INTERVIEW

本を読むときに系統樹で考えるための《可視化することばとビジュアル》

三中信宏×山本貴光:本を読むときに系統樹で考えるための《可視化することばとビジュアル》
後編「“本”とのつきあい方」

本を読むときに系統樹で考えるための《可視化することばとビジュアル》

2015年11月11日にパシフィコ横浜「第17回図書館総合展」B&Bブースで行なわれた、『THE BOOK OF TREES―系統樹大全:知の世界を可視化するインフォグラフィックス』(マニュエル・リマ、ビー・エヌ・エヌ新社、2015年)の翻訳者・三中信宏さんと、紀伊國屋書店主催の「紀伊國屋じんぶん大賞2016 読者と選ぶ人文書ベスト30」において7位を受賞した『本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間』(ピーター・メンデルサンド、フィルムアート社、2015年)日本語版解説・山本貴光さんによるトークイベントの模様を、前・中・後編にわたってお送りいたします。
科学とデザインとの関係性、本とグラフィックスのあり方など、これからのメディア、編集を考える上で示唆に富む話題が繰り広げられる本対談、お楽しみください。

【以下からの続きです】
前編:「ネットワークを読み解くリテラシーを、基本的に人間は持っていない」
中編:「デザイン的な視点からデータを考える」

諦めて、本のしもべになるしかない

山本:単純素朴な質問なんですけど、三中先生は本をどうやって探しておられますか。ブログやTwitterのご発言を拝見していると、非常に幅広い、多数の言語にわたる本を次々と読んでおられるでしょう。

三中:大抵は、本から本へというか、根本を辿っていけば本から本へいくこともありますが、意外に最近は、オンライン書店、オンライン古書店で、関係しそうなキーワードをランダムにサーチするんですよ。もちろんハズレも多いんですけど、たまに当たることがあって (笑)。特に最近のオンライン古書店は優れていて、ちょっと昔だったら手に入らないような、限定版もちゃんと売っているので。
 だから、半分は意図的に本から本へ元を辿っていくというものですけど、もう半分はインターネットの恩恵を受けまして、ランダムにサーチして出会うということが多いですね。

山本:「必要になったらここをサーチする」といったオンラインの図書館なり書籍データベースなど、愛用しているものはありますか。あるいは片っ端から調べるスタイルでしょうか。

三中:もちろん閲覧するだけであれば、大きい大学図書館のデジタルライブラリーにいけばたくさんありますから、その恩恵にも与っていますけれども、本は手元にないと不安な人なので、オンライン古書店、それこそ大手のABeBooksなどでガーッと調べて買いますね。
 これは言っていいのかわからないけれど、古書って公費購入が大変なんですね。だから基本的に私費で買っています。大学での本も、全て自分のものです。ちょっとね、幾らかかっているんですかという質問はしないでいただきたい (笑)。

山本:本読みにとってはもっとも恐ろしい質問ですね(笑)。自分でもできれば考えずに済ませたい。では、次々と届く本の山をどのように管理していますか。

三中:本の整理に関しては、全く名案がありません。これはかの超整理法の野口悠紀雄ですら、本だけは整理できないと書いていました(笑)。彼は書類なんかを封筒に入れて管理するんですが、本だけは駄目みたいですね。私も同じで、本だけは、ヤマカンというか、このあたりにこの本があるはずだという、それが一番いいです。
 私ぐらいになりますと、この棚の、2段目にあの本があるはずだというのが見えるんですよ。心眼のように (笑)。自分の棚に関しては、だいたいどこに何があるかは見えている。

山本:それはやはり、物理的な空間にものが配置されているからこそ可能な記憶術なのでしょうね。

三中:本の配置というのは、中世的な記憶術と同じく、「場所」に覚えさせるんですよ。ここにはこれがあると。逆にいうと、勝手に他の人が綺麗に並べかえてしまうと、わからなくなる。記憶術の基本は場所に覚えさせること、それが一番記憶の節約になりますので、自分の本は自分で整理して、この場所、と覚えておけば。

