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星野智幸×赤瀬智彦 『星野智幸コレクション』(Ⅰ~Ⅳ)刊行記念 作家×編集者対談 前編

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1922年(大正11年)に創業した京都の老舗出版社、人文書院から読売文学賞作家の星野智幸さんの作品集『星野智幸コレクション』(Ⅰ~Ⅳ)が刊行されました。人文書院といえばその名の通り硬派な人文書版元というイメージが強く、日本人作家の文芸作品を出版したことに驚いた方も多いのではないでしょうか。人文書院はなぜ星野智幸さんの作品を出版しようと思ったのでしょうか。そして星野さんはなぜ地方の小さな人文書版元から自身の作品集を出版することにしたのでしょうか。星野智幸さんと、人文書院の担当編集者の赤瀬智彦さんにお聞きしました。

 

[前編開始]

後編はこちら

「今の政治社会に切り込もうとしたら、星野さんが取り組んでこられたような文学の手法こそが有効なんじゃないか。」

――人文書のイメージが強い人文書院でなぜ星野智幸コレクションをつくることになったのか、きっかけを教えてください。

 

赤瀬智彦(以下、赤瀬):これまで私はもっぱら社会的・政治的な問題について、多くの人に気づいてほしい、考えてほしいと思ったことをテーマに本づくりをしてきました。ただ、人文書だけでは表現できないことがあるなと思ったのが、2015年9月の、安保法案の強行採決の時だったんです。

 その後は防衛費アップや年金カットであれ、TPPやカジノであれ、誰も何も止められないという状況が広がっていくわけですが、多くの人の間で政治への熱が冷め、あきらめムードが広がりはじめていた中で、自分が今後、書籍づくりを通してどんな言葉を発信していくべきなのか、迷っていたんです。

 そして個々の課題を追いかけ続けることと同時に、今の状況をもたらしている根本に何があるのかを探っていく必要があるとも思い始めていました。そうした中でたまたま読み返したのが、以前から好きだった「在日ヲロシヤ人の悲劇」という星野さんの作品だったんです。

 この作品では主人公が、その場その場の空気に同調して押し流されていく「軽さ」と、それでも自分の「強さ」に固執する側面とをあわせ持っています。ブレまくりの価値観を家族に突かれたり、ささいなことで他人への評価を反転させて自分を守ったりと何ともイタイ人なんですが、そうした軽さと強がりとが、政治への態度にも連動する形で描かれている。そこにリアリティを感じました。

 逆に、これも作品内に書かれていることですが、こうした軽さに反発して強力なイデオロギーや権威にすがり、自分に「重石」を加えようとする人もいますよね。あるいは自分が権威のつもりになって他人をけなし、強さを誇ろうとする人もいる。もちろん私にだって、きっとさまざまな側面があるだろうと思います。

 自分の価値がほどほどに信じられ、強さも誇示せずにいるというのは、実際なかなか難しいことだろうと思います。今の社会では、自分の弱さや不完全さがバレるのを極度に恐れているように見える場面がよくあります。強がりを共有する人同士の集団化と、怖がりがもたらす他者への攻撃性が、世の中の進路を大事なところで決めているのではという気がします。

 この「在日ヲロシヤ人の悲劇」をきっかけに星野さんの小説を立て続けに読み返して、これまで自分は人文書と文芸書を切り分けて考えてきたけれども、そんな区別は無意味じゃないかと思い直すようになったんです。

 今の政治社会に切り込もうとしたら、権力やそれに追従する人々がもたらしているものを追及するだけではなくて、自分たちのなだらかな日常の奥に潜む「力関係」をできる限りきめ細かく目に見えるものにしていく作業も重要で、それには星野さんが取り組んでこられたような文学という手法こそが、人文学と同様あるいはそれ以上に有効なんじゃないかと。

 どちらが大事という話ではなくて、両面が問われる時代なんだろうなという気がします。星野さんも例えばヘイトスピーチについては、断固として許容しないという明確な政治的姿勢を示されていますが、一方で文学においては、時に自己自身にもはね返ってくるような繊細さで、人間の悪の可能性を見つめていらっしゃいますよね。
 不正義に対する判断を決して揺るがせない一方で、その際に自らが独善化する危険についても常に自覚的でいらっしゃるということかと思います。文学の存在意義が、プロパガンダとは別のところにあるとするならば、そのひとつは個人が単独で思考し続けるための言葉を提示することだと思います。この意味で星野さんの試みは、まさしく文学的なのだと思っています。

 

――赤瀬さんは、これまでどのような本をつくってきたのでしょうか。

 

赤瀬:私は東京の明石書店にいた期間が長かったんです。多くの先輩方に、育てていただきました。人文書院は3年目です。出版社はいくつか変わっていますが、つくってきた本の傾向はそれほど変わらないと思います。

 少しさかのぼりますと、もう10年以上前に大学院生だった頃に、日本に逃げてきた難民たちを支援するお手伝いを少ししていたんです。当時は、難民認定を受けられず入管に収容された人たちに対する暴行事件が相次いでいたので、茨城県の牛久にある難民の収容施設に出かけたりクルド人の家庭にお邪魔して聞き取りをしたりしていました。

