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星野智幸×赤瀬智彦 『星野智幸コレクション』(Ⅰ~Ⅳ)刊行記念 作家×編集者対談 後編

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1922年(大正11年)に創業した京都の老舗出版社、人文書院から読売文学賞作家の星野智幸さんの作品集『星野智幸コレクション』(Ⅰ~Ⅳ)が刊行されました。人文書院といえばその名の通り硬派な人文書版元というイメージが強く、日本人作家の文芸作品を出版したことに驚いた方も多いのではないでしょうか。人文書院はなぜ星野智幸さんの作品を出版しようと思ったのでしょうか。そして星野さんはなぜ地方の小さな人文書版元から自身の作品集を出版することにしたのでしょうか。星野智幸さんと、人文書院の担当編集者の赤瀬智彦さんにお聞きしました。

 

[後編開始]

前編はこちら

「小説には生命力があります。過去の作品にももっと光が当たってもいいと思っているんです。そうすることで、この現在を生きなければいけない人の意識が変わるということだってあるんじゃないでしょうか。」

 

――『星野智幸コレクション』に収録されている「在日ヲロシヤ人の悲劇」は、単行本が品切れという状態で、文庫化はされていない作品です。そもそも作品が「文庫になる/ならない」というのはどういう基準で選ばれていくのでしょうか。

 

星野智幸(以下、星野):基本的には単行本としてある一定の部数が売れたという実績が必要だと思います。目安となる部数は出版社によって異なりますが。あるいは、なんらかの文学賞を獲った作品ですね。よほど売れっ子作家だったら著者から「文庫にして」ということもあるのかもしれませんが、一般には作家サイドで決められることではありません。

 

赤瀬智彦(以下、赤瀬):『星野智幸コレクション』に関しては、単行本の部数も参考にはさせて頂きましたが、当時と今とでは受け止められ方が違うと思いますので、それを基準に据えることはしませんでした。お話ししましたように、星野さんの作品の内容に衝撃を受けたのが企画のきっかけではあったのですが、一方で出版業界の末端にいる人間としても、現在起きている、あるいは将来起きうることをこれほどのリアリティをもって描いた作品群がすでに流通していないという状況は、すごく残念なことに思えたんです。

 大手であれば大人数の社員を抱えている以上、資本の論理を優先せざるを得ないというところがあるかもしれない。でも少人数でやっている人文書院のような版元こそ、「読まれるべきものは書店に残していくべきだ」というメッセージを強く打ち出せるし、そうすべきだと思ったんです。

 近年は多くの版元で、刊行点数が大幅に増えていますよね。全体の需要が落ちてきた分、新刊点数を増やさないと企業として回らなくなってきて、点数主義があちこちで加速してきているように感じています。書棚に入る数は限られていますので、作品の良し悪しにかかわらずどんどん消えてしまう。そのサイクルが、日に日に早まってきているのではないでしょうか。

 そうした状況に異議を申し立てたいという気持ちが、なかったわけではありません。東京オリンピックが終わり景気の冷え込みが予想される2020年以降、出版の世界はどうなっていくのか。長いスパンで見ても、労働人口も読者人口も減る一方、楽観的になるのは難しい状況です。冒険的なことをやるなら今のうちだなと思ったんです。

 それに人文書院では今のところ、編集者の自主性を最大限尊重してもらえているように思います。それもこのコレクションが出せた理由かもしれません。「これは残すべきものですよ」という私の主張を会社が受け入れ、バックアップしてくれたことには感謝しています。

 

――企画会議でこの星野さんの企画を提案したときの、社内の反応はどうでしたか?

 

赤瀬:「星野さんの本を出せるなんてすごい!」という反応と…

 

星野:僕に気兼ねなく率直にしゃべってくださいね(笑)。

 

赤瀬:「復刊にどれくらい需要があるんだろう?」という反応の両方でした(笑)。

 ただ私は、これはいわゆる焼き直しなどでは決してないと思っているんです。星野さんに大量の赤字入れでブラッシュアップして頂いたということもありますし、原書とは違う作品の組み合わせ方をすることで、以前とは違う読み方ができるようになりました。『スクエア』はそれ自体で完結しているのであって、一作品も抜くわけにはいかないし、加えるわけにもいかない。そう思ってつくっています。もちろんその成否を判断するのは読者ですけれども。