山本:その際、ゆるやかにでも分類はするのですか。

三中:一応、どういう系統の本かカテゴリー化しておきますが、そんなに厳密なものではありません。よく使う本は手前に出しておきます。

山本:カテゴリー同士の配置は何か関連づけて置いていますか。例えば、数理方面と物理方面を近くに置くとか、哲学と批評など人文系の本を近くに置くなど。

三中:配置はほとんどロジカルなものではないです。歴史が決めますね。一番最初にこの本を置いたから、それに関連するやつはこの棚といった調子で、ヒストリーに制約を受けています。

山本: 1冊目の本がいったんどこかに根を下ろすと、そこから幹が育ってしまうんですね(笑)。

三中:そこから根を生やしてしまいますから、動かしようがないというのはあります。

山本:そして大樹に育つほど、動かなくなる。

三中:全然動かないです。だから『アリストテレス全集』は全然動いてません (笑)。それから一番動かせないのは、『中世思想原典集成』全20巻。

山本:あれは私も動かないです(笑)。『アリストテレス全集』、『プラトン全集』、『中世思想原典集成』は完全に居座っています。

三中:あれは動かせないですね。根を生やしている。全然動かないですね。3段くらい。

山本:三中先生でもどうしようもないことがわかってちょっと安心しました (笑)。

三中:それこそ電子本だったら、ファイルなので好き放題整理できるだろうけど、物としての本は全然だめですよ (笑)。だから諦めて、本のしもべになるしかないと私は思っています。

山本:本のしもべ、いいですね(笑)。私の場合、本当は全部紙でもっていたかったのですが、場所の制約があるため、近頃思いきって1万冊ぐらい電子化しました。

三中:スナップスキャンで、ガーッと? 一万冊ってすごいですね。

山本:はい。自分で裁断してスキャンしています。物理的には空間ができてありがたいのですが、電子化した本は、どこに何があるのか分からないのが困ります。もちろん「そんなの検索すればいいじゃないか」という話なのですが、そもそも適切な検索語を思いつけるかどうかが問題になります(笑)。それに、電子化したファイルが1冊増えるたびに、当然のことながらファイルの並び順番も勝手に変わってゆきます。本の山のように、自分で積み上げていくのとは勝手が違うのですね。
 つまりデジタルデータの場合、そのままだと三中先生がおっしゃった空間的記憶術を駆使できないわけです。やるなら、そのためのプリケーションが必要です。コンピュータの中に自分で自由に配置できるような空間をつくって、記憶術に資する場所にしないと、覚えられないと思いました。

三中:検索するしかダメなんでしょ? 検索して、ヒットするのを待つ。

山本:そうです。検索語が良くないと、データはどこかにあるはずなのに辿りつけない(笑)。それこそボルヘスのバベルの図書館のようです。しかも1万冊の規模になると、ファイルの一覧を端から見て探そうといっても一苦労です。おまけに本の大きさやデザインも手がかりにできない。電子化によって住環境はちょっと良くなったけれど、読書環境としては必ずしも便利になっていないのでした。

図版(ヴィジュアル)の重要性

山本: 三中先生の本に読書案内がついているものがありまして、そのリストがとっても楽しいのですね。紹介の仕方も魅力的なので、その案内に沿って未読の本をどんどん注文するはめになります(笑)。
 英仏独語はもちろんのこと、イタリア語やオランダ語の本もでてくる。また、読みたかったら語学の壁なんかで躊躇している場合じゃないといった、励ましの言葉も書いてあり、まったくその通りだと思います。
 そこで、この機会に是非伺いたかったことがあります。語学についてです。三中先生は、今まで触れていなかった言語を新たに読もうという場合、どんな風にアプローチしておられますか。

