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コロナ後のイギリス、明るい書店事情 清水玲奈

本の売り上げが過去10年で最高のレベルに

 
 ロックダウンに明け暮れた2020年に続いて、2021年もイギリス人はよく本を読んだ。ガーディアン紙によれば、2021年にはイギリス国内で2億1200万冊あまりの紙の書籍が販売され、過去10年間で最高の数字となった(ニールセンのデータ)。中でもフィクションの売り上げは部数にして2019年に比べて20%上昇した。
 
 2020年春の最初のロックダウン中に大流行したチャーリー・マッケジーによる大人の絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』は引き続き好調で、売り上げ2位の座を維持した。そして2021年の英国のベストセラーは、マット・ヘイグ(自身もうつ病を患った経験がある作家)の『ミッドナイト・ライブラリー』だ(2月に邦訳が発売された)。これは自殺を考えた若い女性である主人公のノーラが、今の自分のままで「別の人生」を選択してお試しで生きることができるという「真夜中の図書館」に迷い込む。そこで科学者や水泳選手などのキャリアや結婚生活、そして猫の世話に至るまで、「成功」するさまざまな人生を生きてみた結果、今自分が生きているありのままの人生の尊さに気がつくというストーリー。図書館というメタファーの魅力に加えて、生きづらい世の中にあって本に癒しを求めた人たちの心を動かした。

 
 また、ノンフィクション部門では、「ボディ・マインド・スピリット」の売り上げが50%と大幅に増加し、やはり自分や身近な人の心身の健康を気遣う人々の気持ちが反映された結果となった。
 

リアルな本のイベントの再開

 
 人々が本に癒しを求めた2021年に続いて、2022年のイギリスの読書事情はどうなるのだろうか。2月には、イングランドではコロナ関連の法的規制が全廃され、今後他の地域でもそうなる見込みだ。これを受けて、本を取り巻く環境も、「コロナとの共生」によって2019年以前の正常な状態を取り戻そうとしている。
 
 3月3日には「ワールド・ブック・デー」が開かれた。イギリスが発祥で今年25周年になり、国内では書店や出版社、作家、小中学校や高校が一丸となって、子どもたちの読書愛を育てる試みを盛んに行っている。
 
 たとえば子どもたちには学校を通して1ポンド(またはアイルランドでは1.50ユーロ)の図書券が配られる。この図書券は、提携書店に持っていくと、今年のブック・デーのために選ばれた本の中から、自分の読書レベルと興味に応じた1冊と無料で換えられる。あるいは通常の図書券のように使って、好きな本を1ポンド引きで買うこともできる。階級社会で「家に1冊も本がない」という子どもも珍しくないイギリスにあって、「本屋さんに行き、読みたい本を選んで買い、自分だけのものになった本を読む」という体験をすべての子どもたちにさせるための画期的な取り組みだ。
 
 また、学校では本にまつわるさまざまな行事が行われる。多くの学校で、子どもたちは好きな本の登場人物にちなんだ仮装で登校する。先生たちも不思議の国のアリスから長靴下のピッピまで、さまざまな人物に扮して授業にあたる。私の娘が通うロンドンの公立小学校では、今年はベッドタイム・ストーリー(寝しなに読むお気に入りの本)を持ってパジャマで登校してもよいというオプションが追加されて、子どもたちは大いに盛り上がっていた。
 
 またこの日の前後の1週間も本をテーマにしたさまざまな校内行事が開かれた。校内のホールで、イギリスで人気のジュリア・ドナルドソン作・アクセル・シェフラー絵の絵本『ハイウェイ・ラット(Highway Rat)』や、ロアルド・ダールの児童小説『オ・ヤサシ巨人BFG』が原作の劇を先生たちが演じた。最終日には、児童文学の作家バネッサ・テイラーが来校して『サッカー少年たち(Baller Boys)』(読者のオンライン投票で受賞策が決まる「ピープルズ・ブック賞」の2021年度児童書部門受賞作)のサイン会を行った。
 
 去年のワールド・ブック・デーはロックダウンでリモート授業中だったので、コンピュータの画面越しにクラス内で仮装を披露しあっただけだった。ロックダウン中は子ども向けの本の売り上げが大幅に増えた一方で、図書館の閉鎖や休校のために本に触れる機会を奪われた子どももいて(学校が提供した電子書籍を見る機会はあったとしても)、読書環境に格差が広がった。コロナ禍前の状況が取り戻せた今、家庭の事情に関わらず多くの子どもたちを未来の読書人に育てるための社会全体の取り組みの意義はさらに大きくなっている。
 

