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変わるイギリスの読書事情

変わるイギリスの読書事情 オーディオブックの人気が急上昇

 

2020年のイギリスは、ロックダウンにより書店がたびたび長期の休業やオンライン販売のみに追い込まれた。一方で、ステイホームの間に売れたものといえば「ビスケットと紅茶と本」と言われ、多くの人が読書時間を増やした。
 
その一方で、イギリス出版社協会(PA)が発表した報告書「2020年の出版」によると、「読書」の内状に大きな変化があったことが浮き彫りになった。紙の書籍の売り上げが落ち込み、一時期は停滞していた電子書籍の需要が再び増えた。そして何よりも目立つ動きが、オーディオブックが4割近くも売り上げを伸ばしたことだ。
 
「文字で読むよりもあえてオーディオブックを聴きたい」と思わせるような工夫も多様化している。いくつか人気作品の例を挙げて見ていきたい。 

 

2020年、多くの人がオーディオブックに初挑戦した

 
 
PAの報告書「2020年の出版」では、イギリス国内市場の動きを総括して下記のように分析している。「2020年、イギリス人は安心感を得たり逃避したりするために、あるいはリラックスするための手段として、本を選んだ。コロナウイルス流行による書店の閉鎖、著者イベントの中止、本の出版延期など多数の困難があったにもかかわらず、読書は人気を保ち、大人も子どももロックダウン中は普段よりも多く本を読んだ。統計によれば、イギリスでは分野を問わず本の売上が伸びたが、とりわけフィクションが大きく伸びた」。
 
イギリスの出版業界の収益は64億ポンドで前年比2%増。国内での収益は25億ポンドで前年比4%増を達成した(イギリスでは出版の収益のうち輸出額が半分以上を占めるのが特徴だが、2020年の輸出額は37億ポンドで横ばいだった)。
 
また、このうち教育出版や学術書などを除く一般書籍の全収益は21億ポンド(7%増)で、ジャンル別の内訳では、フィクションが6億8800万ポンドで16%増と最も大きな伸びを見せた。イギリス国内に限ると、一般書籍の収益は15億ポンドと9%も増えた。このうち紙の書籍は12億ポンドで5%増にとどまったが、電子書籍は2億6700万ポンドで29%も増えた。オーディオブックはさらに目覚ましい増加を見せ、国内外でのダウンロードを全て含めた収益は1億3300万ポンドと前年比37%増を達成した。
 
すでに、2020年の11月には、業界情報誌「ザ・ブックセラー」主催による「フューチャーブック」会議で、調査会社ニールセンが独自のアンケート調査など複数のデータに基づき、ロックダウンが主な要因となって2020年はオーディオブックが急速な伸びを記録し、過去7年連続の増加になるとの見方を示していた。ニールセンの分析によれば、利用者の48%が初めてオーディオブックを利用した人たちであり、毎週イギリス人が読書に費やす予算の34%をオーディオブックが占めた。
 
また、電子書籍も好調だった。特に、「ハリー・ポッター」シリーズなどで知られるブルームズベリーは、2020年8月末までの半年間に、電子書籍の売り上げ増が主因となって、収益が前年比60%も増大したという。
 
 

ロックダウンと書店の休業期間が残したもの

 
 
オーディオブックと電子書籍の伸びの双方に共通する背景として、特に2020年前半は「本が読みたくても買いにくかった」という事情がある。イギリスで2020年春にスタートした最初のロックダウンでは、多くの書店は準備期間がなかったこともあり、オンラインや電話・メールを使った本の販売ができた書店は一部に限られた。また、販売を続けていた書店でも、本の供給ルートに乱れが生じたことから注文した本が何週間も届かないといった事態が生じた。需要は増大したのに供給が追いつかず、アマゾンでの紙の書籍の購入だけではなく、オーディオブックや電子書籍にも顧客が流れた。
 
イギリスでは2019年以前も小説のほぼ半数が電子書籍で読まれていたくらい、電子書籍はすでに浸透していた。一方で、新たな利用者を増やしたオーディオブックについては、今後も、大きく広がる可能性がある。
 
イギリスでは公立図書館の通常の利用者証を持っていれば、アプリ「Libby(リビー)」を使って図書館からもオーディオブックをオンラインで借りることができ、アプリの使い勝手も、オーディオブックを販売する「オーディブル」のアプリと比べて遜色ない。BBCによれば、ダウンロードによるオーディオブックの人気は、特に都市に暮らす若者層(18歳〜44歳)の間で高い。音楽を曲ごとにダウンロードして聴く習慣がある世代が、同じ感覚で「本を聴いて」いる。今後も利用者の裾野は広がっていきそうだ。
 

 

さらに、5月20日には、オーディオブックのダウンロード販売を行っているストーリーテル社(本社・スウェーデン)が、音楽配信会社スポティファイとの提携を発表した。ストーリーテル社は現在、ヨーロッパの一部の国の他ブラジル、インド、韓国など世界25か国でのみ利用できるが、今後はスポティファイのプラットフォームを通して英米を含む他の国や地域にも展開する見通しになった。詳細は未発表だが、世界の多くの国で、一定の契約料金を支払えばスポティファイを通してストーリーテル社のオーディオブックが聴き放題になるかもしれない。
 
