COLUMN

古賀稔章 未来の書物の歴史

古賀稔章 未来の書物の歴史
第2回「ニュートンのアフターライフ」

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第2回
「ニュートンのアフターライフ」

 
 あなたが死んだ後、自分の書いたテキストがどのように残るのかを想像してみたことはあるだろうか?
「書かれた文字は残る」(Littera scripta manet)と、いにしえのラテン語の格言にもあるように、石に彫られ、紙にインクで刷られ、スクリーン上にキーボードで打ち込まれることで、書かれた文字は、人類の寿命の限界をはるかに越えて、後世へと記録、保存、伝承されてきた。
 口誦のコミュニケーションが、生きた人間のあいだで話される言葉(生きた言葉)によって成立しているのに対して、書記言語を介したコミュニケーションは、図書館に所蔵されている書物の大半がそうであるように、すでに死んだ人間によって書かれた言葉(死んだ言葉)を含んでいる。声の文化から文字の文化への移行によって、言葉は固定化され、時間への耐久性を獲得することになり、その結果、死者たちの遺した言葉が後世の人々へと読み継がれ、時代を越えてふたたび甦る、ということも可能となった。
 しかし、それは同時に、望んでいようがいまいが、故人の遺志とはかけ離れたところで、書かれた文字が永く残り得てしまう、ということも意味している。最近になって、故人の亡き後、オンライン上の個人情報やアカウントをどのように扱うべきかという、いわゆる「デジタル・アフターライフ」が話題に挙がっているようだが、生前に書いたテキストやプライベートで撮影した写真が、その死後に当人の管理が及ばないかたちで残り、予期しなかったような使われ方や伝播の仕方をしてしまうといった事態は、実はこの世界で頻繁に起きているのだ。
 第1回目で取りあげたように、ニュートンは、まさか自分の著書である『世界体系』の見開きページを撮った写真が、自分がこの世を去った250年後に、無人惑星探索機に搭載され、遙か4万年後に出会うかも知れない地球外生命体に向けて送られることになるとは、想像だにしなかったはずだ。むろん、それは作者にとっては光栄なことだと言えるし、天上でニュートンもさぞや喜んでいるだろう、と思う人もいるかもしれない。しかし、ニュートンの死から、わずか1年後に刊行されたその英訳版の『世界体系』自体が、そもそも彼の遺志にそぐわない不完全なかたちで世に出てしまった書物だったとすれば、まったく話は別だ。そうなると、おそらくニュートンにとっては、喜ぶどころか、ありがた迷惑以外の何ものでもない。そして、事実、この英訳版は、これまで多くの論者たちから、その出所を危ぶむ声が挙がっている、とびきりいわくつきの1冊なのである。

 19世紀末にド・モルガンの法則で知られる数学者オーガスタス・ド・ モルガンは、その著書 A Budget of Paradoxes おいて、この英訳版『世界体系』は、編者の名前や訳者の名が明らかにされておらず、ニュートンが作者であるかどうかすら疑わしい、との問いを投げかけた。ド・モルガンによって、この匿名の英訳版に疑問符が突きつけられて以降、同書の出版事情をめぐっては、学者たちのあいだで長きにわたる議論が交わされてきた。昨今では、ニュートンが作者であるということは認められているものの、翻訳者が誰なのか、また、翻訳者はどのラテン語の手稿をもとに訳したのかなど、いまだに多くの謎が解き明かされていないままである。
 この謎多き匿名の英訳版の刊行の翌年、1729年には、今度は別の出版元から、もうひとつの英訳が刊行されている。こちらは2巻組の『自然哲学の数学的原理(通称プリンキピア)』のなかに、第3編「世界体系」として収録されているもので、英訳を手がけたのはアンドリュー・モッテであると明記されている。アンドリュー・モッテは、自らも科学書を著している人物であることから判断するに、訳者に求められる科学的な専門知識を、十分に持ち合わせていたと考えてかまわないだろう。そして、この英訳版『プリンキピア』の出版を担ったのは、アンドリューの兄であり、当時、ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726年)の出版を手がけたことで一躍その名を轟かせていた印刷者ベンジャミン・モッテであった。

