某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。今回は街の図書館員たちがそのネットワークを通じて稀覯本泥棒を追いつめたという一件を紹介します。
第40回 図書館の探偵たち
ジョン・グリシャムの新刊『「グレート・ギャツビー」を追え』が、まさかの村上春樹訳で出版されたのには驚きましたが、とても楽しい小説でした。
じつは、本コラムの第1回で取りあげたのが、グリシャムがまさにこの新刊にあわせてツアーに出る、という話でした。
作中で、作家たちが書店まわりをする様子が描かれていましたから、そんな小説を書いた以上、グリシャムもひさしぶりにツアーをしようということになったのかもしれません。
この小説のミステリー的な主眼は稀覯書の闇取引でしたが、最近、興味を引かれるニュースがありました。
出版ビジネスとはちょっと離れた話題になりますが、おつきあいください。
▼『プリンキピア』を探せ
稀覯書といえば、アイザック・ニュートンの『プリンキピア(プリンシピア)』はご存じでしょう。『自然哲学の数学的原理』などと訳されるらしいですが、万有引力や惑星の運行などを論じ、近代物理学の基礎をひらいたという著作です。
この本に関する調査が長年行なわれていたそうで、意外な結果が発表されました。
『プリンキピア』については、1953年の調査の結果、16ヵ国で189冊が見つかっていたといいます。
それが今回、27ヵ国で386冊が発見されたのです。数だけでいえば、倍以上に増えたわけですから、景気のいい話です。
また、前回の調査では、現存する数から類推して初版は250冊程度と考えられていたそうなのですが、今回の結果で750部は作られたと修正されたとのこと。そして、まだ200冊以上が眠っているのではないかというのです。
今回の調査のきっかけは、10年以上前、カリフォルニア工科大学で学んでいたスロヴァキア出身の学生が、科学史の講義のなかで、1953年の『プリンキピア』の調査に、自分の出身である東欧が入っていないのに気づいたことだったといいます。
当時は冷戦下だったため、鉄のカーテンの向こう側を調べることが困難だったのですね。
そこで、指導教官とともに調査をはじめ、共同で論文を発表したのです(当時の学生は、いまはドイツのマンハイム大学でポスドク研究者になっているそうです)。
さらに、残された初版本を調べると、さまざまなことがわかったそうです。
多くの本に、持ち主による書きこみがされていました。ラテン語で書かれた『プリンキピア』は、ひじょうに難解で、ほとんど読まれていなかったというのが従来の解釈だったそうなのですが、当時の読者がきちんと読みこなし、その価値をわかっていたことがあきらかになったのです。
さらに、ドイツのライプニッツにこの本が送られていたことが判明しました。彼は、ニュートンの理論とは相いれない論文を残していますが、『プリンキピア』は読んでいないと主張していました。しかし、ライプニッツに送られた本にもさまざまな書きこみが残されていたことから、彼がまちがいなくこれを読んでいたことがわかりました。ライプニッツの主張はウソだったのです。
本を調べたことで、科学史上の発見につながったわけで、指導教官のほうは「シャーロック・ホームズのような気分だった」と語っています。
これは、研究者が探偵役となって、貴重な書籍を追跡した話ですが、もっと身近な街の図書館員たちが犯罪者を追いつめたという一件があります。
▼図書館の怪盗
2006年、ドイツ西部の街トリーアーの図書館から話ははじまります(最近、自動車が歩道を暴走して5人が死亡するという痛ましい事件が起きた土地です)。
ノルベルト・シルトという男が400年前の地図の本を借りだすと、ひらいたページにカッターナイフを当て、スーッと切り取ったのです。
ちょうど館内を巡回していた2人の図書館員がその行為を目撃します。
彼らは近寄って、なにをしているのかと問いただします。
シルト氏は貸出カードを床に投げすて、図書館員たちがおどろいている隙に、切り取った地図を持って館外へ走り去ってしまいました。
連絡を受けた館長のフランツ氏もくわわって調べると、その稀覯書からアルザス地方の地図のページが切り取られていたことがわかりました。
さっそく警察に連絡するとともに、フランツ館長は国内の図書館にメールを送ります。歴史家を名のるシルトという男の所業とともに、外見上の特徴も伝えました。さらにフランツ館長は、この男を「本の貂(てん)」(book marten)と名づけます。貂は肉食の哺乳類で、鳥の卵を盗み、駆除しにくい動物だそうで、ぴったりのあだ名だったそうです。
▼図書館員たちの捜査網
トリーアーの街から500キロほど離れたドイツ北部オルデンブルクの図書館のミュラー氏は、このメールを読んで驚愕します。
問題の「本の貂」ことノルベルト・シルトは、一時期、この図書館にもかよってきていたのです。博士論文のために古い地図や旅行記を借りており、ミュラー氏も会話を交わしたことがありました。
さっそく同僚のレーダー氏(ミュラー氏より若い女性)とともに調べると、シルトが借りだした本は、大半がすでに被害にあっていました。
個人情報の壁で、シルトの身元はつかめませんでしたが、彼が数ヵ月前に最後に訪れた際、次回のために本を取り置きしていたことが判明します。
ミュラー氏とレーダー氏がその本を調べると、2冊はだいじょうぶだったものの、18世紀なかばの地図の本は巻末の別表もふくめて9ページが切り取られていました。注意深い読者でなければ気づかないようなプロの手際で、残った地図のページには、ごていねいにエンピツで番号まで振られていたといいます。