英米などでは今のところアマゾン傘下にあるオーディブル社がオーディオブックの市場をほぼ独占しているが、この状況を覆すのではないかと、動向が注目される。
 
 

文字の本にはないオーディオブックの付加価値

 
 
耳で聴く「読書」を体験する人が増えていることで、もはや、本の世界は「紙」の上だけで展開するものでなくなり、オーディオブックは本の「代替物」ではなくなった。
 

 

とはいえ、オーディオブックはイギリスでも、紙の書籍や電子書籍に比べてかなり割高だ。たとえばカズオ・イシグロがノーベル賞文学賞受賞後に初めて発表した新作『クララとお日さま』は、イギリスのアマゾンで、ハードカバーが13.60ポンド、電子書籍が6.02ポンドなのに対し、オーディオブックが17.49ポンドで売られている。ただし、オーディブル会員になれば、1カ月7.99ポンドの料金で毎月1冊のオーディオブックが価格に関わらず購入でき、しかも一度購入したら退会しても保持できる(もちろん、もっと聴きたい人向けの料金設定もある)。
 

 
『クララとお日さま』は、アジア系アメリカ人女性のベテラン声優スーラ・シウによる語りが、近未来に特定されていない場所に暮らすA Iの人工的な英語をよく表現している。
 
また、プロの声優以外にも、読み手として有名俳優や作家自身を起用し、あるいは絵本やコミックの場合はビジュアルも効果音などの音声で表現して、さらなる付加価値をつけたオーディオブックが増えている。
 
たとえばミリオンセラーの大人のための絵本、チャーリー・マッケジー著『ぼく モグラキツネ 馬』は、著者自身の朗読により、前書きによれば「目の見えない友達のために、新しい本を書くつもりで作った」オーディオブックとして生まれ変わった。小鳥の声などの効果音をバックに優しい声でささやきかけるような朗読が続き、絵本とは違った癒し効果がありそうだ。
 
ノンフィクションの本のオーディオブックにも、工夫が見られる。現存するインタビュー音声をそのまま使用したオーディオブックは、まるでドキュメンタリー作品のような仕上がりだ。また、イタリア人理論物理学者カルロ・ロヴェッリ著の『時間は存在しない』の英訳版は、俳優ベネディクト・カンバーバッチを起用。内容が理解できなくても、カンバーバッチのファンならB G Mとして朗読を聞いていたくなるかもしれない。
 
 

本の未来を守るために

 
 
先に引用したPAの報告書「2020年の出版」の分析は、下記のように締め括られている。「出版社は、作家が大きな困難に見舞われていることを強く認識している。オンラインを活用し、デジタルでの出版イベントや文学フェスティバルを通して作家が世界の読者に作品について語りかけるチャンスを設ける努力が行われている。作家が収入を維持できるようにすることが、今後の大きな課題となる」。
 
その課題の中には、とりわけ音楽をダウンロードするのと同じ感覚で新しい読書の楽しみを見出した読者を含め、いかに本の人気を高止まりさせるかということも含まれるだろう。
 
また、比較的好調な出版業界で、本当に苦境にあるのは独立系書店かもしれない。書店は長いロックダウンの間も、そしてようやく営業を再開してからも、顧客を確保し、ビジネスを存続させるために工夫と努力を重ねている。独立系書店の中には、動画やポッドキャストを配信し、書店を訪れる体験をオンラインで提供する動きも目立った。ロックダウンが解除され、通常の店舗営業が始まった今も、多くの店でこうした活動を続けている。その背景には、電子書籍のリバイバルやオーディオブックの流行への危機感もある。
 
ロックダウンによって変わったイギリスの読書事情が、今後どのように展開していくのか、目が離せない。
 
 

【参考URL】
https://www.publishers.org.uk/publications/the-publishers-associations-annual-report-2020/

 

https://thenewpublishingstandard.com/2020/11/09/nielsen-survey-shows-uk-audiobooks-boom-continues-with-15-8-unit-growth-but-no-ebook-reading-is-not-on-the-slide/

https://www.bbc.com/culture/article/20200104-audiobooks-the-rise-and-rise-of-the-books-you-dont-read

https://investors.storytel.com/en/storytel-partnering-with-spotify-making-audiobooks-even-more-accessible-for-storytel-customers/

https://www.penguin.co.uk/articles/2020/november/charlie-mackesy-interview-the-boy-mole-fox-horse-audiobook.html


PROFILEプロフィール (50音順)

清水玲奈(しみず・れいな)

東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。1996年渡英。10数年のパリ暮らしを経て、ロンドンを拠点に取材執筆・翻訳・映像制作を行う。著書に『世界で最も美しい書店』『世界の美しい本屋さん』など。『人生を変えた本と本屋さん』『タテルさんゆめのいえをたてる』など訳書多数。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。http://reinashimizu.blog.jp