 その後、調査をしたのに誰の目に触れないのもつまらないということで、医師や弁護士の方たちと一緒に、被収容者の声をまとめた『壁の涙』という資料集をつくったんです。その原稿を現代企画室に持っていった際に、編集長の太田昌国さんに、せっかくだからこれを編集の勉強をする機会にしてはと言われて、『編集必携』を買いに行きました。それがこの仕事にかかわり始めたきっかけです。

 その後就職して、イ・ヨンスク著『異邦の記憶』やE・ブライシュ著『ヘイトスピーチ』、中学・高校の先生たちにお書き頂いた『まんが クラスメイトは外国人』など、外国にルーツを持つ人たちとのかかわりをテーマにした本を多く手掛けてきました。また3・11以降は、赤坂憲雄・小熊英二編『「辺境」からはじまる』や山下祐介・市村高志・佐藤彰彦著『人間なき復興』など、震災復興の現実を問うた本を中心に企画してきました。

 人文書院に移ってからも、星野さんにお会いするきっかけにもなった中沢けいさんの対談集『アンチヘイト・ダイアローグ』、様々な支援団体にご協力頂いて制作した『原発避難白書』、2月に刊行される日野行介・尾松亮著『フクシマ6年後 消されゆく被害』など、以前同様のテーマの本をつくり続けていますし、内藤正典著『欧州・トルコ思索紀行』や堀田江理著『1941 決意なき開戦』など、今までとは少し違った切り口の本にも挑戦をしているところです。

 会社は京都にあるのですが、入社当時、会長には、「君は東京から来たからジャーナリスト的な感性を多少は持ってるんだろうが、京都に来たからには哲学的な考察もできるようにならなくてはならない」と言われました。昔、サルトルを日本に招いたり、ヘッセと交流をしていた人です。2015年の春に亡くなりましたが、今も新刊ができると時々その言葉を思い出して、いや、これだって哲学が少しは混ざっているんですよと、頭の中で言い返したりしているんです。

 

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――星野さんは政治を文学に持ち込むということ意識的にずっとなさってきたわけですが、政治的な関心はいつ頃に芽生えたのでしょうか。

 

星野智幸(以下、星野):はっきりとした記憶はないですが、子どもの頃から新聞を読むのは好きでした。高校生のときに中曽根政権が誕生し、その記事を読んであれこれ考えたのが、政治に関心を持った最初じゃないかと思います。それで大学生にもなればそういう話は普通にするのだろうと思っていたら、誰も関心を示さないんですね。80年代半ばの、誰もが楽しく生きられればいいじゃん、という時代でした。新聞を読むような奴はネクラで真面目というレッテルを貼られ、避けられるような風潮がありました。

 なので、大学に入ってすぐの頃に、政治運動をしているような人となら話が合うのだろうかと思って、セクトの人と話したことがあります。当然ものすごく教条的で、会話を交わしている気がせず、そちらにも失望しました。以降、友人たちとは普通に過ごしながらも、一人のときは新聞やニュースに触れ、社会的な問題に一人で憤ったりするという日々でした。20歳になって選挙権を手にしても、選挙に行くのは自分だけ。周りを見回しても誰も選挙に行っていないし、そんな話題も出ない。「えっ、選挙なんか行くの? マジメ~」という感じで。

 そういうことを繰り返すうちに、なんとなく自分はこの時代から浮いているなという感覚をもつようになりました。

 そんな頃に読み始めたのが、ラテンアメリカ文学や安部公房だったのですが、それらの小説の中では政治的なテーマや素材などがごく普通に書かれているわけです。政治的な問題というのはわれわれの普通の生活と密接に結びついているものですから、政治が小説の中で描かれるのは当然だという感覚をもっていました。その小説が自分の生き方に還元されるのは、僕にはとても自然なことでした。

 そういう意味で、文学と政治と生活というのは切り離せないひとつのものです。そして自分が浮いている状態を修正するのではなく、肯定しながら仕事をしていくということを考えたときに、ひとつの選択肢として新聞記者という職業に行きつきました。

 

――新聞記者時代はどのようなお仕事をなさっていましたか。

 

星野:記者は入社してすぐは地方での勤務になります。僕は埼玉県の浦和担当になりました。そこでは、警察や地方行政、そしてスポーツやいわゆる街ネタなどなんでも書くのが修行なのですが、僕はその中でも行政を担当することが多かったです。2年半で辞めたので、本社では働いていません。

 入社したのは産経新聞で、当時から保守的なカラーの強い新聞社でした。それでもいまよりはもっと中道だった気もしますが。僕自身は思想的に産経新聞に共感していたというわけではありません。新聞社は狭き門なので、当時の記者志望の学生は片っ端から新聞社を受けるわけです。そして、受かった社に入るというわけです。