「本屋を開きたい人」多数のイギリス

 
 一般の書店や出版社の間でも、子ども向けの読み聞かせや読書クラブから、著者によるトークやサイン会まで、過去2年間オンラインで行ってきたイベントをリアルで再開する動きが出ている。 
そんな中、先頃独立書店協会の主催による毎年恒例の「書店を開業したい人のための講座」が開催された。興味があったので、私ものぞかせてもらった。

 
 この講座は今年も昨年に引き続きズームでのオンライン開催だったが、イギリス全国から30人あまりが参加した。業界が好調であることに加えて、コロナ禍を経て自分の生き方を見直し、「本当にやりたいこと」に取り組もうと決意した人も少なくないようだ。グループに分かれて自己紹介をしあう時間があって話を聞くと、他の参加者はいずれも具体的に書店開業を考えている人たちだったが、書店員の経験者はいなくて、他業種からの転身をねらう人たちだった。全員が白人で、年齢層はさまざま。女性、あるいはカップルが多数派だ。病気のために会社を辞めて、療養を経て「自分が幸せになれる仕事」を考えたときに書店の開業を思いついたという若い女性もいれば、香港で18年間暮らした後家族とともにイギリスに引き揚げてきて、新生活を準備しているというリタイア後の男性もいた。すでに人気カフェの隣に賃貸物件を見つけて準備を進めているという元司書の中年女性もいれば、「まだ夢の段階だけれど」と前置きしつつ、本好きの高校生の娘も巻き込んで家族で本屋さん設立計画を進めているという資産家の夫婦もいる。その誰もが、これから実現する(かもしれない)自分の店について話をするとき、ほとんどこらえきれないという感じで笑顔を浮かべているのが印象的だった。
 
 毎回講師を務めるのは、イングランドのチッピングデールという小さな街にある独立系書店ジャフェ・アンド・ニールの共同オーナーであるパトリック・ニールさん、56歳。本を売り続けて30年のキャリアを誇り、書評の執筆や文芸賞の選考でも活動し、イギリスの書店業界・出版業界で知らぬ人はいない有名人だ。「英国書店探訪」第20回でインタビューにも応じてもらった。ちなみに、この記事に掲載された赤松かおりさんのイラストも、講座内で「おしゃれなインテリアで居心地がよく経営者の個性を感じさせる空間を作ることの大切さ」を説明するときに、紹介していた。

 
 講座は自己紹介から始まった。農家の息子だったパトリックさんは大学卒業後、大手スーパーチェーンのセインズベリーズのマーケティング部門に勤めた。「大嫌いな仕事だったが、今の仕事に有益な経営の実際をここで学んだ」という。その後長年にわたり、大手書店チェーン、ウォーターストーンズのイギリス各地の店に勤務し、グラスゴーの大型店舗の店長を経て、妻とともに自分の店を開いた。
 
 パトリックさんは毎年この講座で書店主を志す人たちの指導にあたっている。これまで「花屋から銀行員まで」さまざまな人々の書店開業を助けてきた。冒頭で「本屋を開くことは、コミュニティーに貢献し、支援すること。お金を稼ぐ手段としてはとても良い選択です」とパトリックさんは熱く語った。それと同時に、現実的な事務作業の多さや経営上のリスクを説明することを予告し、「もしも今日、本屋を開く夢を断念するとしたら、それも賢明な選択かもしれません。そうだとしたら、別の意味で、この講座が有用だったと言えます」とも述べる。 
 

本をめぐる悪いニュースと良いニュース

 
 続いて、最近の書店をめぐる国内ニュースの解説。まずは悪いニュースから。2月初めには、イングランド中部のダービシャーに昨年開業したばかりだった独立系書店が1年足らずで閉業した。また隣国アイルランドの首都ダブリンでは大手独立系書店のチャプターズが、40年の歴史に幕を閉じた。2021年初頭、(イギリスの場合で)3度目のロックダウンによって書店は3カ月あまりにわたり閉鎖を余儀なくされたので、閉業する書店があったのはむしろ予想通りともいえる展開だ。しかも、イギリスでは昨年1年間だけで大手デパートを含む1万7000件の大型チェーン店の実店舗が閉鎖されたという統計もあり、小売業界は全体に苦戦しているのだ。
 