 販売に関して言えば、これは星野さんの作品に限らず人文書院で出す多くの本に当てはまることですが、大手のようにつり革広告を出したり巨大な新聞広告を出したりといった形でスタートダッシュをかけることはとてもできませんから、書評頼みにはどうしてもなってしまいます。ただ、人文書院の本は書評掲載率がかなり高いように感じています。今回も、そこに賭けているのは事実です。…などと言ったら、営業部に怒られるかもしれませんけれど(笑)。

 

――コレクションを4巻で刊行するというのは、当初から決まっていたことなのでしょうか。

 

赤瀬:いえ、当初は政治のことで頭がいっぱいだったので、「政治小説集」のようなものをつくることを考えていました。念頭にあったのは、「在日ヲロシヤ人の悲劇」「ファンタジスタ」「ロンリー・ハーツ・キラー」ですね。これはひとくくりにできると思っていました。まずこの3作品を束ねたいという思いがあったんです。

 

星野:そうですね。その3作品を1冊にして出版するというのが最初のオファーでしたね。「星野智幸の政治小説集」という企画でした。

 

赤瀬:はい。でも、他の作品を何度も読み直していた時に、例えば「無間道」にしても、「目覚めよと人魚は歌う」にしても、それぞれが巨大なテーマを持つ作品ですので、これらを扱わないのは間違ってるなと思い直しましたし、どの長編も中編や短編とつなげることで、新しい読み方を提示することができると思いました。それで枠組みを広げ、4巻本として刊行したいと改めてご提案したんです。

 

星野:「どうせならドーンと大きな企画にしよう」と社内の人間にけしかけられたと以前おっしゃっていませんでしたっけ?

 

赤瀬:そうでしたね(笑)。4巻計画が大まかに頭に浮かんではいたのですが、冒険の度合いが高まりますから正直、決心がつきかねていたんです。でも社内でそうした後押しが得られたのは幸運でした。

 

――自分の作品が品切れ状態にあるなど読まれない状況にあるということは、作家にとってはどういうものなのでしょうか。

 

星野:自分の作品が過去のものとされたような寂しさはありますね。本人はそう思っていないのに。

 いまは読者は作家の名前ではあまり動かないと聞きます。一つの作品が、賞を取るなりして話題になっても、次の作品をまた手にとってくれる保証はない。同様に、いくら話題になっても、過去の作品に遡って読んでもらえることも少ない。

 だから、新たな作品として、このような形で再び本になるのは、ありがたいです。手にとってもらえる可能性は増えますから。もっと手に届いていいはずなのに届いていない読者はたくさんいると思っていますし。

 僕自身が読者として親しんできた小説は、それほど売れる本ではないことが多かったんですね。そういうのが好きな人間が書く小説がバカ売れするとは思えないですよね。デビューした頃から、自分の作品は大衆的な人気を博すようなものではないという自覚はありましたし、だからこそ存在させる必要があるというふうに一方では思っていました。

 実際、すごく売れるわけではないけど、全然どうにもならないというわけでもない、という状態でスタートしました。当時は翻訳とか字幕の仕事をしていましたので、生計はそちらで立てていました。僕の周りには作家崩れみたいな人が何名かいたので、小説では食べていけないということは前々から分かっていました。

 なので「小説で食べるためにどうするか」という問題は括弧でくくって、生計は別の仕事で立てて、作品を書いていました。売れるものを書かねばならないなどと縛られ始めると自滅することは分かっていたので。

 とはいえ、初期の頃の作品は「読みにくい」とさんざん言われたので、内心では反発しながらも、現実としてはなんとか対応しないといけないと思って自分なりに間口を広げる努力はしてきました。そういうことが功を奏して徐々に読者が広がってきたという感じです。

 

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――人文書院さんから書籍の企画がきたときはどのように思いましたか。

 

星野:当然人文書院という出版社の存在は知っていましたし、世間一般と同様サルトルの『嘔吐』の出版社のイメージでした。これまでの人文書院の本は、現実というものにアクチュアルにかかわるというよりは、そこに何クッションか挟んだような立ち位置の本が多いな、という印象でしたが、対談で関わらせていただいた『アンチヘイト・ダイアローグ』のような、いままさに現実に起こっていることに対して直にコミットしていこうという本を出したことに驚いていました。

 こういうことをやっている出版社が、その文脈の中で僕のことをとらえてくれているということが分かりとてもありがたく思いましたし、とても理解をされた上でのオファーだということを、赤瀬さんとお話をするたびにひしひしと感じました。