三中:横の系統の違う、例えば印欧語族だったら、だいたい分かりますよ。そういうのだったら、何語で書かれていてもなんか分かりますよ。大丈夫ですよ。

山本:辞書さえあれば。

三中:ただ本を読むときにはそんなに辞書なんて見ませんから、知らないはずの言語であっても、文章をジッとこう、見ていることがありますよ。そういうときに役に立つのは、特に私は図やらグラフがたくさん載った本をたくさん読みますので、そうするとグラフ、あるいはヴィジュアルのほうから見てっていくのは重要ですね。
 テキストのほうはもちろんそれなりに文法的な知識も語学的な素養も必要なのかもしれませんが、パラテキストのヴィジュアルは、見ればわかる。そこから逆に本文に何が書いてあるのかを類推するのは重要だと思いますね。
 関連するんですけど、『系統樹曼荼羅―チェイン・ツリー・ネットワーク』(NTT出版)を書いたときの図版を描いてくれた杉山さんという方が、新書の図版はすごいヴィジュアル的にぞんざいな扱いをしているっていう話をしていまして、要するに、本当はもっと大きく見せないといけないのに、新書サイズに押しこめてしまって、全然その図版の価値がないじゃないですかということなんですね。私は全然考えてなかったんですけど、言われてみれば確かにと。
 日本の専門書は、図版に関しては非常に扱いが低いんです。小さく、しかも解像度の悪いものを平気で載せるんですよ。日本の専門書(一般書も同じかもしれませんが)はテキストが中心ですが、私が普段から書いてる内容だと、むしろグラフィックス、ヴィジュアルのほうがはるかに重要な位置を占めています。それを考えれば、テキストと、パラテキストである図版の力関係、位置関係というものも、改善する点がずいぶんあるかなという気はしているんですよね。

山本:私も図版の解像度については、がっかりすることが少なくありません。いろいろな事情はあろうかと思うのですが、テキストに対する校閲などに比べて、図版についてはチェックが甘いのかもしれないと思いたくなることもあります。
 それはともかく、限られた紙面にテキストと図版と余白などをどう配置するか、どういう比重で整えるかということは、それ自体が各要素の重要性の表現にもなりえるわけです。例えば、「このページではまずこの図を読者の目に入れたい。それからその下に配置したテキストを読むか、次の図を見て比較してほしい。そのためにこういうレイアウトが必要である」という具合に、タイポグラフィやデザインによって、読者の視線の動きや思考の流れをいざなうこともできるはずです(実はこれ、ゲームの制作者が最も注力していることの一つでもあります)。
 三中先生は、本に図版を入れる際、この図はページのこの位置に置いてほしい、といった指示をすることはありますか。

三中:もちろん本文中のこのあたりに図版を、ということはいいますけれども、後はそれこそ編集部におまかせになりますね。

山本:なるべく大きく、とか。

三中:新書のフォーマットなので、これに折り込み図版を入れるなんて無体なことはできませんね。唯一無理を言ってもらったのは、カバージャケットの裏側だけですね。昔の杉浦康平ならもっと大胆にやっていたと思いますけど(笑)、最近はカバージャケットの裏で遊ぶ著者はあまりいないみたいで。

山本:あれは楽しい試みでした。みなさん気づいていましたか?

三中:気づいてない人いるんですよ。

山本:今までご覧になった本の中で、学術書でも一般書でもかまわないのですが、図とテクストの使い方について、「これは本当に見事だ」とお感じになった本は、何か記憶にありますか。

三中:少なくとも私が知っているよな専門分野では、あんまりというか、ほとんどないですね。

山本:研究者たちがあまり図を重視していないからでしょうか。

三中:おそらくそうだと思います。例えばそういった図は、たいてい、ある分析をしてその結果を図にあらわすような、ほとんど定型的なグラフになりますし、あんまりそういう重視してないんじゃないかなーという気はしないでもないです。

