INTERVIEW

マンガは拡張する[対話編+]

島田英二郎×山内康裕:「マンガ」は拡張するのか?
「編集者は『原稿取り』にほかならない。」

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マンガナイト代表・山内康裕さんが、業界の内外からマンガを盛り上げる第一線の人々と議論を展開する鼎談シリーズ「マンガは拡張する[対話編+]」。
今回はシリーズ最終回。講談社に入社後、数々の人気作品の担当を経て『モーニング』編集長を務め、昨年には心機一転『ヤングマガジン』の一編集者として現場復帰したばかりの島田英二郎さん。これまで本連載で扱ってきたテーマを総括するとともに、編集部制度の存在意義やこれからマンガ業界に訪れるであろう変化、そしてマンガづくりの本質について語られた、ベテラン編集者ならではの大放談の模様をお届けします。
 
【「マンガは拡張する[対話編+]」バックナンバー一覧】
●第1回「『編集長』の役割とは?
 岩間秀和(講談社『BE・LOVE』『ITAN』編集長)×江上英樹(小学館『IKKI』元編集長/ブルーシープ株式会社)×山内康裕
●第2回「二次創作とライセンス
 北本かおり(講談社『モーニング』副編集長/国際ライツ事業部副部長)×ドミニク・チェン(情報学研究者/起業家/NPO法人コモンスフィア理事)×山内康裕
●第3回「Webマンガと市場構造
 菊池健(NPO法人NEWVERY「トキワ荘プロジェクト」)×椙原誠(DeNA「マンガボックス」事業責任者)×山内康裕
●第4回「新人の発掘と育成
 野田彩子(マンガ家)×豊田夢太郎(小学館『ヒバナ』編集部)×山内康裕
●第5回「兼業マンガ家・兼業編集者
 田中圭一(マンガ家/株式会社BookLive)×柿崎俊道(編集者/聖地巡礼プロデューサー)×山内康裕

【以下からの続きです】
●前編:
「編集長から現場に戻って気がついた。『まだ初級だったんだ!』って。」
●中編:
「アプリをつくったことで、逆に本来の雑誌の立ち位置がわかった。」

[後編]

編集者は「原稿取り」にほかならない

山内:「年々、作家が編集者に期待する役割は増えていて、作品づくりのサポートだけでなく作品のPRなど、その仕事は多岐にわたっています。一方で、作家が『アイデアを生む』ことを助けるという仕事が編集者にとって一番重要になってくると思うのですが、そのあたりはどのようにお考えですか」という質問をドミニク・チェンさんからいただいています。

島田:すごく面白くて複雑な問題ですよね。編集者の定義や在り方はこのところ急激に変わり続けているわけですよね。

山内:はい。

島田:私は編集者の仕事って、一番ミニマムな言い方をすれば「原稿取り」にほかならないと思ってるんです。作家さんが原稿をつくり、つくった原稿を読みたい人に届ける。その間のあらゆる仕事をするのが編集者。それって一言で言えば原稿取りです。原稿取りは強烈に大変な仕事なの。週刊連載だったら、毎週必ず締め切りまでに原稿を描いてもらって持って来るだけで一苦労で、まずほとんどの編集者がそれをできていませんよね。その後、いわゆる校了だって読者に届ける間の重要な作業。でも、誤字脱字が一つもない校了紙を出せる編集者はほとんどいない。取ってきた原稿をきちんとした商品のパッケージにして渡すってだけで、十分仕事なんだって。

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山内:はい。

島田:電子をはじめとして各種プロモーションなりタイアップなりってのも、「読みたい人」に作品を届ける間の仕事の一つ、なんです。……ただ、これは良い言い方かわからないんだけど、プロモーションやタイアップって、突き詰めると編集者じゃない人でも肩代わりできると思うんです。じゃあ、編集者の仕事のなかで、編集者でないとできない部分って何なのか?
 たとえばIT企業が自社でマンガを出したくて、そこの社員に「編集者」をやらせようとすると、きっと難しいと思うんですよね。なぜかというと、編集はとてつもなく非効率な作業だから。1日に何時間も、マンガとは直接関係なさそうにしか見えない話を延々したり……効率的な側面から見たら「お前それ仕事かよ」って思うんだけど、実際それが仕事なんですよ。元編集長の立場から見ても、もう少し効率良くできないのか!と思うヤツがいたけど、そうはいかないものなんですね。ただ、「編集者」でない人がやると、本当に単なる非生産的な長いおしゃべりになってしまったり、あるいはそもそも長い話にすらならないものなんだよね。作家がそこまで心を開かないというか。
 編集者の仕事の幅が広がったのはもちろん面白いことだし、良いこと。だけどそのなかで、編集者にしかできない一番コアな部分が疎かになったら、編集者の存在意義はなくなっていくでしょうね。

山内:講談社から独立されたコルクの佐渡島庸平さんをはじめ、新しい動きをしている編集者の方については、どういう風に見られていますか?

