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清水玲奈 英国書店探訪

清水玲奈 英国書店探訪
第8回 Pages of Hackney

 INK@84

写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり

 

第8回 Pages of Hackney

 

 INK@84

 

 東ロンドンのクラプトン・ロードに2008年にオープンした小さな独立系書店「ページズ・オブ・ハックニー」は、創業当初からコミュニティーの「ハブ」(交流拠点)となることをモットーに、店の内外の会場でイベントを多数主催し、地域密着型の本屋さんとして親しまれています。

 

店は東ロンドンの目抜き通り、クラプトン・ロードにあります。軒を連ねるのは、庶民的なテイクアウトの店や、新聞雑誌を売るニュースエージェント。

 

 この本屋さんが開店した当時は、アマゾンの台頭により、大手書店チェーンも中小の書店も苦境に追い込まれ、ロンドンの街角から書店がどんどん姿を消していった時期でした。また、クラプトン・ロードは、東ロンドンの下町ハックニーの真ん中にあり、かつては「マーダーマイル」(殺人マイル)と呼ばれたこともあるほど、犯罪率が高い地区として知られていて、本屋さんがオープンする場所としては大いに意外性がありました。

 

バス停が目の前。ブルーグレーのファサードが印象的です。

 

 創業者で店主のエレナー・ローエンタール(Eleanor Lowenthal)さんは、かつて大学の事務員として働いていたのですが、仕事を休んで一年間外国を旅した体験から、「ロンドンは世界の他の都市と比べても本屋が少なすぎる」と感じ、自分の暮らすハックニーで本屋さんを開くことを決意するようになりました。ブエノスアイレスで「小さくて、歴史や個性を感じさせて、オーセンティック(正統派)な感じがする本屋さん」をいくつか訪れ、さらにどんな街角にも大小さまざまな本屋さんがあるのが印象的だったといいます。それにヒントを得て、「一見本屋さんがありそうにない場所だからこそ、ここで本屋さんを開こうと思い立った」とのこと。

 

こじんまりとした店内。入り口右にあるレジカウンターで、午前中はひとりで店番をするエレナーさん。

 

お客さんのリクエストに応えて、エレナーさんは棚を探し回ってお勧めの本を次々にピックアップ。お客さんはそれを手に取って検討します。

 

 エレナーさんは開店前から3年間ほどハックニーに暮らしていて、旅行から戻ってきた時にもやはり気に入っていたこの地区に戻ってきました。そして、開店当初は店の階上のフラットに住んでいました。近所で友人がバーを開店したばかりだったのにも勇気を得たそうですが、周囲には、「この時代に、この場所で本屋を開くなんて」と驚かれたと振り返ります。とはいえ家族や友人はみな応援してくれて、店名も一緒に考えてくれました。誰からともなく提案された「ハックニーのページ」という名前が、コミュニティー型の書店にしたいという願いにも、そして将来はフランチャイズを目指したいという野望にもぴったりに思えて、迷うことなく名前が決まったといいます。

 

少数精鋭のセレクトの本が並ぶ棚は見ごたえがあります。

 

 店があるロウワー・クラプトン・ロード70番地は、かつては郵便局でしたが、郵便局長が強盗に撃たれる殺人事件が起きたことから閉鎖されたといういわくつきの建物です。その後は床屋さんが入ったものの閉店し、傷みがひどくひどい状態でした。ページズ・オブ・ハックニーは半年をかけた改装工事の末にようやくオープンしました。2008年当時に比べ、今では治安も改善され、貧困層だけではなくトレンドに敏感な若者やメディア関係者、建築家など、20代、30代を中心とした幅広い人たちが暮らすようになりました。そうした新しい住民たちをターゲットにしたコーヒーショップや自転車専門店などの店が増えてきたことも追い風となり、店は着実に顧客を集めてきました。

 

 1階の壁をぎっしりと埋める書棚は、古典から現代文学まで、小説が特に充実。そのほか、子どもの本、政治、自然、アート、心理学、料理などの本を厳選して置いています。狭い店なのに、フェミニズムやサイクリングといったニッチな棚があるのが印象的です。

 

本の表紙に洗濯ばさみで留められた店員さんの手書きメモ。お勧めのポイントが短くまとめられています。

 

