某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。今回はある作家が仕組んだベストセラーランキング操作のニュースから、本とマーケティングの健全性について政治問題も交えながら“斜め”から見ていきます。
第36回 ベストセラーの作りかた
出版は、文化を支える産業で、そう考えると堅実な印象を受けますが、しかし当たり外れが大きいバクチ的な側面があることもたしかです。
本が売れれば、出版社も著者も経済的に報われ、新たな活動への資金が得られるので、当然ベストセラーを生みたがるもの。
以前、このコラムではベストセラーについての研究結果について紹介しました(第18回「ベストセラーのデータ解析」)が、最近、英国でちょっとした騒ぎが起こりました。
ベストセラーは作り出せる、という小説家が、自分の本で実践してみせたのです。
▼作家マーク・ドースンのマーケティング
それが、マーク・ドースンという作家です。
残念ながら邦訳はなく、日本での知名度は低いでしょうが、いくつものシリーズをかかえ、ここ7、8年で40作近くを発表しています。
ドースンが一躍世の注目を集めたのは、2015年。
アマゾンから、年間でなんと45万ドルの印税を支払われていることが明らかになったのです。
さまざまな職業体験を経て法曹界に入り、マネー・ロンダリングを追ったり、セレブのために新聞を名誉毀損で訴えたりといった活動をしてきたというドースンですが、作家志望だった彼は、2000年に出版社から本を出すことに成功します。
それはまったく売れずに終わったのだそうですが、その後、アマゾンのキンドル・ダイレクト・パブリッシング(セルフ・パブリッシングのプラットフォーム)を知ります。
今度は、調査と執筆に時間をかけて、1940〜70年代を舞台にした小説を作りあげて、アマゾンで売りはじめました。
ところが、それもまた失敗。
そこで、アマゾンが「プロモーション・ツール」として用意している無料プログラムにこの作品を入れたところ、週末だけで5万ダウンロードを記録したといいます。
本は5万部に達しても、無料ですからドースンのもとには一銭も入ってきませんし、読者とのつながりもなし。
そこで彼は、マーケティングに目覚めます。
より受け入れられやすいテーマと設定で、もっと軽く、楽に書けるもの、ということで、暗殺者を主人公にした長編を2013年に発表。
それも、現代の長編としては短めな分量で、読みやすく、書きやすいのがポイント。さらにそれをシリーズ化してコンスタントに発表するいっぽうで、読者とのコミュニケーションを大事にして、みずからのファンを増やしていったのです。
メーリング・リストは1万5000人にのぼり、フェイスブックにも1日370ドルの広告を打つなどの熱心な営業活動の結果、2015年に45万ドルという印税を達成したわけです。
現在ドースンは、セルフ・パブリッシングを志す作家に向けた、有料セミナーまで行なっています。
▼ベストセラー・リストを“買う”
そのマーク・ドースンが今回やったのが——
自腹で自分の本を買い、ベストセラー・リストへ押しあげたというのですね。
自分で買っても、その本の売れ部数は増えるので、ランキングもあがる理屈ですが、たしかに「これはフェアか?」と問いたくなりますね。
(セルフ・パブリッシング作家だったマーク・ドースンですが、この新刊『The Cleaner』では、英国内の独立系出版社が権利を取得し、ハードカヴァー版が市場に出ていたのです)
じつはこの件は、ドースン本人がみずからのポッドキャストで語ったために判明したのですが、ではどんなことをやったのか、見てみましょう。
英国で出版物の部数調査をしているのはニールセン・ブックスキャンという組織なのですが、ドースンが週の中頃に自著の売行を見たところ、1300部売れて13位だったそうです。
これではトップ10に入らない……というところで思いついたのが、本を買って、国外の読者に売ることだったそうです。ハードカヴァー版は英国でしか出ていないので、それを欲しがる読者もいるだろう、というわけです。しかも、ある程度まとまった数を買えば販売部数を増やすことができて、ベストセラー・リストでも有利になる、という発想です。
さっそく読者たちにメールを送ったところ、米国在住のファン400人あまりが買いたいと連絡してきたのだそうです。
そこでドースンは地元の本屋さん(児童書の書店だそうですが)に行き、自分の本を400冊買いたいのだが、と持ちかけると、こころよく応じてくれたそうです(書店としては、いい話ですからね)。
その結果、サンデイ・タイムズのベストセラー・リスト(英国でのスタンダードといえます)で8位にランクインした、というわけです。
ドースンが自著の購入につかった額は3600ポンドだそうですから、これでトップ10入りを買ったともいえますね。しかも、その資金は、米国の読者たちから回収できるのです。
▼書籍の一括購入
それで思いだすのは、昨年2019年11月に米国で起こった騒ぎです。
トランプ大統領の息子ドナルド・トランプJr.が本を出版しました(内容は左派への批判だそうですが)。
版元は、米国5大出版社のひとつ、アシェット系列。
そしてこの本が、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストで1位になったのです。
大統領自身も、誇らしげにツイートしました。
