●「ファッションは更新できるのか?会議」とは?
2012年9月から約半年、全7回にわたり実施されたセミクローズド会議です。消費者のソーシャル化、知的財産権への意識の高まりといった社会状況の変化は、現在のファッション産業に避け難い変容をもたらすと同時に、新しい創造性を獲得する契機をもたらしています。この会議では、他分野における現状とファッション界の状況を対比し、社会の「設計」や「構造」=アーキテクチャと向きあって試行錯誤を行っている実践者(デザイナー、メゾン関係者)、販売店、批評家、メディア関係者、ウェブデザイナー、研究者、法律家などを招き、ファッションの更新の可能性について議論しました。
※本連載は、2013年8月に刊行されたZINE『ファッションは更新できるのか?会議報告書』から抜粋し掲載しています。
Vol.4 ファッションがアノニマスデザインに託す願いとは(前編)
日時:2013年1月20日(日) 15:00〜17:30
場所:Loftwork Lab[東京都渋谷区]
登壇者(ゲスト)=鈴木 潤子(@J代表/株式会社良品計画宣伝販促室アトリエムジ シニア・キュレーター)、岡田 栄造(デザインディレクター/京都工芸繊維大学准教授)、ドミニク・チェン(株式会社ディヴィデュアル)
登壇者(実行委員)=永井幸輔(Arts and Law/弁護士)、金森香(NPO法人ドリフターズ・インターナショナル)
モデレーター=水野大二郎(慶応義塾大学環境情報学部専任講師/『fashionista』編集委員/FabLab Japanメンバー)
※登壇者の肩書きなどは、ZINE『ファッションは更新できるのか?会議報告書』掲載当時のものとなりますのでご注意ください。
水野——今回のタイトルは『ファッションがアノニマスデザインに託す願いとは ☆1 』です。「アノニマスデザイン」は1960年代に柳宗理 ★1 が提唱したデザインの考え方ですが、このような考え方の背景には社会システムが変革期にあったという点を指摘するところからはじめたいと思います。大量生産が可能になってきた時代の背景には、いままで手工業を中心に職人的なものづくりをやっていた人たちが、どうやって自らの技術を社会の要請にあわせていくのかという課題が潜んでいたはずです。工業社会を批判的にとらえるのではなくて、その状況をふまえつつ、いかにして新しいデザインは可能かを考えた末に示された概念が、アノニマスデザインではないでしょうか。こうした背景のうえで、われわれがなぜ現代においてアノニマスデザインについて考えなければならないのか、社会システムの変革期において、情報化社会の新しいデザインとともに生き延びていくための方法をみなさんと考えていきたいと思っています。
★1:やなぎ・そうり、1915-2011。インダストリアルデザイナー。父は民芸運動の中心人物でもあり、日本民藝館を創設した柳宗悦(やなぎ・むねよし、1889-1961)。
————————–
[プレゼンテーション1]岡田栄造
「アノニマスデザイン2.0」とはなにか?
岡田──工業デザインとは、自動車、家具、電化製品等のデザインを指しますが、この分野のデザイナーとしては日本の先駆けともいえる柳宗理によって「アノニマスデザイン」が提唱されました。
私は、工業デザインのアプローチには三つあると思っています。ひとつは、素材がものの表面に自然に立ち現われるデザイン。二つ目は、ものの周りのさまざまな環境、自然、人……、そういう外の世界を移し取る、外側からのデザイン。三つ目は、上からのデザイン。世界を俯瞰するメタな目線、いわば批評的な立場によるデザインです。
柳は、1950年代以降一貫して、デザインの要因として商業の論理が肥大化していることを指摘しました。大量生産を肯定しながらも、それに変わるもののつくりかたを探求していくなかで、アノニマスなデザインを見出していったのです。先ほどの三つのアプローチでいうとアノニマスデザインは三つ目、批評的な立場によるデザインということになります。
今日は「アノニマスデザイン2.0 ☆2」がテーマですが、いまの時代にアノニマスデザインを考えると、どういうことがポイントになっているのでしょうか。
ひとつは「匿名性と顕名性」です。アノニマスデザインというのは、作り手が誰かわからない匿名的なデザインですが、たんに匿名な人がデザインすればいいというわけではありません。ジャスパー・モリソンと深澤直人さんが、2006年に「スーパーノーマル」展 ★2 のディレクションを手がけました。これは現代的なアノニマスデザインの展覧会だと思います。アノニマスなものを集めて展示をするなかで、それらを媒介にしながら自分たちのデザイン観をマニュフェストとして提起しているという構図です。ですから、「アノニマスデザイン=匿名的なデザイン」というわけではない。一方で、顕名性に関して言えば、現在ではかつてのように「有名=顕名的」ということが成立しなくなっている社会です。「誰かが有名であること」が、あるコミュニティでしか成立しない時代になっているといえます。そういったときに、有名性の価値がどうなっていくのか。かつては顕名で有名性を持つことで、いわゆる「表現」が保証されたかもしれないけれども、情報環境が変化したことで、匿名の集合が匿名なままでなんらかの表現をして、広く知られる可能性 ☆3 が出現しました。