 地下1階は、イベントスペースとともに、希少書と古書の棚と平台があり、これは外部の業者から賃料を取って置いています。ペンギン・クラシックス、推理小説、SF、哲学、政治、アートが中心で、上階の新刊書の棚に似合った品ぞろえです。そのほかに、移動レコード店「ザ・レコード・デック(The Record Deck)」にもやはり場所貸ししていて、LP版レコードのコーナーもあります。

 「小さい店だし、パーソナルな店にするために、セレクトはあえて偏らせている」と語るオーナーのエレナーさん。店長のジョー・ヘイゲート(Jo Heygate)さんらスタッフとともに、それぞれの興味や知識を生かして選書を行っています。エレナーさんの好みは、小説ならノーベル賞作家のドリス・レッシング、ジーン・リース(Jean Rhys、1890年イギリス領ドミニカ生まれの作家)らの古典的作品、今の小説ならイタリア人作家エレナ・フェランテをはじめとした翻訳作品、ノンフィクションなら都市論の本。エレナーさんは、新しい本だけではなく、60年代の小説などバックリストと呼ばれる以前出た本も、「4:1くらいの割合で」読んでいるそう。これは自分の好みに沿う形で、店の在庫を常に新鮮なものにするための努力でもあります。

 

本の点数は絞り、適度に表紙を見せて並べられた棚。

 

 一方でジョーさんは小説ならクリス・クラウス(Chris Kraus)やオリヴィア・ラング(Olivia Laing)といった現代の英米人作家、ノンフィクションなら民俗音楽やサイクリングが好き。店員のオリー(Ollie)さんは、マギー・ネルソン(Maggie Nelson)ら現代作家の小説、それにイギリスに移住したドイツ人作家W・G・ゼーバルトの散文作品、それにダークなSFが好き。このようにそれぞれ違った趣味が、コアでありながら偏りすぎないセレクトに反映されていきます。

 また、店内には「今月のクラプトンのトップテン」と題して、店が勧める10冊を順位付きで掲示する黒板があり、店を訪れる人たちが良く参考にしているそうです。これは店長のジョーさんが担当していて、英米人の現代作家の文芸性の高い小説に加えて、フェミニズムや新しい資本主義に関するノンフィクションの本も上位に食い込んでいます。

 

オーナーと店長の勧める本を集めた棚。それぞれの読書歴と趣味が反映されていて、固定客の支持を集めています。

 

 

 エレナーさんはオーナー店長として店を全面的に運営していましたが、2016年、店長の座を退き、2014年から店員を務めていたジョーさんを店長に昇進させました。エレナーさんによると、ジョーさんが就任してからの2年間で、店は大幅に売り上げを伸ばし、それを評価しての人事でした。ジョーさんは以前からハックニー在住で、かつて、この店のお得意さんでした。ページズ・オブ・ハックニーを皮切りに、近年この地区にはさまざまな書店がオープンしていますが、ここが一番のお気に入りだったそうです。出版社勤務を経て書店員になったジョーさんについて、エレナーさんは、「彼女の業界での経験とセンスが選書に生かされるようになった」と評価しています。「フレンドリーで、知識が豊富。生まれながらのブックセラー」と称賛。「それに、アンダーグラウンドな才能にいち早く気づく嗅覚がすばらしい」とのこと。

 エレナーさんは今も店のレジに立ち、仕入れなどの作業を行いますが、イベントの計画や、店外での出張販売に力を入れるようになりました。さらに、地域の学校のためのワークショップや読み聞かせ活動をはじめとするコミュニティーへの貢献にももっと積極的に取り組みたいと考えています。

 

店の奥の隅っこには、子ども向けの隠れ家風座り読みコーナー。

 

 

 エレナーさんとジョーさんが共有するモットーは、信頼できるセレクトの本を「手で売る(ハンド・セル)」ことにより、店に集まるお客さんたちが本とパーソナルな出会いを果たせるようにすること。そして、著者を招いてのブックイベントのほか、コンサート、写真やアートの展覧会などの多彩なイベントを多数催し、地域の人たちが集まる場所としての店づくりをさらに推し進めていくことです。