島田:昔ながらの編集者が重視していた以外の部分に、すごく力を注いでいますよね。それはそれで価値のあること。昔は編集者って、打ち合わせで存在価値を示せないと立場がなくて、それがとても酷な商売でもあった。つまり「あいつとの打ち合わせには明確に価値がある」って編集でないと、認めてもらえなかったんだよ。でも、はっきり言ってなかなかそこまでの編集者になるのは大変でもあるのよ。「編集者はその人の資質に応じていろんな存在のしかたがある」ってなってきたのは、すごく良いことだよね。一人ひとりの編集者の中にはいろいろな要素がいろいろな割合で存在しているから、作品によってその編集者のどの部分が発揮されるかは違いますしね。百人いたら百通り。自分にできることで編集者になればいい。でも編集者を編集者たらしめる打ち合わせ、つまり作家の人間性に触れて共鳴したり反発したり増幅したりして、何かしら新たなものを生み出す、という技術は最低限は持ち合わせていてほしいですね。そうものすごいレベルでなくてもいいから(笑)。

「頭がいいからマンガが読める」若年層

山内:今、マンガというものが成熟期を迎えているがゆえに、マンガの在り方自体がまた少し変わりつつあるように感じるんです。無料で読めるウェブやアプリ上のマンガが「みんなが読んでるから読む」という共有物やコミュニケーションツールとして、『週刊少年ジャンプ』よりも読まれていたりしますし、それらの描き方の文法が従来のマンガとは違う進化をしていたり……。

島田:「マンガは今後どうなりますか」と聞かれたときに、なくなることはないとは思っているんですよ。マンガはマンガでしか表現できないものが確かにありますからね。……ただ、どんな風に残っていくかまではわからない。いま、一番ありそうなのはマンガがアニメやゲームの「付属物」として生き残っていくパターンです。現在のところはかろうじてマンガがアニメやゲームの元になってますが、このままいけば遠からず完全に逆転する可能性すらあります。そうなるとしたらそれは、マンガがマンガでしか表現できないものを見失い、マンガでなくても表現できそうなところに足をとられていった結果です。編集者が編集者にしかできないことを見失ったら、存在意義を失い、他の職業の付属物になっていくのとまったく同じです。
 私までの世代にとってのマンガといえば、キングオブエンターテイメント――広く大衆に向けられたエンターテイメントだったんですけどねえ。

山内:はい。

島田:そのことに対する自分のこだわりはすごく強いんですよ、世代的なことかもしれないんだけど。そのジャンルのファンでなくても誰でも楽しむ、そういう娯楽が今は本当に減ってきていて。そんな状況の中で誰でも楽しめる娯楽に挑戦し続けたい。でも、もう既に今の若い人たちはそういうことをナンセンスだと思っている感じもして……(笑)。

山内:今の高校生から20代半ばぐらいの方々はおそらくそれに近い意識をまだ持っているんですけれども、それより下の世代は生まれたときからネット動画がある時代なんですよね。なので、読むという行為ができる人自体が少数派になってきてしまっている。若い世代に話を聞いてみると「頭がいいからマンガが読める」みたいな意識になっていて、強いギャップを感じますね。

島田:学校の先生が言うもんね、「マンガが読める子は優秀なんです」って。なんかそう言われると誇らしい感じがしちゃうんだけど、よく考えたら、それってマンガが読みにくくなってるってことじゃない?