 一方で、初期から中期の作品は単行本として出たときも必ずしもたくさん売れているわけではないですし、読みやすいとも言われなかったので、人文書院をつまずかせるきっかけにならないだろうかという不安も若干ありましたね(笑)。

 

赤瀬:そうでしたか(笑)。

 

――小説家の方にとってコレクションが出るというのは嬉しいことですか。

 

星野:もちろんです。僕の場合は、「現実が最悪のコースを取らないよう、最悪のコースをとった場合を描いてみました」というつもりで小説を書いていた部分があります。ところが、いま現在、結局最悪のコースが実現化してしまっているわけです。

 なので書いた当時とは読者の受け止め方が違ってくるだろうし、社会的な文脈でどういう意味をもつかというのもまた変わってくるはずです。そういう意味で、いま読んでもらうことの意味はとても大きいと思っています。当時の作品を読み直すということ以上に、現在の新しい作品とほぼ同等の意味をもって受け止められてもいいのではないかという想いはあります。

 僕の作品だけではなく、小説にはそういう生命力があるので、過去の作品にももっと光が当たってもいいと思っているんです。そうすることで、この現在を生きなければいけない人の意識が変わるということだってあるんじゃないでしょうか。

 

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――デビューされてからまもなく20周年になりますが、デビュー当時といまでは出版を取り巻く状況は変わっていますか。

 

星野:1997年にデビューしたとき、キャリアのある作家の方に「きみは大変な時代にデビューしたね。僕のときはデビュー作で3万部刷ってもらえて、食っていけたもんだけど、いまは厳しいでしょう」と言われました。

 でもいまデビューする人を見てみると、僕の時よりもさらに厳しくなっていますよね。デビュー作はもちろん、その後も作品を書いても本にしてもらえないことが普通になりつつある。賞を取るなり話題になるなりしないと、本にならない。文芸誌に掲載されるだけマシみたいな状態になっているから、小説がどうしても消費財化していく割合が増えていますよね。そういう意味で、消費の側面じゃない文学の役割や意味がどんどん狭められていて、その中で文学を信じながら書くというのはすごく苦しい状況にあるなと感じます。

 僕はいくつかの新人賞の選考委員をここ10年ほど務めましたが、受賞後もコンスタントに小説が発表できている書き手は数えるほどです。書き続けるのが大変なのは、即戦力としての結果を求められる部分が大きく、失敗を恐れずに書くのが難しいという環境要因が大きいです。

 職業としての小説家ということでいえば、僕がデビューした頃から難しかったと思います。デビュー時の担当編集者に、「新人賞とった作家には、定職を探して、って言ってるんだよね。星野君は翻訳があるから大丈夫だね」と念押しされたぐらいです。90年代には、大学の創作コースが次々と新設されたこともあって、大学教員になる作家がとても増えました。それでなんとか食っていけた作家も多いでしょう。いまはそのポジションすら埋まっているわけですから、他の手段で生計を立てるしかないけれど、厳しいのが実情です。

 

――そういう中で作家はただ作品を書くだけではなく、時には読者の前に出ていくようなことが求められているようにも思います。

 

星野:そうですね。海外では作家が書店さんで朗読会やサイン会などをすることが当たり前ですし、そのようなプロモーション、営業活動のようなことをしなければ本が売れないという状態になってきていると思います。

 僕は人前でしゃべるのがあまり得意ではないのですが、新刊が発売される時には、書店でのトークイベントなどはできる限りやるようにしています。先日、青山ブックセンターで開催したコレクションの刊行記念イベントは、ありがたいことに満員御礼で、急きょ会場を大きめのところに変更するくらい反響がありました。

 作家にとっても読者の方と直接接点を持つのは、いわば読書の現場の一端に触れる、重要な機会だと思いますし、読者の方もそういうイベントに参加することで作家により親近感を覚えたりするかもしれません。作家が読み手の前に出ていくことは、今後もっと活発になっていくでしょうね。

 

――『星野智幸コレクション』の読みどころを教えてください。

 

赤瀬:私からはⅠ巻『スクエア』とⅡ巻『サークル』についてお話ししておきたいと思いますが、いずれも星野さんが仰ったような現在性を持つと同時に、近未来に関する「予言的な作品」でもあり続けていると個人的には思っています。

 「在日ヲロシヤ人の悲劇」は「アナメリカ」と「ヲロシヤ」が手を結び、「日本軍」に中央アジアへの派兵を要請する設定の話です。ナとヲは省いて受け取ってください。これに対して主人公・市原憲三の娘、好美は、凄まじい誹謗中傷の嵐に耐えながら、雑誌に論文を掲載したりハンガー・ストライキに打って出たりして、果敢に抗議を続けます。