 中でもエレナーさんにとって特に思い入れがあるのが、毎月メンバーが同じ本を読んで、店に集まり感想を語り合うブック・グループです。これは開店当初から休みなく続けてきた店の伝統で、かつては女性の参加者が多かったものの、男性の割合が増えたとか。幅広い年齢層の男女が、少ない時で4、5人、多い時で12人ほど集まります。将来的にはメンバーが書いたものを批評しあうライティング・グループも開始したいと考えているそうです。「こういう活動への参加を通して、もっとたくさんの人に、人生をよりポジティブなものにしてほしい」とエレナーさんは静かに語ります。

 

大人向けにも座ってゆっくり本が読めるコーナーが。プレゼントする本に添えたいグリーティングカードは、地元アーティストによる作品をそろえています。

 

 

 著者を招いてのブックイベントは店内の地下にあるイベントスペース(40席)で、もしくは近くにある歴史建築サットン・ハウスのホール(120席)を借りて、行われます。作家のトークに続いて質疑応答が行われ、参加者からも活発に質問や感想、意見が出るそう。たまに会場から挙手がない時も、エレナーさんやジョーさんが質問をすると、それが呼び水となって対話が生まれます。「イベントは、直接的にはたいした収入源ではないけれど、店の活気を高めることにつながるし、本が生きた存在として感じられるようになる」とエレナーさん。一カ月あたり10件ほどのイベントを開催しています。2016年ブッカー賞を受賞したアメリカ人作家のポール・ビーティーも、2日間だけのロンドン滞在中、この店主催のトークに出演しました。

 

店が主催するイベントのお知らせが、近所の音楽教室のちらしと一緒に張られていました。

 

 そして、目利きの店長のジョーさんが早くから注目していたのが、若手イギリス人作家マックス・ポーター(Max Porter)。ドーント・ブックスのホランド・パーク支店での書店員でしたが、出版社に転職、編集者の仕事を続けながら、昨年処女作『Grief Is a Thing with Feathers(悲しみは羽の生えたもの)』を発表。父と息子、そしてふたりのもとを訪れるカラスが登場し、最愛の妻・母を失った悲しみが散文詩のような個性的な文体で語られる小説で、若手作家を対象としたディラン・トマス賞(Dylan Thomas Prize)を受賞しました。今では引っ張りだこの人気作家ですが、「出版社がページズ・オブ・ハックニーの影響力を評価してくれているおかげで、イベントに呼ぶことができた」とエレナーさん。

 

近日行われるイベントの関連図書を集めた棚。

 

 最近ではこのほか、作家・脚本家デボラ・レヴィ(Deborah Levy)が、2016年ブッカー賞にノミネートされた最新作「ホット・ミルク(Hot Milk)」について、対談形式でのトークを行いました。4ポンドで売り出された入場券は、店内の掲示とウェブサイトでしか宣伝していないのに、数週間前の販売直後から売り切れになる盛況ぶりでした(実は、デボラ・レヴィは筆者が20年前にロンドンで留学生だった頃に受けたクリエイティブライティングの授業の先生だったので、イベントにぜひ行きたかったのですが、気が付いたころには時すでに遅しでした)。

 

 書店が次々と閉店していく中でオープンし、来年10周年を迎える店の成功について、エレナーさんは「意外な場所に思われたけれど実はロケーションが良くて、本屋が潜在的に求められていた場所だったことに加え、ポリシーを曲げずにうちらしい店づくりを貫いてきたからこそ店をやってこれた」と振り返ります。さらに欠かせなかったのが、経営面での工夫です。開店当初から、ロンドンの中心に近いという地の利を生かし、ロンドン市内のさまざまなイベントに「40冊ほどの本、机を1つ、書店員を1人送り込んで、本を売る」という出張書店の活動も活発に行ってきました。名門の社会科学系大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)や、出版社ペンギン主催のイベントなどで、公式ブックセラーとしてイベントのテーマに関連した本を売ります。店の収入のほぼ半分は、こうした出張書店での売り上げに基づくものだそうです。「今ではイベント・ブックセラーとして認識されているので、さまざまなところから声をかけてもらいます」

 

思わせぶりに、本の題名を隠すように留められた手書きメモ。本をめくってみたい気にさせられます。

 

