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冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第35回 本は必要不可欠か

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 某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。今回は、コロナウイルス流行の中で広がった「#BooksAreEssential」運動について。「本は必要不可欠」ということなので、もちろん! と言いたいところですが話はそんなに簡単ではないようで……。

第35回 本は必要不可欠か

 前回、コロナウィルス禍における米国の書店動向を見ましたが、業界を守るためのさまざまな動きもひろがっています。
 そのひとつである「#BooksAreEssential」について触れたいと思います。

 ハッシュタグがついているように、SNSなどで拡散することを目的としたムーヴメントで、文字どおり「本は必要不可欠」という主張するものです。
 DOTPLACEで清水玲奈氏が英国の書店事情を紹介された「【緊急寄稿】イギリスの書店とニューノーマル」でも「本は生活必需品?」として触れられていましたが、感染対策下で出版界はどうあるべきかという議論が米国でも起きていたのです。
 その発信源は、業界誌パブリッシャーズ・ウィークリイでした。

▼パブリッシャーズ・ウィークリイとは

「PW」と称されるパブリッシャーズ・ウィークリイは、このコラムでも情報源としてよく使ってきました。
 誌名のとおり、出版界をターゲットにした週刊誌で、出版社と書店および図書館、あるいは文芸エージェントや著者等をつなぐ業界誌です。
 1872年創刊だそうですから、すでに150年近い歴史があり、注目度も高く、強い影響力を持っているといえるでしょう。
 業界動向はもちろん、新刊書評や、さまざまな統計、出版人の表彰なども行なっています。

 そのPWがコロナ禍のさなかの4月20日に立ちあげた運動が、「本は必要不可欠=#BooksAreEssential」だったのです。

(パブリッシャーズ・ウィークリイ「#BooksAreEssential」を立ちあげる)

▼なぜ「本は必要不可欠」か

 この時期、米国ではロックダウンが進んでいました。
 ロックダウンとは、ご存じのとおり、必要不可欠なビジネスをのぞいては、すべての経済活動をストップし、都市を封鎖する施策です。
 したがって住民も、必要不可欠でないかぎり、外出が認められませんでした。

 日本の緊急事態宣言では、あくまで人びとに外出の自粛を要請するにとどまっていたわけで、海外におけるロックダウンとのちがいはずいぶんと報道もされましたから、説明は不要かと思います。
 ポイントになるのは、ロックダウンとはいえ、必要不可欠であればビジネスも、人びとの外出も認められていたことです。
 では、どんなことが必要不可欠かというと、一般には、さまざまな生活インフラにくわえて、食料品や医療関係などがあげられていました。食料や医薬品を買うことは認められていたため、小売業でも、食品店や薬局などは営業が認められていたわけです。
 そこに本もくわえよう、というのが、このキャンペーンの主旨です。

 もともとは、米国最大手の書店バーンズ&ノーブルのCEOジェイムズ・ドーントが、PWに対して、本が必要不可欠な物品とみなされることが出版界の生存につながる、と述べたのがヒントになったようです。(ちなみに、バーンズ&ノーブルとドーントについては、こちら

 PWの編集ディレクターは、この運動について、以下のように語っています。

「医療従事者であれ、子供に自宅学習させている人であれ、一時帰休や自宅待機している人であれ、あるいはこのパンデミックに意味を見いだそうとしている人であれ、だれにとっても本はライフラインです。すべての人が立ちあがって『そうだ、わたしの人生にとって、本は必要不可欠だ』と声をあげてほしいのです」

「本は必要不可欠」だとみんなが意見表明すれば、食品や医薬品と同様のあつかいになるはず。
 そうすれば、ロックダウン下でも書店や出版業が営業活動をつづけられるだろう、という理屈です。

▼ひろがるキャンペーンの輪

「本は必要不可欠」のシンボルが、下の図です。

図-1

 フィンランドのイラストレイターによるものだそうですが、これはマスク(外科用のN95マスク)のかわりに本をかかげた人の図です。
 シンプルでわかりやすいですよね。

 運動に参加するには、マスクがわりに本をかかげたセルフィーに、ハッシュタグ「#BooksAreEssential」をつけるのが決まりです。
 最初に公開された下の図では、作家ジェイムズ・パタースン(現在、世界一稼いでいる小説家でしょう)をはじめとする出版関係者たちが参加していますが、これを受けて、業界のさまざまな人たちが続々発信をはじめました。

図-2

 有力な業界誌がはじめただけに、出版社や各団体も支援にまわり、あっという間に拡散し、海外へもひろまっていきました。

 しかし現実には、ロックダウンがひろがっていた米国内では、書店の多くは閉店を余儀なくされていました。
 外出する人間が極端に減り、接客も不要になるのと同時に、店内での接触自体が危険と見なされるようになり、従業員の一時帰休がひろがりました。
 多くの書店は店を閉め、注文に応じた宅配等に切り替えましたが、通常にくらべて売上は激減します。
 人が集まるイヴェントができなくなったため、書店にとっては集客の肝である作家のサイン会や朗読会、地元の読書会などが軒なみキャンセル。
 新刊発売にあわせて行なう恒例の書店ツアーがなくなったということは、作家や出版社の側にも大きな痛手となりました。店頭での実売だけでなく、それにあわせた地元ラジオなどでのプロモーションも望めなくなりました。
 さらに、この状況では売れないと見て、さまざまな本の出版も延期に追いこまれました。
「本は必要不可欠」運動はひろがりましたが、業界全体の状況が劇的に好転したわけではなかったのです。