もうひとつがその「情報技術」です。かつて、柳さんなどの工業デザインの先駆者たちは、産業革命以降の技術革新によってものづくりが変わっていくなかで良いものをどうやって設計できるのかを考えていて、アノニマスデザインはそのときのひとつの指標として見出されたわけです。それに対して、現代の私たちが考慮すべきテクノロジーは、端的にいうと情報技術です。ですから、情報技術の使い方を考えることに、新しいアノニマスデザインのヒントがありそうです。たとえば、3Dプリンターをどう使うかは、現在のデザイナーにとっては大きなチャレンジですが、スウェーデンを拠点に活動するデザイン集団FRONTは「Sketch Furniture」というプロダクトでとても面白い試みをしています。まず、3次元で架空の椅子をスケッチして、そのキャプチャをとることで3Dデータに変換します。あとは3Dプリンターがあれば出力するだけです。これなら誰でもデザインできますよね。新しいテクノロジーが人間の身体性から離れていくのではなくて、人間がより直感的に椅子をつくることを実現しつつあるという意味で示唆的です。彼女たちの製作過程はYouTubeで見ることができます ★3 。
水野——「Sketch Furniture」は技術が介在することで初めて成立しうる匿名性である一方、「スーパーノーマル」のようなマニュフェストとしての匿名性もあります。「有名性」の限界が新しい表現を生み出しているのかもしれませんね。
★2:2006年6月9日〜7月2日、AXISギャラリーにて開催。
★3:下記で制作プロセスを見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=8zP1em1dg5k
[プレゼンテーション2]鈴木潤子
匿名性と顕名性に揺れるデザインを考える
鈴木──「アノニマス」は無印と非常になじみの深いテーマですので、「ATELIER MUJI ★4 」の活動をとおして、ファッションとアノニマスの関係についてお話しさせていただきます。
無印良品は1980年に生まれました。日本の消費社会へのアンチテーゼというスタンスを基点にしており、個人名のブランドのように誰かのとびきり優れたクリエイティブとかモチベーションによってスタートしているわけではありません。また、西友というスーパーのプライベートブランドとして誕生していますので、ファッションだけでなく、衣食住の三つの生活の軸において、「感じ良い暮らし」を探究することをテーゼとして活動しています。そのため、無印良品として〈誰〉という点を強調するのではなく、〈物〉そのものをより重視して、商品の魅力を伝える工夫をしています。たとえば、初期から取り入れている試みですが、商品のタグでは、なぜそれが安いのかを文章でしつこいくらいに説明します。それは商品が背景に持つストーリーともいえます。
もうひとつ、無印良品のデザインのなかで重要になっているのが、お客様の声 ☆4 です。「くらしの良品研究所 ★5 」という取り組みによって、デザインをするときにひとりのデザイナーが万能神のように機能するのではなく、お客様の声も伺って、それを商品に反映しています。そもそもひとりですべてをデザインするのは非常に難しい。ですから結果的にアノニマスなデザインになっているとも言えます。
商品やテーマ性そのものが主役になるということは、ATELIER MUJIでの展覧会やイベントにおいても基礎になっています。作家性が最前面に出るような個展形式とは異なるかたちです。たとえば、これからはじまる「無印良品の白いシャツ展 ★6 」では、無印良品ができてからずっと売っている定番の白いシャツに焦点をあてています。このデザインは定番とは言いながらも、経済や社会の流れのなかでさまざまな変化を遂げています。そんな白いシャツから、要素をどんどんそぎ落としていったら最後になにが残るのか──そんな無印らしい試みです。
それから、くらしの良品研究所の月報『くらし中心』の特集『「かたがみ」から始まる』では、「型紙」をフォーカスしました ★7 。型紙というのは、いわば簡単に複製をつくる道具ですが、みなさんの生活のなかで、ものづくりが日常的ではなくなっているなかで、秀逸でアクセサブルな「つくりたくなるデザイン」を求めて、プロのデザイナーにいろいろな話を聞きました。それが、去年の秋に「くらし中心──『かたがみ』から始まる Part1『家具のかたがみ』展 ★8 」として、ATELIER MUJIの展覧会になりました。FabCafeのかたにもご協力いただいて、データをダウンロードして実際に自分でもつくっていただけるような参加型ともいえる展覧会でした。