山本:中世ヨーロッパの写本を見ると、段落最初の文字が飾り文字になっていたりしますね。色がつけてあって、花や植物の模様がついている。しかもそれがページごとに、文字ごとに変えてある。あるいは欄外にネズミやウサギが走っていたり、おじさんがいたりする。
 これは先ほどの記憶術の話にもつながりますが、こうしたページレイアウトの工夫は、読み手がその本を記憶するための手がかりとして行われていたのだといった研究もあります。
 ただ、本が大量複製されて手に入りやすくなるにつれて、次はいつ読めるか分からない本を記憶するといった必要もなくなっていきます。現在は本や情報が大量にあるので、かつてとは違う理由ですが、自分にとって重要なものを覚えておく手がかりが必要になっているようにも思います。書物をいっそうよく活用するためにも、図やグラフィック要素は本当に役に立ちます。

三中:『ケルズの書』のような、テクストなんだけれども、テクストの中に動物園みたいな、現存するものやら化け物やら、描いてますよね。あれはどういう意図でしょうかね。記憶術の一環なんですかね? それとは思えないような全然関係ないような動物がいますよね。

山本:ちょっと過剰ですよね。

三中:あれは一体どういう読み方をすればいいのかなという気はしないでもないですね。

山本:なかには意図を図りかねるものもありますね。もはや楽しみのためにやっているという面があるのかもしれません。これはときどき話すことなのですが、人文主義者のペトラルカが蔵書に書き込みをしていて、その書き込みを集めた面白い本があるんですよ。ペトラルカは書き込みをするとき、重要なところに人差し指がやたらと長い手やおじさんの横顔を描く。なんでおじさんなのか分からないんだけど(笑)、そうやってマルジナリアにメモやおじさんを書き込んだものを友だちに回覧していたらしいんですよね。この本は面白い、ここは注目すべきだと。
 これは今でいうソーシャルリーディングですね。本への書き込みは、メモであると同時に、記憶のためのフックとして、さらには他の人と共有するための手がかりという役割を果たしていたのでしょう。

図書館では借りずに全部買う

山本:三中先生は、本は自分で買って手元に置くとおっしゃっていましたが、本の貸し借りについてはいかがですか。

三中:貸し借りってないですね、借りて本を読むってことは私の場合はない。その時点で、全部買ってしまうので。

山本:図書館でもあまり借りないですか。

三中:ないですね。図書館で見つけたら買いますよ。

山本:あ、やっぱりそうですか。私もです。

三中:借りて読むっていうのはちょっと違和感があるんですよね。もちろん借りた本だから大事に読まなきゃならなかったり、ドッグイヤーつけたら怒られるとかありますけど、それ以前に、読んだ気にならないですね。
 絶版本や稀覯本など、そういうものでないかぎり、借りて読むということはないです。

山本:「そこにしかない」ということでもない限りは、自分で手に入れるということですね。

三中:日本では他のところで蔵書しなくても私の前にありますというということが多々ありますね。ほとんどもう、虹のように本を集めているようなものですので。

構成:佐々木未来也(Concent, inc.)
(2015年11月11日、「第17回図書館総合展」B&Bブースにて)


PROFILEプロフィール (50音順)

三中信宏(みなか・のぶひろ)

1958年、京都市生まれ。東京大学大学院農学系研究科修了。国立研究開発法人農業環境技術研究所生態系計測研究領域上席研究員。東京大学大学院農学生命科学研究科教授(生物・環境工学専攻)、京都大学大学院理学研究科連携併任教授、および東京農業大学大学院農学研究科客員教授を兼任。専門は進化生物学・生物統計学。現在は、主として系統樹の推定方法に関する理論を研究。著書に『分類思考の世界』(講談社現代新書)、『系統樹曼荼羅―チェイン・ツリー・ネットワーク』(NTT出版)など。

山本貴光(やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。1971年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(プログラム/企画)に従事。2004年からフリーランス。東京ネットウエイブ、東京工芸大学で非常勤講師。株式会社モブキャストとプロ契約中。著書に『文体の科学』(新潮社)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマー新書)など。