 一方で良いニュースもあり、そして、書店に限って言えば、良いニュースの方が多い。学術書に強い老舗書店チェーンであるブラックウェルズは2021年、創立以来143年の歴史上、最高の売り上げを記録した。また、書店協会のデータによれば、独立系書店の数は過去5年連続で増え続け、2021年には1000軒を超えた。1995年には1894軒だったのが2016年には867軒にまで落ち込んでいたが、その後、順調に回復を続けている。
 
 独立系書店が好調な背景として、パトリックさんはさまざまな要素をあげた。第一に、BookTok(アプリTikTok内で本をテーマにしたコミュニティ)が「ハリーポッター以来の規模となる恩恵を書店にもたらしている」(人気独立系書店ミニチェーンのドーントブックスの創業者で、現在は大手書店チェーンであるウォーターストーンズの経営者であるジェームズ・ドーントの発言の引用)。また、インスタグラムから本が注目を集め、ベストベラーになるケースも出ている。
 
 冒頭で紹介した通り2021年は書籍の売り上げが増加したが、中でも子どもの本の売り上げは25%増えた。コロナ禍により孫に会えない祖父母がプレゼントに本を贈ったり、親が学習や読書のために本を買い与えたりする需要が増えたことが背景にある(ただしイギリスでは、価格を抑えるため、児童書は書店に入る利益率が少ない)。子ども向けの本の売り上げが伸びていることについて、パトリックさんは「書店経営者としてではなく、人間として、よい知らせとして受け止めている」と心を込めて語った。
 
 また、2020年の最初のロックダウン以降、ハードバックの本の売り上げが目立って伸びているという。家で過ごす時間が増えたことから、人々は手元に置いておきたいと感じるような美しい装丁の大型本を「自分へのプレゼント」に買うようになったと、パトリックさんは分析する。
 
 在宅勤務が増え、ロンドンなどの大都市を離れて田舎に移住する人が少なくなかったことも、ジャフェ・アンド・ニールのような店にとっては朗報だった。カフェを長期間にわたって閉鎖しなくてはならなかったこと、有料のイベントを行えないことから収益は落ち込んだものの、本の売れ行きは好調だという。

 
 さらに2021年には、アメリカ発祥の「bookshop.org」がイギリスにも上陸した。これは書店協会に登録している独立系書店が利用できるウェブサイトで、顧客はここを通して読みたい本を注文する際に、イギリス全国の書店の中から好きな店を選択し、そこに利益が入るようにネットで本が買えるという仕組みだ。アマゾンについては近年、グローバル企業であることを利用した税金逃れや劣悪な労働条件、環境意識の欠如などが報道されたのを受けて反感を持つ消費者が増えている。「便利なネット販売を利用したいが倫理的に本を買いたい」という需要に応えて「bookshop.org」は堅調に利用者を増やしている。
 
 そして、デジタル・ネイティブである若い世代の間で、リアルな人や物との触れ合いを重視する傾向が高まっていることにも触れた。たとえばコロナ流行がいったん収まっていた2021年夏、ニールさんの書店にほど近いオックスフォードシャーのコーンベリー・パークの野外フェスティバル「ウィルダネス・フェスティバル」会場にテントを張り、仮設書店を開いたところ盛況で、「4日間で1カ月分の」売り上げを記録したという。
 

書店経営の醍醐味とコツ

 
 今日、書店経営者が最も重視するべきなのは「顧客の時間の貴重さ」だとパトリックさんは考えている。ネットフリックスをはじめとする動画視聴など、娯楽は多様化している。アマゾンで本を買うのは簡単だし価格も安い。そんな中で、時間とお金を費やしてでもあえて書店で本を買いたいと思わせる付加価値をいかに顧客に提供できるかが問われる。つまり、ネット上やスーパーマーケットで本を買うのでは得られない何かということである。それは居心地の良い空間があり、個性や人間性が感じられる店で本を買うという体験だと、パトリックさんは言う。大型チェーンのウォーターストーンズも、ドーント氏が経営者になって以来、「まるで独立系書店のような」店づくりにシフトして成功を収めている。
 