「MUJI Labo ★9 」では、「直線裁ち」の商品群を開発しています。そのままでは民族服になってしまうので、直線裁ちという原始的なデザインをどのように現代の生活に添わせるのか、どのように個人の個性を活かすようなデザインにするかを課題としています。素材の魅力を伝えるには、着ることを知りつくした現代のデザイン感覚を息づかせることが必要で、じつはここにこそ、プロの技術や感性が必要とされます。〈物〉を重視しているということは、まったくプロがいらないとか、機械的につくればいいということではありません。有名、無名を問わず、そうしたプロの技術や感性もすべて商品に帰結させるという理念のもとで、「無印良品」の商品開発を行なっています。
★4:株式会社良品計画の運営するアトリエ。
http://www.muji.net/lab/ateliermuji/
★5:株式会社良品計画の運営する社内研究所。
http://www.muji.net/lab/
★6:2013年1月26日〜3月3日、ATELIER MUJIにて開催。
★7:くらしの良品研究所の発行する月報『くらし中心』no.09『「かたがみ」から始まる』
http://www.muji.net/img/lab/booklet/pdf/lab_booklet09.pdf
★8:2012年10月26日〜11月18日、ATELIER MUJIにて開催。
★9: 株式会社良品計画の運営する企画。無印良品の思想を服づくりにおいても反映させ、快適性や機能性、過度の装飾から解放されたスタイルを提案している。
http://www.muji.net/store/pc/user/clothes/labo/index.html
[プレゼンテーション3] ドミニク・チェン
デザインにおける時間的淘汰のプロセス
ドミニク──『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック ★10 』という本を去年上梓しまして、そのなかでフリーカルチャーを「自由な文化」と定義しています。つまり、なにか新しい作品がつくられているとしたら、それは必ず過去の作品の一部を借用、引用、活用してつくられ、さらに、その作品自体がまた別の作品によって使われていく、という視点にたった一種の文化的なエコロジーについての本です。フリーカルチャーはこういう発想に立っているので、本質的に、他者から、または、他者への継承を前提にしていて、特定の人に作品が定着して終わるということがないと考えています。そういう意味で、「アノニマスデザイン」と「フリーカルチャー」は親和性が高いのではないかと考えています。それから、これまでに「匿名/顕名」もしくは「有名性」というお話がありましたが、フリーカルチャーにおける作者は「匿名か顕名か」というように「0(ゼロ)/1(イチ)」で白黒はっきりさせられる概念ではなく、二つのあいだに中間層、すなわちグラデーションが存在する ☆5 ように思えます。そのうえでなにか創造的なものがつくられたときに、それがどこに帰属させられるのでしょうか。
僕は「創造のトレーサビリティ」という言葉で、オリジンの所在を探すことができるかを考えているわけですが、それはまさに現代の情報技術や科学的手法に密接に結びついた課題です。ヘンリー・ペトロフスキーの『フォークの歯はなぜ四本になったか ★11 』という本がありますが、とりわけアノニマスデザインにおいては、そのような〈誰が〉〈なぜ〉というデザインの原点への問いに答えることはもはや不可能です。しかし、どのように最適化されてきたかという、時間的/歴史的な流れを追うことであればできる。たとえばそれが、地域や文化によって異なる進化を遂げている場合は──このことを「歴史をつくる」と僕は呼んでいますが──、インターネットやコンピュータの力を使って、可視化することができるのではないかと考えています。
★10:ドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』(フィルムアート社、2012)
★11:ヘンリー・ペトロフスキー『フォークの歯はなぜ四本になったか』(平凡社、2010)
僕はクリエイティブ・コモンズ(以下、CC)の日本での普及活動に2004年代から関わっています。CCとは、簡単にいうと、インターネット上で作品の合法な共有・継承を促進する仕組みです。著作権の領域に特化した発想で、現在では法律上、大きく分けて著作権が存在するもの/存在していないもの(イチか/ゼロか)で括られているところを、クリエーターが自らその中間的な領域を設定できるようにするものです。CCライセンスが使われているのは、一番有名なところで、YouTube、Flickr、Wikipedia、最近はTEDもよく知られるようになりましたね。アメリカだとホワイトハウスが採用したり、MITなどの教育機関でも活用されており、次第に認知度が高まっています。また、直近のニュースですが、初音ミクというバーチャル・アイドルの公式パッケージイラストでのCCライセンスの採用 ☆6 が発表されました。
このようなかたちで、コンテンツをオープンにする方法が徐々に認知されてきていますが、ここからは、「コンテンツ」という言葉を、「プロダクト」に置き換えて、プロダクトをオープンにしていくことの意味を考えてみましょう。
