Press Bookshop

 

 INK@84

 

 ロンドンのキングスクロス駅から電車に乗り、北に向けて田園風景を揺られて行くと、50分足らずでケンブリッジに着きます。石造りの古い町並みに、13世紀以来創設されたケンブリッジ大学のさまざまなカレッジが点在する歴史都市です。

 

学生や観光客が集う旧市街。正面に見えているレンガ造りの建物がケンブリッジ・ユニバーシティー・プレス書店。

 

 今回訪ねたケンブリッジ・ユニバーシティー・プレス(ケンブリッジ大学出版局)書店があるのは、ケンブリッジの旧市街の中心、有名なトリニティー・カレッジにほど近いトリニティー通り1番地です。

 

通りに面して大きな窓が設けられていて、入りやすい雰囲気です。

 

 ここは、イギリスで最も古くから書店があった場所。1581年には、ウィリアム・スカーレットという書籍商が営業していた記録があります。その後、経営者は変わりながらも、4世紀以上にわたって途切れることなく書店が営業してきました。

 

ウインドーには「この場所で、遅くとも1581年には本が売られていました。以来、途切れることなく書店が営業してきた国内最古の場所です」との文字があしらわれています。

 

 この書店を運営するケンブリッジ・ユニバーシティー・プレスの創業は1534年。イングランド王ヘンリー8世の特許状を得て設立された世界最古の出版社です。1611年にはイングランド王ジェームズ1世の命による欽定訳聖書を出版し、この聖書は、その後のイギリスの文化や英語の文体・表現に多大な影響を与えました。1713年には、科学史上最も重要な著作とされるニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』第二版(初版は自費出版)を刊行しています。現在出版物リストには、学術書を中心に、先述の欽定訳聖書やシェイクスピアなどの古典を含む53,000点ほどが掲載されていて、さらに毎年2,500点あまりの新しい本を出版しています。

 

理系の本を扱う2階の売り場には、ニュートンの肖像と著書のタイトルページが飾られていました。

 

 現在の書店の向かいには、ケンブリッジ大学の最初の公式印刷所トマス・トマスが1583年に創業。以来、2013年まで、大学出版局の印刷所が操業を続けていました。この周辺には16世紀以降次々と書店が誕生し、一時は書店街の様相を呈していたそうです。

 1846年にはマクミラン家の兄弟ダニエルとアレクサンダーが書店を買収し、おいのロバート・バウズを徒弟として雇いました。ロバートがやがて経営者となり、戦後もバウズ家が経営していましたが、1986年には経営が変わってシェラット・アンド・ヒューズ書店となります。その後、1992年にケンブリッジ・ユニバーシティー・プレスが運営する書店になりました。

 

 出版社も書店も、ケンブリッジ大学の組織の一部で、同大学のすべての学部には、ユニバーシティー・プレスの本の蔵書があります。大学は非営利のチャリティー団体という位置づけで、利益はすべて大学の活動に還元され、また、非課税で運営されています。大学出版局として世界第二の規模であるケンブリッジ・ユニバーシティー・プレスの売り上げ全体の中ではごくわずかですが、書店の売上高は150万ポンド(2017年度)に上るそうです。

 1992年の書店のオープン当時、扱う本の数は4万点ほどでしたが、年々増え続けてきました。現在は、ケンブリッジ・ユニバーシティー・プレスが出版している書籍の大部分を占める5万点(8万冊)を店内に置いているほか、過去に出版されて絶版になっている膨大な数の本をオンデマンドで印刷するサービスも行っています。世界中に発送を行い、世界の研究者や論文執筆中の学生たちに重宝がられています。

 

別棟にある教材の売り場。カウンターにはケンブリッジ大学の紋章と、「ケンブリッジの一部をお持ち帰りください。ここから出発です」のキャッチコピー。

 

 店で扱う本は、ケンブリッジ・ユニバーシティー・プレスの出版物だけで、主に学術書です。著者の出身地は世界100か国以上に及びます。総合大学の出版社だけに、扱う本の分野は「アート(Art)から動物学(Zoology)まで」。つまり学問のすべて(AからZまで)を網羅しています。

 