 ただし、素敵な店を用意すればよいというほど、単純ではない。本格的な読書家といえるのは全人口の3%に過ぎないとされていて、多くの顧客の心をつかむために敷居を低くすることも大切だ。そのためにカフェを設けたりグリーティングカードを売ったりすることから、店内が寒くなってもドアを開けておくこと(「少しでも店に足を踏み入れることを躊躇する瞬間を取り除く」ために有効なコツだとか)、とがったセレクトだけではなくて誰もが知っているようなロングセラーやベストセラーの本を目のつくところにディスプレーすること、ウィンドーのディスプレーにこだわることなど、事細かに具体策を挙げた。
 
 それから、書店主としての特権についても語った。書店をやっているというだけで地元の名士にディナーに招かれたり、あるいは出版社のパーティーに呼ばれたりすることもある。また、もちろん作家を招いて書店でイベントを開き、作家と直接仕事ができるのは、本が好きだからこそ書店を開きたいと願う誰もが憧れることだ。とはいえ、著者イベントの開催には細心の注意を要する。参加人数や料金の設定方法から始まり、著者が紅茶好きかワイン好きか、そして事前、イベント中、イベント後のいつに提供するのが喜ばれるかなどの情報を、エージェントから仕入れておくことや、好みにあったおみやげを渡し、後日は手書きのカードを送ることは必須だ。こうして著者に気に入られれば、たとえ地方の小さな書店であっても、出版社やエージェントを通して口コミで評判が広がり、さらに多くの有名作家を招けるようになる。また、無名の作家がブレイクするきっかけを作ってあげれば、その作家が一生恩を感じて書店の宣伝に努めてくれる可能性がある。その一方で、自費出版をしただけの地元の作家など、親切かつ事務的なアドバイスをするだけに留めるべきケースもあり、その対処法を準備しておく必要もある。
 
 その後、イギリスで最も小さな書店であるヘイリング・アイランド書店(ドーバー海峡に面する小島にある書店)がその小ささという話題性を利用して収益を上げている例などを挙げながら、開店を決めるにあたって考慮するべきロケーションなどの条件について説明した。さらに、経営の実際についての話になった。在庫管理の方法、会計システムの選び方から、スタッフ採用の面接で話すべきこと、出版社のセールスマンの訪問を受けるのは1年のうち秋以降だけにするべき理由、本を搬入するドライバーとの良好な関係の築き方(「必ず紅茶をごちそうすること」)とそのメリット、子どもが店頭の本を傷めてしまったときの円満な対処法(「私なら同じ本を仕入れて、出版社に交換を要請する。今まで断られたことは一度もありません。子どもたちには自由に本を見てもらう方が売り上げにもつながりますから」)まで。経験者ならではのコツを惜しみなく伝授した。 
 

イギリスで書店が好調な理由

 
 最後にパトリックさんは「心の平穏を保つこと」「エモーショナル・インテリジェンス」によって、マルチタスクをこなす書店主が自分自身を守ることの大切さにも触れ、6時間に及ぶ講座を締めくくった。
 
 参加者には講座終了後、パトリックさんの個人のメールアドレスが渡される。「常識的な範囲で」いつでも相談に応じてくれるという。講座の中では、開業を検討するにあたり、近くにすでに書店がある場合は、その質にかかわらず、ロケーションを変えるかセレクトの内容を変えて競合を避けるべきだという話もあった。パトリックさんの言葉によれば書店経営は「ジェンティルな」、つまりは品性が問われる仕事であり、紳士的な行動が求められる。イギリスで独立系書店が好調な背景には、このように誇りを持って同業者間で支え合う機運もあるのだろう。今回の講座を受けて、未来の有名書店が生まれる可能性も十分にあるはずだ。ちなみに受講料は135ポンドだった(オンライン開催だからという理由で、通常の半額)。
 
 独立系書店が好調な傾向は2022年に入っても続いているようだ。ウエールズとの境に近い西イングランドのロス=オン=ワイなどで3店舗を展開している独立系書店「ロシスター・ブックス」が、コッツウォルズのチェルトナムに4軒目の店舗をオープンする。この書店は3月12日の開業日に、『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』などで知られる作家レイチェル・ジョイスのトークイベントを行った。
 
 本当の意味でのコロナ後の日常が戻りつつあると言えそうな2022年、たび重なるロックダウンを経て思いがけず好調な書店業界は、リアルなイベントを再開し、さらにコミュニティーに貢献する場となるだろう。イギリスの本好き、本屋好きにとっては2022年も実り年になりそうだ。