さまざまな分野でオープン化が進んでいるなかで、オープンになる段階は大きく分けて三つの段階があるように思えます。その第一は「アクセシビリティ」です。オープンにすることによって、作品が発見される機会を最大化して、フィードバックや収益性の向上であったり、自身の活動への継続的な注目など、作者や提供者に利益がもたらされる。第二のレベルは「エンゲージメント」です。たとえば、改変してもらって、それを公開してもらうというように、派生作品をどんどん集積させてより深く作品に接してもらう。そのことで信頼性の高いコミュニティを形成して自分の次の作品を周知する基盤として利用できるなどといったメリットが想定されます。最後は「ダイバーシティ」です。これはまさにアノニマスデザイン的な不特定多数の人々の揺らぎを取り込んで、作品の成長をうながしていくための多様性です。
最初に「歴史」という話をしました。僕は、人々が二次利用しながら学習して、プロダクトが進化して、社会が成長するプロセスを振り返るための、「歴史」の情報源をつくれないかと思っています。ソフトウェアやコンテンツを管理する技術を使って、世の中の歴史を紡ぎ出していくことが可能なのではないかと。その結果、そうした成長プロセスは生命的な挙動に近づいていくという推測のうえでプロダクションを考えてみると、ただの商業主義ではなくなる可能性があります。つまり、作品自体がどのように人に伝搬していくかという点で、コミュニケーションの問題として考えることができるのではないか。コミュニケーションというと、人が直接対話している風景を想像するかもしれませんが、作品を前提としたコミュニケーションというのは、マッシュアップされたり、リミックスされたりというように、作品自体があたかも生きて動いているかのように交換されていく、そういう発想でアノニマスデザインをとらえることができるのではないかと考えています。そして、その生命体的なプロセスのレベルで善し悪しを議論できるようになっていく ☆7 と、プロダクトの評価もより豊かになるのではないかと思います。
[後編に続きます]
◎補足
☆1:アノニマス(anonymous)の辞書的な意味は、「作者不詳の。匿名の。また、無名の」(「デジタル大辞泉」)。現在では、ハッカー集団の名称としても知られているが、その名のとおり、複数の個人で形成された匿名性の高い〈アノニマスな〉活動形態を採る集団といえる。
☆2:いうまでもなく「2.0」は、「Web 2.0」の概念を参照している。Web 2.0は、「ティム・オライリーによって提唱された概念。狭義には、旧来は情報の送り手と受け手が固定され送り手から受け手への一方的な流れであった状態が、送り手と受け手が流動化し誰もがウェブを通して情報を発信できるように変化したWebの利用状態のこと」(ウィキペディア)。つまり、vol.4では、消費者や利用者が関与するデザインのあり方を議論することによって、ファッション・デザインの更新可能性を検討しようとしている。
☆3:ここで指摘されている「匿名の集合」は、さらに「(作者の)不明/不在」の二つの意味を持つ。「不明」とは、たとえば先述のハッカー集団「アノニマス」の活動に代表される。つまり、「アノニマス」の実体は明らかにされていないが、活動とその成果はよく知られている(行為の有名)。一方で、「作者の不在」とは集合知によるクリエイションである。ただし、後述のドミニク・チェンのプレゼンテーションでも指摘されているように、情報技術により集合知のコンテクストさえも一部では追跡可能となっており、「匿名」の意味も変化しつつある。
☆4:「2.0」として〈他者の声〉をクリエーションの要素としてとらえる考え方は、必ずしも現代的な手法とはいえないのかもしれない(たとえば、投書箱や読者の投稿欄など)。
☆5:アノニマスデザインを考えるうえで、2000年代中頃のJR新宿駅東口改築工事にともなう仮設サインで注目を集めた「修悦体」を例に挙げておきたい。結果的に作者である警備員の佐藤修悦の存在が、山下陽光の取材によって明らかにされたが、当初は作者不明のアノニマスデザインとして認識されていた。なお、本来の「『JR東日本』駅案内サイン標準デザイン」(1988)は、工業デザイナーの榮久庵憲司(えくあん・けんじ、1929-)らが設立したGK Graphicsによるデザインであり、この点でもデザインの拮抗が生じている。
☆6:初音ミクの公式イラストを、CCライセンス「表示 – 非営利 3.0」のもとで利用できるというもの。営利目的の事例ではあるが、初音ミクの利用に関して、ドミノ・ピザが2013年3月7日にピザ注文アプリ「Domino’s App feat.初音ミク」を配信開始しており、「さすがミクさんパネェっす…」(JCASTニュース 2013年3月14日)など、大きな反響を呼んだ。
☆7:この「プロセス・レベルでの議論」について、鈴木健は『なめらかな社会とその敵』のなかで経済や政治における応用可能性を検討している。たとえば、「伝播委任投票システム」など。
★この会議Vol.4の小括や関連インタビューなどは、2013年8月に刊行されたZINE『ファッションは更新できるのか?会議報告書』に掲載されています。このWeb版と合わせてぜひお楽しみください。
COMMENTSこの記事に対するコメント