 このように、世界有数の歴史と権威を誇る本屋さんですが、親しみやすい店構えです。店内には大きな窓から自然光がたっぷりと差し込み、淡いグレーを基調に、明るく開放的なインテリア。低い天井に目をやると、太い木の梁や装飾のある柱頭が目に付き、1階から2階をつなぐらせん階段も歴史を感じさせます。窓辺にも店内にも生の花が飾られていて、どこか文豪の家のような雰囲気。誰かが歩くたびにきしむ木の床の音をBGMに、地元の研究者や院生らしきお客さんが、店内の肘掛椅子でゆっくりと本を品定めしています。本のほかに、ケンブリッジのガイドブックや絵はがき、それにケンブリッジ大学や本全般にまつわるマグカップ、ペン、革のしおりなどのギフトグッズも並んでいます。

 

店内に入ってすぐ右側にある年表とおみやげ品コーナー。

 

 公式ホームページには、「私たちは、商品知識と私たちの町ケンブリッジについての知識に誇りを持っています」との自己紹介があります。店を入ってすぐにガイドブックやグッズが並び、中央にレジカウンターがあるのは、まるで観光インフォメーションセンターのような造り。店に入ってきて「トリニティー・カレッジはどこですか」などと道案内を求める人も少なくないそうですが、店員さんは快く応じます。

 

 取材当日の日曜日、そのレジカウンターで店番をしていたアラステア・リンさんは、この店のセールス部門マネージャー。実質的な店長さんです。学術書店の店長と聞いてイメージしたような気難しい学者肌の人ではなく、笑顔を絶やさず優しい人でした。地元ケンブリッジの名門アングリア・ラスキン大学の出身。学生時代は哲学を専攻しながら、修士課程修了までの2年間、この書店でアルバイトをしていました。「あまりに居心地が良かったので、結局居ついてしまった。大学を卒業しても、アカデミックな世界とのつながりを持ち続けることができるというのも魅力でした」。以来、21年間ここで働いていて、週に5~6日間勤務しています。「学生時代は本をよく読んだけれど、本屋になってからは忙しいので、ゆっくりしたペースで一般向けの哲学の本を読むくらい」だそうです。

 

修士課程で哲学を学んでいた頃からこの書店で働いている店長のアラステア・リンさん。

 

 「ここはふつうの書店ではありません」とアラステアさん。「大学出版局のショールームのような店」とも見られがちな本屋さんです。「基本的にやるべきことはすでに決まっていて、“現状をいかに安定させて維持するか”ということが求められます」と控えめに説明します。

 主なお客さんはケンブリッジ大学の学生、とくに大学院生、そして先生、それに同大学に研究員として滞在している世界中の研究者たち。ケンブリッジで学会が開かれると、学会の参加者も店を訪れます。

 店では、ケンブリッジ大学、もしくは近隣にキャンパスのあるアングリア・ラスキン大学の学生証を見せれば、いつでも本が2割引で買える特典を設けています。ところが、昨今はとくに若い学部生の間で本離れが見られるそうです。「秋は新学年の始まりなので、かつては本を買いに来る学部生でごった返したものです。ところが今の学生は勉強のためにはあまり本を買わず、電子書籍、あるいはインターネットでの情報収集で済ませるようです」

 

店頭には、学生証を見せると本が割引で買えることが大きく掲示されています。

 

 

 そんな状況もあり、「大学関係者だけではなくすべての人にとって開かれていて、親しみやすい店でありたい」と考え、さまざまな工夫と努力をしています。「書店には通常、棚をキュレーションすることが求められますが、ここは基本的にそういう余地がない。だから私の仕事も通常の書店員とはかなり違います」とアラステアさん。とはいえ、最近では時事的な話題に合わせて本の特集を組んでディスプレイを変える工夫を行うようになりました。たとえば、2018年は英国の女性参政権実現と、第一次世界大戦の終戦100周年に当たります。店内では期間限定で、政治、文学、歴史、社会学など、さまざまな観点からこのテーマにアプローチする本を集めて並べました。こうした特集は、地元に住む作家など、研究者以外の教養層に好評だったそうです。

 

1階にある売り場案内。1階は文系、2階は理系を中心にした配列で、すべての学問の本がそろいます。別棟はイギリス国内のカリキュラムに沿った学習教材や、幅広い英語教材を扱います。

 

 また、ケンブリッジの歴史や地理についての本を中心に、街を訪れる一般の旅行客が本をおみやげに買っていく例が増えています。専門性や難易度が低く一般の人も読みやすい本が目立つようにディスプレイするのが、近年の方針だそうです。「私たちは、すべての人にありとあらゆる本を売ろうとは思っていません。“ふさわしい本を、ふさわしい読者に届ける”ことが私たちの役目です」とアラステアさん。「同時に、どれも優れた本であり、また専門家でなくても読んで楽しめる本もあります。コアな客層だけではなく、幅広い人に店の扉を開けてもらい、そして本の扉も開けてもらいたい。それが私たちの新たな目標です」