 このアンドリュー・モッテの翻訳に基づいて、1934年に『プリンキピア』の現代版を編訳したアメリカの数学史家フロリアン・カジョリは、1728年の匿名の英訳版『世界体系』の翻訳者はアンドリュー・モッテである、との見解を示した。カジョリはその根拠として、ラテン語からの訳文について、両者の本のあいだに重複したフレーズを用いている箇所が数多く見つけられることを、主な理由に挙げた。
 翻訳者の正体がモッテである、というカジョリの展開した説に、真っ向から異論をとなえたのが、ハーバード大学で科学史の教授を務めたI.バーナード・コーエンである。コーエンの主張は次のようなものだ。モッテの『プリンキピア』の翻訳の1年前には、すでに匿名の訳者による『世界体系』の英訳版が刊行されているわけだから、後発で翻訳を準備していたモッテは、刊行済みの訳文を参照することが可能だったはずだ。だから、訳文のフレーズに共通点があったにしても、それがすなわち訳者が同一であることの証拠になるとは言えない、と反証したのである。また、著名な印刷者の兄ベンジャミンがいるにもかかわらず、こんな売れすじの企画を、別の印刷者の元へ持ち込むだろうか? 訳文ができたら、身内のところから売りに出すのが道理と言えるし、わざわざ『世界体系』の翻訳だけを、『プリンキピア』に先だって匿名で出版することの意味が、果たしてどこにあるのか、というわけだ。そう言われてみると、匿名の訳者の正体はアンドリュー・モッテ、という説は、素人が普通に考えてみても、いささか信憑性を欠いている。

 さらにコーエンは、この匿名の英訳版と、同年に出版されたラテン語版それぞれの『世界体系』の元になった、ニュートンの手稿についても推理を展開している。
 ニュートンが亡くなったのが1727年。その僅か1年後の1728年に、すかさず世に出た匿名の訳者による英訳版『世界体系』は、その同年に刊行されているラテン語版の『世界体系』(De Systemate Mundi)の刊行にも先んじていた。そして、このラテン語版を準備していたのは、ニュートンの姪の夫ジョン・コンデュイットを含む、ニュートンの遺言執行人たちであり、彼らにしてみれば、この匿名の英訳版は、必ずしも歓迎すべきものではなかったようである。そのことは、3人の遺言執行人の連名による、次のような声明が出されていたことからも、うかがい知ることができる。

「最近、翻訳者の名前もなくF.Fayramから印刷された『世界体系』は、故アイザック・ニュートンによる同主題についてのラテン語の論文からの翻訳とうたわれているが、われわれ、故アイザック・ニュートンの遺産管理人一同は、彼のオリジナルの手稿をもとに、いくつかの改変と校正を加えたうえで、同主題に関する彼の論文を、ラテン語で早々に出版する予定であることを、ここに告知する。」

 この声明は、匿名の英訳者が用いたであろう元原稿が、遺産管理人たちの手元にあったニュートンによる「いくつかの改変と校正」が加えられた原稿とは、明らかに異なるものであったことを示唆するものと読み取れるだろう。つまり、匿名の英訳版の訳者が参照した元原稿は、ニュートンにとって、いまだ改訂の余地が残されたままの段階のドラフトであった。その未完成のドラフトが、さらに正体の知れない翻訳者によって英語へと訳されたあげく、遺言執行人の意向に反して出版されてしまったのが、この匿名の英訳版『世界体系』なのである。悲しいかな、それが4万年後の地球外生命体へ宛てたゴールデン・レコードに収録された写真の書物の正体なわけで、これではニュートンがあまりに気の毒だと思うのは、私だけではないだろう。

 とはいえ、不幸な話ばかりではない。ニュートンの遺産継承者たちは、生前にニュートンが書き残した草稿に忠実に、ラテン語版の『世界体系』を刊行しようとしていたし、幸いなことに、彼らが言及していた、ニュートン自身が改変と校正を加えていたという草稿の原本は、ケンブリッジ大学図書館に、今も残されている。そして、ケンブリッジ大学図書館の所蔵するその一連のマニュスクリプト、通称「ニュートン・ペーパーズ」の数々は、同大学のオンライン上のデジタル図書館にて、誰もがスクリーン上で閲覧できるように一般公開されているというのだから、大いに喜ばしいことではないか。いわば、私たちは、ニュートン自身が残した膨大な個人情報からなる「デジタル・アフターライフ」へと自由にアクセス可能なのだ。