 ですので、当時は政治的な信条とは無関係に、記者になりたくて入社した人が大半でした。保守的な政治思想を持っている若手記者はほとんどいなかったように記憶しています。そもそも社会の中に政治色が薄い時代ですから、政治的立場を意識している社員は少数でした。いまはだいぶ違うかもしれませんが。

 ただ、10年くらい働いている社員は、次第に産経新聞にアイデンティファイしていくように僕には感じられました。そうしないと、自分が一生勤めていくかもしれない会社にいることが辛くなりますから。そうすると、「朝日新聞と比べると、うちの新聞は比較的中立だよね」と言う人が増えてくる。産経新聞だけではなく、どの新聞社も同じだと思います。さらには、新聞社だけじゃなく、僕も含めて、どの業界でも同じでしょう。日本社会は、所属する企業や業界にアイデンティティを一体化させることでうまく回って来たんだな、と。非正規雇用が増えて、そのアイデンティティ形成の過程も崩れたんだと思います。

 世の中はこのように成り立っているということを、身をもって学びました。

 

――その新聞記者時代に見てしまった、あるいは知ってしまった「現実」というのはありますか。

 

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星野:なにしろ右寄り保守系の新聞でしたから、地域の議員に取材に行くと、最初は自民党には歓迎され、共産党・社会党に警戒されるんですよね。自衛隊を取材に行った時も、すごく歓迎されました。

 当時は社会党の土井たか子さんが委員長で、マドンナ旋風が吹き荒れていたんです。選挙取材をして、「ちまたの社会党支持の勢いがすごい」と支局の上司に伝えると、「そんなことあるわけないだろ。他社が煽ってるだけだ」とたしなめられました。社会党旋風が吹き荒れているという記事を書いても、修正されてトーンが弱められてしまう。結果的には社会党の圧勝だったわけですが、その速報を見ながら支局の上司たちは暗い顔をしているわけです。まあ、いま振り返ると、あのマドンナ旋風も、現在と変わらない、その場の熱狂だったわけですが。

 ただ、そういった政治的イデオロギーの関わる取材以外は、きわめて自由でした。記者の少ない産経新聞はむしろ、若手が自由に取材し、記事を書けたと思います。人数の多い社の新人記者は、もっとシステマティックに駆け出しの任務をさせられていましたから。

 同じころ、昭和天皇の崩御という大きな出来事もありました。街の声を拾うという雑感取材をしたのですが、街の様子がいわく言いがたい異様な雰囲気でした。発生してしまった「禁忌」に触れることをみんな恐れているような、しめやかでなければ許されないような、それに抵触することで自分がある種の「非国民」になってしまうことを警戒しているような。そこまで考えておとなしくなっていたわけでもないのでしょうが、消沈というより怯えや無気力を感じました。あの時と最も似ていたのが、東日本大震災後の東京の雰囲気ですね。

 短いながらも新聞記者時代にはいろいろな経験をさせてもらいました。中でも肌で実感できたのは、メディアというのも会社組織であるということ、そこで働いている人はサラリーマンだということです。

 

――その後、メキシコに行かれるわけですね。

 

星野:大学の頃から自分がなんとなく浮いている状況を感じていて、日本の常識や価値観だけで生きようと思ったら自分が苦しくなるだけだと思っていましたし、日本でしか生きられないのも嫌だし怖いと思っていました。日本の価値観が通用しない社会でも生きられるような準備をしておきたいと思っていたんです。

 僕の生まれはアメリカなので、最初はアメリカに行こうと思っていたのですが、大学でラテンアメリカ文学に触れていくうちに、日本と全く違う社会はアメリカよりもむしろラテンアメリカなんじゃないかと思うようになりました。

 ラテンアメリカでは異なるルーツのひとびとが共生共存しています。メキシコでは先住民系とスペイン系が多いです。ひとつの人種=○○人という考え方が成り立たない社会なんですよね。僕はそういう社会に未来があると感じていたので、それもメキシコを選んだ理由の一つです。メキシコでの経験は僕のその後の作家生活にとても大きな影響を及ぼしていると思っています。

 

[星野智幸×赤瀬智彦 『星野智幸コレクション』(Ⅰ~Ⅳ)刊行記念 作家×編集者対談 前編 了]

 

取材・文:宮迫憲彦 (都内喫茶店にて)


PROFILEプロフィール (50音順)

星野智幸(ほしの・ともゆき)

1965年、 アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。88年、 早稲田大学卒業。2年半の新聞社勤務後、 メキシコに留学。97年 「最後の吐息」 で文藝賞を受賞しデビュー。2000年 「目覚めよと人魚は歌う」 で三島由紀夫賞、 03年 『ファンタジスタ』 で野間文芸新人賞、11年 『俺俺』 で大江健三郎賞、15年 『夜は終わらない』 で読売文学賞を受賞。『呪文』 『未来の記憶は蘭のなかで作られる』 など著書多数。

赤瀬智彦(あかせ・ともひこ)

1977年生まれ。神奈川県出身。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程中退。人文書院編集部勤務。共著に『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』(現代企画室、2007年)など。


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出版社:人文書院
発売日:2016/9/30