 

ケンブリッジ大学公式ガイドブックの各国語版。

 

『大学行政』から『17世紀から20世紀までのケンブリッジのジョーク』まで、卒業生でなくてもケンブリッジ通になれる本のコーナー。

 

 ケンブリッジ・ユニバーシティー・プレスの出版物の中で、最近とりわけ売り上げを伸ばしているのが、英語教材「イングリッシュ・ランゲージ・ティーチング」のシリーズです。特に夏場は世界中から、イギリスに語学留学で大勢の若者がやってきます。ケンブリッジにもたくさんの語学学校がありますし、他の町の語学学校に滞在していても、週末などに街を訪れ、英語の教材を買っていく学生が多くいます。店の隣の別棟に、2008年から教材専門の売り場を設けました。トリニティー・ストリートから角を曲がり、街の中心の市場が開かれる広場へと続く小道に面していて、人通りの多い場所です。2018年夏には内装を一新してリニューアルオープン。店内には2カ所にソファーが置かれていて、小さな子どもがいてもゆっくり親子で本が選べます。同時に、専門スタッフが常駐していて、教員や保護者に対していつでもアドバイスができる体制です。

 

「文法」「語彙」「ケンブリッジ大学英語検定対策」と種類別に、参考書や問題集がそろいます。

 

第一言語として英語を学ぶ子どもたちのためのシリーズ。読み書きだけではなく聞く・話す力や批判的な思考までをも養います。

 

 

 教材に関しては、電子書籍の方が動画を見られたり、発音が聞けたり、インタラクティブな自己テストなど内容を充実させられることから、出版社としても電子書籍の開発に力を入れているそうです。でも、アラステアさんは「私も含め、やはり本が好きな人ほど紙の書籍には愛着がありますし、プレゼントができるのも魅力」と語ります。「ケンブリッジの一般書店からは、数年前まであった電子書籍の端末の売り場が姿を消しました。だから、うちの店でも紙の書籍の良さも皆さんに伝えていきたいと考えています」

 

 いい本屋さんであるために必要な要素は何かと尋ねたところ、丁寧に答えてくれました。「オープンな人柄。不特定多数の人を相手に仕事をすることを楽しめること。それから、本屋の仕事は多岐にわたります。ソーシャルメディアの投稿やコピーを書くなどのプロモーションや、店内のディスプレイのためには、クリエイティブな思考も求められます」

 

文学のコーナーに、ケンブリッジの美しい風景の絵はがきが彩りを添えます。

 

天井の梁が歴史を感じさせる店内。午後は明るい自然光がふんだんに入ります。

 

 店には、オープンした26年前から勤めている人を筆頭に、フルタイム2人、パートタイム6人の計8人のコアなスタッフがいて、そのメンバーは長年変わることなく顧客の信頼を集めています。アフガニスタンの美術館で働いていた人、児童文学について大学で研究したのちに子ども向けの作家になった人なども。そのほかに、学生や作家、詩人らがアルバイトで入り、それぞれの強みを生かしてチームワークで店を運営しています。「理数系の学生は、過去に数学の学生がいたくらいで、あまり店員としては入ってきませんね。一般的に、人文系の学生の方が、就職口が少ないせいか、書店員になるケースが多いようです」とのことで、これは世界中に共通する傾向かもしれません。

 

本を数冊確保して、静かな店内で読書にふける学生さんも。

 

 学部生のお客さんが減っていることもあり、現在店で専門的な本を買うお客さんは、ほとんどの場合はすでに該当分野のエキスパートで、入手したい本についての情報を持って来店します。それでも、本の内容についての質問を受けることもあり、理系の本だと、店員を総動員してもお手上げということも。そんなときは、出版社とのパイプを生かして、担当編集者に直接問い合わせて答えます。

 また、店員の志望者で、履歴書では完璧なのに、会ってみるとまったく書店員に向かない人もいれば、その逆もあるそうです。「本に対する興味は、あれば役立つかもしれませんが、必須ではありません。究極的にはやはり、フレンドリーであることが一番大事だと思います。お客さんの話に良く耳を傾け、求めている本に出会えるように手伝うのが、私たちの仕事です」

 

売り場の真ん中にある島状のレジカウンターがあるのは、イギリスの本屋さんでも珍しい設計です。

 