山内:それもありますよね。

島田:俺がガキの頃は、やっぱり勉強できないヤツがマンガ読んでたよ。私もそうだけど(笑)。文字がびっしり並んでる本よりも明らかにマンガのが読みやすかったもんね。今でもいわゆる学童保育とか行くとマンガが置いてあって、「ワンピース」とか読んでる子は確かに優秀な子なの。でも、「ドラえもん」と「ドラゴンボール」はもう必ず全部の子どもが夢中になって読んでますね。たどたどしくでも一応字が読めりゃ読める。感動しますよ! 「ドラえもん」なんて彼らからしたらどんだけ昔のマンガなんだよ(笑)。

山内:あははは(笑)。たとえばテレビも、毎週決まった時間にテレビの前で待っていないと観られなかったものが、今は動画になっていつでも観られますし、やっぱり主体的に読むものじゃなくて受動的に観られるものの方がウケやすいってことなんでしょうね。

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島田:そりゃそうですね。だから私が思うのは、読むという行為が今後50年くらいでなくなる可能性もあるだろう、ということです。「読む」って行為はまるで当たり前の本能のようだけど、そんなことはない。動物が情報を取得する方法は、基本「見る」「聞く」「触る」。「読む」という情報取得手段は、人間という動物にとってもごくごく最近始まった行為。短い歴史ですから。識字率の高かった日本でも、読む行為が庶民にまで浸透したのは18世紀ぐらいからでしょう。

山内:今の60~70代は、言い方は悪いですが、「マンガを読むとバカになる」みたいに思っている人がまだ少しいる気がするんですよ。でも、その下の世代の人が日本を動かす世の中になったときに「マンガは読みやすいから広めたい」と望んでも、若い世代の大半が読めない、という風にギャップができるのが怖い。なので、僕はマンガそのものを教育の場でもっと伝えていきたいなって思いますね。

島田:まあでもやっぱり、マンガはリテラシーの高い趣味にはなっていくんだろうね。アニメやゲームとかの方がどうしたってわかりやすいもん。ただ当たり前だけど、マンガってマンガじゃないと表現できない快感があって、そこは捨てられることもないだろうと思うんです。こっちがちゃんとそれを提供できてればね。少なくとも、私が生きてる間はあるような気はするけどね(笑)。いや、あってほしいよ。ある! 多分(笑)。いや、真面目な話、道を誤りさえしなければ、人類が存在する限りマンガは存在し続けることが可能な表現だと思っています。

画とストーリー、どちらが大事?

山内:会場の方で、何か質問があればどうぞ。

質問者:画が上手な方と話をつくるのが上手な方、どちらがマンガ家に向いているのか、島田さんの意見を聞かせていただけますか。

島田:あえて選ぶのは、話じゃないかと私は思いますね。話というか、描きたい気持ち。画のうまさというのは、作画における画のうまさというのもあるんだろうけど、それよりもいかに人の心を打つ線が引けるかによるじゃない? どんなにデッサンが狂っていてもムチャクチャでも、「理屈では言えないけどなぜかこいつの画は心が震える」みたいなことだから……そう考えると画がうまい人もそれはそれで向いている気がしてきたな(笑)。正直わからないです。
 ただ、20数年間編集者をやってきた私のなかでは、「マンガはキャラクターだ」というのが現時点での結論です。それはまた人によって主義があるんでしょうけど、キャラクターが良ければ画も光ってくるしね。

山内:場合によっては、キャラクターをつくる人と、原作をつくる人、画が上手な人が分業するような方法もありますね。

島田:原作に関しては「作家がオリジナルストーリーをつくれないから原作を付ける」という発想のしかたは少なくとも私はしないんです。「この人のマンガはすごい。でも、日本ではマックス8,000人くらいにしか理解できないだろう。これをもっと売るためには違う何かを注入しなきゃダメだ」というのが、原作付きにする発想のベースなんですよね。実は原作付きでマンガを描く方が、オリジナルよりもさらに難しいんです。
 それはなぜかというと、マンガを描くときの難しさのほとんどは、キャラクターをつくって命を与えるときの苦労だから。「こんなキャラクターの設定と外見で」とか「こんなセリフで」と言葉で伝えられるのは、ごく表面的なこと。あとはもう、人間の身体を構成している元素をすべて揃えても生命が生まれないのと同じで、どうやったらそこに生命が宿るかということ。マンガ家のエネルギー消耗の8割くらいはその作業にあると思うのね。自分で生んだものに生命を宿すのでさえすごく大変なのに、それを原作付きでやろうとしているマンガ家さんはさらにすごい。人がつくったものに憑依して命を与えるって、自分のものでやるのより、さらに数段上の技術が必要なわけだよ。だから原作付きで面白いマンガを描けるって人は、ウケる範囲は狭いかもしれないけど、オリジナルでも天才な人だと思うよ。