 現実社会でも、今後トランプとプーチンが関係を深めるのではないかと予想されたりしていますが、中央アジアだけでなく中東やアフリカ、そして東アジアで何がどうなっていくのか。そのとき日本が何を要請され、どのように振る舞っていくのか。もしかすると近い形で現実化していくかもしれないということを思っています。

 また「ファンタジスタ」は小池都知事のもとで開催される2020年の東京オリンピックを念頭に、「ロンリー・ハーツ・キラー」に関しては平成という時代が終わりを迎えるときを想像しながら読んでいただいても面白いかもしれません。それぞれの想像の仕方で楽しんでいただいて、今の社会やこれからのことについて、思いを巡らせていただきたいと思っています。

 

星野:Ⅲ巻『リンク』の「無間道」という作品は自殺がテーマの作品です。自殺を通してみると社会の様々な困難やマイナス面が全部見えてくるという意味で、自殺対策は社会全般の問題を扱うことになるということなのですが、「無間道」も自殺を通して、この社会のひずみ全体を見るという作品になっています。

 今回、コレクションをつくるにあたって過去の作品をいろいろと読み直したのですが、何度読んでも面白いと自画自賛したくなったのが、「無間道」なんですよね(笑)。是非読んでください。

 コレクションのⅣ巻目『フロウ』は、僕の強い思い入れによって「移民」をテーマにした作品を集めています。あえてそれをテーマにしたのは、ヘイトスピーチに見られるように、いまは日本以外のさまざまなルーツの人を排斥攻撃することで社会を維持しようという風潮が強まっているからです。そしてその一方で少子高齢化による労働力の不足を補うために外国人を積極的に受け入れようという動きもあるわけです。

 外国人を排斥しながら労働力としては受け入れるということは、奴隷として受け入れるということと同じなのであって、そういう発想をすること自体がいかに自分たちの社会を破壊することになるのかを考えてほしいと思います。

 90年代の終わりから2000年代初頭にかけて僕は移民の問題をテーマにした作品を書いてきたのですが、その頃から移民の問題自体はあったのに、可視化もされず、いざ移民問題が出てきたらただバッシングの対象になっている。そうではなくて、同じ社会に生きている隣人たちのことをもっとよく知ってほしいと思っています。移民問題はこれからの社会を考える上で避けて通れないテーマだと思いますので、是非読んでいただきたいなと思います。

 

赤瀬:2016年2月、作家の津島佑子さんが亡くなられました。津島さんの作品を読んでいるといつも、マジョリティに対して自分の声を届けるためではなく、マイノリティの声を聴き取るためにこそ彼女は小説を書き続けていたように感じます。同じ姿勢は星野さんの作品にも貫かれていて、コレクションでは特にⅣ巻『フロウ』で強調して描かれていることを付け加えさせて頂きたいと思います。

 さきほど星野さんが文学の消費財化の話をされていましたが、文学は本来、さまざまな社会状況に置かれている人たちの声を聴き取るための手段でもあるのではないでしょうか。『星野智幸コレクション』に潜んでいる多様な声に、ぜひ耳を澄ましていただけたらと思います。

 

――本日はお忙しいところありがとうございました。

 

[星野智幸×赤瀬智彦 『星野智幸コレクション』(Ⅰ~Ⅳ)刊行記念 作家×編集者対談 後編 了]

 

取材・文:宮迫憲彦 (都内喫茶店にて)


PROFILEプロフィール (50音順)

星野智幸(ほしの・ともゆき)

1965年、 アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。88年、 早稲田大学卒業。2年半の新聞社勤務後、 メキシコに留学。97年 「最後の吐息」 で文藝賞を受賞しデビュー。2000年 「目覚めよと人魚は歌う」 で三島由紀夫賞、 03年 『ファンタジスタ』 で野間文芸新人賞、11年 『俺俺』 で大江健三郎賞、15年 『夜は終わらない』 で読売文学賞を受賞。『呪文』 『未来の記憶は蘭のなかで作られる』 など著書多数。

赤瀬智彦(あかせ・ともひこ)

1977年生まれ。神奈川県出身。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程中退。人文書院編集部勤務。共著に『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』(現代企画室、2007年)など。


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星野智幸コレクションⅢ リンク

出版社:人文書院
発売日:2016/12/26