 店に入ってくるお客さんの中には、ケンブリッジ・ユニバーシティー・プレスの本だけを扱う店であることに気がつかず、別の出版社の本がないかと聞く人も少なくありません。そういう場合は、同じ通りにある大型独立系書店、ヘファーズや、チェーン書店のウォーターストーンズに行くように教えてあげるそうです。

 

 店では、時折著者によるセミナーやトークを主催していますが、テーマの専門性が高いため、あまり集客力がないのが悩みどころ。他の独立系書店の運営についても情報収集を怠らないアラステアさんは、最近、英ノリッチの独立系書店、ブック・ハイヴが毎週実践している「静かな読書時間」(クワイエット・リーディング・アワー)を知って、同様のイベントを店内で主催することに決めました。

 

店頭にさりげなく貼られたビラ。

 

 これは、まるで瞑想かヨガの自主レッスンのように、「閉店後の静かな店内に、参加者がそれぞれ読みたい本を持参して集まり、同じ空間で、静かに本を読むひとときを共有する」という会です。イギリスでブッククラブを主催する本屋さんは珍しくありませんが、課題図書を毎回1冊決めて、同じ本を読んできてみんなで話し合うというのが従来のやり方。ケンブリッジ・ユニバーシティー・プレス書店の場合、扱われているのが専門的な本なので通常のブッククラブを定期的に開くのは難しいと判断したそうです。「登録した人がいつでも参加できる方式です。まだ募集を始めたばかりですが、いずれ店の定例イベントとして定着してくれたらと願っています」

 店頭には、机の上にコーヒーカップと本が置かれたイメージ写真を添えたビラが貼られていました。こう書かれています。「本を読んだり、文を書いたり、考えたりするための静かな時間。日常生活の義務や雑事を離れられる特別な空間。それさえ手に入ったらと思いませんか? 店を午後6時から1時間だけ開放します。プレッシャーはありません。ただ店にお越しください。座り心地のいい椅子と、無料の温かいお飲み物を提供します。読んだり、書いたり、思索にふけったり。あなたのための空間です。集中できるよう、デバイスは禁止です。自分の本をお持ちいただくか、店の本を読んでみてください。それはあなた次第です」

 

ゼラニウムが咲く2階の売り場の窓辺。宗教に関する研究書が並んでいます。

 

 この“本屋で過ごす静かな時間”イベントのスタートは、2018年10月、イギリス全国の独立系書店が参加して行われる「本屋で本を買おう」というイベント「ブックショップ・デー」に合わせて発表しました。「ブックショップ・デーでは、通常の書店では特定の小説家をクローズアップしてサイン会やトークを開くのですが、うちの店ではそれは難しい。でも何か話題性のあることをしたいと思ったので、これを発表することにしました」とアラステアさんは説明します。

 

 最後に、より書店員としてのスキルを高めるために、何か特にしていることはありますか、と聞いてみました。「それはいい質問ですね」と言って考え込んでから、「実は大学卒業以来、ずっとこの仕事をしていますから、特に考えたことがないんです。自分のやるべきことについてはうまくやっている方だと思いますが」。取材の翌日にも「まだ答えを考えているところなので、何か思いついたらメールします」と連絡をくれました。

 

らせん階段の下に、革の肘掛椅子。こんな場所なら読書もはかどりそう。

 

 オープンで親しみやすく、まじめで正直な店長の人柄が、そのまま店づくりにも表れているよう。伝統や格式に甘んじることなく、時代にふさわしい工夫とお客さんへの思いやりによって、ケンブリッジ大学の英知を幅広い人たちに伝える本屋さんです。

 

にぎわうケンブリッジ旧市街の中心にある本屋さん。

 

 

[英国書店探訪 第14回 The Cambridge University Press Bookshop 了]

 

Cambridge University Press Bookshop
1 Trinity Street
Cambridge CB2 1SZ
+44 (0)1223 333333
www.cambridge.org
月~土 9:00~17:30 日 11:00~17:00
開店:1992年
店舗面積:約160㎡(本店2フロア)
本の冊数:8万冊(5万点)


PROFILEプロフィール (50音順)

清水玲奈(しみず・れいな)

東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。1996年渡英。通算10数年のパリ暮らしを経て、現在はロンドンを拠点に取材執筆・翻訳・映像制作を行う。著書に『世界の夢の本屋さん2・3』『世界で最も美しい書店』『世界の美しい本屋さん』など。作家 辻仁成主宰のウェブ媒体 「Design Stories」でエッセイ連載中。