 さらに、「本の価値は尊重するべきだという理由から、本の値引き販売に私は反対」とエレナーさんは語り、そうした価値観を共有できる人が増えていると感じています。アマゾンや電子書籍の人気が一段落して、「本を売る人と買う人が個人的に出会い、本の価値を尊重して売り買いすること」を大切にする人が増えてきたと分析しています。さらに、「本屋に行くことをひとつの体験としてとらえ、店内で過ごす時間をかけがえのない癒しのひと時と感じる。デジタル時代だからこそ、スマホやタブレットのスクリーンを逃れて、書店員と話したり、イベントで作家に話を聞いたり、あるいは紙の本のページに没頭する時間を大切にしたい。そんな人が増えていることが、最近のイギリスでの本屋人気の背景にあると思います」と語ってくれました。実際、店には、「ひとりでふらりとやってきて、フィリップKディックのSFについて一方的に話し続ける孤独な男性」など、「話し相手を求めているんだな」と思わせるお客さんが珍しくないそうです。一方、電子書籍の普及率が上昇から停滞に転じたことについては、エレナーさんは冷静に見守る姿勢です。「目新しさが薄れてきて、紙の本の良さを見直す人が増えているかもしれません。でも、再び上昇に転じることもあるかもしれないし、長期的には電子書籍も紙の本も共存していくと思います。重要なのは、本を読み続けることですから」

 

地下のイベントコーナー。だれかの家のリビングのような雰囲気で、会話も弾みます。

 

 

 店内は子どもの本のコーナーも充実していて、店の奥には子どもが座って本を読める隠れ家風の特等席もあります。子どもの本は良く売れるそうで、需要に応えるためであり、さらにエレナーさんには「子どもに読書に親しんでもらいたい」という強い信念があるそう。定期的に地域の学校に出張して、読み聞かせや本をテーマとしたワークショップの活動をボランティアで行っています。 

 エレナーさんは3年前に離婚してシングルマザーになり、今ではハックニー地区の北東にあるウォルサムストウ地区に6歳の娘さんと暮らしています。つい先ごろ、娘さんを元夫に預けて1週間、自分だけで過ごしたホリデーでは、やはりひとりで読書三昧をして「最高の気分だった」とか。娘さんには幼いころから読み聞かせをしていたのですが、小さい時はあまり興味を持ってもらえず、4歳の時に「突然ひらめいたかのように」本好きになったそうです。「どうやら、カラフルな絵本よりも、少し込み入った物語の方が性に合っていたみたい」とのこと。そんな経験もあり、本屋さんとしても、「子どもたちに、とにかく本を読むのは楽しいことだと思ってもらえるように心がけている」そうです。

 

地下に置かれているのは古書とビンテージのレコード。店の雰囲気づくりにも役立っています。

 

 

店先のベンチに置かれた木箱は、古書のセール本コーナー。古き良き本屋さんの趣を醸し出しています。

 

 エレナーさんは仕事にも育児にも忙しく、夜に家に持ち帰って仕事をこなすことも少なくありません。ジョーさんやオリーさんと手分けをしてできる限り本を読むようにしていますが、読書は夜か休みの日に持ち越さるとか。「かつては本屋さんといえば、一日中店で本を読んでいられる夢みたいな仕事というロマンチックなイメージを持っていましたが、そんな日はこれまで一日たりともありませんでした」と言いつつ、エレナーさんは幸せそうに微笑みます。「今暮らしているウォルサムストウでも、ページズ・オブ・ハックニーみたいな本屋を開いてほしい、といろんな人に言われるんです」と話してくれました。ロンドンに新しい本屋さん「ページズ・オブ・ウォルサムストウ」が生まれる日も、そう遠くないかもしれません。

 

 

[英国書店探訪 第8回 Pages of Hackney 了]

 

Pages of Hackney
70 Lower Clapton Road, London E5 0RN
Tel 020 8525 1452
http://pagesofhackney.co.uk/
月~金11:00~19:00
土: 10:00~18:00
日:12:00~18:00
開店:2008年9月
店舗面積:約70㎡(地下1階、地上1階各約35㎡)
本の点数:新刊3,000点、古書3,000点


PROFILEプロフィール (50音順)

清水玲奈(しみず・れいな)

東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。1996年渡英。通算10数年のパリ暮らしを経て、現在はロンドンを拠点に取材執筆・翻訳・映像制作を行う。著書に『世界の夢の本屋さん2・3』『世界で最も美しい書店』『世界の美しい本屋さん』など。作家 辻仁成主宰のウェブ媒体 「Design Stories」でエッセイ連載中。