主観と客観の「面白い」が交差する部分

山内:「マンガの編集者の技能や職能を、他の職業や仕事に活用できるのか」という質問をドミニクさんからいただきました。これについてはどう思われますか。

島田:マンガ編集者に限らず、クリエイティブな仕事には共通しているのかもしれませんが、一番重要なスキルは一つなんです。それは「他者の立場でものを見る」ということ。不特定多数の第三者が見たときにどう見えるかというのを、なんとか想像する。これが実に難しいスキルで……たとえば雑誌の中に「こんなイベントがあります」みたいな宣伝のページがあるじゃない。そういうページを1ページつくらせるとなったときに、パッと見ただけで伝えるべきことを伝えられる技術を持った編集者はそこそこのものですよ。読者が見たときにどう見えるか、他人の目線を持つことってものすごく高いスキルで、もうそれに尽きるの。「記事もまともにつくれないヤツにマンガの編集なんかできない」ってよく言うんだけど、それがいかに難しいかということ。
 でも、作家と仕事をしてる編集者が客観ばかりで主観がないのもまた苦しいんだよ。やっぱり編集者ってエンターテイナーの一種で、そういう意味では明らかに芸人の一種だと思う。自分が面白いと思ってやっていることが、見ている人の面白さに繋がるから芸事なのであって、やっている人が自分で面白いと思っていないことは周りにもよく伝わってしまう。主観と客観の交差する部分をうまく行き来するのが編集者の仕事ですよね。
 少年誌出身の作家さんって、主観と客観のスタンスの置き方が大人向けのものとは違うと思うんです。自分のいた青年誌っていわば純文学で、どうしても「俺は何を訴えたいか」みたいなところから始まっていて、そこから客観性を確保しようとしていく。少年誌ってもしかしたらそれとは逆なんじゃないかな、って思うんです。
 実はこれまでいろんな作家さんと仕事してきたなかで、私は少年誌出身の人とは仕事したことがなくて。バリバリ少年誌出身の作家さんといつか仕事がしてみたいですね。

山内:その作品を読める日が楽しみです!
 本日は島田さん、どうもありがとうございました。

島田:ありがとうございました。

本連載の歴代ゲストの方々とともに

本連載の歴代ゲストの方々、マンガサロン『トリガー』オーナーの小林さんと

[マンガは拡張する[対話編+]06(最終回):「マンガ」は拡張するのか? 了]

構成:高橋佑佳/後藤知佳(numabooks)
編集・写真:後藤知佳(numabooks)
(2016年1月26日、マンガサロン『トリガー』にて)


PROFILEプロフィール (50音順)

山内康裕(やまうち・やすひろ)

マンガナイト/レインボーバード合同会社代表。 1979年生。法政大学イノベーションマネジメント研究科修了(MBA in accounting)。 2009年、マンガを介したコミュニケーションを生み出すユニット「マンガナイト」を結成し代表を務める。 また、2010年にはマンガ関連の企画会社「レインボーバード合同会社」を設立し、“マンガ”を軸に施設・展示・販促・商品等のコンテンツプロデュース・キュレーション・プランニング業務等を提供している。 主な実績は「立川まんがぱーく」「東京ワンピースタワー」「池袋シネマチ祭2014」「日本財団これも学習マンガだ!」等。 「さいとう・たかを劇画文化財団」理事、「国際文化都市整備機構」監事も務める。共著に『『ONE PIECE』に学ぶ最強ビジネスチームの作り方』(集英社)、『人生と勉強に効く学べるマンガ100冊』(文藝春秋)、『コルクを抜く』(ボイジャー)がある。http://manganight.net/

島田英二郎(しまだ・えいじろう)

1990年講談社入社。1992年より『モーニング』編集部。「天才柳沢教授の生活」「国民クイズ」「鉄腕ガール」「蒼天航路」「不思議な少年」「ブラックジャックによろしく」など担当。2006年『モーニング・ツー』を創刊。2010年より『モーニング』編集長。2015年9月に『モーニング』編集長を退任し、『ヤングマガジン』にて一編集者として現場に復帰。https://twitter.com/asashima1


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