「すごい! わが息子の本が、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー・リストの第1位になったそうだ。おめでとう、ドン!」
ところが、このベストセラー1位に、疑念が呈されます。
ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストでは、まとまった数の購入があったことを示す記号が付されていたのです。
つまり、まとめ買いが入ったことで部数が上乗せされている可能性が出てきたのです。
真相は、すぐに判明します。
じつは、大量購入したのは、共和党だったのです。
本の発売前に、共和党の全国組織が、大手書店チェーンからこの本を購入していたのでした。
なぜそんなことがわかったかというと、政党の資金の使途として、連邦選挙管理委員会に報告されたからでした。
これはこれで、政治の透明性が確保されている話でもありますが。
この話には、さらに裏があります。
データを見ると、ドナルド・トランプJr.の本の発売第1週めの実売部数は7万部以上でした。
そのとき2位だった本は3万部だったそうです。
共和党が10万ドル弱を費やして買えた冊数は、計算上4100部ちょっとになるので、その買い増しを差し引いても、問題なく1位だったのですね。「おめでとう、ドン!」
それにしても、4000冊をこえる購入とは、版元や書店にとってはありがたいかぎりですね。
とはいえ、この件で、本を組織的にまとめ買いして、結果的にベストセラー・リストで上にあがってくるということが行なわれているのがあきらかになりました。
しかも、こういう事例はけっしてめずらしいことではないらしいのです。
(本を買ってベストセラー・リストにあげてきた歴史)
政治家などはよくやる手法で、政治資金で自著を買い、支援者に配ると、それがまた献金につながる、という流れなのだそうです。
2018年4月には、ノンフィクション部門のベストセラーの4冊がそのようなまとめ買いだったこともあったとか。
このドナルド・トランプJr.の本の大量購入があきらかになったのは、19年11月末でした。
大西洋の向こう側の英国にいるマーケティングに熱心な作家は、これを知って自分でも実践したのかもしれません。
▼かさ上げベストセラーの結末
さて、400冊を自腹で購入して、著書をベストセラー・リストの13位から8位に押しあげたドースンは、他の作家たちから「制度の抜け穴を悪用した」と批判を受けました。
さらに、販売部数の集計をしているニールセン・ブックスキャンは、今回の件について「基準を満たしていなかった」として再計算すると表明し、謝罪します。
こうして、ベストセラー8位は幻となったのです。
いっぽう出版社側は、ニールセン・ブックスキャンの決定を尊重するとしながらも、ドースンの一括購入はあくまで国外のファンからの要求に応じたものだとして、著者を擁護します。
ドースン本人は、こういっています。
「もし『制度の抜け穴を悪用』しようと思ったら、1万部買って死蔵させ、1位を取るだろう(それに、人気があるポッドキャストで話したりしない)」
ちなみに、ドナルド・トランプJr.のほうにも触れておきますと、父親の大統領選挙の前に、2冊めを出版すると表明しています。
今回は、民主党の大統領候補バイデンを批判する内容だそうですが、版元からのオファーを断わって、自費出版するのだそうです。
どうやら、そうすれば儲けがすべて懐に入るという計算らしく、共和党はこの本を資金集めに使おうと躍起になっているとのこと。
ただ、出版社をとおさなかったせいか、タイトルに文法のまちがいがあるというオマケもついています。
英米での騒ぎを見てきましたが、じつは日本でも似たようなことはあります。
組織的な購入をベストセラー集計から除外する、となったら、日本の出版業界にもけっこうな衝撃が走るだろうなあ、と思ったりします。
ま、ここはあくまで海外の出版事情を紹介する場なので、日本の事情に深入りはしませんが、ベストセラー・リストに掲載され、売れている本として告知されるのは、広告効果としてはたいへんなものがあります。
著者にとっても出版社にとっても書店にとっても、あるいは読みたい本を探している読者にとっても、大きなメリットになることはまちがいないでしょう。
だからこそ、ベストセラー入りがマーケティングの一環としても捉えられるわけですが、今回見てきたように、それを実践するにはそれなりの資金が必要で、財力がある個人や団体だけが独占的に行なえる手法となれば、不公平感をまぬがれません。全体的に書籍の売上が落ちている昨今であれば、効果はさらに大きくなるので、なおさらです。
マーク・ドースンに対して、批判的に書いてしまったかもしれませんが、マーケティングはもちろん大事に決まっていて、生まれて間もないセルフ・パブリッシング界で成功を勝ち得たドースンを否定するつもりではないことは申しあげておきます。
むしろ、私企業である出版社にとっては、マーケティングはこれまでになく重要な命題になっています。
その反面、ベストセラーにのぼるような広いポピュラリティはなくても、個々の読者にぴったり合う本もあるわけで、それが成り立つのも多品種少量生産の出版産業の特徴でしょう。ベストセラーを出すいっぽうで、そのような本をいかに知らしめ、読者に届けるかにも出版界は取り組まなければならないでしょう。それが、経済と文化の両輪で動く出版業のありようではないか、と思います。
[斜めから見た海外出版トピックス:第36回 了]
COMMENTSこの記事に対するコメント