レーダー氏は、被害額を4万ユーロ台後半と見積もります。
さらにレーダー氏は、切り取られたくだんの地図が市場に流れているものと見て、行方を調べはじめます。2ヵ月ほどかけて、アンティーク・ディーラー2者にしぼりこみました。
ミュラー氏とレーダー氏は、図書館の車(赤いゴルフ)で地図の探索に出かけます。
「ロード・ムーヴィーみたいだった」とレーダー氏は言います。最初の目的地は500キロ離れたベルギーのヘント市のオークション業者でした。しかし、そこが扱っていた地図は大きさや紙質がちがい、空振り。
翌日、また100キロ車を走らせ、オランダのブレダの街のアンティーク・ショップへ。ドイツ語が堪能な店主が見せてくれた地図は被害にあった本とぴったり合致し、4枚とも図書館の蔵書から切り取られたものと確認できたのでした。
店主によると、パリの古地図の市で4枚5000ユーロで購入したといいます。その人相・風体から、売った男はシルトではなさそうで、名前がわかるような領収書なども残されてはいませんでした。
アンティーク業界では、図書館から盗まれたといった明確な証拠がないかぎり、切り取られた地図であっても流通させるのが実情とのこと。グリシャムが描いたように、稀覯書に金を出す人びとがいて市場が存在しているということなのですね。
レーダー氏は、その後も地図を返却させようとねばり強く交渉をつづけますが、最終的に金額が折りあわず、けっきょくどこかへ売却されてしまったのでした。
ノルベルト・シルトが出没していたのは、オルデンブルクにはとどまりませんでした。シルトに対する警告を発したトリーアーのフランツ館長のもとには、ひと月で20の施設から連絡が入りました。
古いところでは、1988年にダルムシュタットの大学図書館からライン川の図版を持ち去ったとの情報がありました。
2002年にはボンで、修復されたばかりのヨハネス・ケプラーの1616年の本を盗んでいたそうです。このときは家宅捜索も受けますが、証拠は見つかりませんでした。
シルトは前年の2005年に、ミュンヘンの大学図書館へかよっていました。16世紀以降の地図の目録を作成するという名目でしたが、彼が借りた50冊近い本が被害にあっていることがわかりました。この図書館の古書担当の責任者は、被害を警察に報告するとともに、重量計を購入しました。稀覯書が返却されるとすぐに重さをはかり、確認することにしたのです。
発端となったトリーアーの図書館のフランツ館長は、ノルベルト・シルトをボンの州検事局に告発します。シルトが現行犯として犯行現場を押さえられたのは、今回がはじめてだったからです。
ところが州検事局は、シルトの告発には踏みこみませんでした。たしかに被害を受けた本は残されていますが、物証はなく、シルトの犯行であることを立証することはできなかったのです。また、トリーアーの事件では、被害額は500ユーロと見積もられ、優先順位が下げられてしまったのでした。
法の手を逃れたシルトは、その後、すくなくとも15の図書館に姿を見せています。
2010年には、22年ぶりにダルムシュタット大学図書館にシルトから連絡が入り、アポイントメントを取ってきました。
図書館員たちは待ち伏せをかけますが、シルトは現われませんでした。気づいていたのかどうかわかりませんが、その当日、彼は250キロあまり離れたデュッセルドルフを訪れていたのです。
2017年、シルトは歴史学の名誉教授と名のり、オーストリアのインスブルック大学図書館にやって来ます。
図書館員がニューズレターでシルトについての警告を知り、彼が借りだした1627年のケプラーの本を調べたところ、3万ユーロ相当の地図がなくなっていることに気づきました。
ここで、ついにシルトはしっぽを捕まれ、地元ヴィッテンの検事局から告発され、司法の場に引きずり出されることになったのです。
この稼業をはじめて30年あまり、2019年に法廷に現われた白い口ひげの「本の貂」は、松葉づえに頼っていました。問題のケプラーの本について、自分が閲覧したときはすでに地図はなかったと証言します。
裁判の過程で、シルトの素顔があきらかになりました。
彼は産業機械の営業をしていたといい、財政状態は危機的で、さまざまな仕事で糊口をしのいでいたのだそうです。4回結婚して、子供が3人いました。
窃盗や詐欺で十数回有罪となっていて、ほとんどは罰金や執行猶予ですんだものの、2000年代はじめに1年半の懲役をつとめてもいました。
この裁判で、シルトは1年8ヵ月の懲役刑をいいわたされました。
しかしシルトは、糖尿病、心臓疾患、それに癌をわずらっていると主張し、いまだに刑は執行されていないといいます。
図書館の貴重な古書を切り取り、売買するという取引が現実に行なわれていたという、驚きの事実。
ある図書館員の試算によると、「本の貂」は1990年代末には年間10万ドル以上の稼ぎをあげていたというのですから、まさにグリシャムの小説顔負けの話ではありませんか。
ちなみに、ミュラー氏とレーダー氏のオルデンブルクの図書館では、インフォメーション・デスクにいまでもシルトの写真が飾ってあり、図書館員たちに注意をうながしているそうです。
そう、もしかしたら表に出ない犯行が、今日も行なわれているかもしれないのです。
[斜めから見た海外出版トピックス:第40回 了]
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