1731年初版の『世界体系』の草稿(Cambridge Digital Library より) This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial 3.0 Unported License

『世界体系』の草稿(Cambridge Digital Library より)[CC BY-NC 3.0

 ニュートンの助手ハンフリー・ニュートンの筆によるとされているその草稿(MS. 3990)には、ニュートン自身の筆跡による修正も書き加えられているが、とりわけ私の興味をひいたのは、コーエンが指摘した、この草稿に残されている次のような特徴であった。
 草稿の手書きの本文を注意深く見てみると、たびたび“[ ”のような記号が文中にあらわれているのに気付くだろう。それはニュートンの草稿をもとに、印刷所でラテン語版の『世界体系』を制作していた現場で、おそらく組版工が、本文のどこでページが次のページへと移るのか、その区切りの箇所を示すために便宜的に書き加えた記号である、と言われている。この記号をしるした箇所と、実際の書物の改ページ箇所とが一致していたことは、印刷されたラテン語版の『世界体系』の元になったのがこのニュートンの草稿であることを同定するうえで、決定的な証拠のひとつになったのである。私には、この組版工によって書き留められた“[ ”の記号も、書かれた文字の一種であると言えるものであり、そして、ニュートンの草稿とラテン語版の『世界体系』とを結びつける些細な手掛かりとなったその記号は、「書かれた文字は残る」ということを雄弁に物語っているようにも思えた。
 膨大な資料と向き合い、組版工の残したわずかな痕跡をたどり、死者たちの隠された意図を緻密に読み取ろうと試みてきた、後世の人々の地道な研究の積み重ねこそが、書かれた文字という「死んだ言葉」のなかに注意深く「生きた言葉」を聴き取り、彼らの生きた証を現代に甦らせてきた。私たちは、そうした過去の死者たちの知の遺産の継承者であり、その延長線上の端部に、ちょこんと乗っかっている存在にしかすぎない。この過去を謙虚に受け止めることへの倫理観を、「巨人の肩の上に立つ」と端的に言い表したのが、ニュートンその人であったということを、彼の「デジタル・アフターライフ」をスクリーン越しに覗き見ながら、改めて想い起こしておくべきだろう。

[未来の書物の歴史:第2回 了]

参考文献:
De Morgan, Augustus, A Budget of Paradoxes, London: Longmans, Green, and Company, pp.82-83, 1872.
Gray, G. J., A bibliography of the works of Sir Isaac Newton, Cambridge : Bowes and Bowes. p.15, 1907.
Cajori, Florian, ‘The Translator of Newton’s “System of the World”’, Nature, Vol.124 No.3127, p.513, 1929.
Newton, Isaac, Motte, Andrew (trans), Cajori, Florian(Revise), Sir Isaac Newton’s Mathematical Principles of Natural Philosophy and His System of the World. University of California Press, p.679, 1934.
Gaustad, J. E., “Newton’s System of the World – a Note on the Identity of the Translator”, Journal for the History of Astronomy, Vol.18, No. 2, MAY, pp.125-29, 1987.
I. Bernard Cohen, “New Introduction”, Newton, Isaac, A Treatise of the System of the World, Wm. Dawson & Sons, 1997.
The Newton Project
Cambridge Digital Library – Newton Papers


PROFILEプロフィール (50音順)

古賀稔章(こが・としあき)

1980年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了、同博士課程在籍。研究対象はルネサンス・初期近代のタイポグラフィ、書物の文化史。2004~2009年、デザイン誌「アイデア」の編集に携わる。2011年より批評的議論のためのフォーラム「何に着目すべきか?」を協働で企画。編集した主な美術・デザイン書に『ハンス・ウルリッヒ・オブリストインタビュー Vol.1 (上)』(Walther König)、『One and three books 一つと三つの書物』(limArt)など。共訳書に『オープンデザイン』(オライリー・ジャパン)。