▼「本は必要不可欠」への批判

 さらに、こんな寄稿がPWに掲載されます。

(なぜこのエージェントたちは、本は必要不可欠ではないと主張するか)

 タイトルにあるとおり、寄稿者たちは文芸エージェントで、「本は必要不可欠」への反論です。
 彼らは、PWの運動の意図は理解しているとしたうえで、以下のような見解を述べます。

 現状では、「必要不可欠=essential」という語は、生存の基盤を守る労働者たちに対してつかわれている。たとえば、医療や健康、食料、ゴミ収集など、安全で清潔に生きるための仕事についている人びとである。
 つまりこれは、人をさしている言葉なのであって、それを本にもちいるべきではない。本は、あくまでひとつの製品にすぎないのだから。
 ——というのですね。

 ここまでだと、言葉じりを捉えただけに思えますが、そればかりではないのです。

 いま、出版業界では、従業員の一時帰休が進んでいる。
 彼らはそもそも、不当に低い賃金で、過酷な労働を強いられてきた。今回のパンデミックが起こるはるかむかしから、出版界は、本を愛する若者たちの意欲を利用して、低賃金労働者として搾取してきたのだ。働く側が、特別な仕事だと思って労働条件を受け入れるのにつけこんで、長年、待遇の改善に取り組まずにきた。賃金に不満を唱える者がいたとしたら、クビにすればいい。悪い条件でも働きたいという志願者が大勢いるのだから。
 この業界が、製品としての本を「必要不可欠」とみなすいっぽうで、人を使い捨て可能なものとしてあつかっているのは、アマゾンの物流倉庫でのおそるべき実態を見ればあきらかだ。
 ——と著者たちはきびしい口調でいいます。

 本来は人間につかうべき語をもちいて「本は必要不可欠」というのは、出版界が商品の流通と販売面のみを強調し、人を大事にしていないことをしめしている、という批判です。
 ウィルス禍において、情報や表現の自由や芸術は社会にとって必要不可欠ではあるものの、出版はそれらをパッケージにして売っているにすぎず、そういった概念と等価ではない、と著者たちの視点はクールです。

 しかし、批判だけでは終わりません。
 巣ごもり生活を強いられる人びとが読書をもとめているのはまちがいなく、これは出版にとってはチャンスです。いまこそ、時代の流れに即した形に業界を変えていくべきだ、というわけです。
 たとえば、電子書籍やオーディオブックを推進することで、物流偏重のビジネスを変えることができるでしょう。いまは、ネット注文した本がすばやく届くことに慣れてしまい、それが流通部門に過度な労働を強いています。どれだけ宅配が早くなっても、電子化商品なら買った瞬間に届くわけで、消費者側もまだまだ変わる余地があるのかもしれません。
 あるいは、販売においても、版元はどうしても巨大なアマゾンに注力しがちですが、独立系書店を重視して独自のプロモーションを展開するなど手厚い措置をすれば、各地方書店の経営改善につながり、地元経済を好転させるはずです。
 また出版社は、みずからの環境整備も必要です。トップクラスの給与を見なおし、リモートワークの推進によって賃料を組みなおし、あるいは権利ビジネスを拡充する(このへんが文芸エージェントらしいところ)といった施策を進めることで、ヒット作に頼らず、末端の従業員の一時帰休を減らすよう体質改善をすべきだというのです。

 彼らの主張は、出版界は自分たちの商品の有用性を訴える前に、もっとやるべきことがあるはずだ、ということになりそうです。
 たしかに「本は必要不可欠」の運動がひろがったおかげで、人びとが読書の大切さを自分に引き寄せて再認識することができたでしょうし、その効果は高かったと思います。
 本に注目が集まったからこそ、ポスト・コロナウィルスの時代へむけて(一部のいいかたに乗るなら「新たな日常」「新しい生活様式」にあわせて)、業界全体が変化するきっかけにしていくべきだ、という提言です。

 もちろん、こういった労働環境の問題は、出版業だけにかぎった話ではないでしょう。
 しかし、出版の末端では、版元から物流、それになんといっても書店の現場で、過酷な労働を強いてきたことはまちがいなく、まさに就業環境の変化に直面するいまこそ、新たなシステムを考えなおすべきでしょう。
 これはあくまでアメリカの現状を論じたもののはずですが、わたしは納得しながら読むことができました。
 それはなぜかと考えると、いうまでもなく、これらが日本にも当てはまる問題だということをしめしているのでしょう。

[斜めから見た海外出版トピックス:第35回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro